ライフ2 穏健派社会主義者に御蔵新聞の次の記事を書くよう促される件
会議室から退出すると、立花少尉は「私は通信室に寄ってから、隊に戻る。片山室長は電算室に戻る前に、雪ちゃんにトイレと給湯室くらいは案内しておけよ。」と言い残して、さっさと消えてしまった。
給湯室はともかく、女子トイレの案内は無理だ!
僕は雪さんに「厠へ行きたいかい?」と念のために訊ねる。必要が無いようだったら、岸峰さんが戻って来るまでトイレの案内は先延ばしにしてしまおう。
けれども彼女は「緊張いたしておりますゆえ、行きとうござります……。」と蚊の鳴くような声を出す。
「ちょっとだけ、待ってて!」
僕は慌てて会議室に駆け戻ると、中を見渡して、以前給湯室でお湯を分けてくれた婦人部隊の人を見付けた。
「たっ、助けて下さい!」
婦人部隊の人が驚いて「どうしましたっ?!」
驚いたのは婦人部隊の人だけでなく、高坂中佐殿も「何か起きましたか?」と席を立つ。
大机で論戦していた人々も、何事ならんとこちらを向く。
「小倉さんがトイレに行きたいと……。」僕が小さくなって婦人部隊の人に事情を説明すると、耳をすましていた中佐殿が「ああ! それは女性じゃないと。」と軽く頷く。そして「早乙女さん、行ってあげて。」と婦人部隊の人にお願いしてくれた。
僕は会議室内にいる人全員に「お騒がせしましたっ!」とペコペコ頭を下げてから、婦人部隊の人(早乙女さん)を「こっちですっ!」っと誘導する。
廊下で屈んでいた雪さんが、僕の顔を見て「師匠~!」と泣きそうな顔になる。
――時、既に遅し?
僕の顔色を読んだのか、彼女は「まだ大丈夫にございますぅ。」と立ち上がった。心細かっただけのようだ。
早乙女さんに「彼女、日本人ですけど、この時代の人で。」と告げると、「大丈夫。任せなさい。」と心強い返事が戻ってきて「室長は、とっとと電算室に行きなさい。女子トイレットの前でウロウロしているものじゃありませんよ。」と言われてしまった。
早乙女さんが「さ、オバチャンと一緒にね。」と雪さんの手を取るのを見てから階段を上る。
早乙女さんは石田さんより年上かもしれないけれど、まだオバチャンと自称するほどの年齢だとは思えないんだが、僕は女性の年齢当ては苦手なので、もしかしたら30歳を越えておられるのかもと、ちらっと考えたが余計な事は言わずに口を噤んでいた。
岸峰さん以外の女性と相対する時には、そのスタンスの取り方に何時も緊張を強いられる。石田さん、古賀さん相手には大分慣れてきたけれど。
電算室のドアをノックすると「どうぞ!」との返事。
元は、いや本当は今でも僕と岸峰さんの臨時の居室なわけなのだが、なし崩しに様々な人が出入りする部屋となってしまっているため、ドアを開けるのにノックは欠かせない。
現に今回も、室内には米軍か豪州軍の女性部隊の隊員が二人と、滋養亭の茂子姐さんがいた。
「おや、修さん。お帰んなさい。」茂子姐さんがアイロンがけの手を止めて迎えてくれる。
大内警部補(源さん)と加山少佐の両名が共に洞頭列島遠征で不在だから、茂子姐さんは二人の代理で顔を出してくれているのだ。
この部屋には新聞掲載依頼の要望やなんかが集まって来るので、それを捌ける、顔の効く人物が要り様なので。
女性隊員の一人はキャロラインと言う20代のオーストラリア人で、御蔵新聞の英訳版を入力しているらしく、一瞬手を止めて黙礼してくれたが直ぐに仕事に戻った。
キャロラインさんは、陽気と気さくを絵に描いた様な愉快で素敵な女性なのだが、仕事にはクソ真面目で、特に「作文の神」が彼女の頭脳に降臨している時には、話し掛けても口をきいてくれない。
だから、パソコン入力の最中に黙礼してくれただけでも、実は凄い事なのだ。
ちなみにキャロラインさんの『キャロライン』は、姓であって名ではない。初めて自己紹介をされた時「ファースト・ネームで呼びかけるのは、ちょっと恥ずかしいので、出来ればファミリー・ネームの方を。」とお願いしたら、ツボにはまったらしく、しばらく笑いが止まらなかった。
もう一人の初見の(多分、キャロラインさんよりも年下の)女性は、パソコン操作見習いに来ているらしく緊張している。一瞬だけこっちを見て「ハジメマシテ。」と言ったきり、名前も名乗ってくれない。
ソバカス顔の可愛らしい女性なのだが、キャロラインさんに置いてけ堀にされて、戸惑っているみたいだ。
僕は「ただ今戻りました。」と、また皆にペコペコ頭を下げてから、壁際のカーテンを開いて、取りあえずベッドの上に荷物を下ろす。
御蔵島に戻って来てからは、頭ばかり下げている気がする。(いや、気がするじゃなくて、事実そうなのだけれど。)
雑嚢からパソコンを取り出して「プリンタ借ります。」と断ってから、準備室で作成していたレポートを印刷する。何だか、軒先を貸して母屋を取られた気分。
「新聞の更新かい?」と姐さんから質問されたので「いえ、急ぎの報告書です。」と応じると
「そうかい、なんやかんや修さんも大変だね。でも、ちゃんと新聞記事も書くんだよ。修さんや純子ちゃんといった『未来を知る者』が編集しているって点が、御蔵新聞の客観性を担保しているって、読んでる者は皆思っているからね。」と、穏健派社会主義者らしい意見が戻ってきた。
まあ僕らの時代だと、社会主義者の方が酷い歪曲プロパガンタを垂れ流している訳で、そんな事実を知ったら茂子姐さんは何と言うだろうか。
「記事の方は今夜にでも仕上げます。北門島にスゴイ軍師が居た話やなんか。」
僕の言うのを聞いたキャロラインさんが「Gun-shi? What's?」と口を挿んでくる。頭の中の文章は、キーボードを通して吐き出し終わったらしい。
「ええっと、アドバイザーと言うか……ストラテジストです。クレバーでシャーロック・ホームズみたいな人でした。」
「おや? ホームズさんはデティクティブではなかったかい?」と姐さんが異論を唱えてくるので「頭のキレの感じがですね、何だかそんな雰囲気だと思ったのです。」と答える。
じゃ、報告書提出して来ます、と刷り上がったレポートにちょっと目を通してドアを開けると、早乙女さんに連れられた雪さんに鉢合わせした。
「あ、早乙女さん、有難うございました。」
早乙女さんはニコと笑顔を見せると「小倉さん。ここが片山さんの部屋です。ちょっと散らかっているけれど、驚かないようにね。」と雪さんに告げてから「持っていらっしゃるのは、中佐に提出する報告ですか? 私がお預かりしましょう。」と会議室まで行く手間を省いてくれた。
お願いします、とレポートを手渡してから振り返ると、六個の目が部屋の中からこっちを注目している。
「So Pretty!」と漏らしたのは初見の女子隊員で、姐さんは「別嬪さんだ。」と感想を述べる。
そうか、cuteではなくprettyか、と思いながら「小倉家の姫で、雪姫様です。今後、電算室所属になりますので宜しくお願いします。」と紹介する。
雪さんは「姫などとは滅相もない。不束者の小娘にござります。皆様、良しなにお引き回しのほどを。」と頭を下げる。それから「エンカンターダ!」と右手を差し出す。
雪さんはルソンから来たのだから、欧州系の顔は見慣れていて別に驚いたりはしないんだなぁ、と今さらのように面白く思ったのだけれど、キャロラインさんともう一人の女の子は不思議そうな顔をして、雪さんと握手をしている。
姐さんが僕に「エンカンターダって、どんな意味だい?」と訊ねてくるので「ハウ・ドゥ・ユゥ・ドゥ? みたいな意味だと思いますよ。彼女はスペイン語圏で生活していたから、英語は話せないんだけど、スペイン語は流暢なはずなのです。」
初見のソバカス娘が「My name is O'Hara. Are you a Ninn-jya Girl?」と変てこな質問をしているが、雪さんは「小原様でいらっしゃいますか。我は忍者ではございませぬ。」と、結構的確な返事をしている。
但し、日本語で。相手がスペイン語を話さないと言う事を、直ぐに察したようだ。もしかしたら、イギリス人と接した事も有るのかも知れない。
ソバカスっ娘がオハラ姓である事が、この時やっと分かったのだった。




