陸路偵察
馬一頭の重量は、小柄な馬で300㎏台。大型軍馬なら800㎏ほどにもなる。
その馬に、体重50~60㎏程度の騎兵が、15㎏から20㎏見当の装備を着けて騎乗するわけだから、『一騎当たり』の総重量だと500㎏から800㎏くらいが一般的だろう。
名の有る名馬に『馬甲』と呼ぶフルスペックの馬鎧を着せたとしても、騎乗する武人を含めて1tまでは達しまい。
一方で高機動車は、空身の車体重量のみでも小型車で2t弱はある。
兵3名が搭乗して装備を積み込めば2.5tを超えるわけで、軽騎3騎から4騎相当の重量にあたる。
ちなみに97式軽装甲車「テケ」は37㎜砲搭載タイプで4.75tであり、騎兵7騎分の重量となる。
荷車が通れる「道路」であればジープやテケは走破することは可能だが、駄載か人力搬送でないと踏破できないようなアップダウンのある山道や踏み分け道だと、自動車による物資輸送はお手上げとなる。
険しい地形では馬や驢馬を使った駄載輸送というのは案外有効な手段なのだ。
時代は変わるがベトナム戦争当時のアメリカ軍は、車両の通行が厳しい場所への物資・弾薬補給にはヘリコプターを使ったが、ヘリを持たない北ベトナム軍は自転車を使った。
自転車には乗るのではなく、車体に荷物を縛り付けて押すのである。
縛り方に工夫を凝らせば、自転車1台で200㎏の荷物を運べたというから、馬鹿には出来ない。
また橋の無い川を渡河する場合、渡渉点さえ見極めれば人や馬なら胸まで(場合によっては首まで)浸かっても対岸を目指せるが、自動車や装甲車だとエンジンが水に浸かってしまえば終わりなのである。
渡し舟を使う場合でも、人や馬の乗降なら岸から船縁に板を渡せば充分だが、車両を載せるには大発のように搭載場所が平面で乗降用の歩板がある舟でないと不可能だ。
ジープは馬とは違い、自分から船縁や仕切り板を跨いではくれないのだから。
この時代における発展した地域では、河水の量さえ豊富であるなら水運に頼るのが断然に物流効率が良い。
都市部でも小運河が網の目の様に張り巡らされている事が少なくないわけだ。
小運河や浚渫された小河川には、歩行者や荷車の通行の便を図って橋が架けられているが、アーチ構造の造りのしっかりとした石橋以外だと、車両の運行には心許無い。
橋の脇に重量制限が表示されているわけではないのだ。
オキモト少尉は偵察隊の7騎(温州騎兵5・趙大人・自騎)がまとめて通れる橋ならば、荷物を満載した小型ジープも1台ずつは通行可能であろうと見込んで偵察を続けたが、大きめの川に架かっている船橋では、門橋を用意しないと不安だろうと判断せざるを得なかった。
船橋とは浮橋とも呼ばれる橋梁で、川を横断して何艘もの船を繋ぎ、その上に歩道として板を渡した構造の橋だ。
橋を構成する船の浮力が大きく造りさえ堅牢ならば、戦車の通行も可能な架橋方法なのだが、ここに存在するのはそもそも戦車やトラックの無い時代のシロモノだから、ジープの通行に耐えるかどうかも怪しい。
一方、門橋は船を並べて筏を組み、上に板を敷いた渡河機材で、川を往復して車両を渡す。
筏を組むときに浮力さえ大きく採れば、車両や重機材の輸送も難しくない。
動力は、人力で多人数がロープに取り付いて川の両岸から引っ張って筏を移動させる事もあるが、船外機を取り付けて自走させることも出来る。中戦車などの重い車両を渡河させるための大型門橋は特に「重門橋」と呼ばれる事もある。
ただ問題なのは、門橋を架けるとしたら門橋を構築するための資材を、門橋設置場所にまで持って来なければならない事だ。
それはトラックが入って来られるだけの道路が、設置場所まで続いていなければならない事を意味する。 トラックの進出が不可能で、大発を使って資材を水路輸送をするのであれば、門橋など架けずに大発でそのまま車両を運べば良いのである。
オキモト少尉が、橋に到達する度に下馬して詳細に構造を検討しているのを見て、温州騎兵は呆れたような顔をしたが、その間は休息できるから文句は出なかった。
台州方面へ向かう道には、行商人など経済活動に携わっている一般人の往来は見られず、辺りが緊張状態である事は間違い無いが、魯王配下の偵察兵や伝令が行き交っているので治安は悪くない。
若い農民の姿が少ないのは、徴兵されたか志願するかして軍に入ったか、あるいは戦争に巻き込まれるのを恐れて身を隠すかしているのだろう。
「どうだね? この橋は保ちそうかい?」
趙大人が、オキモトの馬と自分の馬とに水を飲ませながら訊ねてくる。
狭い用水路に渡した橋だが、橋板が脆弱過ぎる。
近所の住民のための、普段使いの仮設橋なのに違いない。
「いや、ダメですね。厚い板に換えるか、鉄板を渡さななきゃジープも通れないでしょう。馬一頭ずつがやっとという強度ですから。」
少尉の返事を聞いた趙は
「ふむ。自動車というのは便利に見えて、案外不便な道具でもあるらしい。馬だったら、板を渡してなくとも一鞭入れてやれば簡単に跳べそうな溝なのにな。」
と感想を漏らす。「川が多いと、自動車を使うよりも徒歩行軍の方が早く動けるかも知れんな。」
オキモト少尉も同感だった。
ステイツが――あるいは日本帝国でも――国家が背後にいて、資材をバックアップしてくれるのであれば、工兵部隊は建設機械を使って温州~台州間を繋ぐ二車線道路でも簡単に開削してしまうだろう。
けれども御蔵島限定の限られた資源でそれを行うのは容易ではない。温州~台州間の道路の開通が最優先課題ではないのだから。
「陸を進むのは、温州や福州の軍に任せた方が良さそうですね。我々はせいぜい大発の入れる所まで河を遡って支援車両を進出させるか、小発で歩兵を送り込むといった連携方法を採るしか無さそうです。」
趙大人は「それが少尉の結論なのだな?」と念を押した。
オキモト少尉は趙の強い口調に少し驚いたが
「間違いありません。この道を進むのであれば、ジープも装甲車もトラックも、台州に到達するのは徒歩歩兵よりも遅くなります。」
と断言した。
趙大人はニッと笑うと「御蔵の兵は水軍だからな。それで問題ないだろう。車騎将軍の水軍や小倉隊も船から離れれば、持てる力を充分に発揮出来ないのは一緒だ。監国様も納得されるに違いない。」と頷いた。
そして少し声を潜めると「実は一緒に物見に来た温州騎兵のお歴々は、魯王配下の名の有る武官でね。我々が陸路には難渋するというのが解れば、魯王も一緒に付いて来いと無理は言わんだろう。……一応、そう知らしめておく必要が有ったのだ。」と裏を明かした。
この時初めてオキモト少尉は、この一見無駄と思える陸路偵察の持つ意味を理解したのだった。




