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杭州砲撃2

 「なかなか予想通りには進展しないものですな。清国は寧波の海岸線から兵を引きました。防衛線を寧波市街にまで下げるようです。」

 奥村少佐の報告に、高坂中佐は笑みを返した。

 「相手のある事ですからね。まあ緩衝地帯が広がったわけですし、舟山群島の安全が増したのですから良しとしましょう。」


 「しかし牽制の為に出撃した第一任務部隊は、無駄足という事になりはしませんか?」

 「そうとばかりは言えないでしょうね。」

 高坂中佐は奥村少佐の疑問に、丁寧な言葉で説明を加える。

「寧波正面に敵の圧力が加わってくれば、我が方としては、どうしても排除したくなる気持ちは募ってしまいます。仮に寧波市街に敵大部隊が駐屯すれば、海岸まで押し出してこないにしても、対峙できるだけの兵力を張り付けておかねばなりません。生産や資源入手に割きたい人的資源と時間を、その分だけ浪費してしまう事になるのです。杭州を砲撃すれば、清国としても寧波防衛だけに注力するわけにもいかないから、兵力を分散せざるを得ないでしょう。」


 そこまでは奥村少佐にも察しは付いている。たぶん杭州砲撃の次の策は、杭州湾北岸の大都市『上海』への砲撃だ。

 杭州攻撃にしても上海攻撃にしても、全都市機能を麻痺させるほどの砲撃を加えるわけではない。

 狭い杭州湾の海域に船隊を遊弋ゆうよくさせ、寧波・杭州・上海といった大都市に脅威を与えるだけで良いのだ。


 城市や拠点に固有の常備兵を除いた揚子江南岸の敵遊撃戦力は、分散と再編を繰り返しての移動を余儀なくされ、疲労度の上昇とともに厭戦えんせんムードも高まるだろうということは容易に予測がつく。

 問題なのは「厭戦ムードの高まり」というものが御蔵島側の希望的観測であって、確たる根拠があっての定量的な推論に基いたものではない、という事だ。

 疲労度が上がっていようが、厭戦ムードが高まっていようが、戦う兵は戦う。

 軍隊とはそういう物だし、敵中の反乱や兵の逃亡をハナから期待して作戦を立ててはいけない。


 寧波港や城塞からの清国軍の後退も、一見、算を乱した潰走に見えても、見方を変えれば未知の大型船(とその搭載砲)から距離を置き、海上からの支援が得られない内陸まで戦略的後退を行ったのだと考える事も出来る。

 現に清国軍の後退スピードが早過ぎて、手持ち兵力が少ない御蔵側は、これ以上の追撃を断念した形となっている。


 倭寇の進出に対して海岸線を放棄する「海禁策」といった、思い切った政策を採った事のある大陸国家だから、あながち有り得ない話ではない。


 「それでは今後は、南明朝の台州進出まで、杭州湾全域で牽制作戦を?」

 「およそその通りになる、と思います。音戸おんど平瀬ひらせの改修工事が終われば、習熟も兼ねて投入する事になるでしょう。」


 フェリー「音戸」と「平瀬」は、御蔵新港と愛媛の松山を結んでいた498tのフェリーで、潮・汐に続いて武装化改装中だ。

 こちらは排水量177tの潮級より船体が大きいから、車両甲板でなく前部・後部の両甲板に10加か野砲を主武装として搭載する。元から外洋航行にも耐える造りだし、最大船速も26ノットに達するから戦力化が完了すれば使い勝手は大きい。


 新港と宇品うじなとを結んでいた1300t級フェリーの「あさしお丸」と「ゆうしお丸」は、武装化に加えて水上偵察機を運用出来るようにデリックを増設中だから、こちらの方は戦力化までに時間が必要だった。流石に水偵射出用のカタパルトを付けるのは無理なので、水偵は海面に吊り降ろして運用するのである。

 航路の短い御蔵新港―宇品間に1300tの準大型フェリーが就航していたのは、宇品の陸軍司令部と御蔵島との間に活発な物資や車両の往来が出来たためで、その任に就く前には、この二隻は大阪と東京と結んでいた外洋フェリーなのである。


 「台州を落としたら、南明朝は海岸伝いに寧波に向かう事になるのでしょうか?」

 鄭芝龍の軍勢がそのルートを採るとしたら、御蔵軍水上部隊は海上から対地支援を行う事になる。

 杭州湾内で牽制活動する船と、台州沿岸で対地支援にあたる船と、二つの部隊が必要だ。


 「南明朝の水上戦力は岸伝いに北上するでしょうが、陸上部隊はどうでしょうね?」

 中佐は全軍が海岸線伝いに北上するだろうかという点に関しては疑問を持っていた。

 馬匹の海上移送や揚陸は、この帆船時代の船舶性能を考えれば一大事なのだ。輸送ストレスで使い物にならなくなる軍馬は多い。「陸路を採る部隊もあるか、と考えています。その場合には距離が長くなる海岸線伝いよりも、天台から上虞しゃんゆうに進出するのではないかと。」


 「上虞ですか。」

 「はい。上虞は寧波と杭州とを結ぶ拠点都市です。ここを落とせば、寧波の軍と杭州の軍とを分断する事が可能です。……まあ、南明軍の北上作戦は彼らにも都合があるでしょうから、どういった形になるのかは、我々の与り知らない事ではあるのですがね。」


 高坂中佐はこの話題を切り上げると

「それでは奥村さんは、『石炭ドロボウ作戦』の計画を詰める作業をお願いします。私は米軍工場でジープを水陸両用車に改装する作業の進展と、鋳造工場で焼玉エンジンを増産する作業を見せて貰って来ます。小型蒸気船用の圧力罐も試作が上がったようですし。」

と話を結んだ。





 「いやぁ、速い!」

 高速艇甲型の甲板で、雛竜先生こと鄭隆は歓声を上げた。

 加山少佐は安全のためにも装甲艇に乗るのを薦めたのだが

「この期に及んで、攻撃を受ける事も無いでしょう。それならば技術の進歩を是非とも体感してみたいものです。」

と彼が聞き入れなかったからだ。


 先遣隊として趙大人と早良中尉が高速艇乙型で温州の港に歩を進め、大津丸から発進した特大発がジープとライフル歩兵を揚陸し終えているので、加山少佐も折れたのだった。

 鄭隆の乗った高速艇の後ろには、小倉隊の一部と、海上で収容した鄭芝龍軍先鋒の一部も特大発で続いている。


 鄭芝龍軍水上部隊先鋒の残余は彼らの帆船で追走中だが、航行速度に差が有るから置いてけぼりになっていた。

 大津丸に乗り込む機会を得た鄭芝龍軍先鋒の幹部は、船の大きさと共に電気や水道といった船内設備に圧倒されて、驚きを隠せないままでいた。彼らの持っている船の概念と、大津丸とが余りにもかけ離れていたからだ。

 船室でシガレットとレーションを振る舞われた彼らは恐れ入ってしまったため、雛竜先生の言葉巧みな説得は簡単に聞き入れられて、鄭隆の策に協力する事を確約したのだった。


 「それでは大将軍様(唐王)と車騎将軍様(鄭芝龍)に先立ちまして、不肖の若輩ではありますが、私めが監国様(魯王)とのつなぎの地固めに参ります。皆様方におかれましても何卒なにとぞ御助力の程、宜しくお願い申し上げます。」

 鄭芝龍軍先鋒隊幹部の誰からも、異論は無かった。


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