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ライフ19 なぜ清国軍は投石器なんて時代遅れな兵器を設置しようとしているのかを考える件

 「えっ? そうなの?」

 確かに中佐殿は、紙の生産を始めるって言っておられたけれど。たしか北門島から帰営して、雪ちゃんを中佐殿の所に連れて行った時のことだ。


 「ええ。製造するのは藁半紙わらばんしですけどね。」

 古賀さんは凄い勢いで数字を入力しながらも、惑う事無く平気でしゃべっている。

「舟山群島や洞頭列島には、稲わら・麦わらに、稗や粟のわらは焼いて捨てるほどありますから。その藁パルプに温州名産の和紙――ああ、和紙じゃなくて支那の紙だから支那紙とでも言うんですかね――それを溶かして漉き直せば、それなりのモノが出来るのだとか。温州本土部の藁まで含めたら、売りにでも出さないと使い切れないほどの紙だって作れるかも知れません。温州産の良い紙を溶かして藁半紙に再生するのは勿体無い、とも思えますけど。代わりの添加物としては木綿や麻のボロ繊維でも使えるみたいなので。」


 「原料のパルプは確保出来たとして、紙を漉くにはどうするんだろう? 海苔のりを板海苔にする時みたいに簀子すのこに広げて人海戦術で干すのかなぁ?」

 僕の指の動きは古賀さんよりも圧倒的に遅い。考え事をしながらだと、数字に集中出来ないからだ。

 海苔の海苔ヒビ養殖は江戸時代には既に盛んになっていたけれど、海苔の胞子が海中の海苔ヒビに付着するのは運を天に任せるしかなく、生物としての生活史が明らかになったのは戦後の事で、発見したのはイギリス人の女性研究家だ。

 だから僕たちの時代だと、種苗栽培した養殖海苔を板海苔に加工するのは、収穫量も多いから機械化されているけれど、古賀さんの時代だと機械化まで進んでいるのかどうかは、残念ながら僕は知らない。


 「今どき板海苔みたいに、手漉きで紙を漉いている訳ないじゃないですか。手漉きで作るなんて、高級贈答品の奉書ほうしょ紙くらいのものですよ。」

 古賀さんは僕の無知ぶりを鼻で嗤うと「抄紙機しょうしきという機械を使うんですよ。」と教えてくれた。


 「しょうしき?」

 「そうです。紙漉きマシンの事です。濃度1%くらいのパルプ溶液を細かな目の網の上に流し込んで、紙にするんです。水を切ったらプレスして乾燥。」


 御蔵島に紙漉きマシンが有るというのは意外だった。

 今こそ遠く離れているけれど、元々の御蔵島は宇品うじなや広島とは直ぐ近くだから、紙なら本土から直ぐに運び込めるはずなのに。だって定期便のフェリーが日に何往復もしていたんだよ?

 「どうして抄紙機なんて持ってるの?」


 「機密保持に必要だからですよ。」古賀さんの答えは歯切れ良く明解だ。

「軍には機密書類ってあるじゃないですか。で、それに準じて『機密って程でもないけど一応機密扱い』みたいな書類がワンサと。機密扱いにすらならない書類なら、その数倍ですね。そんな書類を処分するのに、米軍だと『まとめて焼いちゃえ!』で済ますんですけど、我が軍は貧乏症だから『再生紙にしよっか。』となるんですよ。この島には三カ国の軍が居るから、日本軍のどうでもよい内容の書類でも、内地に送ればコミュニストのスパイが漁って何らかの傾向が分析されるかも知れない。……だから島から外に出さずに、ここで再生加工するんです。」


 なるほどねぇ。機密保持が出発点なのか。

 それに再生紙製造なら、一から洋紙を作るのに比べて投入エネルギーは格段に少なくてすむ。

 ま、優先順位から入ったら、これまでは処理目的が最優先でコストは度外視だったのかも知れないけど。


 「だから本格的な製紙工場の物よりも、規模もサイズもミニですけど、釜も抄紙機も一通りは揃っているんです。国家を支えるのには小さすぎますが、島の需要を満たすのには十二分です。これまでは稼働してるのが珍しいくらいの施設でしたけど、これから先は大活躍間違い無し。」

 古賀さんは、ああ疲れた、と伸びをすると「室長殿、お茶を淹れて頂けますか?」と要求してきた。


 座敷童の要求通りに給湯室でポットにお湯を満たして来ると、古賀さんは僕の割り当て分の入力を引き取って、早くも半分近く済ませていた。なんて有能な座敷童なんだ。

 「ああ、ありがとう。入力、速いね。」

 「機械になって、アタマ空っぽで打ち込むだけですからね。考え考え文章創るのとは違います。こんなんで褒められても……嬉しくないと言えばウソになりますけど。お茶は濃い目でお願いします。」


 急須の茶葉を充分に開かせてから、古賀さんの湯呑に注ぐ。

 座敷童は一口すすって「うん。温度も味も及第点。」と評価した。


 「なんだ古賀君。室長にお茶汲みさせているのか。」

 入って来たのは奥村少佐殿だ。

 僕は「彼女の方が既に数値入力は速いんです。」と敬礼してから「司令部報の入力原稿ですか?」と訊ねる。

 「いや、そっちの下書きはまだ終わっとらんのだが、君に教えてもらいたい事があってね。」

 「なんでしょう?」

 「支那のカタパルト――投石器だな――それの射程の問い合わせが来た。舟山前進司令部からだ。清国軍が寧波城内に設置しようとしている、と言うんだな。」


 う~ん。なんでだろう?

 「写真も来てますか?」

 「電文だけだ。大型のカタパルト、という事だけしか分からん。港に向けて設置中だ。」


 僕は考え考え返答する。

 「カタパルトには、大勢が綱に取り付いて一気に梃子を引き下げる方法と、釣り合いおもりを石弾の反対端に予め載せておいて、ストッパーを外して錘を落とす反動で石弾を飛ばす方法との、2方式が有ります。ストッパーを外す方式だと、襄陽砲って名前のカタパルトが有名ですね。……けれども、どっちの方式でも有効射程は最大で70mから100mくらいです。」

 「ふむ。それでは城内に設置したのでは、港まで届かんわけか。」

 「はい。アルキメデスが考案したとされる梃子式投石器の発展形で、トレビュシェとかトレビュシェットと呼ばれる投石器がありますが、命中率無視ならギリ300mは飛ばせたみたいですが、投射距離はそんな処が限度です。これでは港は守れません。」


 奥村少佐はウーンと首を捻った。

 「上陸後、城を目がけて前進する我が軍を、城に引き付けてから叩く心算なのかな?」

 「でも襄陽砲やトレビュシェは、一旦設置してしまったら方角を変えられないんですよ。」と僕。「守城戦をするのに、自軍が守備を固めている真正面からしか敵が迫って来ないなんて、都合の良い事は考えないと思うんですが。」


 御蔵島の兵だったら寧波城を攻めるのには、城のどの方角からだって回り込める。迫撃砲や重擲弾筒だったら、分隊単位の兵数だってカタパルト相手に、敵の射程外からアウトレンジで潰すくらい簡単だ。

 でも今回の敵の動きが変な処は、僕たちが現代兵器を持っていなかったとしても同じなのだ。

 敵のカタパルトの位置が分かっていれば、それが無い場所に攻城戦用の投石器陣地を築けば良いのだから。どうせ投石器はパーツにバラシて運ぶのだし。


 「それでは投石器同士の戦いでは、まず攻城戦側が投石器を設置するのが先なんだね?」

 「手順としてはそうなります。攻め手側が土盛りや土塁を築き、投石器を組み立て始めるのが先ですね。防御側はそれに対抗する形で投石器を組み始めるわけです。そうしないと、予め設置した分の時間と労力とが無駄になってしまいます。せんを取りたければ、資材セットの形で持っている方が便利です。また、自軍に資材が無かったり、敵の投石器より射程の劣る物しか作れない場合には、城壁から強弩で敵の投石器陣地を制圧するとか、城門から突出して敵投石器を焼き払うみたいな対抗措置を採る必要が出て来ます。……けれど、敵はこの時代のモノとしては良さげな資材は持っていたわけですからね。紅夷砲なんかに比べれば劣る兵器だとしても。」


 僕は思い付きで「手持ちの火砲が尽きてしまったから、骨とう品を引っ張り出して来たのじゃないですか?」と言ってみた。「紅夷砲は全滅したが、オレたちにはまだ伝説の襄陽砲があるぞ! って。」

 「いや、それだと士気はかえって下がるだろう。」と少佐殿。「活躍したのは元代で、明代には廃れていった兵器だ。ロートルが老骨に鞭打って現役復帰しても、若いモンはシラケるだけだと思うぞ。」

 そして少佐殿は「何かきっと、意図があるはずなんだ。自分らが気が付いていない用兵が。」


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