パラ18 対ソ正面と太平洋の兵力移動状況の件
「第二次ノモンハン戦で、陸軍が斉斉哈爾まで後退をしたのは知っているか?」
江藤大尉が、僕たちの認識を確認してくる。
僕たちの歴史では、ソ連軍が満州まで雪崩れ込んで来たのは大戦末期の出来事だが、こちらの現状では、既に満州北部にまでソ連軍が進出してきているのは、先ほどスミス准尉から聞いている。
僕が頷いたのを確認すると、大尉は話を続けた。
「ソ連軍の更なる南下を防ぐために、南満州と南樺太、千島列島には兵が増派されている。空母機動部隊も日本海に展開して、事有ればウラジオ攻撃も辞さない構えで、ジューコフを牽制している状況だ。」
日本軍は、ソ連との長い国境線を防御する体制に、兵力の配置転換を行っているようだ。
「我が軍は、兵の敢闘精神は旺盛だが、陸上兵器の質がソ連軍に及ばないのが、第一次・第二次ノモンハン戦を通じて身に染みて分かった事だ。チハの57㎜ではBTの装甲を抜けん上、94式速射砲では対戦車射撃を行うに当たって、有効射程に呼び込む前に、BTに喰われる。一次の時は、肉薄攻撃でBTを多数焼いているが、二次の時にはジューコフもガソリン瓶を警戒して、エンジンが燃えない様に対策してきた。我々にとっては、戦車と対戦車砲の更新が急務なのだ。それが完了するまでは、兵力差を見せつけて膠着状況に持ち込んでおくしか無い。しかも、問題は正面装備だけではないぞ。自動貨車一つにしろ、日本製の物より米国製の方が、馬力も有るし信頼性も高くて、輜重部隊は好んで米国製を選ぶ様な状態なのだ。総力戦になれば、輸送能力の多寡が大いに物を言うから、米国製自動貨車のライセンス生産も始まっているが、数を揃えるのには時間が要る。」
岸峰さんは、大尉の話に少し首をかしげると
「兵器に差が有るならば、ソ連側にしたら今が前進するチャンスなのではないのですか?」
と、質問する。
大尉は「ソ連にしても、今の時点で満州から朝鮮半島全土を占領するのは、無理なのだ。」と、彼女の疑問を明快に否定した。
「ソ連が極東に兵力移動を行うのには、シベリア鉄道を使うしかないからだ。ノモンハン戦においてすら、シベリア鉄道のみによる移送は困難を極めたのだ。兵と資材の集積が済むまでは、これ以上の進出は難しいだろう。ノモンハンに於ける勝利は、あくまで『事変』という限定戦争であって、関東軍はともかく大本営が不拡大方針を取るであろうと言う事を、ジューコフは良く理解していたのだな。」
「じゃあ、シベリア鉄道を破壊すれば、もっと時間が稼げるんじゃないですか?」
岸峰さんは、さも簡単そうに口にする。
けれど、この手の工作は、日ソ両軍が共に当然の事として考慮しているのは間違いない。
何故なら兵站線の切断は兵法の常道だから。
だから、中々それが難しいのは、それ相応の理由が有るわけで……
「そうだな。破壊が出来れば、時間は稼げる。」
大尉は岸峰さんの考えを、即座に却下はしなかった。
けれど、噛んで含める様に、出来ない理由を解説する。
「しかし、鉄道破壊が起きた時点で、両軍が共に態勢が整わないまま、先の展開が見えない全面戦争に突入する事になるだろうな。ソ連は、八路軍を始めとする軍閥や匪賊を、大陸全土にバラ撒いているから、我が軍の少数の挺身隊が長躯して密かに、修復に長期間を要するほど鉄道を爆破するのは難しい。だからと言って、大量の重爆を飛ばしたり、一軍を以て主要駅を占領するのは、それこそ宣戦布告と同義だ。国家の存亡を賭けて大博打を打つのには、幕引きをどう持って行くか、せめて落としどころまでは見通せていないと、無駄に兵を死なせる事になる。」
「満州方面の状況は、何となく掴めました。しかし、ここが空になるほど日本中の兵力を差し向けているとは、考え難いのですが。」
僕には大尉が触れていない、別の地域の状況が気にかかる。満州に兵を送っているからといって、これだけ大きな御蔵島の軍港に、兵がいないという事が有り得るのだろうか?
大尉は二、三度頷くと、「そうだな。貴公らからすれば、正に異常事態に思えるだろう。それには二つの理由が重なっているのだ。まず、一つ目は国際情勢が起こした玉突きだ。」
大尉の言う「国際情勢の玉突き」を要約すると以下の様になる。
(1)アメリカ太平洋艦隊主力艦の大西洋への移動
○日本と同盟した事によって、太平洋で多数の艦を維持する必要性が低下した。
○ウラジオストクのソ連極東艦隊は小規模であり、ハワイやフィリピンの脅威にはならない。
○アメリカにとっての急務はイギリス支援。よって主力艦と対潜駆逐艦は大西洋に。
○日本艦隊は、ハワイ・ダッチハーバー・マニラに寄港出来る代わりに、北太平洋の哨戒も受け持つ。
(2)香港・シンガポールの英軍の中東方面への移動
○イギリス本土防衛のため、香港島の英軍主力はエジプトへ移動する。
○同上の理由で、シンガポール要塞とマレー半島の英印軍主力はエジプトへ。
○イギリス東洋艦隊はスエズへ。
○日本艦隊は、香港・シンガポール・セイロン島へ寄港出来る代わりに、南シナ海の哨戒も受け持つ。
(3)米比軍の仏印進駐
○ヴィシー政権下のフランス領インドシナには、フィリピンの米比軍が進駐し、保障占領を行う。
(4)豪州軍の蘭印進駐
○ドイツに降伏しているオランダ領インドシナには、豪州軍が進駐し、保障占領を行う。
○豪州軍の蘭印進駐には日本軍も協力体制を取る。
「まあ、ざっとこんな処だな。太平洋とインド洋に大きく空いた、力の空白を埋めるためには、連合艦隊はテンヤワンヤと言うわけだ。」
「何だか日本海軍は、いいように使い回される事になるみたいですけど。」
僕が口にした、ちょっとした不満に、大尉は
「流す汗は多くなるだろうが、流す血の量は少なくて済む。対ソ正面の困難を思えば、これは重要な事なのだ。南方資源地帯や米国との交易が容易くなって、軍用だけでなく民生品の質も向上するだろう。総力戦に貢献するのは、正面装備と兵力だけではない。国の持つ力そのものなのだ。」
僕たちの世界の歴史と同様に、こちらの世界でもスターリンが赤軍の大粛清を行っていたら、上級指揮官を大量に失って、混乱と疑心暗鬼の渦にあるソ連軍は弱体化している頃のはずだ。
「赤軍の至宝」と呼ばれたトハチェフスキーですら、殺されてしまっている。
だから、兵力を対ソ正面に集中して戦闘の口火を切るのであれば、早い方が良い様にも思えるけれど、大尉の話からはソ連の内部状況までは分からない。
でも、ソ連の状況は置いておいても、ここには蘭印に向かうはずのオーストラリア兵が、師団レベルで待機している筈ではないのだろうか?
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参考機材
BT-5中戦車
乗員 3名
45㎜砲×1
機銃×2
11.5t
装甲 13㎜
速度 64.3㎞/h(履帯走行時)
111.0㎞/h(車輪走行時)
BT-7中戦車
乗員 3名
45㎜砲×1
機銃×2
13.8t
装甲 22㎜
速度 72.4㎞/h
97式中戦車「チハ」
乗員 4名
57㎜砲×1(短砲身榴弾砲)
機銃×2
15t
装甲 25㎜
速度 38㎞/h
航続力 210㎞
チハの57㎜砲は装甲貫通能力としては95式軽戦車の37㎜砲に劣った
97式中戦車改「新砲塔チハ」
乗員 4名
47㎜砲×1
機銃×2
15.8t
装甲 25㎜
速度 38㎞/h
航続力 210㎞
95式57㎜戦車砲を1式47㎜戦車砲に換装
砲弾の初速が420m/sから810m/sに増し貫通力がUPしている
94式37㎜砲「速射砲」
重量 327㎏
最大射程 2,870m
(射程1,000mで20㎜の装甲板を貫通)
1式機動47㎜砲
重量 800㎏
最大射程 6,900m




