種明かし(陶石と生ゴム)
「しかし、片山君が辞任会見するとはなぁ。こちらから送った電文が紛らわしかったか、と責任を感じるよ。」
加山少佐が溜息を吐く。「奥村も、もう少し気を利かせてやれば良かったのに。」
加山少佐は大津丸の士官食堂で、大内警部補・早良中尉と共に遅い昼食を摂っていた。
軍属の士官船員や大津丸の船舶砲兵士官らは、定時に昼食を終えていたから、今ここに居るのは三人だけである。
大津丸はまだ大発を使った貨物の積み込み(詰め込み?)中で、台州沖に停泊している。
千人余りの降伏兵は既に船内にエスコートされて、シチューとマーマレードを塗ったパンが提供された後、蓬莱兵から電灯のスイッチやトイレの使用法などを伝授されている処だった。
彼らは巨大な鋼鉄船の威容に圧倒されていて、反抗的な素振りは無い。
また、それまでの清国軍の兵士としての編成から、職業別の班に編成替えがあったことも彼らに大きな影響を与えていた。
親方や職人頭は、腕前優先が前提だが班の中で自由に決めて良い、とされたからである。
「いや。案外、中佐殿の策なんじゃないですか?」
切れ者警部補の顔に戻っている源さんが、腕を組んで加山少佐に応じる。
「あの少年、大車輪で気張っていましたからね。ちょっとは肩の荷を降ろして一息つけ、みたく。責任の分散ですよ。自分は御蔵に戻ったら、毎日三度三度のニュースの監修をしないといけないと思ったら、今から気が滅入ります。」
「中佐殿の考えというのには同意しますが、別の任務に就けたいからというのが大きいような気がしますね。」
別視点からの考察を、早良中尉が指摘する。
「端島・高島遠征を行うとなると、佐賀出身の二人には是非とも参加させる必要があります。力ずくで占領するのではなく、友好的に佐賀藩に渡りを付けたいからです。……多少の威嚇は必要でしょうけれども。また同時に、ニュース放送も継続して行うのが重要です。電気と並ぶ20世紀文明の象徴として。――だったら、遠征直前よりも前に、新聞の編集権を移行しておいた方が良い。そんなお考えなのではないかと。」
「石炭と陶石か。」加山少佐が頷く。「石炭ドロボウで佐賀藩と険悪になったら、有田の陶石と陶土には手が出せなくなるからなぁ。」
「天草が天領ですからね。天草陶石を掘りに行くわけにはいきません。耐火煉瓦と耐火モルタルの原料に、有田の陶石は喉から手が出るほど欲しい処です。あそこには既に登り窯も存在しているわけですし。」中尉が眼鏡の弦を押し上げる。
「南明軍が揚子江南岸域を全部押さえたら、景徳鎮から耐火性の強いカオリンを揚子江の水運で運んでこられましょうが、それまで待つわけにはいきますまいて。」
警部補も同意する。「舟山にも築炉したいが、御蔵の備蓄に手を付けるのは、勿体無さが先に立つ。今後の事を考えれば。」
「そうですね。先ずは反射炉とキューポラ用に。」早良中尉が同意する。「その上で、ジョーンズ少佐殿の小規模ダムが完成し、小型発電機の設置が完了すれば、その経験を活かして上流に規模を大きくしたダムが建設出来ます。水力発電所が充分な電気を供給出来るようになると、舟山島に電気炉を置けます。そのためには耐火煉瓦は是非良い物が欲しい。」
中尉は一旦言葉を切ったが「電力が潤沢になれば、電炉を置けるだけでなく、炭化ケイ素の製造が可能になりますね。珪砂もコークスも在るわけですし、黒鉛の仕入れは確実性が高い。」と続けた。「炭化ケイ素の製造炉にも耐熱物が無いと話になりませんが。」
「研磨剤やサンドブラスト用の炭化ケイ素は、仕上げ加工に必須だからね。備蓄分だけでは心許無い。自力で製造出来る様にならないと。」と少佐が頷く。「工具硬度を増すのに必要なマンガン・タングステン・モリブデンは、商人相手に警部補殿が手を打ってくれているとは言え、ね。」
「電炉を置けるだけの電力が得られたら、アルミの精錬も出来ましょうか?」
と警部補が希望的観測を述べる。「アルミが内作出来る様になれば、いろいろ用途が考えられますがね。」
「うーん……。電炉と炭化ケイ素製造を止めてる間、その間、アルミ一本に集中させれば電力的には間に合いそうな気もしますが……。」
中尉の返答は歯切れが悪い。「原料のボーキサイトの入手先が。」
少佐も「南洋資源地帯にまで出向かなきゃ難しいな。しかもボーキサイト採掘には、ボーキサイト肺という厄介な塵肺汚染が付いて回るし。」と懐疑的な様子。
「そりゃ面倒ですな。アルミは今有る分の再生で賄うしかありませんな。」
警部補が納得したという様に、軽く両手を挙げる。『お手上げ』というジェスチャーだ。
「アルミニウム再生ならば、反射炉でイケますから。そうですね、アルミ精錬は先の目標に取っておいて、出来ることから手を付けましょう。」
早良中尉のまとめに加山少佐も頷く。
尾形軍曹は海岸で、福州軍の輜重担当高級武官と会談を持っていた。
軍曹はジープ、武官は騎馬で副官と従卒それに通訳とを連れている。ジープの横では兵がパンクしたリヤカーを修理している。
急に交渉が行われる事になったのは、軍曹が大発への荷物の積み込みとリヤカーのパンク修理の監督中に、武官の方から声を掛けてきたからだった。
武官はリヤカーの優秀さに目を付け、一台譲って欲しいと話を持ち掛けてきたのである。
対価は副官に持たせたズシリと重い麻袋一杯の金貨だ。
福州軍がリヤカーをバラシて構造を検証し、複製品を作る心算であるのは明白だった。
「お代は結構です。一台はさしあげます。……その代わりと言ってはなんですが、車騎将軍様に御用意いただきたい物があります。」
通訳から「ただで良い。」と告げられて喜色満面だった武官だが、鄭芝龍に願いが有るというのを聞いて、一転して警戒する顔色に変わった。
「条件は如何?」通訳が武官の言葉を翻訳する。
「このままでは使い辛かろうから、タイヤをチューブタイヤから、ソリッドゴムのタイヤに変更した方が良いでしょう。そのためには生ゴムが必要です。車騎将軍様に、その生ゴムを御用意いただきたいのです。」
条件を聞いた武官は意外そうな顔をしたが、尾形軍曹がパンクしたリヤカーを見せて
「このようにチューブタイヤには、パンクという故障が付き物なのです。パンクが起きたらタイヤからチューブを抜き、穴の開いた場所を塞いでチューブに空気を詰め直さなければなりません。手間が掛かりますし、空気入れという特殊な道具も必要になります。チューブを入れずに全部がゴムの塊であるソリッドゴムタイヤなら、少し重くなる上に多少は振動が増えますが、パンク故障は起きません。但し使うゴムの量は増えることにはなりますが。だから車騎将軍様からゴムを供給していただけたら、パンクしないソリッドゴムのタイヤをお作りするのが可能になります。お値段の交渉は、その折にでも。」
武官は尾形軍曹の説明に概ね納得がいったようだ。現にパンクした車両が目の前に存在するのだから。
また御蔵側が『魔法の荷車』の秘密を出し惜しみせず、ただで一台提供すると提案したというのも大きいのだろう。
武官が口にした言葉は
「ゴムという物は、何処で手に入るのか?」
という質問だった。
「台湾のオランダ商館で扱っていましょう。――確かゼーランディア城と呼ばれているとか。ゴムという言葉がそもそもオランダ語なのです。車騎将軍様はオランダ商館に伝手をお持ちと聞き及んでおります。まとまった量のゴムが手に入れば嬉しいのですが。多ければ多いほど良い。タイヤ製造には不具合も出ますから。良い商いが出来るといいですな。」
馬上の武官が従卒にリヤカーを曳かせて立ち去るのを見送って、尾形軍曹は大きく息を吐いた。
武官の馬は福州軍の船の一隻に向かっており、副官は台州城に向かって馬を走らせている。
武官は一刻も早く船を出して鄭芝龍にリヤカーを見せる心算だろうし、副官は城の福州軍先遣隊トップに報告するため急いでいるとみて間違い無い。
――なんとか打ち合わせ通りに、上手くやれたみたいだ。
軍曹は額の汗を拭った。
福州軍や温州軍の輜重隊が、御蔵軍のリヤカーの優秀性に着目すれば、必ずそれを欲しがるであろうというのは容易に予測出来た。
『ならばリヤカーをダシに、鄭芝龍将軍に生ゴムを調達する道筋をつけて頂きましょう。』というのが早良中尉が立てた計画だった。
リヤカーの運用し易さは、大八車タイプの荷車に比べて群を抜いているのである。
人力・馬力を問わず、貨物積載時における牽引初期の動き出しのスムーズさは圧倒的だ。車体自体も軽い。
これはソリッドスポークとワイヤースポークの差という構造に由来する。
荷車タイプのソリッドスポーク車輪は、車軸の下に車軸受けが来る。だからスポークと車軸には常に上から鉛直方向に全重量が掛かることになり、太くて強いスポークが必要となる。だから車輪は必然的に重くなる。昔は荷車の車輪のみを使って、罪人の手足を押しつぶすという処刑法があったほどだ。
対してワイヤースポークは、車軸受けが車軸の上にくる構造となっている。貨物の重量はタイヤにかかるが、車軸には軸受を上に押し上げようとする力が働くので、スポーク部分では「タイヤが地面を押し付ける力分の反作用」と「車軸がタイヤを押し上げようとする力の反作用」という形で力が分散する。そのために細い――それこそワイヤー状の――スポークを使用する事が出来るのだ。そのため軽い。
リヤカーの荷車に対する操作性の良さは、ワイヤースポークとソリッドスポークの差だけではない。
荷車の車軸と軸受間の摩擦低減には、脂(主に獣脂)が塗られているだけなのに対し、リヤカーの軸受にはベアリングが入っているのである。この差は決定的だ。
リヤカーに比べれば、荷車の車輪は摩擦抵抗の固まりと言ってもいいだろう。
だから福州軍技術者が、リヤカーをバラシてコピー品を作ろうと企てても、17世紀の技術力では再現不可能なのだ。出来るのはせいぜい太い木製フレームを、軽量鉄パイプに換える程度。
リヤカーは御蔵島から購入する他に道が無い事に気付くのに、そう時間はかかるまい。
それが分かっているからこそ、無償提供することに躊躇が無かったとも言える。
「軍曹殿、そろそろパンク修理をしているフリを止めても良いでしょうか?」と兵が伺いを立てる。
「待て待て、もう一組のお客さんが、大急ぎで御到来だ。福州軍に供与して、温州軍を袖にするのは、後々に遺恨を残すからな。……もうチョット辛抱してくれ。」
福州軍の武官がリヤカーを手に入れたのに気付いたに違いない。
城から土煙を上げて数騎がこちらに向かって来る。
どちらの陣営が先にリヤカー購入を申し出てくるのかが予測不可能だったので、一応、加山少佐からは各陣営に一台ずつの計二台までは供与する許可が出ている。
――温州軍からは生ゴム調達の見込みは薄いんだがな……。
――ま、リヤカーは現物が売るほどあるのだし、生産・修理のラインもある。長い目で見た顧客に恩を売っておくのも悪くない。
近付く土煙を見ながら、軍曹はそんな事を考えていた。
お読みいただきありがとうございます。
また、地味めの展開ばかりが続いて申し訳ありません。
ようやく辞任騒動の裏面を書き終えることが出来ました。
筆者も拙い文章を綴りながら
――ああああ! いっそのこと『ステンレス鉱山』とか『アルミニウム(もしくはアルミナ)鉱山』とかが存在する謎設定にしとけばヨカッタァァァ!
とか頭を抱えております。
電炉つくるって言ったって、電炉棒はドウスンダ! みたいなご都合主義で話を進めているのにも関わらず、です。
ははは! まあ色々と変な部分は見逃してやってください。
陳謝。九拝。……いや、申し訳ありません。




