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アジビラ作戦前夜1

 明々と幾つもの洋灯らんぷを灯した酒宴の席では、蓬莱兵と主だった北門島民、船舶兵と小倉隊の水兵といった組み合わせで、賑やかに会話が続いている。

 北門島の城塞は小規模だとは言え、数百人を収容するに不足はない。

 米豪軍兵士の内、日本語か明国語が話せる者は積極的にその輪に加わっているが、どちらも不得手な者はもっぱらにこやかに杯を傾けていた。


 話題は排土板付97式中戦車が、アッと言う間に滑走路を整備してしまった事や、その後に行われた蓬莱兵小銃部隊による散兵戦闘の模擬演習、大津丸から滑走路に飛来した94式偵察機といった御蔵島が持つ『新兵器』に集中しているが、軍医が鄭隆を検診した後に島民に対しても実施した医療相談も、好感を持って語られていた。

 軍医は明日も患部を診た患者に対して、化膿した腫物の切開手術等を行う予定で、メスや消毒薬、滅菌した晒などの医療品を御蔵島に要請していた。


 政庁社前の広場にも、ポータブル発電機に繋いだ白熱灯と投光器から光が投げかけられ、祭りの様に人々が集まっている。

 闇を照らし昼の日光を思わせる電気の光は、それを見つめる人々の顔を上気させ、驚きと共に高揚させる。


 政庁社内と同じく、集まった人々には雛竜先生からの差し入れとして豚や羊の肉、饅頭まんとうや酒が振る舞われ、同盟成立が祝われていた。

 子供たちの興味は、やはり小屋ほどの大きさの有る戦車や牛より大きい装甲車で、警備にあたっている戦車兵や整備兵も、代わる代わる子供たちを車体上に攀じ登らせては歓声を上げさせていた。

 普段は厳めしい城の衛兵も、今日ばかりは剣や槍を置いて、時ならぬ御馳走に舌鼓したつづみを打っている。

 彼らは警備の任務があるから酒を飲む事は出来ないが、楽しく浮かれた気分には充分に浸かった状態だ。


 けれど、そんな時に政庁社広間の宴席では――


 「やってられるかぁ!」

 突然、趙が日本語で叫ぶと、その後は明国語でブツブツ何かを主張している。

 「彼は何と言っているのです?」早良中尉が、傍らで羊肉を頬張っている鮑隊長に訊ねる。

 「空なんか怖くて飛べない、もう沢山だ、と言っていますね。今日の演習が余程応えた『みたいな様子』です。」


 「困りましたねぇ。彼には『明日は』シャキッとしていてもらわなければならないのに。」

 「『朝までには』酔いも醒めるでしょう。今夜はまだ、よいの口だ。……それよりも、『彼』は大丈夫なんですかね? 『飛ばすのは彼』なのに。」

 鮑はあごで機長の轟中尉を指し示し、盃をあおる。けれど、よくよく注意して見ていないと判らない事だが、酒はほとんど顎を伝って首筋にこぼれ、喉には入っていない。

 こぼれた酒が鮑の軍服を濡らしているから、彼の身体からはアルコールの匂いが強烈に漂っているけれども、鮑老人はほとんど全くの素面しらふなのだ。

 厳密に言うと、酒の匂いと酔っ払いが発するアセトアルデヒド混じりの呼気とは臭いが異なるのだが、気にする者はいないだろうと鮑は考えていた。


 鮑は新たに、なみなみと酒を盃を満たすと「オイ! アンタそればかりの酒で、もう潰れちまったのか?」と卓に突っ伏している轟を小突く。

 轟中尉は「ううん……。」と唸るだけで、卓から顔を上げようともしない。

 鮑は、上出来上出来、と腹の中で拍手する。下手に演技をするよりも、狸寝入りはボロが出にくい。


 趙は一頻ひとしきり周囲の人間相手にくだを巻いていたが、床に寝転ぶとゴウゴウといびきをかきだした。

 「おやおや。趙大人は眠ってしまわれましたね。」早良中尉が盃をめる。

 「眠い人は寝てしまっても構わんでしょう。無礼講ぶれいこう? でしたか。」鮑が再び盃を呷る。


 港に繋いである高速艇甲104号の船上でも、宴は行われていた。

 104号艇の小林艇長は、ライトを灯した装甲艇の艇長らと桟橋の上で肉を食い、盃を傾けている。

 けれど、盃の中身は水だ。

 「美味い肉だが、水をグイグイやりながら肉を食うのは、勿体無い気がしますな。」

 装甲艇の艇長が、つい本音を漏らす。

 「落語で、こんな話がありませんでしたか?」小林が相槌を打つ。「確かアッチは、食い物の方もダミーだったはずでしたが。」

 「大根の漬物が蒲鉾かまぼこ代わりで、タクアンが卵焼きでしたっけ? ……『長屋の花見』でしょう。聴きたいものですな、また日本の寄席で。」

 宴は和やかに装っているが、装甲艇の銃塔では、機銃手が油断無くスリットから目を光らせている。


 政庁社の執務室では鄭隆配下の文官らが、宴に参加出来ない事を嘆きながらも次々に、温州城に投下する文書を筆写し続けていた。

 酒と肉にはありつけなかった彼らだが、饅頭の他にチョコレートとコンペイトウとが特別配給されている。

 頭と手とが疲れても、御蔵島のチョコレートなる甘味を食すると、不思議と書き続ける意欲が湧くのだった。


 当の鄭隆は宴会の初めにだけ顔を見せ、「皆さん、どうか飲んで食べて、今日の良き日をお祝いして下さい。」と挨拶を済ませると、早々に自らの寝室に引き返した。

 彼が軽いが労咳である事実は、既に皆の知る処となっていたから、不思議に思う者はいなかった。

 部屋には鄭隆の寝台に加えて、英玉用の寝台も並べられている。

 彼女も結核感染している事が疑いないと軍医が判断したから、女官部屋から隔離されたのだ。


 鄭隆はCレーションのシチューを食べながら御機嫌だった。

 「洋灯の明かりといい、この不思議な食べ物といい、なんとも楽しい眺めです。まるで、別の国にでも来た様じゃないですか?」

 英玉は鄭隆の言葉に大いに同感を示すのだけれども、雛竜先生と一つ部屋に並んで寝るのだと思うと天にも昇る心地で、今食べている缶詰の味など丸で分からなかった。

 彼女が選んだのは一番不味いと評判の『ひき肉と野菜』缶詰だったから、味など分からないといった状態であったのは、まあ、運が良かった。

 今夜は主任看護師が部屋の入り口近くに控え、二人の容体を見守る事になっている。

 英玉は、あの看護婦が気を効かせて、しばらくどこかへ行ってくれれば良いのにと思ったり、看護婦見習いをする時に彼女から高く評価してもらえるよう、模範的な患者として振る舞わなければいけないと考えたり、心中は複雑だった。


 入り口の外には機関短銃を構えた尾形伍長が、鄭隆配下の衛兵と肩を並べて立ち番をしている。

 お互い言葉が通じないから会話をする事は出来ないが、尾形はこの男は信頼しても良い男だろうと考えていた。

 牛若丸に仕える武蔵坊弁慶。尾形は隣の男から、そんな空気を感じ取っていたのだ。


 花は、宴席は早々に切り上げて良いから、早く自室で充分な睡眠を摂るよう言われていたから、鄭隆の寝所近辺にはいない。

 花は大層悔しかったのだが、発想を切り替えて宴席で軍医の側に座を占め、軍医に酒や肉を勧めつつ看護婦の心得を熱心に質問していた。

 そして軍医の口から、看護婦見習いとして御蔵病院で研修出来るよう、病院長に推挙してもらえるよう、約束を勝ち取った。


 小倉藤左ヱ門と大内警部補は、二人並んで穏やかな目で皆が宴会に興じる様を眺めていた。

 二人は差しつ差されつ盃を酌み交わしていたが、毎度、極少量の酒精しか相手の盃には注いでいない。

 その一方で、加山少佐は明国人の中に積極的に分け入り、言葉が通じないのを幸い、どんどんアルコールを注ぎ回っている。

 酒を注がれた相手は、飲み干してから返杯しようとするが、もうその時には少佐は別の席に向かうか、新たな酒甕を受け取りに行っている。

 こうして、藤左ヱ門・源さん・少佐の三人とも、酒の席に身を置きながら、ほとんどアルコールの摂取を免れている。


 「もっとお楽に、藤左殿。」源さんが目を細くして、また藤左ヱ門の盃に酒を一滴注ぐ。

 「気になる者はおられますかの?」藤左ヱ門が、手にした盃を舐めて警部補につぶやく。

 源さんは手酌で自分の盃に酒を注ごうとして、藤左ヱ門に酒甕を奪われ、「特には。」と返答する。

 そして、改めて藤左ヱ門の手で盃に酒を一滴注いでもらってから「多分、ここに居る者はシロでしょうな。」とニンマリ笑う。


 今夜、いずれかの勢力による妨害工作か破壊工作の発生の可能性が有る事は、御蔵側の人員には周知してある。

 蓬莱兵には模擬演習を行う際に演習手順を説明するのに併せて、日本兵には交代時や各種作業を行う折にひっそりと。

 米豪兵に関しては、英語を解する『敵』が居ない事から兵を集合させて堂々と。

 だから少々アルコールが入っても度を過ごす者がおらず、秩序立った飲み会が進行していたのだ。


 普通だったら程度の悪い酔っ払いが出ないのは、密かに警戒態勢を採っているのを想起させる不自然な状況であったのかも知れないが、初めて顔を合わせる集団同士の「お見合い」みたいな宴会なので、北門島民に異常を悟られてはいないだろうと、大内警部補は考えていた。

 逆に、何か事を起こそうという意図を隠した者がいるとするなら――先ほどの趙大人のように――派手に酔ったふりをして、この座から抜け出そうとするのではないか?


 「大の男が二人、明日大事な仕事があるというのに、この祝いの席で飲み過ぎるとは情けない!」

 スミス准尉はそう声を荒げると「誰か手を貸して!」と仁王立ちになった。

 「まあ、そう腹を立てなさんな。祝いの場で。」袁副隊長がとりなす様に応じると、燕と共に席を立って床に寝転んでいる趙に肩を貸す。

 何人かの兵が慌てて立ち上がったが、スミス准尉はゴンドウ曹長と共に轟中尉を立ち上がらせると「この酔っ払いを寝かせておける部屋はないか訊いて。」と袁に依頼する。

 島の者たちは、何が起こったのだろうかと戸惑っていたが、袁の説明を聞くと小波の様に笑いが広がり、鄭隆配下の武官二人が、燕や准尉の替わりに趙と轟に肩を貸した。


 この間、警部補と藤左ヱ門は酔いが回った様な顔をして広間中に目を配っていたが、そっと退席したり怪しい動きを見せる者は皆無だった。

 加山少佐が藤左ヱ門の元にやって来て、部下の無様をしきりに謝りながら、目で不審者の有無を問う。

 「ま、ま。無礼講の席ですから。『問題』になる様な事は、何も『ありませぬ』。のう、大内殿?」

 「はい。私も、そう理解しておりますよ。少佐殿。」

 「それは良かった。」

 三人は何食わぬ顔をして、宴会を続ける。


 「皆さん有難うございました。」

 スミス准尉は重たい酔っ払いを運ぶのに手を貸してくれた男たちに礼を言うと「私が二人の面倒を見ていますので、どうぞ宴席へお戻り下さい。」と小部屋の扉を閉めた。

 准尉は扉に耳を当てて、足音が遠ざかるのを確認してから

「もう、狸寝入りは不要よ。」と二人に伝える。

 轟はフウゥと大きな息を吐いて「酔ったフリというのは、存外、疲れるものだなぁ。」と感想を述べる。

 「ここなら本当に眠れそうだ。」趙は目を瞑って手足を寛がせる。

 「どうぞ眠ってて。私が番をしてるから。」スミス准尉は二人に告げると「どうしても眠れなそうだったら、膝枕くらいならサービスで付けてあげるけど。」と付け加える。


 「サービスは趙大人に譲る。」轟がぼやく。「実に魅力的な提案だけれど、自分は絶対に寝そびれるから。」

 「サービスという言葉が何なのかは分からんが、俺も遠慮しておこう。今日は疲れた。」

 趙は片目を開けて准尉を見ると「あんたが、そこで番をしていてくれるだけで、安心して寝ていられる。あんたの抜け目の無さは、重々承知している。」と再び目を閉じた。


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