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ライフ28 天気予報が南明朝の北進の成功の鍵の一つを握っている件

 初のラジオ放送が終わって、『演出』が上手く効果を上げるのを食堂で確認したという報告を、雪ちゃんやオハラさんから聞いた僕は、電算室で呆けたようになっていた。


 「室長、これでも食べなさい。午後の訓練始まるヨ!」

 オハラさんが食堂から調達してきた豆ご飯のオニギリを薦めてくれる。

 「ありがとうございます。頂きます。」

 僕は手に取った豆ご飯のオニギリを見ながら、そう言えば寧波で豆類も大量に鹵獲したんだったっけ、と大口を開けて頬張る。

 雪ちゃんは湯呑にお茶を注いでくれつつ「今後は日に三度三度、ラジオをやらなければならないのでございますな。大変なお仕事でございましょう。」と気遣ってくれている。


 僕は雪ちゃんからお茶を受け取って

「今日みたいなお祭り騒ぎは、そんなに毎回やるものではないから、こなせるんじゃないかな?」と答える。「大きな臨時ニュースが無い時ならば、前もっての録音を流すという手もあるわけだし。台州作戦が終わったら、人手も増えるだろうしね。」


 電算室のドアが開いたので、僕は岸峰さんや古賀さんが戻って来たのかと顔を向けたが、入って来たのは立花小隊長だった。

 「北門島まで付き合え。午後の訓練は中止だ。」


 「了解しました。」僕は慌てて口の中のオニギリを飲み下す。「しかし、急ですね。長く掛かりそうですか?」

 オハラさんがいるし、岸峰さんや古賀さん、キャロラインさんが程無く戻ってくるから、電算室の通常業務や夕方の放送原稿は問題無いだろうけど、ラジオが軌道に乗るまでは――雪ちゃんには楽観的な見通しを口にしたけど――本音の部分では、気を抜く事は出来ないと思っている。


 その理由の一つが、『鄭芝龍水軍の北進失敗』という歴史的事実にあるのだ。

 鄭芝龍の北進(もしくは「北伐」)失敗の原因は、南明朝内部での複雑な権力闘争などの複数の要因を抱えていたとはいえ、『物理的な』原因を上げるのであれば『低気圧』による気象被害なのである。

 鄭芝龍の軍事力の基幹は水上戦力で、大部隊を着上陸作戦に投入する機動力・補給力には優れていたが、如何いかんせん時化しけには弱い。

 大軍を運用している最中に、退避する場所の無い海域で台風や爆弾低気圧にでも遭遇してしまえば、万事休すなのだ。

 彼は実際に北進を行っている時に、風雨で戦力を磨り潰してしまったし、日本に援軍要請を行うために派遣した分遣隊の幾つかも、低気圧の直撃で失っている。日本乞師に送った船が難破して舟山群島に漂着し、士官が清軍に捕らえられたという記録も残っている。

 有力な貿易商人であり、かつ老練な水軍指揮官である鄭芝龍をして、この結果なのだ。

 大軍の移動に明国式帆船の集中運用を行う限りは、この低気圧リスクは必ず付いて回るものだと腹を括らざるを得ないってワケ。


 現在の台州方面作戦では、南明朝水軍の先遣隊は、大津丸他の気圧計を装備した御蔵勢の支援を受けているから遭難のリスクは低下しているが、福州の鄭芝龍艦隊主力は台湾海峡北端の馬祖島近海を主勢力圏としているから、北進時の移動の際に一歩誤れば低気圧の被害を受けかねない。

 一応、連絡及び連携のために、南明軍先遣隊の将校一名と小倉隊の案内役を乗せた貨物船一隻(気圧計と無線電信装備あり)を台湾海峡方面に派遣して対策は講じているけど、窮余の策だと言ってよいだろう。

 本当ならば、舟艇母船数隻を送って一気に鄭芝龍主力兵団を、台州なり寧波なりに移送したい処な訳だ。

 但し、舟艇母船は既に台州作戦で戦闘参加しており、無い袖は振れない。

 移動に時間が掛かる事になるのは、この際、目をつぶって、気象遭難を避けるべく慎重に事を進める必要があるのだ。

 まあ、博打ばくち同然で艦隊を動かすよりは、貨物船がエスコートすることで多少なりとも遭難リスクは小さくなるのは間違い無い。


 このように、気象情報と全戦域での戦況とを御蔵勢の全軍がリアルに共有するためにラジオ放送の開始が急ぎ必要になったというのが、泥縄式のラジオ番組放送の裏事情である。


 立花少尉殿は「急ぎ北門島出張が決まったのは、雛竜先生が温州城から北門島に戻って来るからなんだよ。」と理由を説明してくれる。「先生と、先生のお付きの……何って言ったかな。ほら雪ちゃんの姉の。」

 「花さんですか? 小倉花姫。」

 「そう。その二人を病院まで送るのには、片山が適当だろうというのが司令部で話で決まってな。」

 「なるほど。御蔵島では、僕が先生と一番言葉を交わしていますからね。」

 「礼儀としては、中佐殿と会談を持つ場を設けるのが良いんだろうが、何せ病人だ。安静と静養を最優先にしないとな。温州と福州との間を取り持つのに、気力・体力を消耗しておられるだろうから。」


 少尉殿は雪ちゃんに向き直ると

「こういった事情だから、片山を借りるぞ。岸峰には、そう説明しておいてくれ。」

と言い残して、「表に救急車を持って来ている。とっとと用意をしろ。」と僕をかした。






 そんな訳で、僕は北門島で立花少尉殿や茂子姐さんとコーヒーを飲みながら雛竜先生の到着を待っていたのだ。

 当初は、先生は「是非とも航空機で移動してみたい!」と熱望していたらしく、直ぐにでも島にやってきそうな勢いだったのだが、周囲(主に南明朝の人たち)が「万一の事が有ってはいけませんから。」と押し止め、武装漁船による海上移動に変更になったのだった。

 先生のこちらへの到着は午後遅くになる予定のようで、そうと分かっていたのならば、ニュース記事の作成とか、夕方のラジオ原稿への手入れをやる時間は充分にあったと少し愚痴も言いたくなるというものだ。(言わないけどさ。)


 「修さん。天気予報が、そんなに大事かね?」茂子姐さんが不思議そうに首を捻る。「御蔵の船なら、太平洋を渡るでもなし、少し時化たくらい沿岸航行に障りは無いだろう? この辺の多島海なら、避難場なんかも幾らでも有るし。」

 僕は『鄭芝龍の北伐の歴史的な結果』を説明し、「だから明国製帆船は、御蔵島の船よりも気象リスクが高かったんで、司令部でもその事を心配してるんです。同盟先ですからね。」と解説を加える。


 「なるほどね。過去にはそんな事が有ったんだね。」

 姐さんは納得の表情で頷いたが、「あら嫌だ。今の私らに取ってみれば、過去の歴史じゃなくって、これからの出来事の予定じゃないか! なんだかヤヤッコシイね。」と顔をしかめた。

 「それはそうと、この島に来て気が付いたんだけど、洞頭列島じゃあジャガイモもトウモロコシも作ってないんだね。収穫は多いし、島に向いている作物だと思うんだけど。」

 姐さんはコーヒーとカカオ豆の栽培場所を探しながら、そんな事を考えていたらしい。


 「片山、そのへんはどうなんだ? まだ南米大陸から支那までには伝来して来てないのかな?」立花少尉殿が質問を入れてくる。

 ジャガイモやトウモロコシ、それにサツマイモの伝播は、日本への伝来は日本史で習っているけれど、中国大陸への移動は詳しくは勉強していない。


 「うーん……。憶測混じりですが、1600年前後には伝わっていると思うんですよ。まずジャガイモですが、アンデス山脈の辺りからスペインが種だか種イモだかを、スペイン領の植民地に持ち帰ったのが1570年付近なんです。1600年近辺にはヨーロッパ全域に普及しています。食糧として増産に力が入れられるのは、三十年戦争の後の事ですけど。ちなみに、日本にはオランダが1598年に持ち込んでいます。……関ヶ原の戦いの2年前って事になりますね。」

 「それならば支那にも伝播してそうなものだがな。」立花少尉殿が感想を言う。

 「そうですねぇ。」僕も少尉殿の言い分を首肯して「海路伝いでも、或いはシルクロード伝いに陸路で伝播していてもおかしくありません。」と続けた。


 「そのジャガイモなる芋は、patataの事でございましょうか?」

 今まで発言をせずに静かに話を聞いていた花さんが、不意に会話に混じってきた。

 「花姫さま、おっしゃるpatataというのは、皮目が薄い黄土色で、皮を剥くと薄黄色の実が詰まった芋でございましょうか?」姐さんがジャガイモの説明を試みるが、花さんにはイマイチ要領を得ないようで「はぁ。その芋のようでもありますが……。」と歯切れが悪い。


 「ええっと。薄紫色の可愛い花が咲く芋です。」

 北原白秋の『あの子 この子』という詩のなかに「花はジャガイモ薄紫よ」というフレーズが有ったのを思い出して、僕が会話に介入する。

「イスパニアのpatataっていうのは、英語のポテトなんじゃないかなぁ?」


 「おお! それに相違ありませぬ。」花さんが勢い良く頷く。「patata……いやポテトは、芽や緑変した実を食すと、具合を損ねたり死ぬる事があるというので『悪魔の芋』なぞと呼ばれて、長く食べ物とはみなされなかったのでありまする。」

 「道理でね。」合点が行ったというように立花少尉殿が腕を組む。「植物として伝わっては来ていたけれど、食糧としての普及が遅れたわけだ。」


 「ジャガイモは、これで片付いたね。」姐さんが花さんの肩をポンポンと叩く。「保存方法と食べる時に芽を抉る事を教育すれば、南明朝で食糧として普及させることが出来そうだ。で、トウモロコシは?」

 これは僕に対する質問だろう。

 「ナス科のジャガイモに対して、トウモロコシはイネ科です。原産地はメキシコから中米辺りだとされています。コロンブスがアメリカに到達した後にはヨーロッパに持ち帰られていますから、ヨーロッパに伝播したのは1492年以降。単位面積当たりの収穫量が多いので、16世紀末までには全ヨーロッパにまで広まっていますけれど、中東やアフリカでも栽培が盛んになります。日本には1579年ごろにポルトガル人が持ち込んだとされています。けれど唐黍とうきびって別名でも呼ばれているくらいですから、大陸経由でも入ってきたんじゃないでしょうか。この島には見当たらなかったとしても、たまたまでしょう。」


 「おや、そうなのかい? じゃあ、植えたら育つんだろうね。燃料なんかにアルコールの需要が多そうだから、どっかに植えたいねェ。」

 姐さんはアッサリと納得した。けれど「ついでにサツマイモについても講釈してもらおうかねぇ。」と、更に質問を吹っ掛けてきた。「ジャガイモときたら、サツマイモの事も訊いておきたいし。サツマイモも焼酎にしてアルコールが取れるし、食べ物としても優秀だから。」


 確かにサツマイモはビタミン類を多く含む優秀な食材だし、イモとしてだけではなく、葉やツルを野菜として食べる事も出来る。

 肥料を与えなくとも、痩せて荒れた土地でガンガン実を作るところもステキな食用植物だ。

 「承知しました。サツマイモはヒルガオ科の植物です。原産地は中南米とされています。サツマイモが中国にまで伝わったのは1594年。スペイン領のフィリピンから福州方面にもたらされたのが最初のようなんですが、詳しい事は知りません。植民地争奪戦で、台湾南部を領有していたオランダに対し、スペインは台湾北部に入植を進めていましたから、その時分に入ったのかも分かりませんけど。ちなみにオランダが基隆きーるんを攻撃して台湾からスペインを駆逐するのは、1642年のことです。清国が北京を占領する2年前ですね。」


 「こっちの歴史でいえば、つい3年ほど前の出来事って事か。在フイリッピンのスペイン軍としては、南明に義勇軍を派遣している場合じゃないだろうに。」立花少尉殿が微妙な点を追求してくる。

 「オランダ東インド会社としては、東南アジアを勢力圏としていると言っても『広く浅く』ですから、スペイン領フィリピンと全面戦争をするだけの戦力は無いんでしょう。スペインとしても大陸への義勇軍派遣は、自分が表に立って大陸に出張るわけではなく、日本人街のクリスチャンが南明朝を支援しているだけという形を採って恩を売るというスタンスだし、上手く行けば儲け物的な感じがします。南明朝が敗北すれば、小倉隊や明石隊は捨て石にされる可能性が高い。」


 少尉殿は鼻を鳴らすと「伴天連ばてれんの宣教師様も計算高い事だ。」と頷いた。「南明朝の北進が成功すれば、その後にフイリッピン勢と福州軍で台湾を挟み撃ちか。」

 「南明朝が失敗しても、磨り潰すのは日本人街の兵力だけで済むって腹かい。いけ好かないねェ。」と茂子姐さん。

 「ま、まあまあ。全部僕の憶測ですよ。サツマイモの件に戻りましょう。実を言うと、サツマイモが日本に入ったのは何時かという事になると曖昧なんです。先島諸島や沖縄あたりで栽培され始めていたのは、中国と変わらないくらいの時代からみたいなんですが、薩摩まで伝わったのは1700年代くらいなんです。救荒作物としてのサツマイモ栽培を奨励して有名になった青木昆陽あおきこんようの事績は1734年の事ですから、ジャガイモやトウモロコシの1600年付近と比べたら、100年以上遅いって事になりますか。」


 「何とねェ。サツマイモよりもジャガイモの方が、モダーンなイメージが有るんだけど、栽培が一般化したのはサツマイモの方が後なんだ。」

 姐さんが額を叩いて嘆息する。「修さん、なかなか勉強になったよ。喉も乾いただろうから、お茶でも淹れてあげようか。」


 長々と休載いたしまして失礼しました。入院しておりました。


 肺炎を起こしまして、その肺炎が胸膜炎から膿胸へと進んじゃって、肺にドレーンを突っ込んで洗浄を続けた上で、最後は手術となりました。


 肺病病みの話を書きながら、リアルでは自分が膿胸になるという馬鹿な事態で、なんともはや情けない限りです。


 今後は倒れない程度にボチボチ頑張って参ります。


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