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ライフ17 早乙女女史を探せな件

 雪ちゃんが早朝から元気だ。

 「兄上、姉さま。早うお起き下さりませ。カレーが無うなってしまいますぞ!」


 時計を見ると、まだ5時ちょっと過ぎ。仮に陸軍士官学校の生徒だったとしても、あと25分くらいは寝かせてもらえる刻限である。

 御蔵島の時計は、島の位置が判明してから上海時間を採用しているので、日本標準時で言えば時差の1時間を足して6時ころではあるのだけれど、特に慰めにはならない。

 

 岸峰さんは「だいじょうぶだよぅ……。あと30分……。」と妙に色っぽい声で抗議しているけど、多分雪ちゃんは許してくれないだろう。


 僕は諦めて「お早う。」と長椅子から身を起こすと、急須の湯冷ましを湯呑に注いで飲み干した。

 「じゃあ洗顔は後にして、ご飯から行って来ようか。岸峰さんは、もう少し寝かせてあげようよ。」


 雪ちゃんと僕は作業衣袴を身に付けて、岸峰さんを起こさない様にそっと電算室のドアを閉める。

 夜勤組が最後の一踏ん張りを課されている時間帯だから、廊下や階段も静かなものだ。

 但し一階の会議室あたりには、それなりに人通りもあるから、背筋を伸ばして敬礼して歩かないといけない。


 「のう兄上、早起きした甲斐がありましたでしょう。」

 雪ちゃんが満足げにカレーライスを口に運ぶ。

 確かに。

 5時台だというのに、食堂には大勢の人がいた。この分だと岸峰さんはカレーを食べ損ねて、パンとサラダのブレックファーストになるだろう。(彼女はそれでも構わないのかも知れないけど。)


 食事を摂っている人たちは『寧波港の清国軍守備隊撤退 港を一時無血占領 鹵獲品多数』の新規掲示に沸いたが、司令部発表には、進出部隊が日暮前には橋頭保を放棄して舟山島へ撤収した事も記されている。

 清国軍の動員力は侮れず、夜間の人海戦術を受けて消耗戦に持ち込まれるのを防ぐため、という理由も説明してあるから撤収にも納得がいったようで、特に不満の声は上がらなかった。


 電算室署名記事の『粉末レモンは壊血病治療薬として売れるかも? 捨てたり鍋磨きには使用しないでください』と『白腐れした木片はお宝になるかも?』も興味を持って読まれたようだ。

 食事を終えた夜勤明けの船乗りさんから

「確かになぁ。気にもしなかったけど、世間では大航海時代なんだよな、今は。壊血病で帆船の船乗りがバタバタ死んでる時代なんだ。無駄にしないよう、皆に言っておくよ。」

という声ももらった。


 また、山頂にラジオ中継局を今から設営に出発するという人からは

「山の中じゃ、サルノコシカケみたいなキノコは珍しくないけど、『白腐れ』と『黒腐れ』とじゃ、キノコが違うのか?」

なんて質問も受けた。

 「はい。倒木なんかを食べるキノコは、種類によって食べる成分に違いがあるのです。木材の構成要素はセルロース・ヘミセルロース・リグニンの3種類に分けられるのですが、白腐れを起こすキノコは、リグニンを食べてセルロースを食べ残す菌です。木材を紙にする時には、セルロースが欲しくてリグニンが邪魔な訳ですから、白腐れを起こすキノコで木材を下処理すれば、紙を作る時の水酸化ナトリウムや熱エネルギーを減らす事が出来るかも! って見込みでして。」

 「ほう。見付けたら切り取って来るよ。白くなっている部分ごと、えぐって来れば良いんだね? 上手く行くといいな。」

 「有難うございます。株が違えば能力にも差が出ますので、沢山集めたいんで宜しくお願いします。しかし山頂まで電源を引いて中継局を作るのは、大変な仕事ですね。」

 設営隊の人は「実はそれほど大仕事ではないんだ。」と豪気に笑うと

「山頂には無線電信の山頂中継局が以前から既に建っていて、電気はそこまで通じているからから、電源はそこから延伸するだけで良いんだ。ラジオ局用に峰を均すのは骨かも知れないけど。」

と教えてくれた。良い笑顔だった。


 そんなこんなで時間をくっていたから、おいてけぼりにした岸峰さんも僕たちを見付けてやって来た。

 「お早う片山クン。君はカレーに間に合ったみたいだね?!」

 えええええ? 怒ってんの? ちょっと言葉にトゲが有るような。


 すると雪ちゃんが「とっても美味しゅうございましたぞ! 昨晩よりも深みを増した味わいにございました。」と彼女の怒りに油を注ぎそうな事を言い出す。

 ……ちょっと待ってよ……。


 「おはよう岸峰さん。……ええっと……美味しそうなサンドイッチだね。」

 岸峰さんはニヤアっと笑って見せると「実はそうなんだ。」と言い出した。「朝からカレーは、ちょっと重いかなって思ってたから。」

 ……何だよ。オドカシやがって。


 僕のドキドキを他所に、雪ちゃんは今日のサンドイッチに興味深々で

「姉さま、具は?」

なんて訊いている。

 「チーズだね。缶入りじゃなさそうだから、アメリカ軍の補給物資の、丸のまま運んで来たチーズじゃないかな? 痛む前に消費してしまおうってトコかな。山羊の試作品は、まだ熟成が終わってないだろうし。」

 「菜の様なモノも見えておりまするが。」と雪ちゃん。

 岸峰さんは一口齧って「カイワレ?」とコメントする。


 「カイワレ大根じゃなくて、摘み菜なんじゃないかなぁ? ほら、大根やかぶを種蒔きした後に間引いたヤツ。カイワレは歴史こそ古いけど、大規模水耕栽培が成立したのは第二次大戦後だろ。歴史に先行しちゃうじゃないか。」

 僕の指摘に岸峰さんは「そう言えばそうだったね。」と同意する。「福岡の能古島のこのしまだっけ。」


 彼女は少し考え込んでいたが「スプラウトって、各種ビタミンとか栄養豊富なんだよね。」と頷くと

「食糧班の人たちに、話を付けた方が良いんじゃない? もちろん栽培には消毒も必要だから防疫給水部も巻き込まなきゃいけないだろうけど。……スプラウト用に種子が確保出来るように。どうしても食事にビタミン群が足りないような気がしてたんだよね。」


 昨日、寝る前に壊血病や脚気かっけの事なんかも話題に出て来たから、それが彼女の頭のどこかに引っ掛かっていたのだろう。

 種の量さえ確保出来れば、生鮮食品としてのスプラウト使用は、良いアイデアだと思う。

 「いいアイデアだと思うよ。先ずは誰に持ちかける?」


 岸峰さんは「早乙女女史。」と即答だった。

「食糧班の人でもいいのかも知れないけど、アタシたちがいきなり栽培メニューなんかに口出しするのは、出過ぎたマネってとられるかも。早乙女さんだったら中佐殿の秘書筆頭格だし、司令部の裏番長みたいなモンでしょ?」


 早乙女さんが裏番だというのはどうかと思うけど、司令部に顔を出す面々にはすべからく伝手つてが有るのは間違い無いからすじは悪くない。(高坂中佐殿や奥村少佐殿に直接面談を願うよりも敷居が高くないっていう事もある。……いや別に、中佐殿や少佐殿に怒られるとは思わないけど。校長先生に相談事を持って行くより、担任の先生や保健室の校医さんにの方が話をし易いのと一緒だ。)

 「そうだねぇ。加山少佐殿か源さんがいてくれたら、もっと持ち掛けやすいんだけど。」


 「愚痴を言っても始まらないよ。」岸峰さんはサンドイッチの残りをグイグイ口に押し込みながら「じゃ、早速早乙女さんを探そう。」と食事を切り上げた。


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