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台州城夜戦5

 『こちら偵察騎兵隊。前進観測班、聞こえますか? どうぞ。』

 ――早良中尉の声だ。オキモト少尉殿に何か有ったのだろうか? 声に緊張は感じられないが、早口で何時いつに無く急いだ様子だ。

 「前進観測班、聞こえます。」受けた通信兵も、多少慌て気味に応答する。「軍曹殿に替わります。繋いだままお待ちを。」


 当の尾形軍曹はジープのボンネット上に地図を広げて、歩兵砲隊指揮官のミラー中尉と打ち合わせをしている最中だ。

 通信兵は二人の会話の終了を待たず、大声で尾形を呼んだ。


 「尾形です。敵が動きましたか?」

 ミラー中尉に断わりを入れて、尾形軍曹が送受話器を掴む。

 『捕虜、確保。負傷してるんで、オキモト君が手当してる。後送したいから、手配りして欲しい。委細いさい、後。』

 「了解。折り返し連絡を入れます。あ! 白襷しろだすきの準備、お願いします。」


 「ファースト・ルテナン。偵察騎兵隊が捕虜を捕まえたそうです。指揮所に後送を手配しますので、105㎜の正確な弾着点は追ってご連絡します。」

 無線電話機を手にしたまま尾形軍曹が叫ぶ。

 軍曹の申し出に、ミラー中尉は「OK、そちらを優先してくれ。」と理解を示した。

「牽制射撃は上手く機能したようだから、こちらは急ぐ話じゃないからね。それに比べて捕虜の件は大事そうだ。」






 『前進観測班から混成小隊へ。前進観測班から混成小隊。応答願います。』

 「和田だ。」

 『偵察騎兵隊が捕虜を後送します。捕虜は受傷。程度は不明。南門前を経て、そちらに向かいます。混成小隊には左前方から接近。目印は白襷。』

 「混成小隊、了解。」

 『指揮所からも、衛生兵を乗せたジープが出ます。』

 「分かった。捕虜はここでジープに移乗だな。了解。」





 「モルヒネが無いんで、骨折箇所を固定し傷口にサルファ剤を振りかけただけです。気絶してしまったのは、彼にとっては寧ろ幸いでしょう。」

 騎兵の一人に、捕虜を背中合わせに背負わせて、白襷で縛り上げたオキモト少尉が額の汗を拭う。

 チアノーゼを起こしていれば危険な状態なのだが兆候は見られず、趙大人が骨折を接いだ時に痛みで失神したのだから、治療設備の無い現位置では、無理に目覚めさせてもこれ以上手の打ち様が無い。


 趙は部下から三騎を選抜すると、白旗を持った先頭・捕虜を同乗させる二騎目・後衛の三騎目という隊列を組ませて出発させた。全員がフレンドリー・ファイア防止の目印である白襷を身に着けている。


 「脱出を試みるのは1000ほどだそうだ。」趙が捕虜から得た情報を披露する。「後の守兵は降伏で纏まったらしい。――観念したようだし、嘘は言っていないだろう。」

 「案外、少なかったですね。城兵は万を超える数でしょうに。」

 早良中尉の指摘に「二万だそうだ。」と趙が応じる。「戦意を失っているからな。寧波の苦戦も伝わってきているし、満州族の将兵を除けば、城を枕にする義理も無いって処だろう。」


 三人は再び高所に歩を進めながら、情報を整理する。


 「満州族の将軍は徹底抗戦を叫んだようだが、明の降将は首を縦に振らなかったという事だ。あわや衝突という場面も有ったが、何と言っても人数が違い過ぎる。結局、別行動という事で決着が付いた。抗戦組が折れたってわけさ。」

 趙の説明に中尉は「脱出行の開始は夜明け?」と訊ねる。

 趙は頷いて「アンタの読みが当たった。抗戦組が城を出るまでは、降伏組も白旗を上げないっていう約束は付いた。」と言う。「あの無線とやらで、知らせてやってくれ。『凧』がずっと空に舞っていたら、脱出組が動くに動けんだろう。」






 前進観測班を通して、偵察騎兵隊からの連絡が臨時指揮所に達した時点で、加山少佐は全軍に行動停止と待機・警戒を命じた。

 夜明けは間もなくといったタイミングで、台州城の周囲には静寂が訪れた。

 但し、探照灯と車両の前照灯が城を照らしたままだから、敵の突出攻撃を目にしたら躊躇無く反撃は出来る態勢ではある。


 城からは静まったように感じられるであろう攻城側だが、その内部では実際には無線連絡が縦横に飛び交い、伝令が活発に陣中を走り回って、夜明けに向けての準備が整いつつあった。

 しかし傍受するすべを持たない籠城軍にとっては、御蔵側の動きなど分かりようはずが無い。

 次々に圧力を掛けてきていた攻城側がやっと休息に入ったかと、仮初かりそめ安寧あんねいに胸を撫で下ろしたことだろう。


 「石田君、やっと望みの情報源と接触出来るんじゃないか?」

 加山少佐が、ようやく一息といった感じで腰を下ろし、石田准尉に話し掛ける。「二万近い降伏兵が出るということだから。」

 その中には、元からの台州城守備兵だけでなく、揚州作戦に「清国兵として」参加した将兵が含まれているのは間違いあるまい。

 なぜなら清国側の次の戦略として、温州攻略は外せないから、攻勢発起点こうせいほっきてんとして台州城に兵力・物資の集積を進めていたはずだからだ。

 だから、台州城には揚子江北岸からの転戦組が含まれていよう事に疑う余地は無い。

 寧波に「新倭寇」が攻め寄せるという清国にとっては予期出来ない事態が起こったために、台州に集めた侵攻部隊からも兵員の抽出は行われたであろう。

 しかし福州(及び温州)に割拠する南明軍の河南反攻作戦も無視出来ないために、兵の分派は一部に限られていたであろう。


 「これで、自分も仕事に取り掛かれます。」

 石田准尉の声は冷静そのものだった。「揚州掃討作戦の、清国軍側からの観点が入手出来ますから。」

 そして語気を緩めると「台州城の無血占領は、大きかったですね。」と付け加えた。


 「戦闘で弾薬を消費せずに済んだし、物資がゴッソリ手に入るからね。……まあ敵味方、最小限の流血で終わったことも『何より』なのは勿論もちろんの上で。」

 加山少佐も穏やかに応じる。


 温州城で、監国に就いた魯王と福州軍の鄭福松将軍との会見を取りまとめた後、休む事無く温嶺うぇんりん・台州と攻め上って来たのは、台州城に集積してあるであろう清国軍の戦略物資を鹵獲するためだったのだ。

 他の清国軍拠点にも物資は有ろうが、攻勢発起点への集積量はケタ違いに大きくするのが定石じょうせき

 制海権を『新倭寇』に握られているために、清国軍が陸路移動で台州城から寧波援兵に兵員は抽出したとしても、物資輸送にまでは手を回す時間も余力も無いのは明らかだから、台州城には物資の山が呻っているのは間違い無く、『寧波の壁』を陥落させた時よりも莫大な資源が手に入る機会だった。

 敵が撤兵する時に、集積物資に火を掛ける可能性は無くもなかったが、そうなれば南明軍歩兵を突入させるまでだから、集めた物全てを燃やし切るのは不可能であろう。

 また、焦土作戦を諦めさせるためにも御蔵側は徹底的に降伏勧告を行い、抗戦意思を挫く方針を採ったのだった。


 その方針は、監国と鄭福松将軍も了承していて、鹵獲物資の分配割合も予め決められていた。


 まず穀物などの食料品だが、陸路を台州へ向かう温州軍が3、福州軍先遣隊が1、御蔵軍・小倉隊・鄭隆隊が合わせて1の割合である。

 温州軍の比率が高いのは、監国率いる温州軍本体が台州城に進出した後、現地住民の慰撫いぶに必要なのと、新たに降伏兵多数を軍に組み込むからだ。

 福州軍は、車騎将軍 鄭芝龍が輸送船多数を従えて北上中のため、この分配率で不満は無かった。

 御蔵軍は員数に対して分配比率が高いため「もっと少なくてよい。」と主張したのだが、何せ主力攻撃部隊であるし、その戦闘力が軍を抜いているために、恩を売る意味も含めて温州軍と福州軍が押し付けたのだった。

 但し福松将軍は、「車騎将軍が舟山入港の際には、食糧が不足気味だったら融通をお願いしたい。」と抜け目なく付け加える事を忘れなかった。要は御蔵軍の水上兵力に、福州軍の輸送力を肩代わりさせようという目論見もくろみなのだ。


 台州城の蔵に眠る軍資金の分配では、金・銀・玉など貴金属や宝物を温州軍と福州軍とで山分けする代わりに、御蔵軍はぜにを総取りすると決まった。

 御蔵島の経済は配給制の統制経済だが、舟山島の住民などから物品購入を行う時には、物々交換や陣の浜で掘り起こした銭での支払いが行われている。

 現時点では孤立状態の占領地域(と言って悪ければ「勢力範囲」)での現地住民の勤労意欲を上げ、生鮮食品などの生産を高めるためには貨幣の流通量を上げる必要があった。

 もしそのためにインフレが起こりそうになれば、無料で配給中の洋灯らんぷ用魚油や鯨油を販売制に換えればよい。燃料油の価格で貨幣流通量をコントロールするのだ。

 南明朝が揚子江以南を回復すれば、或いは寧波・杭州の占領を行えば、舟山島は孤立状態を脱し自由経済に移行するであろう。

 これは舟山島の経済を自由化する第一歩であるのだが、御蔵島経済を自由化するモデルケースでもあった。


 絹布・綿布・上質紙に関しては、三者で山分け。

 但し、反故紙ほごがみ襤褸切ぼろきれは御蔵軍の総取り。

 御蔵側が「反故や襤褸は全て頂きたい。」と主張した時、温州軍側や福州軍側の出席者は、何ゆえにそのようなゴミを欲しがるのだ? と妙な顔をした。

 「再生して使用するのです。」という説明は、曖昧な笑顔とともに了承された。

 高位の貴人・軍人である温州・福州の出席者には、「漉き返し」の様な下々の技法は理解出来なかったらしい。或いは知っていたとしても、自軍の利益に反しない以上、敢えて反対意見を述べる必要を感じなかった、と云う事か。


 軍庫に収められている刀剣や金属鎧などの装備品やすず製什器類は、温州軍と福州軍で必要分を分けた後、御蔵軍が残余を全て引き取る。

 折れ刀・錆刀・破損鎧・金属屑などの不良品も同様だ。

 また、温州軍や福州軍が進軍する際に持ち運びに苦労するであろう台州城内の大砲も「引き取りたい。」と御蔵軍側は主張した。

 これには温州軍や福州軍から反対の声が上がったが、「代わりに鳥銃一千丁を差し上げる。」という提案が反論を封じた。

 1000丁の火縄銃は、寧波の戦いで清国軍から鹵獲したものであるから、御蔵側にとってみれば惜しい兵器ではない。鋳潰してしまっても、軽装甲車一両分の金属量にも満たないのだ。

 逆に明末の戦乱で品薄になっている鳥銃は、福州軍や温州軍にとっては喉から手が出るほど欲しい装備である。

 御蔵側にしてみれば、友軍である南明勢の強化という意味合いも有った。

 結局「銃だけでなく、鳥銃用の弾薬もオマケしますよ?」という早良中尉のささやきが、商談を決定付ける事となった。


 銃の話が出た以上、福州軍からは「麗水を攻めるにあたって、御蔵の新式銃を譲り受けたい。」という発言が出た。

 これに対応したのは加山少佐直々で「確かに素早く弾を発射出来る優れ物です。」と前置きした上で「しかし数が限られる上に特殊な弾しか使えません。加えて手入れに難がある。撃つたびに、分解して掃除してやらないと、発射滓で中が腐ってしまうのです。」とM1ガーランドを、殊更に時間をかけて細かく分解して見せた。

 日本語を解する福松将軍だけでなく明国人の通辞も、専門用語の羅列に着いてくることが出来ない。

 その上、数種のオイルを使い分けて、ブラシやウエスで部品ごとの手入れを行って見せ始めた。

 「もうよい、分かった。譲って貰っても、使いこなせそうもない。」とを上げたのは温州軍の総大将である監国だった。「それより、我が手兵と福松将軍との間での、一千丁の鳥銃の分配について話をしようではないか。」

 「不具合が起きても、我々では直せそうもありませんな。」と福松将軍も監国に同意する。「それに、玉薬たまぐすりが違い過ぎる。譲ってもらった玉薬を使い果たせば、新式銃も只の鉄棒になってしまう。我が軍は陸路麗水を目指すため、補充は難しかろうと存じます。」


 以上のような話し合いが、温州城を舞台として既に持たれていたのだった。


 「苦心した物資鹵獲計画が、捕らぬ狸の皮算用に成らなくて、重畳ちょうじょうでした。」

 石田准尉の口調は、僅かに諧謔かいぎゃく味を感じさせた。

 加山少佐も「放火・略奪が起きずにすむかどうかは、蔵の扉を開けてみるまでは分からんさ。」と軽く答える。「その上、予想以上に清国軍が貧乏だったって可能性も捨てきれないんだし。ま、全くの手ぶらで御蔵島に帰ることはないだろうけど。」






 「来る!」趙が小さく叫んだ。

 僅かに白んだ東空をバックに、鳥が空に舞い上がっていた。


 西門を開いて抗戦組が撤退を始めたのだろう。

 鳥の群れは、馬蹄の響きと多人数の駆け足の音に驚いて、ねぐらを離れたのだ。

 早良とオキモトは、双眼鏡を構えて街道に目を凝らす。


 猛スピードで飛ばしてきた撤退部隊の先頭騎兵5騎が、慌てて制動をかける。

 道を横切る一本の白布に気付いたのだ。


 この布は早良中尉の施したイタズラだった。中尉は立て札設置の仕事を終えると、仕上げとばかりに街道に布を渡した。

 「トラップならば、布なんか使うよりもピアノ線じゃないですか?」と評したのはオキモト少尉。

 それに対して「ピアノ線なんか使ったら、下手したら死人が出ちゃうじゃないか。」と中尉は苦言を呈する。「『西門は無事』って通知したんだから、嘘はイケナイ。布地なら突っかかっても裂けちゃうから、安全だろ?」

 「そこまで気を遣うのであれば、黙って通してしまっても良くありませんか?」

 少尉の言い分に早良中尉は「せっかく苦労して札を立てたり幕を張ったりしたのだからね、気付かず無視して通り過ぎられるより、じっくり見て貰いたいじゃないか!」と反論。

 「それに、その布、即席で白旗を作れるな。」と割って入ってきたのは趙大人だった。ニンマリと笑っている。「いくつかに断ち切って、札を一本抜いて縛り付ければ良い。……親切なことだ。」


 撤退部隊は先頭が足踏みしてしまったために、後続が詰め寄せて団子状に街道に溢れた。

 将官らしい人物が、兵を押し分けて先頭に進むと、布を破り捨てて部隊に前進を命じた。

 撤退部隊は、ここまで駆けて来た勢いを失い、トボトボと再び臨海に向けて進み始めた。

 けれども200人ほどは立て札の前で立ち止まったままだ。


 臨海へ進む800ほどの将兵の姿が見えなくなった頃、立ち止まっていた兵が立て札を抜き、白旗をこしらえ始めた。

 ――抗戦組からの脱落は200人ほどか。

 オキモト少尉が無線機に手をかけた時、脱落組とほぼ同数の兵が街道を逆走して来るのが見えた。


 ――粛清だ!

 オキモトはそう思ったし、脱落者も白旗を捨てて武器を構えた。

 けれど逆走してきた者たちは、武器を投げ捨てて何か叫んでいる様子。


 「オキモト少尉、連絡をお願いします。」

 早良中尉が落ち着いて催促する。「偵察騎兵隊から報告。抗戦組からの脱落者は、およそ400。――以上です。」


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