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ライフ12 昨夜の出来事を教えてもらう件

 立花少尉は、別に怒ってはいなかった。

 僕の長椅子の上で、ぐっすり眠り込んでしまっていたから。

 自分のベッドで他人が寝るのは耐えられない、という様な潔癖症って訳でもないから、少尉殿が眠てるのは別に構わないんだけど、せめて靴ぐらいは脱いでいて欲しかった。


 「どうしよっか?」岸峰さんが洗濯物をハンガーに掛けながら訊ねてくる。「起こしちゃう?」

 「ん~。疲れてるみたいだから、洗濯物を先に干しちゃおう。」


 「大丈夫。起きてるよ。」立花少尉殿が、椅子に横になったまま声を上げる。

 ハッタリである。何よりの証拠は、唇のよだれを拭っていると思しき、彼女の左手の動きだ。

 素直に、今、目が覚めたと言えばよいものを。


 挙句あげく、彼女は

「干し終わるまで待っていてあげるから……あと5分寝かせて……。」

と始めは恩着せがましく、後半は徹夜での一夜漬けを誓った試験勉強中の学生みたいに呟くと、再び寝息を立て始めた。


 僕たちは一度顔を見合わせてから手早く洗濯物を吊るし終えると、岸峰さんが雪ちゃん相手にアイロンの使い方を教え始めたタイミングを見計らって、ポットを抱えて給湯室に向かった。

 ポットに湯を満たして階上へ上がると、まだ雪ちゃんが不器用にアイロンを扱っている最中ではあったけれど、テーブルに落ち着く事にした。

 雪ちゃんの横に立って、下着のアイロンがけをまじまじと眺めるのは失礼だろうから。


 「よし。そんなトコでいいよ。」岸峰さんが雪ちゃんにOKを出す。

 「優れ物の道具でありまするな。もう、あらかた乾いておりまする。」

 僕は「雪ちゃんは、火熨斗ひのしってやった事は無かったの?」と雪ちゃんに訊ねてみる。

 石田さんによれば、中に炭火を入れて使用するタイプのアイロンは、温度調整が難しく、下手な使い手だと往々にして布地を痛めてしまうらしい。

 「ございませぬ。」と雪ちゃん。「ここでの生活は、何から何まで手妻てづまの様に思えて。」


 「それにしちゃぁ、馴染なじむのが早いね。」

 ようやく目を覚ました少尉殿が、長椅子から身を起こすとコメントを挿む。「もっと、ずっとビックリし通しかと思ってたよ。」

 「郷に入れば郷に従え、と申しまする。御蔵島は竜宮の様なものでございますゆえ、そのまま受け入れるほか、ございますまい。」

 「達観たっかんしてるねぇ。」と少尉殿は立ち上がって伸びをする。


 そして「片山、スマン。今朝には鍵を返すと言ったが、出来なくなった。」と頭を下げる。

 「別に無くしたりしたのでないならば、今朝でなくとも構いませんよ。」

 僕は少尉殿に頭を上げるようにお願いすると

「それよりアッチでは何が有ったのです? 負傷者が出たっていうのは。」と最も訊きたかった事から質問する。「話せないっていうのなら、仕方がありませんけど。」

 「秘密ってわけじゃないし、雪ちゃんも心配だろうから、これから話すよ。岸峰も興味津々みたいだしな。……お茶を一杯、淹れてくれないか?」


 ……

 …………

 「と、言う経緯だな。昨晩の出来事は。今朝には偵察機一機は温州城に向かったし、池永は笠原少尉殿と一緒に福州軍陸上部隊を探しに南に飛んでいる。大津丸も南下中だ。」

 立花少尉の説明は簡潔で無駄が無い。

 「じゃあ一晩中、御蔵と北門島を行ったり来たりで大変でしたね。」岸峰さんが少尉をねぎらう。「眠たいのも分かります。」

 「皮肉か?」少尉殿がニヤッと笑って岸峰さんに応じる。「カタヤマの寝床を使ったのは、悪かったと思うけど、さ?」


 黙り込んでしまった岸峰さんに代わって、僕が少尉殿に質問する。

 「英玉さんは、もう病院に?」

 少尉は頷くと「隔離病棟に入ったばかりだから、昨日の今日では面会に行っても会えないだろう。明日にでも、雪ちゃんのツベルクリン反応を見せに行って、状況を訊いてみるんだな。深刻な病状ではないみたいだから、落ち着けば会えるんじゃないか?」

 僕が雪ちゃんに「ともあれ、英玉さんが重篤じゅうとくじゃないみたいで、良かったね。」と笑いかけると、雪ちゃんも嬉しそうに頷いた。

 言葉に出していなかったけれど、心配していたのだろう。


 質問を続ける。

 「彼女には、誰か付き添いが付いてあげているのですか? 花さん?」

 「袁副隊長の部下の、燕君が付いている。彼女は負傷した呂の付き添いも兼ねるようだよ。密偵の呂は手術中だ。もしかしたら、もう終わっているかも知れないけどね。雪ちゃんの姉上は、鄭隆ていりゅう殿の残務に目星が付くまで、御蔵には来られないようだ。」

 「呂氏は鄭成功の子飼こがいの部下なんですよね……。」

 「本当にそこまでの重要人物かどうかは分からないが、手厚く遇する方が無難だろうな。」

 「燕さんって、日本語は話せるんですか?」

 彼女とはアイコンタクトやハンドシグナルで意思疎通した事はあるけれど、会話をした記憶は無い。

 英玉さんは雛竜先生仕込みでペラペラだから、入院しても医師や看護婦との会話に困る事はないと思うけど、燕さんは大丈夫なのだろうか。

 「戻りの救急車で一緒だったが、そこそこ話せてたぞ? こっちに来てから、袁副隊長や鮑隊長から熱心に教えてもらっているみたいだな。」

 燕さんは、物凄く熱心な生徒だったのだろう。イ島の戦闘から、まだ一ヶ月も経っていない。


 立花少尉殿は、急須きゅうすに残っていた既に温くなってしまっているお茶を、湯呑に注ぐと一気に飲み干し、さて、と言って立ち上がった。

 「そんな訳で、現在『鍵』を管理しているのは、北門島の早良中尉殿だ。自分はこれから部屋に戻る。」

 僕は「お疲れ様です。」と言ってから「これからお休みになられるのなら、今日の訓練は中止ですね。」と確認する。

 時間を見付けて、御蔵島の山でバイオパルプ実験用の白色腐朽菌はくしょくふきゅうきんを探しておきたかったからだ。保菌庫のコレクションには、適当な担子菌たんしきんが含まれていなかったので。


 少尉は渋面を作ると「寝に戻る訳じゃないぞ。」と『オヤスミ』を否定した。

 「報告書を作るんだ。昼までには司令部に出す。その後は、何時も通りに車両運転と射撃の訓練を付けてやるから、書類書きや新聞の仕事はそれまでに済ませておけよ? ……片山と岸峰だけでなく、小倉も一緒に、だからな!」


 立花少尉と入れ違いに、主計担当の婦人部隊員の人がデータを持って「これ、入力お願いします。」と電算室に入って来る。

 古賀さんも「雪ちゃん、夜は眠れたぁ?」と元気に顔を見せる。

 また一日の仕事の始まりだ。


 岸峰さんは「片山クン。打ち込みは古賀さんと何とかするから、雪ちゃんに自転車の乗り方を教えてあげてくれない? 四輪にしろ二輪にしろ、内燃機関搭載車両を運転する前に、先ずは自転車に乗れるようになった方が良いと思うんだ。交通ルールも知っておかないと、運転覚えても運転はさせられないからね。」

 僕は頷くと「じゃあ雪ちゃん。軍手をはめて……ヘルメットも被っておこうか。」と雪ちゃんを促した。


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