ライフ1 『9マイルは遠すぎる』な件
電灯が灯り始めた兵舎地区を走り抜ける間、雪さんは何だか奇妙な表情をしている。
もう滅多な事は無いとは思うけれど、僕の片手は彼女の兵児帯を握ったままだ。
「どうしたの? 電気の明かりは、入って直ぐの準備室で経験済みですよね。」
彼女へのスタンスが、(僕の頭内では)未だにどういった感じで接すれば良いのかという迷いが有るので、友達言葉と丁寧語がチャンポンになった呼びかけになっている。
彼女は明かりの点いた窓を指差し
「師匠。明かりの色が違いまするな! 初めの部屋より暖こう見えまする。」
と感想を述べる。
雪さん的には、先ほどの一件は既に整理が着いていて、師弟の仲で構わないようだ。
もしかすると、この場に居合わせた者の中で、変に拘りに囚われているのは、僕一人なのかもしれない。
「電球が違うんだよ。初めの部屋のLEDは熱を出さない電球だけど、今見えているのは白熱球か蛍光管なんだ。こちらは熱を出す。熱が出ると言う事は、電気のエネルギーが光として消費される以外に、熱として放出されている事を意味するから、熱くなる電球ほど光への変換効率が低いって事なんだ。」
僕も口調を元に戻す。
「むう……。今の御説明、全てを咀嚼する事は出来ませなんだが、白熱球とやらは無駄が多いという理解でよろしゅうございますか?」
僕のヘタクソな説明でも、聡明な雪さんは意味を汲んでくれる。
ヘッポコ師匠には過ぎた弟子だ。
「正解!」
「何故、全ての明かりをLEDに換えてしまわれないのでありましょうか?」
「それはね、後で詳しく話をするけど、この時代にはLEDはまだ存在しないからなんだよ。」
「それはまた不可思議な話でありますな。……先ほど雛竜先生と御話なされていた折、『300年も先になってしまいます。』と言っておられた事と、関係してくるのでございましょうか?」
コイツ……賢い! いや、クレバーなのは既に知っているんだけど。
「なるほど。どうして、そう考えましたか?」
僕は彼女に発言の真意を確かめてみる。
雪さんは考えを纏める様に一瞬沈黙し、僕の目を見ながら口を開く。生命力に満ちた明るい瞳。
「時の区切りにございます。先の世を指すのなら、10年、100年、1000年あるいは万年と区切りましょう。300年というのは、そのぅ……。」
「中途半端で、具体的に感じられる、という訳ですね?」
「さようでございます。」
僕は有名な推理小説のキー・フレーズを思い出した。
『歩いて9マイルを行くのは大変だ。しかも、雨の中なら尚更だ。』か。
「御蔵島は、北門島から300年の時を経た場所なのです。……そして、最初の部屋は、この島からも更に80年ほどの時を経ています。」
どうせ、雪さんには話さなければならない事だ。
「何とっ! まるで……ええっと……言葉に成りませぬが……。」
「御伽話みたいでしょう? でも詳しい話は後でね。司令部に着いたから、帰任の報告をしなくちゃいけない。」
ジープは司令部棟の前に到着している。
建物の前で立哨している少年兵が、ジープから降りた雪さんに見とれて
「片山室長、また可愛らしい女の子を連れてらっしゃいましたね!」と声を掛けて来る。
岸峰さんがそれを聞き咎めて「石田さんとアタシしには?!」なんて軽口を叩く。
少年兵も慣れたモノで「それはもう、お二方も勝るとも劣らず!」なんて返している。
石田さんは苦笑しながら「じゃあ衣料廠で雪ちゃんの服を受領して来ますから。」と、岸峰さんと一緒に出発してしまった。
救急車から降りた古賀さんが「片山さん、ずうっと雪ちゃんの腰に手をやっていましたね!」なんて言い出す。
けれど立花少尉が「古賀、冗談でもそんな事言うなよ。片山がそんな風に見えるのを恥ずかしがって『あんな事』になったんだから。」と古賀さんをたしなめる。
そして「ホラ、救急車を戻してこい。」とキーを彼女に渡す。「帰りは石田に拾ってもらえ。」
「石田さん、採寸せずに行っちゃいましたよね。」と僕が口にすると、少尉は「見た感じ、雪ちゃんと古賀はほとんど同サイズだから、古賀のサイズで見繕ってくるんだろう。」という見解だった。「何にせよ、雪ちゃんの今の衣装は、男共には目の毒だからな。早く作業衣袴を着せとかないと。」
少年兵が「毒ではなくて、保養ですよ。」なんて言い出すので、少尉は「なぁ? こんなヤツが居るんだよ。」とボヤいてから「少年よ。早く一人前の男になれ! 貴様がイッパシの男になったら、貴様を憎からず想うレディも自ずと出て来るから。」なんて訓示する。
リア充は強し。
雪さんは司令部棟を見上げて「瀟洒な建物でありますが、ここが城なのでしょうか?」と不思議そう。
僕は「実用本位だからね。まあ、言ってみれば島全体が城なんだよ。この建物だけを守っても仕方が無いんだ。」と説明しておく。
雪さんは瀟洒と表現したけれど、派手派手しい中華風の建造物に比べれば地味なビルだ。彼女の評価はヨイショ込みなのに違いない。あるいは女の子がよく使う『かわいい!』みたいなニュアンスなのか。
立花少尉を先頭に会議室に入ると、大テーブルでは何やら激しい議論が戦わされており、高坂中佐はと言うと、隅の脇机で書き物をしている。
今なら中佐に報告しても良さそうだ。
立花少尉が中佐に歩み寄り「片山室長が戻りました。」と敬礼する。
僕と雪さんも彼女の横に並んで敬礼する。雪さんは僕に倣っての見様見真似だから、二人揃って締まらない敬礼になっちゃっているけど。
中佐殿は顔を上げて「お帰りなさい。ご苦労様でした。収穫は多かったみたいですね。」と微笑む。
そして「そちらのレディが小倉雪さんですね。早良君から報告が入っています。」と続ける。
雪さんに向かっては「片山室長は気立ての良い人物なので、先生に成ってもらうには丁度良いと思いますよ。学問に励んで下さい。」と穏やかな声で話し掛ける。何だか島で最高位の将校の言というより、田舎の分校の校長先生の訓話みたいだ。
雪さんは膝に額が付きそうになるくらい深々とお辞儀して
「お殿様、お言葉、恐縮至極に存じます。呂宋の小倉藤左ヱ門が娘、雪に存じます。」
と自己紹介。
中佐殿は、頭を上げて下さい、と促して「殿様ではなくて、主計の人間ですから、そんなに畏まらなくても良いですよ。商家で言えば、金勘定をしている番頭みたいなものです。」と笑う。
二人の間での自己紹介が済んだタイミングで、僕は「ただ今戻りました。」と一礼してから「北門島では紙が入手できます。温州では生産が行われておりまして。」と、島の倉庫に交易品の在庫が備蓄してあった事を報告する。「報告書は書き終わっていますので、電算室でプリントしたら直ぐお持ちします。……それと、小倉さんの父上を通じて交易を行えば、原油が入手出来そうです。量は微々たる物だと思われますが。」
中尉殿は「それは朗報ですね!」と喜んでくれたが「こっちでも、紙については程度の悪い物でもよいから、生産を始めようかと考えていた処です。購入出来る分は購入するとして、投入エネルギーを少なく生産を行える方法が、何か思い浮かびませんか?」と訊ねられてしまった。
僕は生物部の部室に置いてあった雑誌の記憶を辿って「確か、サルノコシカケみたいなキノコを使って、木材を腐らせる研究の解説を読んだ事があります。」と返事を捻り出した。「木材のリグニンを集中的に食べる菌を用いれば、セルロースを残して木材をグズグズにする事が出来るとか。……化学処理に比べれば処理時間は酷く長くかかるのは間違い無いですが。それに最終段階では、やはり化学処理は必要だと思います。投入エネルギーと薬品量は少なくなるはずですけど。」
中佐殿は頷いて「処理時間が掛かるのは構わないので、それを試して頂けませんかね? 上手く行ったら儲けもの、程度の気持ちで取り組んで頂いて良いですから。セルロース繊維が作れるようになったら、紙だけでなくレーヨンやアセテートみたいな再生セルロース繊維が作れないか試してみたいのです。」
アセテート? レーヨンすなわち人絹は既に生産されていた時代だけれど、アセテートの登場は……?
「片山君。妙な顔をしていらっしゃいますね。アセテートなんかが載っていたのは、君の有機化学の教科書ですよ?」
中佐殿が澄ました顔で、付け加える。




