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ライフ26 入院中の英玉さんにラジオ放送の開始を伝える件

 隔離病棟は病院の敷地内にあるのだけれど、他の建物からは少し離れた位置にこじんまりと建っている。

 大きなビルでないのは、元々大勢の隔離患者を収容する心算ではなかったからだ。

 瀬戸内海の軍港であるから、伝染性の病原菌が持ち込まれる可能性は低かったし、軍関係の基幹病院としては広島に衛戍病院えいじゅびょういんという大病院も控えている。


 但し、御蔵病院はアメリカ兵やアンザック兵も利用するから、医科大学病院に準ずるような設備とスタッフを揃えていた。(日本陸軍の見栄もあったのかもね。)

 一応とはいえ隔離病棟が有るのは、貨物船や輸送船で航海中に発病した伝染病患者やその疑い例患者を隔離し、経過観察と治療を行うのが目的だった。


 結核患者は、本来は国立療養所○○病院といった静養所型の病院に送られるから、現在この病棟に収容されている患者は英玉さん一人である。

 養生のためには、工場群が近い御蔵病院よりも北門島の方が空気が良さそうなのだけど、ストレプトマイシンという特効薬が出来つつある以上、ここでノンビリしてもらうのが良いだろうという理由で入院してもらっている。

 英玉さんに関して言えば、雛竜先生入院のための露払い役を本人が買って出たのも、ここに入院するのが決まった決定的要因の一つである。


 隔離病棟の受け付けで、糊の利いた白衣に着替え、マスクと頭巾とを身に着けたところで、英玉さんの部屋まで案内してもらった。

 連れて行ってくれるのは、看護婦見習い修行中の燕さんである。

 燕さんは元々隙の無いキリッとした感じの女の子だったのだが、看護婦姿が身に付いて益々有能そうな気配が漂ってくる。それでいて険が薄れて優しい感じが増してきた気がするのは、看護婦という仕事の職業的なものなのか、あるいは清朝に対する復讐心から解放されつつあるからなのか。


 「こちらですよ。」燕さんが微笑む。「雛竜先生の動向を伺うことが出来れば、お喜びになるでしょう。」

 いつの間にか、日本語も凄く上達したみたいだ。英玉さんは前から日本語が上手かったから、二人で切磋琢磨しているのかも知れない。


 「参りましたぞ。」ドアを開けた雪ちゃんが、元気よく来訪を告げる。「英玉様、御加減は如何?」

 「あら、いらっしゃい。すこぶる元気ですよ。」英玉さんが艶やかに微笑む。もっとも口元には大きなマスクを着けているから、微笑んだと分かるのは目の表情と涼やかな口調からだ。「片山様がいらっしゃったということは、温州も落ち着きつつあると思ってよさそうでございますね。きっと御朗報をお届けしにいらして下すったのでしょう。」


 「ご明察です。雛竜先生も数日中には、こちらに入院が叶うと思います。」

 僕は温州城外飛行場から北門島仮設滑走路経由でもたらされた、雛竜先生の最新画像のプリントアウトを彼女に差し出す。「一緒に写っておられるのは、福州の鄭福松将軍閣下ですよ。温州城で写したものです。」

 鄭成功は細マッチョ系の美青年で、中性的な感じの雛竜先生とは対照的に、いかにも『漢』といった風貌だ。ちなみに、この写真の撮影者は尾形伍長殿である。

 今の鄭成功の年齢は、彼が1624年生まれであることから21歳くらいなはず。僕があと3~4年先にはその年齢に達するのだが、その時にはちゃんと大人の顔に成り切れているだろうか?


 「そうですか。あと数日で……。」英玉さんはウットリと愛しい御仁の姿に魅入った。


 「英玉さま。御蔵言葉が上手うもうなっておられるようですな!」

 「雪はまだ、侍のような言葉を使っておるのですね。そろそろ御蔵の生活にも慣れたでしょうから、お直しなさい。片山様と一緒に暮らしているのでしょう? 良い先達に付いて、いくらでも学ぶ機会があるというのに。」

 「ややや! これは、これは。まるで、説教されに来たような!」


 「小倉さんは頑張ってますよ。自転車にも乗れるようになったし、自動車も運転出来るよう練習中です。電算室の機器の扱いにもけてきましたしね。」

 「のう英玉様。かように兄様にも認めて頂いておるのですぞ。」


 「これ! 雪。御師匠様を『兄様』などと! 礼を失するにも程があろう。」

 当世言葉を習得中の英玉さんだが、雪ちゃんを叱責する時には使い慣れた言い回しが出るみたい。それでも母国語である中国語ではなく、オールドスタイルとはいえ外国語だ。僕だったら多分、セカラシカ!とかフザクンナ! とか口走っている処だ。


 「えーと……。この事態について解説を入れますとね、血気盛んな年頃の青少年であるボクが、間違って小倉さんに襲い掛かったりする危険性を下げようと、アニとイモウトという役割分担の条件付けを行うためなんです。だから無礼でも失礼でもありません。条件付けが行われた以上、僕は『待て!』を命じられたワンコみたいなもんですから。」

 「片山様の言われる事は、ようは理解が及びませぬが、それでは雪めは未だ片山様のとぎには上がっておらぬと言う事でありましょうか?」

 英玉さんが真面目な顔で、トンデモナイ事を言い出す。これ、ジョークの心算だよね?


 「同じ部屋で岸峰も寝ていますから、夜伽なんて命じたら、抜く手も見せない早業一発、その場で射殺されてしまいますよ……。彼女は僕より拳銃射撃の技量がだいぶ上なんですから。その上、小倉さんの御蔵島での保護者であり『姉』たる事を自認していますからね。」

 「それはそれは……御不自由なことで。」英玉さんは愉快そうに含み笑いする。「私めも、その拳銃射撃とやらを習得せねばなりませんね。雛竜先生を虫から御守りするためには。」


 ――英玉さんが「虫」と呼んだのが、鄭隆さんの命を狙う敵スパイの事であって、恋のライバルではない事を祈りたい。


 「英玉さま。御師匠様の世では、人生は80年が普通なのだ、と聞き及んでおりまする。早うに病で死ぬる者が少ないのでございますな。生きる長さが、私共らとは倍ほども違うとなれば、子をすにも焦る必要が無いという事でございましょう。現に御師匠様は、自分の事を『まだまだ子供』じゃと思っておられるフシがありまする。」

 雪ちゃんの意見に英玉さんは頷くと、僕の目を見ながら「仙人の生きようを、実践されておられるのでございましょうや。」とポツンと訊ねてきた。特に答えを期待しての問い掛けというのではなさそうだ。


 僕は「生活基盤の問題だと思います。」と多少はぐらかし気味に応じて「英玉さんも滋養を摂って治療に専念すれば、80までは生きますよ。運が良ければ100歳を元気に迎える事になるかも知れません。女性というのは、男性よりも元気で長生きなのが相場ですからね。」と付け加えた。

 「先生と同じだけ生きられれば充分でございます。」英玉さんの声は穏やかだ。「それより先は、不要にございます。」


 雪ちゃんは場の雰囲気を嫌ったのか「そうじゃ! 英玉さまの痰を採って帰られた、中谷さまという御医者様がおられましたでしょう?」と話題を換えた。

 「おられましたね。お医者という感じのしない、偏屈な職人気質しょくにんかたぎの方と見ましたが。」

 「あの御医者様が、英玉さまのお薬をコサエていらっしゃるのですが、ついでの手慰てなぐさみにシャーベットという滋養食を考案なさいましてな。」

 「雪の目の輝きを見るに、大層美味しい物のようですね。」

 雪ちゃんは「不思議な、それでいて何とも甘露な食べ物でございましたぞ!」と何度も頷いて英玉さんの読みを肯定した。「ほんのチョッピリだけ、試食させて頂きました。中谷さまは、お代わりをくれると申しておられたのに、くれないまま部屋を飛び出して行かれましたが。」


 「おやおや。やはり一風変わった御仁のような。」

 「けれども、英玉さまは御病人でございますゆえ、シャーベットは今後給食されましょう。羨ましゅうございまする。」

 「雛竜先生が御入院される前に、是非とも毒味を済ませておかずばなりませんね。よう教えてくれました。」


 話が一区切りついた処で、僕は雑嚢から小型ラジオを取り出した。

 無線部が準備室の段ボールに放置していた、新入部員歓迎向けのお遊び用を、エリオット技師が部品と回路図を元に組み立てたものの内の一台だ。

 「これはラジオと言って、電波を捉えて音を出す機械です。今日のお昼からラジオ局の試験放送が始まりますから、12時になったらこのスイッチを入れてみて下さい。内容は御蔵新聞に書いてあるものと同じですけど、6時、12時、18時に10分間ほどずつ流れます。お暇つぶしにはなるんじゃないか、と思いまして。」


 「この箱から、声が出るのですか? それは不思議な。楽しみにその時間を待ちましょう。」


 僕と雪ちゃんは、英玉さんに「じゃあ、また。」と告げると、面会が終わるのを待っていてくれた燕さんと共に病室を出た。

 燕さんは「今日は、めっきりお元気を回復されたみたいですよ。」と微笑んだ。


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