ライフ24 台州方面の勢力推移の件
雪ちゃんがBCGを接種してから数日後、今度は僕が彼女を連れて病院に赴いていた。
もう一度ツベルクリン検査を行って、雪ちゃんが結核菌に対する抗体を獲得した事の確認をするためだ。
院長先生(階級でいうと軍医大佐だ!)が、また「よう来た。よう来た。」と雪ちゃんを迎えて、自ら注射をしてくれた。
今回も、ワシ以外は皆々忙しくってなぁ、との言い訳めいた説明付きで。
先生は勿体ぶらない人物なのだが、雪ちゃんと話をする時には、殊更にオジイチャン口調になる。
孫娘と話をしている気分なのかもしれない。
注射を終えると院長先生は「テングサを全部、供出してもらう事になったから、寒天や心太は暫く食べられなくなるなぁ。」と今朝分の新聞記事に愚痴をこぼした。
でも、この指示を出したのは院長先生ご自身なんだけどね……。
今後の給食メニューから心太が消えるのは、乾燥保存してあるテングサやオゴノリなどの海藻から、微生物培養用の寒天培地を製造するためだ。(と言っても、転移後は今まで出てはいないはずだ。新町地区の一杯飲み屋では、転移前には普通に御品書きに載っていたらしいのだが。)
寒天培地は、今はまだ理科実験準備室や病院の研究棟に備蓄してあった分で賄えているけれど、将来を見据えたら御蔵島で生産する体制を整えておかねばならない。
テングサから心太を作るのは、海辺の町では各家庭で普通に行われているくらいで難しい作業ではないが、均質な状態の培地用寒天となると、不純物の除去を慎重に行わないと実験結果にバラツキが出てしまうからだ。
近代化学では、テングサから工業的に寒天を製造するノウハウは確立されているとはいえ、専用工場が有るわけではない御蔵島では、幾度かのトライ・アンド・エラーは不可欠だろう。
寒天製造は歴史的にも日本の十八番で、世界シェアの大部分を日本からの輸出品が占めていたのだそうだが、第二次世界大戦前には各国の微生物研究に不可欠である事から、統制品として寒天輸出を日本政府が制限したため、他の国でも自国生産に切り替えるために研究が行われて工業的生産法が確立されたのだった。
「ところてん、とは如何様な食べ物でございましょうか?」
目新しい食べ物に目が無い雪ちゃんが、早速、喰い付く。
「おや? 雪ちゃんは心太を知らんのか?」
「呂宋では、食べた事がございませぬ。」
「そうか、そうか。透明で冷たくて、ツルンとした食感の海藻の加工品なんじゃ。心太自体には、なぁんも味があるわけではないんじゃが、黒蜜をかけて食べると喉越しが絶妙でなぁ。」
黒蜜味で食べるのなら、院長先生は関東圏の人か。
雪ちゃんは、ごくんと喉を鳴らした。「美味しそうでございますの!」
「酢醤油に辛子、でもオツだぞ?」
あれあれ? 酢醤油は西日本系だけど……。
それを聞いた雪ちゃんは「黒蜜と酢醤油と辛子でございますか?」と妙な顔をする。
院長先生は「ああ! 二種類の味付けの、どちらでも美味いというハナシじゃよ。ほら、餅でも団子でも醤油味で食うこともあれば、きな粉砂糖で食べても、それもまた良しじゃろ?」
「むぅ……。そう伺いますと、益々食べとうなってしまいまする。」
院長先生は雪ちゃんの反応を見て呵々大笑すると「来春まで待つんじゃな!」とコメントした。「陣の浜近くの磯場には、季節になったらテングサは、よう生えよる。軍支配下の島じゃから採る者はおらんかったが、今考えたら採って干しておいたら良かったわい。」
「石炭採取に端島に向かう事になったら、長崎あたりから乾燥テングサは購入できるんじゃないでしょうか。寒天が作られるようになるのは1680年代からのはずですから、まだ40年ほど先の事なので入手不可能ですけれど、心太は平安時代くらいから食べられていたようですし。」
僕の指摘に院長先生は「そうだな。九州まで足を伸ばせば売っているか。」と相好を崩した。「雪ちゃん。春まで待たんでも、心太を食えそうじゃな?」
「して、片山君。遠征は何時頃に成りそうかの?」
「南明朝の動き次第です。九州遠征には、少なくとも特大発を運用出来る舟艇母船一隻が必要ですから。」
現在の舟艇母船の配置状況は
○大津丸 温州から台州沖で、小倉隊船団・鄭芝龍先遣部隊と共に作戦行動中。
○海津丸 TF-M1として杭州湾奥から北岸で作戦行動中。
○時津丸 御蔵港にて待機。
○天津丸 舟山港にて寧波方面牽制中。
○秋津丸 御蔵港ドックで整備中。
九州遠征に使うとしたら御蔵港で待機している時津丸だが、舟山島方面や台州方面で増援が必要になった時に、予備戦力が皆無では話にならない。
秋津丸の整備が終わるか、大津丸・海津丸・天津丸のいずれかの手が空くのを待つしかなかった。
同行するのは音戸か早瀬の排水量498tの改装フェリーと、石炭運搬船(もしくはバルク積み貨物船)で、遠征が長期に渡る様であれば油槽船が追加される予定だ。
温州城では魯王と福松(鄭成功)が会談を行って、魯王・唐王が共に弘光帝のために力を尽くすという盟が成ったため、両軍の先発部隊は台州攻略に向けて兵を進めている。
鄭成功は将軍の身でありながら、騎兵部隊の先頭に立って温州城に駆け入ったのだ。
両者の会談には、大津丸のコック長謹製のアイスキャンディーが華を添えた。
鄭成功はそのアイスキャンディーに驚き「天下の美味!」と絶賛したのだと伝わっている。
味覚の快感に加えて、明朝回復の成功の予感に歓喜したのだろう。
偵察機を使った宣伝戦が先行して成功を収めているから、台州各所の清国軍は雪崩を打って投降し、福州・温州連合軍の進撃スピードは速い。寧波方面で反乱を起こした逃亡兵も吸収して、兵数も雪だるま式に膨れ上がっているというから、台州全域が遠からず南明朝の版図に入るのは間違い無い。
現在の処は『君臨すれども統治には興味無いからね!』的な弘光帝のエエ加減なスタイルは、部下を活発に(あるいは好き放題に)突っ走らせる点に於いて、有効に機能しているようだった。
「それにしても、先生。そんなに心太がお好きなのですか。」
僕の間の抜けた問い掛けに、軍医大佐は
「別に好きではないかな? 普通は食べたいとも思わんし。ただ食べられなくなると思うと、口寂しく思うたりもするんじゃ。」
とトボケた表情でウインクした。「帰る前に研究棟に顔を出しといてくれ。若いのが何やら確認して欲しいモンが有ると言うておったぞ?」




