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ライフ32 台州城無血開城の連絡が入ってきた件

 電算室のドアが、遠慮がちにノックされている。

 誰が叩いているのかは知らないが、ひどく運の良い人物だ。


 僕は近頃、一度寝入ってしまったが最後、前もって起床しようと決めた時間までは、騒々しくとも目を覚まさない特技を身に付けている。

 同部屋で寝ている岸峰さんと雪ちゃんが、夜間メチャクチャに騒々しいために、致し方なくそのように後天的に進化したのだ。


 今夜は雪ちゃんに替わって古賀さんが寝台を使っているから、イビキ・歯ぎしりのたぐいは半減するかと思っていたのだが――岸峰さんのたてる騒音はそのままだから、静かな夜になるとはハナから期待していないワケだけど――古賀さんが岸峰さんに睡眠の邪魔をされて、はああぁぁ……と溜息ためいきを連発するのが耳に障って、なかなか寝付けなかった。

 騒音には慣れた心算つもりであっても、いつもとは別種の音響は、やはりスルーするのが難しい。


 それでも病院から戻って来て、電算室宛に届いた報告やメモの類をチェックし、岸峰さんや古賀さんが打ち込んだ統計データを眺めて、御蔵新聞向け更新記事として

『南明朝の要人、雛竜先生こと鄭隆氏が来島』

『TF-M1が台州戦線に参戦』

『TF-M2が杭州牽制へ出撃』

『化学グループ 硬質塩ビ管の試作成功』

『御蔵造船所 小型蒸気エンジンの試作品完成』

『湾近郊からイワシクジラが姿を消すも、回遊魚の群泳が復活――漁業班』

『コーヒー豆・カカオ豆の栽培経験者はいらっしゃいますか?』

を書き上げ、皆でブレインストーミングしながら朝のラジオ放送用にリライトし終えた時には随分と疲れていたから、寝る段になってから座敷童の溜息が気になっていても、日付が替わる頃には気が遠くなっていた。


 けれども今夜は「雪ちゃん、お姉さんと喧嘩してココに逃げて来るかもしれないね。」なんて岸峰さんが口にするものだから、ちょっとだけ心配になって特技が封印――とまでは行かないものの、防壁が緩くなっていたようだ。

 時計代わりのスマホを見ると、5時ちょっと前。

 ま、もう少しで起床する時間といえば、そうなる。


 僕はそっと寝台代わりの長椅子から身を起こして、扉に向かう。

 袴下こしたと肌着姿の岸峰さんは、大の字になってイビキをかいているし、浴衣を寝間着にしている古賀さんは、裾をはだけてズロースに包まれたお尻丸出しのまま丸くなっている。

 ――目を覚ましたのは僕だけかぁ。

 美少女二人のアラレモナイ格好を目にしても、何だか損をしたような気分だ。とは云うものの、対象が『家族』の岸峰さんと邪悪な座敷童だし……。

 時と場所が違えば「儲け物だ!」って大喜び出来たのかもしれないけどね。


 「ハイ。電算室。」と声を殺してドアを開けると、「起床前にスマンな。」と立っていたのは奥村少佐殿だった。昨夜は徹夜だったらしく、防暑衣ぼうしょいえりを緩めて目を赤くしている。

 「失礼しました!」と慌てて敬礼する。

 けれどもコーディネイトがランニングシャツにステテコ、草履履きという極めてラフなスタイルだから、我ながら締まらないことはだはなしい。


 「いや、楽にしてくれ。時間外だから。」とささやく少佐殿。「ウルサイのが目を覚ましたら、後で恩着せがましいことを言われるのは間違い無いからナ。片山君が出て来てくれて助かったよ。」

 「緊急報ですか?」と訊ねると、少佐殿は「朗報だから、朝のラジオで報じて貰いたくてね。」と頷く。

 悪いニュースではないらしい。


 少佐殿が差し出した電文には『無血開城ス』とだけ。発信元は大津丸だ。

 簡潔極まりない。


 「『来た、見た、勝った』みたいですね。」という僕の感想に、少佐殿は「シーザーかい?」と軽く笑うと「『天気晴朗ナレドモ波高シ』に比べたら、確かに愛想も糞も無いな。」


 ちなみに「来た、見た、勝った」はBC47年のゼラの戦いの結果を、カエサルがマティウス宛に知らせた手紙で、「天気晴朗ナレドモ」の方は1905年の日本海海戦の開始にあたって、秋山海軍中佐(当時)が戦艦三笠から大本営に送信した電文だ。

 全文を引用すると『敵艦見ユトノ警報に接シ、連合艦隊ハ直ニ出動、これヲ撃滅セントス、天気晴朗ナレドモ波高シ』である。

 ついでに(と言ってはナンだが)、世界一簡潔な手紙とされているのは、ユーゴ―が『レ・ミゼラブル』の売れ行きを出版元に問い合わせた手紙で『?』と一文字だけだった。返事は『!』と、これもまた一文字――というのを、北杜夫のエッセイで読んだ記憶がある。


 「分かりました。6時のニュースの先頭で『速報です。要衝 台州城の清国軍が降伏。同城市は無血開城しました。詳細はお昼のニュースでお知らせいたします。』という感じで良いですか?」

 「結構。それで行こう。……まだ戦果などの情報が入って来ていないからね。」


 少佐殿は小さく敬礼すると、足音を忍ばせて階段を降りて行った。

 僕も静かにドアを閉めると、テーブルの上のスタンドだけを灯し、パソコンを立ち上げるのではなく、赤鉛筆とメモ紙を手にした。


 少女二人はまだ眠っている。


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