台州城夜戦2
92式歩兵砲の轟音とは比べ物にならないほどの軽い発射音ではあったが、城壁直下から打ち上げられた打上筒の花火は、長く尾を引きながら上空に達し、豪勢な花を咲かせた。
火の粉がサアッと枝垂れて美しい。
「おぉ! 立派な傘だな。高角砲の弾幕なぞ、比べ物にならんぞ。玉屋・鍵屋の掛け声が上がらんのは残念だが。」
機長席から轟が暢気な感想を述べる。
「帆布張りの機体なら、突っ込むのは躊躇しますねェ。」
それを受けての池永の返事も、お道化たものだ。「ちょっと城内の様子を覗いてみたい処ですが。」
「直ぐに舟艇母船の75㎜が飛んで来る。」轟の口調は素に戻っていた。「今は覗きに行く暇は無いな。」
どおん、どおんと、海岸線から砲声が轟いた。
打上筒が仕事を終えたのを視認して、大津丸か海津丸が搭載野砲を発射したのだ。
武装ジープの上から双眼鏡で城の様子を覗きながら、尾形軍曹は砲弾の風切り音が上空を通過して行くのを感じた。
「軍曹殿、マル・サン・フタ・ロク、海津丸75㎜発射。」
後席の通信士が、臨時指揮所からの連絡内容を告げる。
軍曹は「よし!」と応えながらも内心では、野戦任官で昇格したが、まだ軍曹と呼ばれるのは慣れんもんだな! と感じていた。
「台州城は動き無しだ。まだ投降者は現れん。白旗も無しだ。『マル・サン・フタ・ナナ、動き無し。』送れ!」
「前進観測班から通信!」
和田曹長――軍曹から野戦任官で曹長を拝命――は加山少佐に報告を上げた。『マル・サン・フタ・ナナ、動き無し。』以上!」
「よし! まだ反応は無しか……。」
加山はポッ、ポッと台州城の上空で75㎜照明弾が発光し始めるのを目にして、腕を組んだ。
降伏するにしろ撤兵するにしろ、台州城で動きが起きるのは、松明が不要になる夜明け以降であろうと少佐は考えていた。
城内の清国兵にも、南明・御蔵連合軍は『凧』を物見に使うという事実を理解出来ているであろうという理由からだ。
光の投射方向を制御できない松明や焚火は、暗中だと遠くからでも目立つ。
投降する兵にとっては、松明と白旗を手にして門を開く事になっても特に問題あるまいが、脱出を試みる兵にとっては松明を掲げなければならない夜間よりも、薄明りの差してきた払暁に移動を開始するのが望ましいだろう。
目印の松明も無い完全な暗がりの中で、疑心暗鬼の状態で退却戦を開始すれば、思わぬ同士討ちが始まって無駄に自滅してしまう可能性が捨てきれないからだ。
夜空が明けかかっても、地上にはまだ姿を隠せるだけの闇が残っている時間帯、退却部隊はそのタイミングで南明軍の姿が無い方角の門から突出するはずだ。
現在は三時半だから、あと一時間ほどは「あの手この手」で気長にプレッシャーを掛けたり緩めたりし続ける。
そして四時半で、寄せ手の全ての手を止める。
そのような手順を踏めば、四時半から夜明けまでの一時間の内に、何かが起こるだろう。
投稿者が白旗を掲げるかも知れないし、脱出兵が行動を開始するかも知れない。
少佐は、城兵の間で内戦が始まる可能性も考えに含めていた。
その場合には「城内で同士討ちが始まった場合には、特に手出しはせず成り行きに任せる。」と、方針は決めてあった。
その考えには、早良中尉や趙大人も含め、各部隊の将校からも異存は出なかった。
――彼我共に、出来るだけ犠牲者が出ない様に手は打った。
――それでも破滅を選ぶのであれば、狂気に巻き込まれてはならない。
――自ら滅ぶ者は、滅ぶに任せよ。
それが結論の根拠である。
海津丸の照明弾に続いて、大津丸からも砲撃が行われた。
大津丸の照明弾の光が消えたところで、轟機は城の上空に舞い戻った。
「吊光弾、投下!」
中尉の命令で、池永が爆弾架から吊光弾を投下する。
小型のパラシュートに吊るされた発光体が、眩く輝く。
「どうだ? 下の様子は。」
「組織立った動きは……見えません。城市のそこかしこで、光弾を見上げるか本機を凝視しているようです。壁に張り付いている守兵も同様です。……敵対勢力から、こんな手を使って翻弄されるのは初めての経験でしょうが、対抗手段が無いにしても無警戒に過ぎる。」
轟中尉は、その現象に対して少尉とは違う感想を持ったようだ。
彼は池永少尉の報告を聞いて「ふむ。思ったほど混乱はしていない、か。」と頷いた。「敵サン、腹は括ったようだな。降伏するにしろ、そうでないにしろ。」
池永少尉は「お?!」と声を上げると、「機を10時方向へ! 光弾、もう一発、落とします。」と要請した。
――臨海寄りの西門方向か。
轟中尉は、指示通りに操縦桿を倒す。
――撤退組に動きがあるようだな。
偵察機が左旋回しながら高度を下げると、「投下!」と自ら声を出し、少尉が吊光弾を投下した。
照らし出された地上には、箒で掃きでもしたように人影は見えないが、西門付近には馬が集められている。
「脱出行動の兆候を確認!」
少尉の決めつけに「まだ、分からんぞ。」と轟中尉は釘を刺した。
「騎兵の集中投入で、イチかバチかの逆襲を試みる心算なのかも知れん。予断は捨てて、事実のみを偵察する事だ。おそらく貴様の読み通りだろうが、甘く考えて最前列の南明歩兵が崩れたら、目も当てられん。」
『西門に馬。』という偵察機からの打電を受けて、加山少佐は和田曹長の臨時混成小隊に進出を命じた。
小隊の編成は、97式中戦車(排土板付)×1 97式軽装甲車×2 蓬莱兵×10 小倉隊ライフル歩兵×30という陣容である。
小倉隊の小銃兵は、火縄銃経験者からの選抜・訓練済みなので、火力戦に於いて後れを取ることはないであろうが、仮に戦闘に参加する事になれば現代戦は初体験となる。
この命令には、今後、小倉隊近代化の核となる人材に対して、経験を積ませるという意味合いも有った。
――籠城軍騎兵との戦闘が起きなかったとしても、蛸壺壕掘削などの野戦陣地構築の経験は今後の役に立つだろう。
「よし、偵察機戻せ。大隊砲は、照明弾射撃用意! 送れ。」
「帰投命令です。歩兵砲から、星弾が来ます。」
臨時指揮所からの指示を受領して、池永少尉は機長に報告を上げた。
「轟機、了解。帰投する。送れ。」
後席から打鍵音が伝わってくる。
中尉は滑走路のライトに向かって偵察機を操りつつ、着陸したら先ずは燃料補給と吊光弾の積み込みだ、と考えていた。
ミラー中尉は配下の70㎜砲に、射撃開始を命じた。
一番砲が照明弾を発射したら、30秒の間隔を開けて二番砲が射撃を行う。
六番まで発砲が終われば、照明弾を再装填した一番砲が再び発射を行う。
各砲が2回ずつの照明弾発射を終えれば、一旦そこで射撃を中止する。
計6分間、台州城内は照らされ続ける事になる。
滑走路に着陸した轟中尉は、機から飛び降りると駆け付けた整備兵に燃料補給を命じた。
「しばらくゆっくりしてて下さい。次は自分が出ます。」
出撃の挨拶に訪れたのは、待機していた笠原少尉だ。
「誰を連れて行く?」
中尉の問いに「スミス准尉です。たっての希望というヤツで。」と笠原少尉が答える。「少佐殿からの許可は貰っていると言う事ですが。」
轟中尉は、それは怪しいもんだな! と思ったが、あの准尉なら偵察員にはウッテツケだろう、とも考えた。――まるで『三銃士』に出て来るミレディー・ド・ウィンターみたいな「貴婦人」だからな!
「分かった。鼻の下を伸ばして、雲の上で、ケツの毛まで毟られてしまうんじゃないぞ。心して行け。」




