アジビラ作戦前夜2
実際に動きが起きたのは、政庁社殿の室内外で飲み潰れた者が目立ち始めた時分だった。
寝てしまう程度の酔漢はいても、祝いの席という性格上、騒ぎを起こす様な悪目立ちする者はいなかったから、突如響き渡ったホイッスルの警戒音は皆の注目を集めるのに充分だった。
最初にホイッスルが鳴らされたのは仮設滑走路の方角からで、警笛に続いて二発ほど銃の発砲音が夜空に鳴り響いた。
滑走路方面からの合図を受けて、97式中戦車の車長と97式軽装甲車の車長とが運転席にエンジン始動を命じる。
戦車と装甲車の見学会を仕切っていた和田軍曹は、自らも首から掛けたホイッスルを吹き鳴らし、その後に部下に命じて見物客を装甲車両から遠ざける。
予め被牽引車を切り離して身軽になっていた軽装甲車は、前照灯を点灯すると持ち前の軽快さを活かして、直ぐに進発した。
城外の宴の場は騒然となったが、それを予想していた蓬莱兵が城内に避難するよう呼びかけを行ったため、見物人は我勝ちに門をくぐった。中には酔い潰れた知人・友人を担いだり背負ったりしている者もいる。
これが仮に門を閉ざして皆を城から遠ざける措置を採ったのであれば、混乱に拍車が掛かったのであろうが『有事や不測の事態には、状況がハッキリするまでの間、領民は城に向かい、城内に立て籠もって指示を受ける。』という防御側の原則に沿った措置だったため、退避行動はスムーズに進んだ。
退避が済むと、中戦車は門の前に立ちふさがる様に移動して城を防御する態勢を採り、北門島の兵も武器を手にして御蔵島の兵と共に脇を固めた。
門を閉めてしまわないのは、変事を察知して下の村落から城を目指して坂道を上って来る村人を収容する必要があるからで、港の見張りや宴に参加出来ない老人の世話をしている者など、皆が皆、城の内外に集結していた訳ではないからだ。
中戦車の車長が上部ハッチを開いて信号弾を撃ち上げる。
赤い光が夜空高くに飛翔する。
城の広間でも騒ぎは起きたが、鄭隆が姿を現して直ぐに混乱を沈静化させた。
尾形伍長と、彼が弁慶の様だと感じた大柄な衛兵との二人を従えた鄭隆は
「お騒がせして申し訳ありません。ネズミが少し騒いだようです。手は打ってありますから、皆さん御安心を。御蔵島の方々は、ご協力有難うございます。」
と、日本語と明国語の両方で出席者に呼びかけると、自らの手勢には大柄な衛兵の指揮の下、藤左ヱ門の命令に応じるよう指示を出した。
「予想より、早く動いたな。島が寝静まるまで、待つかと思ったが。」
趙はむっくりと起き上がると「あんたのお蔭で、熟睡出来た。礼を言う。」とスミス准尉に告げて扉を開ける。
同じく起き上がろうとしている轟に対しては
「寝ててくれ。これは、こっちの仕事だ。それに、あんたに明日シッカリ飛んでもらわないと、後ろで安心して眠っておれない。」
と言い残して小部屋を出て行った。
「眠っていろと言われてもナァ。寝始めてから2時間か……。」
腕時計を確認しながら頭を掻く轟に対して
「中尉殿向きの仕事ではありませんから、言われた通りに寝ていた方が良いでしょう。資源の無駄です。」とスミス准尉が冷静に諭す。
「まァ、動いた人物が、何処の勢力に属する者であるのかは、とっても興味が湧く点ではありますけれど、ね。」
「信号弾、アカ!」高速艇104号の通信士が叫ぶ。
小林艇長は桟橋から艇に身軽く移乗すると、エンジン始動を命じ、小型探照灯を点灯させる。
甲板員が軽機関銃にマガジンを装着する。
装甲艇も艇長以下全員が持ち場に戻り、それぞれに発進準備を執り行う。
小林は、ジャンクに残って船のお守りをしていた小倉隊の水夫が、驚いた顔をして信号弾が上がった空を見ているのに向かって、「清朝の密偵が騒ぎを起こした。島から逃げ出そうとする船は、艀一艘たりとも阻止せよ。」とスピーカーでアナウンスしながら、入り江から高速艇を移動させる。
今夜は湾内に桟橋にもやってある船や浜に引き上げてある舟の他に、錨を下して停泊中の船も多数あるので、操船には慎重を期す。湾外に出ないと高速艇の実力を十分に発揮する事が出来ないが、衝突事故を起こしたりすれば目も当てられない。
スパイの逃亡を阻止するためには、高速艇の機動力は欠かせないのだ。
スパイが島外に逃げようと思えば、舟を使う以外に方法は無い。
小倉隊の船であれば、丸々一艘が敵勢力の支配下に入っているとは考え難いから、敵は身分を偽って臨時雇いの水夫として潜り込んだか、あるいは商人船を利用して侵入したかの可能性が高い。商人船の場合には、一艘の全員が敵工作員である可能性もあるだろう。
休息中の水夫が覚醒した船々は、言ってみれば「相互監視」の状態になるから、スパイの仲間が船に残っていたとしても、他者から異常に見える行動は採り難いと言える。また、この夜間に錨を上げて外海へと逃走を画す商人船がいたならば、即時攻撃対象だと判断しても良いだろう。
なお、所属不明のスパイを『清の密偵』だと断定したのは、南明朝と御蔵側との双方に共通の敵であるから都合が良かったからに過ぎず、確信がある訳ではなく便宜的なものだ。
この様な措置を採る事によって、港近くの船の動きは牽制する事が出来たわけであるが、敵が正体の露見する可能性を考慮していたとすれば、どうするか。
この桟橋のあるメインの港以外の適当な入り江で、艀程度の小舟を隠しておける場所から、島伝いに大陸へ逃走しようと図るだろう。
高速艇と装甲艇、特に高速艇はその動力船である機動力を生かし、島の周囲を哨戒して逃亡を阻止しなければならないのだ。
小林は空いた海域まで高速艇を進めると、後続する装甲艇隊に向かって『我、先行ス。』と発光信号を送ってから、艇のスピードを上げた。
大津丸の様子を窺うと、探照灯が鋭い光を周囲に投げかけ、船舶砲兵は総員配置で砲口を湾内に向けている。
敵スパイが島の何処に小舟を隠しているのかは分からないが、可能性があるとすれば人口の集中している港や村の近くではなくて、辺鄙な場所であるに違いない。
昼間の内に、村にもほど近く小型貨物船を接岸出来る新しい港を築くのに相応しい、ドン深の磯場で波の静かな場所を探した経験からすれば、村の周囲には新港予定地候補は幾つか見つかったが、現状では小舟を係留しておけるような場所ではないから、人口密集地から距離の離れた小さな砂浜が見つかれば、重点的にチェックを入れる心算だった。
「信号弾、ミドリ!」港の方を向いていた甲板員が叫ぶ。
状況、終了だ。早くに片が付いて結構な事だが、哨戒を打ち切ってよいものかどうか。
小林艇長は機関士にエンジン停止を命じると、通信士からの報告を待った。
「大津丸を介して連絡です。『不審者を捕縛。』そして……ええっ?!『不審者の所属は、福州軍。』なんです、これは?」




