寧波港予備砲撃作戦1
ジョーンズ少佐はダム工事現場近くのテント群で、建設に従事している捕虜や作業員と一緒に中華粥の朝食を摂っていた。
建設隊の炊事番が作った粥は、御蔵島産の鯨の肉と脂がタップリで、しかも舟山島産の大蒜と唐辛子とが効いている。
少佐は本当を言うと鯨肉の臭いも大蒜の臭いも好きではなかったのだが、部下が食べている物と同じ物を文句を付けずに食べるのが指揮官だ、という信条から
「Good!」
「Delisious!」
を連発して平らげた。
建設工事の実際の工程を決めているのは、アメリカでダム建設に従事した経験のある者や建機操作の担当者なのだが、少佐はそういった事は経験者に任せて、現場で砂利のモッコを担いだりモルタルを捏ねたりしながら
「野郎ども! 行くぞ!」
「クソッタレ! 力を出せ!」
「もっとだ! もっと!」
「急げ、急げ!」
と大声でリズムを付けながら、忙しく動き回っている。
少佐には当初、英語を日本語に訳すのと日本語を明国語に訳す二人の通訳が付いていたのだが
「俺はどうせ、大した事は言っておらん。一々翻訳の必要は無い。お前らも石を運べ!」
と作業に回し、誰彼構わず英語で叱咤激励をしている。
捕虜たちは初め「なんと口うるさいオヤジなのだろうか。」と辟易していたのだが、次第に少佐のペースに巻き込まれて、『ジョーンズのダム工事現場』は油の効いた機械の様に回転していた。
舟山群島降伏組の反抗的だった元海賊も、例外ではない。
「お前の力はそんな物か!」と挑発されると、元々腕と気風が売りだった男達は、己が力を見せ付けんと大石を担ぎ上げるのだ。
そして「ガッツが有るな!」と頑固オヤジから手放しで称賛されると、嬉しくなってしまうのだった。
その上で作業を終えて夕飯を食っている時に、元清国水上侵攻部隊の捕虜から
「揚州では、ドド将軍に逆らった者は子供まで皆殺しにされてしまったのだ。」
などという噂を打ち明けられると、少佐から「逃げたい者は逃げても良いぞ。手漕ぎボートもくれてやる。」と言われても、対岸を目指す意思は萎えてしまったのだった。
また、バックホウやブルドーザー、削岩機にダンプトラックと言った『魔法の道具』が、本来ならば大量の人員を投入しても年単位で行わなければならない労役を、見る見る内に片付けてゆく過程を間近で経験するのは、痛快な見物でもあったのだ。
ジョーンズ少佐が朝食を終えた一堂に
「取り掛かれ!」
と号令を掛けた時、一台のジープが現場に駆け込んで来た。ハミルトン少佐自らがハンドルを握っている。
ハミルトン少佐は、運転席に座ったまま敬礼を寄こすと
「おおい! 少佐。ロング・トムがやって来るぞ!」と大声を上げた。
ジョーンズ少佐はジープに駆け寄ってから答礼し「何門だ?」と訊ねる。
「二門だ。今日中に届く。」
「陣地の構築は終わっているな?」
「高台に、出来上がっているよ。それで、揚陸中に寧波から嫌がらせの砲撃を喰らうのは避けたいから、軽く叩いておこうと思ってな。」
「武装大発の15榴か?」
ジョーンズの質問にハミルトンは頷くと
「それに加えて、装甲艇にも行ってもらう心算だ。まず最初は、航空機の機銃掃射からだな。『壁』の内側の様子を把握しておきたい。」
ハミルトンは、ジョーンズ少佐が「俺も司令部に行こう。」と言うものだと決めつけていたのだが、意外にも
「任せた。宜しく頼む。」
との言葉を受け取った。
「来ないのか?」というハミルトンの質問に、ジョーンズは
「君が目を光らせていたら、俺の出る幕は無いだろう。いよいよロング・トムをブッ放す時には、観に行かないではいられないだろうが。」とニヤリと笑う。
「どうも作業員の数が増えているみたいだが?」というハミルトンの指摘に
「ああ。島民が来ている。ここでは飯も出るからな。漁師や寧波との交易に従事していた連中は、今は開店休業で暇だろう? 重機の作業を見物して、ついでに飯を食っているんだ。飯を食いたきゃ働けと言ったら、真面目に働いているよ。お蔭で、工事が捗る。」
と、ジョーンズは胸を張って答えた。
「俺は現場に行くが、君は朝食が未だだったら食って行くといい。ウチのコックが作ったチャイニーズ・ライスは絶品だぞ。」
銃の代わりにスコップ(歩兵の標準装備の折り畳み柄の物ではなく、フルサイズの工事用だ)を担いだジョーンズ少佐の申し出を、ハミルトン少佐は「出撃機を待たしてあるんだ。君が来ないのなら、急いでGOサインを出しに戻らなくちゃいけない。」と断った。「美味そうなブレックファーストを食べられないのは残念だが。」
戻って行くジープを、ジョーンズはスコップを振りながら見送った。
そして誰にも聞こえない様に小声で呟く。
「ハミルトンめ、ガーリックの臭いから逃げやがったな。」
ジョーンズ少佐は、会話の途中からハミルトン少佐がジョーンズの口臭に僅かに眉を顰めているのに気が付いていたのだ。
ロッテ編隊を組んだ94式偵察機二機が『壁』の上空を飛行して行く。
空を見上げて、慌てて火縄銃を構える清国兵の姿もあるが、ほとんどの敵兵は急造の煉瓦小屋に身を隠そうと右往左往している。
逃げる兵はこれまでに機銃掃射を経験した者で、銃を構えるヤツは新参だろう。
単発火縄銃では、高速の航空機を捉える事など、土台無理がある。
茅葺きや板葺きの小屋に逃げないのは、機銃弾が屋根板など簡単に貫通してしまうのを経験したからだ。
主機の機長は下の様子を観察して、小口径砲の数がまた増えているようだ、と感じた。
「偵察席、どうだ? また増えていないか?」
「間違いありませんね。『壁』の大口径の紅夷砲は、視掛け三門増の六門ですが、昨日潰したヤツ三門がそのままになっていますから、実質±0です。新規のヤツは昨日の昼間に輸送の牛車隊を叩いた分で、陽が暮れてから、夜中の内に何とか運び込んだのでしょう。しかし小口径のは明らかに倍近くに増えています。それと長銃身の火縄銃も増えている。こっちは確たる数は分かりませんが。」
偵察員は写真を撮影しながら冷静に返答する。「今朝は新規の牛車隊は見えません。大口径砲の移送は、諦めたのでしょうか?」
砲身重量だけでも1t以上に及ぶ鉄の塊である大口径紅夷砲は、清軍にとって寧波側から舟山島を攻撃出来る唯一の兵器なのだが、その重量故に移動速度は極端に遅い。
一門当たりに牛数頭と大量の兵が取り付いて砲車を動かすのだが、牛や兵の休み無しには不可能なので移動速度は平均2㎞/h以下しか出ず、射撃位置に着くまでに発見されて航空機の機銃掃射で制圧されてしまうのが殆どだった。
操作兵が逃げ散り、打ち捨てられて動きの止まった火砲など、武装大発や舟艇母船の75㎜野砲の射撃練習の恰好の的でしかない。
既に『壁』の近傍には、破壊されて遺棄された紅夷砲が20門以上、片付けもされずに屍を晒している。
「手持ちが尽きたのかも知れんな。諦めたんじゃなくて。」
明朝の紅夷砲は、攻城戦・守城戦での威力と活躍の大きさから、多くは砲自体に『将軍位』を与えられていた。
逆に言えば、将軍の称号が送られるほど、大口径砲はレアな兵器だった訳である。
寧波は古くからの国際貿易港で重要拠点だから、防衛のために多数の紅夷砲が集められていたのかも知れないが、ここ一週間ばかりの攻防戦で、その大半を破壊してしまっていたとしても不思議は無いだろう。
言ってみれば、舟山側は狭い海峡を挟んだ砲火力撃滅戦に勝利した、という事だ。
機動に難の有る紅夷砲に引き換え、小砲や大型銃は移動が簡単である。
駄載や分解して人力でも運べるし、川舟に乗せての運搬も可だ。
舟山島に対する大口径砲の脅威は低下したと見て良さそうだが、清朝側は舟山島攻撃から寧波上陸阻止に戦術変更を行ったのだと考える事も出来る。
その為に、小砲や大型銃を航空偵察の隙を突くように、夜間に一気に移動させ配備したのだろう。
「装甲艇による接近攻撃は、危険かも知れません。」
偵察員の見解に、機長も同感だった。
隙間無く、と言って良い程の密度で並べてある小砲や大型銃の前に身を晒せば、一斉射撃をする敵の照準が相当に『いい加減』でも、接敵した装甲艇は高い確率で被弾するだろう。小砲には榴散弾を詰めている可能性もある。
清国側の銃砲は連射不可であるから、それが直ちに装甲艇の喪失に繋がる事はないかも知れないが、搭乗員に損害が出る可能性が低くはない。仮に土嚢の増加装甲を施していたにせよ。
「偵察席、舟山島司令部に打電。『装甲艇による壁攻撃、待て。敵火砲充実す。委細、帰投後報告す。』以上。」




