試験放送
水島上等兵は他の百地大隊の隊員と共に、飛行場滑走路脇の宿営地広場の露天でラジオを取り囲んでいた。
ラジオは米軍の規格品を中隊ごとに一台ずつ急遽支給されたもので、ボリュームは最大近くに設定してある。
各中隊が久々のラジオ放送に興奮しているようだ。
あいにく歩哨やパトロール勤務の時間帯に当たっていて、放送を聴取出来ない隊員の悔しがり様は、見ていて気の毒になるほどだった。
波長帯を合わせれば、放送は軍用無線機でも受信出来るのだが、皆がラジオから流れる音声を聞きたいので、こんな混雑になっているのだ。
混成大隊長の百地中尉は「皆、行儀よく頼むぞ。」と隊員に簡単な訓示をして、舟山島前進司令部仮庁舎に出掛けている。
前進司令部は、ようやっと大型天幕から木造プレハブの組み立て建造物に移行した処だ。
「もうそろそろ、スイッチを入れて良いんじゃないか?」
中隊長の少尉が、言い訳めいた独り言を口にしながら、放送開始予定の10分前にも関わらずラジオをいじる。異論はどこからも出なかった。
『……で、まず、時報ですね。』
スピーカーから、若い女性の声が流れ、中隊員がドッと沸く。
放送開始に備えて準備中のアナウンサー役の声のようだ。
『そう、そして放送開始の原稿を。あ! 最初に試験放送である事を、断っておいた方が。』
ディレクター役も女性が務めているらしい。婦人部隊の隊員が抜擢されているのだろう。
『英訳も、そこから始めますか?』
英語訛りの発音で割って入ったのは、米軍が豪州軍の女性隊員に違いない。放送を聞くのが日本語の分かる人間ばかりではないから、日本語で文章を読み上げ、次いで同じ内容を英語で放送するという段取りなのが分かる。
『ちょっと! 流れちゃってる! 送信のスイッチがONになってるよ!』
扉が開く音と共に、慌ただしい声。試験放送が開始される前から、打ち合わせ音声が漏れているのを注意しているのだ。
水島上等兵には、この少し生意気そうながら澄み渡った声に聴き覚えが有った。未来人の少女の物に違いない。
彼女に会ったのは転移初日の一回きりだが、印象が強烈に残っているから間違えようはずがない。
『わ!』
『切る?』
『今さら?』
アクシデントに騒然となる放送局。
百地大隊では愉快そうな笑い声が巻き起こった。
「シロウト放送の、一回目だからな。」「トラブルもまた一興。」「若い娘サンの慌てぶりは、可愛らしくて良いモンだ!」「切るなよ?!」「続けて!」
『あー、キミたち。』
この落ち着いた声は、高坂中佐殿だ!
『もうラジオを点けて聴取している方々もいらっしゃるだろうからね、続けた方が良いでしょう。試験放送の更に準備放送という事でお許し頂いて、時報まで行きましょう。』
『えー、それでは中佐殿の許可も頂いた事で、試験放送準備放送を唐突ながらお送り致します。アナウンサーは吉川、構成は古賀、英訳担当はキャロラインでお送り致します。今しゃべっているのは臨時ADの岸峰です。今回のゲスト・パーソナリティは高坂中佐殿と、苦虫を噛み潰した顔で放送席を睨んでいらっしゃる奥村少佐殿です。』
『ナニ! 自分もしゃべらなきゃならんのか?!』
愕然とした声の主は、謹厳居士の奥村少佐だ!
意外な成り行きにラジオの前は大騒ぎになり、後ろの方から「静かにしろ! 聞こえん!」と苦情が上がる。
『立ってる者は親でも使え、と言いますからね。』澄まして言い放つ臨時AD。
『仕方ないでしょうね。黙ったままでいると放送事故になってしまうよ。』穏やかな声で無茶ブリをする中佐殿。
『ええ?! あー本日は晴天ナリ、青天ナリ。……ええい、こうなったら歌でも唄うか! 自分は自信が無いから、この放送の聴取者で歌詞を知ってる人は、一緒に歌って下さい! 頼む!』
ヤケクソの少佐が選んだ歌が「おてもやん」。
かくして12時の時報まで、御蔵ラジオの聴取範囲では「おてもやん」の大合唱が巻き起こったのだった。
「お疲れ様でした。」
岸峰電算室主任は放送ブースの外で、高坂中佐と奥村少佐に頭を下げた。ブースの中では試験放送の本放送が始まっている。
「あんな感じで良かったのかね?」奥村少佐が少しお道化た調子で問い掛ける。「子供の時分はともかく、軍務に就いてからは真面目一本で務めてきたから、上手く出来たかどうか分からんのだ。」
「若輩者の私が口にするのも何ですが、リスナーの方には楽しんで頂けたと思います。普段は生真面目で通っている少佐殿だから、破壊力が抜群なので。」
「初めに、試験放送を開始する前に準備放送でこれをやりたいと、アイデアを聞いた時には正直驚きました。」高坂中佐も楽しそうだ。「娯楽が必要と感じてはいましたが、敢えて『失敗』で笑いを取ろうという卓見にはね。でも、昨夜の内に早乙女君がニコニコしながら原稿を持ってきてくれたので、これは良いものだと気付かされましたよ。……筋を描いたのは片山君ですか。」
「はい。片山の案です。」岸峰主任は微笑で応じると「彼は『受けなかったら、どうしよう?』って、電算室で一人で頭を抱えていますけど。」と続けた。
「私たちの時代では、アクシデントで笑いを取ると言うのは常套手段として存在するのです。テレビ放送の黎明期には生放送が多かった事から放送事故も多く、そのアクシデントが視聴者の興味の中心を占めていた事もあったようで。今でもハプニング特番は人気コンテンツなのです。視聴者にとっては編集された録画を視るのとは違った驚きと可笑しみが有るのだと思います。ライブ感というのでしょうか、映画が発達しても、舞台演劇が廃れない理由と同じなのかも知れません。『ダイジョウブ、行けますよ!』って古賀さんも賛同してくれたのですが、片山クンは一人で背負い込むタイプなんでしょうかねぇ……。」
「奥村さんが乗ってくれた時点で、成功は確約されていた、と思いますよ。」中佐が穏やかに答える。「シナリオも面白かったが、役者も堂に入ってましたから。私があの役割を演じたら、ここまで笑える放送にはならなかったでしょうね。」
「片山君は一人きりなのかい? 小倉君やオハラ君は?」
奥村少佐が不思議そうに訊ねる。「彼からも千両役者ぶりを褒めて欲しかったんだけどねぇ。」
「小倉さんとオハラさんは、食堂のラジオで聴取者の反応をリサーチしています。今頃は雪ちゃんが、大成功を知らせに戻っているでしょう。」




