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台州始末5

 「『……と言うわけで、我々としては力を貸して頂きたい。だが、どうしても助力したくはないが、再び清国軍に合流するつもりはない、という者は、今ここで申し出よ。即座に放免する。後は畑を耕すなり、商売を始めるなり、好きにせよ。』――御蔵様は、こう提案しておられるのだ。乗る者は居ないか?」

 捕虜に向けて早良中尉が話した内容を、拡声器のマイクを受け取った趙が翻訳して聞かせる。


 朝飯の粥を食い終わって、少しばかり生気を取り戻した422人の捕虜は唖然とした顔をする。

 ――荷運び奴隷としてき使われるのか、次の戦で真っ先に敵城に突撃させられるのか?

と我が身の行く末を案じていたからである。

 だのに、逃げたければ逃げてよいぞ、と言われたら混乱するのも当たり前だ。


 何故なら戦場いくさばでは、降伏兵は先鋒として消耗戦にぎ込まれるのが普通であり、いくさ働きによって忠誠心を試されるのが常道だからである。

 これは寝返り兵の忠誠度を試すとともに、口減くちべらしの意味合いも強かった。

 荷車や駄馬輸送に頼って兵站を確保している場合、食糧など消耗品の輸送力が限られているために、急な兵力増加には戦線の維持が耐えられなくなるからだ。

 海岸線や河川・運河沿いの作戦の場合には、物資輸送に船を使えるから、内陸を陸路で進攻するのに比べれば兵站線の確保に於ける苦労が軽減されるとはいえ、最寄もよりの船着き場から攻撃開始点までの物資輸送には当然ながら大量のマン・パワーが必要だった。

 物資輸送を『機械化』している御蔵勢が異例中の異例なのである。


 「どうした? 誰も逃げたくはないのか? 自由の身になるのだぞ。」

 趙が重ねて問い質す。

 けれども、早良中尉も趙も「逃げたい」と申し出る捕虜はごく少数だろうと、予想はしていた。

 ここで軍から放り出されたら、生き残るチャンスが大幅に低下するであろうという予測がつくからだ。


 つまり身一つで逃げても、直ぐに寝食に困る未来が見えている。

 元から台州城内か近辺に住んでいたのなら、ただ自宅に戻れば良いのだが、遠方からやって来た者には敗残兵や匪賊が徘徊している街道を逆に辿るなど、自殺に等しい。

 台州城で降伏した清国軍兵士のうち、台州城近隣で徴募された動員兵は、降伏するにあたりほぼ全員が『城の中で』武器を捨てたであろうから、一度は脱出を試みたこの422人には含まれていないだろうという読みである。

 出身地が遠方ならば、山に逃げ込んで、木の実・草の根を齧る生活を長く続けるのにも限界がある。


 また仮に匪賊に身を投じようとしても、今の揚子江南岸で行動している集団は、寧波あたりの戦闘で清国軍に反乱を起こして袂を分かった兵なのである。

 彼らは南明軍が進撃すれば、その傘下に馳せ参じようとするであろう。それが彼らにとって再び陽の差す場所に出るほぼ唯一の方法なのだから。またそうしなければ、清国軍と南明軍の双方から討伐対象ともくされるのは目に見えている。

 ならば今の時点で南明軍に参加していた方が、やや増しな選択だと考えられるではないか。


 再びマイクを握った早良中尉が

「満州族出身者で、明国内で解放されても生活手段が無いと躊躇ちゅうちょしておられる方は、普陀山ふださんまで送り届ける事をお約束します。世の中が落ち着くまで、お寺に身を寄せておられたら良いでしょう。お寺へのお布施ふせは、融通いたしますよ?」

と穏やかな声でさとす。

 普陀山は舟山島に付随する小島で仏教聖地の一つだ。明・清の戦争では宗教者らしく局外中立的な立場を採っている場所である。

 舟山群島制圧作戦完了後には、舟山島から逃げ遅れた清国官僚が避難している場所でもあった。

 御蔵軍はその中立的立場を尊重しているのだが、見方を替えれば捕虜収容所として重宝しているとも考えられる。


 中尉からマイクを受け取った趙は「女真族で明国内に居場所が無ければ普陀山へ送っても良い、とのお言葉だ。戦が終わるまで寺に居れば身の安全が図れよう。供物くもつの名目で、食い物も持たせてやろうとの有り難い申し出だぞ? どうだ? 誰も手を上げる者はおらんのか?」と意訳する。


 躊躇ためらいがちに、4本の手が上がった。

 彼らには普陀山へ送るという説得が効いたのかも知れないし、これ以上シラを切ってもいずれは露見するだろうと観念したのかも知れない。


 「よく御決断されました。」

 4人を呼び寄せた早良中尉は、各人の手を取ってその勇気を称える。

 ――柔らかい手だ。剣ダコも弓ダコも無い。脱出を諦めたのは文官だからか。

と、さり気なく彼らの素性に察しを付けてから、「石田君、案内して差し上げろ。」と石田准尉を呼び寄せる。「清朝のお役人さまだ。」


 石田准尉は通訳を伴って満州族捕虜の前に進み出ると

「舟山島まで、お世話をさせていただく石田です。いくつかお話を伺ってから『今後、明朝との戦には加わらない』という念書を書いていただく事となります。先ずは船にお部屋を用意してありますので、ご案内いたしましょう。」

と笑顔を見せた。

 案内役が美しい少女だった事に、満州族官僚もホッとした表情を見せた。

 彼らは他の捕虜と別れ、高速艇で大津丸に先行するのである。


 「次にお伺いしたいのは、既に持っておられる技能についてです。」

 早良中尉は418人に減った聴衆に呼びかける。

 非道な扱いを受ける事は無さそうだと認識した捕虜たちには、好奇心を持って話を聴くゆとりが生まれたようだ。身を乗り出すようにしている者もいる。

 「石工いしく、煉瓦職人、大工、細工師はいらっしゃいますか?」






 早良中尉が行っていた職人リクルートは、同様の試みが城の中でも行われていた。

 技能持ちの人材を、戦場で磨り潰したくないという御蔵軍の要望が聞き入れられたからだ。


 降伏兵の殆どは職業軍人か農民の動員兵だから、職人を抽出しても大した人数にはなるまいと、温州軍も福州軍も加山少佐の提案に異を唱えなかった。

 むしろ南明側には口減らしの厄介払いが出来るという思惑おもわくもある。

 温州軍にしても福州軍にしても、台州攻めでは自軍にもある程度の損耗が出る事は覚悟していたし、それが無血に終わった上に、20,000の捕虜を得て軍勢が膨れ上がった事は想定外だったのだ。


 こちらを担当しているのは鄭隆隊の明国人だから、早良中尉のように優しいアプローチではない。

 けれども臨海攻めでは先陣を切って突入させられるという恐怖感が有るからか、あるいは自分の腕に自慢と誇りとを持っている者なのか、700人ほどの職人が舟山島行きの応募に応えた。

 応募に応じなかった職人も居るだろうし、応じた700人の中にも多少は技術持ちかどうか怪しい者も混じってはいたが、全員が海岸に送られる事となった。






 「少佐殿。城内に満州族の清国人がいなかった理由を確認しましたよ。」

 スミス准尉が滑走路脇の通信隊テントで、加山少佐に報告を上げる。「予想通りといえば、予想通りなのですが。」


 少佐は通信兵に指示して、御蔵島司令部に報告や航空兵増派の要望を打電させていたところだ。

 「うん、聞こう。最前線の重要拠点にしては、清国にとって最も信を置けるはずのはずの満州騎兵が少な過ぎるからね。彼らはどこに出払っているんだい?」


 各方面から得られた断片的な情報を、緻密に繋ぎ合わせて構築した准尉の説明を要約すると――

1)台州には温州攻撃に先立ち、温州偵察や台州の治安維持の目的で、騎兵を主体とする満州族10,000が駐屯していた。他の構成員は清に降伏したもと明国兵である。


2)寧波防衛および督戦とくせんのために、脚の速い騎兵4,000騎が抽出される。(先行出発 残り満州騎兵6,000)


3)鳥銃兵2,000が寧波に派遣される事が決まり、その監視役として500騎が寧波に向かう。(残り満州騎兵5,500)


4)寧波城守備隊が『壁』で防衛に失敗し、反乱部隊が流賊となって揚子江南岸の治安が悪化する。


5)反乱部隊鎮圧・匪賊討伐・交通路確保・治安維持目的で、台州城から騎兵部隊が寧波以南の各地に派遣される。各部隊は満州族と明国降伏兵の混成部隊で、およそ満州族300騎に降伏兵200騎を加えた500騎から成る部隊である。抽出部隊数は5部隊。(残り満州騎兵4,000)


6)引き続き寧波方面での苦戦が伝えられ、その後、情報伝達(騎馬伝令)が途切れがちになる。早船での連絡は既に途絶している。

6-B-1)象山しぇんしゃんで、倭寇対策のために海岸防衛にあたっていた部隊で同士討ちが発生する。夜間に城からの増援部隊と、海岸から交代のために城に向かっていた部隊とが、互いを侵攻してきた倭寇だと誤認して衝突したため。初めは小規模な不期遭遇戦ふきそうぐうせんだったのだが、それぞれに後方から援軍が駆けつけたために大規模な戦闘となる。

6-B-2)「倭寇襲来」の報が象山城に届けられる。象山から奉化ふぉんほあ寧海にんはいに向けて「象山に倭寇」の情報を持った救援要請のための騎馬伝令が出発する。

6-B-3)象山内戦は兵力に勝る城方勝利。海岸防衛隊は波打ち際にまで押しやられて殲滅される。朝になって同士討ちだったと判明。奉化ふぉんほあ寧海にんはいに向けて「倭寇襲来は誤報」の早馬が出される。

6-C)寧海から、天台・臨海に向けて騎馬伝令が出発する。象山からの訂正報が寧海に届いたのは、象山向け援軍が出発した後。天台・臨海に向けて訂正報の騎馬伝令が出発する。


7)台州城近隣で捕縛された寧波防衛部隊の逃亡兵から、寧波陥落・杭州陥落・応天府(南京)陥落などの情報を入手。しかし事実を確認する方法無し。また臨海から「象山に倭寇襲来」の早馬が到着する。


8)寧波・杭州どころか応天府までもが倭寇の手に落ちたという噂は、瞬く間に城内に広がり守兵の動揺を誘う。また街道沿いに撒かれた降伏勧告ビラが、偵察隊によって持ち帰られたことも、それに拍車はくしゃをかけることになる。


9)台州城近辺からの徴募兵・動員兵から脱走が相次ぐ。10騎ほどから成る捜索隊が逃亡兵探索のために20隊ほど編成されて城を後にする。しかし捜索隊の半数が行方を絶つ。(残り満州騎兵3,900)小編成での城外行動の危険性が認識される。帰還した捜索隊が、天台・寧海で反乱が起きたとの噂を持ち帰る。


10)臨海で流賊との小規模戦闘が起きたとの伝令が台州城に到着。守備隊は流賊を撃退するも、なおも周辺を跳梁中との事。流賊と倭寇との連携が疑われる。


11)温嶺うぇんりんから台州城へ「温州の南明賊、楽漬ゆえちんを経て北進中。救援求む」の早馬が到着。


12)温嶺防衛の援軍として満州騎兵1,500が台州城を先行出発。(残り満州騎兵2,500)


13)台州~臨海~寧海~奉化~寧波間の連絡・兵站路(および退路)確保のために1,000騎、台州~臨海~天台~上虞しゃんゆー間の連絡・兵站(および退路)確保のために1,000騎が台州城から進発。(上虞は寧波方面と、紹興しゃおしんを経て杭州に至る交通の分岐点であり、増援を得るにも後退するにも必ず確保しておかなければならない要地だからである。)この時点で、台州城の満州騎兵は500騎を残すのみとなった。


14)台州城では守城戦の準備が、今までにも増して急ピッチで進められる。「温州への攻勢に出る」か「楽漬の南明賊に野戦を挑む」という戦術を採るためには、台州・杭州・寧波間の連絡・兵站線確保が整わないと実施不可能なため。


15)温嶺の清国軍、南明賊に降伏。増援に向かった騎兵1,500の消息不明。温嶺の元明国兵に武装解除されたという噂や、降伏する心算の温嶺守備兵から騙し討ち遭い皆殺しにされたという噂も。


16)強力な倭寇および南明賊水軍が台州城を囲む。賊の進軍速度が早過ぎて、台州城から各地に分派された部隊は帰還できないまま守城戦に突入することになる。城内の士気上がらず。賊側からは度重なる降伏勧告。厭戦気分高まる。


 「こんな具合ですね。象山での同士討ちは、さすがに想定外でしたけれど。」

 スミス准尉がクールに説明を終える。

 「短い時間でよく情報収集と分析が出来たね。流石さすがに情報部の……いや……アメリカ軍婦人部隊のスミス准尉だ。いやホント、とんでもない手腕だよ。」

 「まるで情報将校のようだという御言葉、お褒め頂いて光栄ですわ。」准尉がニヤッと笑みを漏らす。「けれども少佐殿や早良中尉殿のシナリオ通りに事が進んだのですから、後付け確認しただけだし、過分な御評価だと考えます。……で、象山の件、どう利用される御心算なのですか? 武装フェリーの15榴で、ちょっとツツいてみるのも面白いと思うのですが。」


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