ハシマ2 新町湯別館建設予定と取り扱い商品の件
午後の訓練を終えて電算室に戻り、午前中に行った貯炭場見学の記事をまとめる。
けれども今日の訓練が、何度目かの『野戦陣地築城演習』でなかなかハードだったため、腕や指が強張っているので、キーボードを打つのが捗らない。(いやホントは、腕だけでなく腿や腹筋にもキテいるんだけどさ……。)
僕の分の記事は明日向けだから、焦る必要は若干ながら低いのだけれど、岸峰さん(岸峰デスクだ!)や古賀さん、キャロラインさん、茂子姐さんが夕方放送分のニュースの最終チェックに余念が無いから、ボーッとした顔をしてるわけにはいかないのだ。
岸峰さんは僕と同じ演習をこなしているのに、何とタフなのだろうか!
野戦陣地築城演習がどんな演習なのかというのを掻い摘んで説明すると
○蛸壺壕と連絡壕を掘る(もちろん、スコップでの手掘りだ!)
○壕の掘削で出た土で土嚢を作る
○連絡壕の要所を掘り広げ、土嚢を運んで機関銃座を作る
○機関銃座を偽装網で隠蔽する
――といった手順だ。
しかしこれで終わりではない。
次には攻撃側の位置に移動し、攻め手の目線から自分たちの作った陣地を観察する。
何処が防御側の穴になっていて、付け入る隙があるのかを認識するためだ。
最初はヤタラと陣地の粗が目に付くから、鉄条網の設置とか地雷(もちろん演習用の模擬地雷)を追加してしまったものだが、もう一回攻め手のスタンスに戻ると、余計なギミックを追加すれば追加するほど「そこに陣地が存在する事」を強調する結果になってしまうのが分かる。
これは他の訓練班が作った陣地を見学した時にも同じ感想を持ったから、シロウトが陥り易い傾向の失敗なのかも。
火力戦用の待ち伏せ陣地を作るのであれば、一に敵弾遮蔽、二に隠蔽が重要ってことなのだろう。
物理的に堅固に作るのが重要なのは、自分らの命に関わるのだからアタリマエだとしても、敵からは見えないってのも「堅い陣地」の要素ってわけだ。
敵部隊がそこに殺到して来るのが判っている場所なら、コンクリ(べトン)製トーチカや鉄条網・ブービートラップの配置が必須でも、パトロール隊を待ち伏せするのが目的ならば、表土の色を合わせる(掘り起こした土は湿り気を帯びているから暗い色に見える)ことや、元あった落ち葉を丹念に撒き直すなんて小技が効果的なんだというのが――経験的にだんだんと――理解出来てくる。
すると力任せに、エイホエイホと地面を掘り広げるのも重要だが、入念に偽装を施す工程も同じように重要なわけで、力任せは男性陣が怒涛のように進めても、仕上げや偽装の段階では持久力の高い女性陣の方が有能だったりする。
(と言うか、土掘りが終わった時点で、男性陣は早くも力尽きちゃってるわけだ。ことに年配の鴻池さんは、起き上がるのもやっとという風情だったりする。)
まあこれは個人的な資質による処が大きいだろうから、一概に「男は力・女は持久力」なんて言い切ってしまうのは誤解の元かも知れないけれど、少なくとも立花小隊ではそんな傾向があるように思う。
「師匠! 先ほどから筆が進んでおらぬよう、お見受けしますが?」
僕の為体を見かねた雪ちゃんから、発破が飛んで来る。
「雪ちゃん。修さんが腑抜けているのには、今日の処は目を瞑っておあげなさいよ。」
姐さんが珍しくフォローしてくれる。「精根尽き果てているんだからさ。」
雪ちゃんは舟山島から帰ってきた処だから、今日の穴掘り訓練には参加していない。
だから僕の獅子奮迅(と言っても、塹壕掘削なのだが……)の大活躍は見ていないのだ。
彼女は昨日から、源さんと一緒に小型貨物船で舟山島に出張していた。
源さんの目的は舟山港に商館を開くことで、適当な建物を探しに行っていたのだ。
現在の舟山港には、味噌・醤油・酒蔵兼物品集積所に成っている旧清朝役人の館や、王直・王仁統治下時代からの交易所はあるのだが、それとは別に風呂屋兼宿屋兼のエンターテインメント交易施設を作るのだとか。(名前は当然『新町湯別館』だ!)
ある意味、御蔵島文化のショーウィンドになる場所だから、源さんが力を入れるのも当然。
風呂釜の加熱には工事現場の木屑燃料使用の竃式でも、室内外の明かりには小型発電機で電灯を灯すつもりらしい。
水回りは、ダム完成後に上水道が通るまでは、手押し式の鋳鉄製井戸ポンプを設置する。
蛇口を捻れば水が出る生活をしていると、手押し式井戸ポンプは面倒臭く感じるかもしれないけれど、上部開口式の井戸から釣瓶を使って桶に水を汲むよりもメチャクチャ楽なのだ。(衛生的でもあるし、深井戸だから水質も良かった。)
現に、物品集積所に設置されたポンプ式井戸には、付近住民が水汲みに列を成して本来の業務が滞る事態に陥ったため、防疫給水班が舟山港のあちこちに協同使用用ポンプ式井戸を掘っていたりする。
考えてみれば、この鋳鉄製井戸ポンプだって井戸界での革命的進歩案件なんだよな。
新町湯別館で扱う「商品」には、燐寸・鉛筆・メモ帳の他に、洋ロウソク・カンテラ・洋灯なんかが予定されている。
石油精製で出るパラフィンを原料とした洋ロウソクは、まだ西欧で洋ロウソクは出現していないのだから「洋ロウソク」という名称は変な気もするが、「御蔵ロウソク」なんて呼ぶのは更に奇妙な感じがするという意見が多かったために「洋ロウソク」で落ち着いたのだ。
藺草の燈心に、地道に櫨の蝋を塗り付けて作る和ロウソクよりも、大量生産可能だ。
金属製薄板の箱に四枚のガラス板をはめ込んだ「カンテラ」は、中にロウソクを立てて使用する。
裸火使用が怖い場所や、風でロウソクが消えるのが心配な場面では重宝すること間違いない。船乗りの人とかは欲しがるだろう。
鯨油や魚油を燃料にする洋灯は、配給によって舟山島では珍しくないが、島外から来た商人には是非とも手に入れたくなる品だろう。
これら以外にも「鯨肉や魚・麦飯の缶詰」「セルロイド縁の老眼鏡」「軟質塩ビ製の洗瓶」なんかも候補に上がっている。
洗瓶が商品になるのは意外かも知れないけれど、僕や岸峰さんがポリエチレンの洗瓶をトイレの後に使用しているのを知った御蔵病院の院長先生が、実際に自分で試してみて
「落とし紙の節約に繋がるばかりでなく、衛生的かつ痔疾にも効果が有る。」
とラジオで話したために御蔵島で急速に普及したのだ。
(隠れ痔主が多かったんだろうか……。)
ポリエチレンは未だ合成出来てはいないのだけれど、塩ビは生産が軌道に乗ったから――本来は硬質塩ビで塩ビ管を作る目的で始まった事業なのだけれども――軟質塩ビいわゆるソフトビニール製の製品が供給されるようになったのだった。
一方、雪ちゃんの渡航理由は源さんの付き添いという訳ではなく、舟山島出張中の石田さんから
『お兄様の月之進様が舟山島にいらっしゃってますから、こちらへ向かう船便を見付けて挨拶においでなさい。』
という手紙が届いたために、新町湯別館を建てる目的の源さんと一緒に出掛けたのだ。
源さんと一緒ならば、僕らも安心して送り出せるからね。
お兄さんの月之進くんは、小倉隊の面々と共に現代戦の訓練中だったのだそうで
「師匠が訓練から戻られた時みたく、疲れ果てた顔をしておりました!」
と笑う雪ちゃんなのであった。
小倉隊に訓練をつけているのは、立花少尉殿も教わった事のある特務曹長殿で、冷静沈着ながらメッチャ厳しいらしい。
また夜は、小倉隊の訓練生が天幕泊なのに対し、雪ちゃんは石田さんと一緒に旧清朝役人館の豪邸で寝たのだそうだ。(石田さんは、岸峰さんや古賀さんとは違って、静かに眠るんだって。)
源さんの仕事はしばらく時間が掛かりそうなので、雪ちゃんは石田さんから御蔵島に向かう船を見繕ってもらって先に帰って来たのだそうだ。
僕が「も少し、お兄さんと過ごしてきても良かったのに。久しぶりに会ったんでしょ?」と言うと
「なんの、花も月も忙しゅう学んでおりまする。我のみ凡々と過ごしてよい道理はありまぜぬ。」
と真正面から諭されてしまったのだった。
姐さんから「精根尽き果てている」とフォローを貰った処で――これでは余りに情けないかな――と無い気力を振り絞って、もう一度モニターに向き直る。
貯炭場には選炭場を併設するのが難しいとの事なので、選炭場候補に提案された珪砂島だが、資源探索班を訪問してヒアリングを行うと、「珪砂島海岸の堆積珪砂層は、良質な分はほぼ掘削が終わって御蔵島に輸送済みですから、選炭場を置かれても構いませんよ。潮抜き池も流用していただいて結構です。」との返事だった。
珪砂は風化した花崗岩だから、舟山群島や洞頭列島の砂浜には堆積層が珍しくなく、珪砂島に固執する必要が薄いらしい。
現在では、珪砂島と同様に潮抜き・洗浄用の良い真水を確保出来る『第二珪砂島』に洗浄池を掘削中とかで、浚渫船もそちらに廻航中とのことだ。
「珪砂島が選炭島になるのなら、第二珪砂島の『第二』は取っ払っても良さそうですね。」
と資源探索班のガラス材料チーフは、陽気に快諾してくれたのだった。
この件は、司令部の主計曹長殿に相談すると
「珪砂掘りの場所変更の件は、変更願いが上がってきてますね。許可も下りています。」
と帳面を繰りながら確認してくれた。「浮桟橋用の台船は、第二珪砂島に移動させる予定になっていますが、珪砂島に選炭設備を作るのなら、そのまま残しておいた方が良さそうです。第二珪砂島には別の台船を回す事を考えてみましょう。この件は上げておきますから、結果が出たら直ぐにお知らせしますよ。」
と請け合ってくれた。
だから、結果待ちというわけなのだ。
僕はこの辺の経緯を(結果待ちだから結論部分は空けたままだが)文章に起こすと
「そう言えば雪ちゃん。お父さんは元気にしておられたの?」
と、大きく伸びをしながら訊いてみた。
藤左ヱ門さんのことだから、興味深々で155㎜カノン砲陣地なんかを回って見聞を深めているのに違いない。
けれども雪ちゃんの返事は意外にも
「父は呂宋に向かっておりまする。」
というものだった。




