01_??怪目_薬局堂マワリミチ★
薬袋は自店ではなく、別の店に腰を据えようとしていた。白衣を着た看護士の装いをした金髪碧眼の美少女助手から案内されるがまま、末広がりの螺旋階段を降り続ける。白練の手摺がない螺旋階段を降りきり、地下の店内に繋がる扉の前で、薬袋が軽く右手を挙げる。助手は、では此処で、と機械的な声で応答して微笑む。
もちょん。
ノックをするが奇怪な音が返ってくるだけ。もう一度ノックする。もちょん、もちょちょちょん。……あいつ、何やってんだ?もういいやと扉を開く。先ず眼を引くのは常に電灯だ。蝋燭を模した電灯が一個ずつ紙袋にくるまれ、無数の其れ等が足元のみ部屋を灯す。部屋は真っ暗闇で途方もなく広くどこまでもどこまでも何処までも。薬袋でさえこの部屋の広さを知らなかった。ふっ。風が過る。薬袋の近くにある電灯が一つだけ瞬いた。今、何か足元を掠めたような。
薬袋はこのまま歩き続ければ、店主を蹴り倒す危惧から止まる。辺り一体に聞こえる声で、呼び掛ける。
『おぉい、回道ィいるかィ?』
――おおぉぃ――
――ぉおぉいぃ――
――ぉおおぉいぃい――
谺。返事はない。ただ薬袋の近くに電灯が瞬く。段々、徐々に、増えていく瞬き。どうしたもんかね、と薬袋が頭をかく。灯りが瞬いているのは近くに尋ね人がいる証。だが、なかなかどうして出てこない。百鬼夜行で纏わりつく泥犂の異臭を嫌ってのことだ。これでは埒が明かない。魔法の言葉を使うしかないか。
はぁ。溜息を一つ。薬袋は後首を掻く。癖毛を束ねた紐が揺れる。
『出て来ねェなら犯すぞう』
「乙姫をかっ!!!」
やれやれ。狼狽して飛び出た黒猫を薬袋が睨む。黒猫は臆すること無く、とんっと薬袋の肩に乗り、右から左へ、左から右へと公転を始める。薬袋が懐から小瓶を出すと、勢い良く鈴のついた黒猫の尾が奪う。
「クセェ!クセェぞ薬袋!!」
『お前ェ、いんならとっとと出て来なさいョ』
「やいやいやい、薬袋っ!それよりテメェ、蝸牛を犯すたァどういう了見でィ!大した九頭だよ、テメェはっ」
『回道、それェ言いたいなら屑だねぇ(笑)』
「(笑)は止めろィ!蝸牛犯す変態につける薬は無ェぞ!!」
『耳許で喚くな。耀子の涙、落としても知らねえぞ』
「テメェがさせてんだよ!眼藥も勝手に持ってったろうが!作ってたら煩ェしよ!」
『あー……そうそうあれな』
「そうそう、俺が丹精込めて造った眼藥……だっ!あれな、じゃねぇんだよ!」
『すまんすまん。冬彦がなかなか反芻が抜け出さねぇのさ』
「あ?なんで贄にされた坊や……ループってまさか、テメェ……やったな!!!!」
に・や。
薬袋の口が三日月を描く。愉快そうに顎へ手を添え、したり顔で回道を見遣った。
『泥犂の鬼さんに取り立てがまだの獲物を持っていかれんのも不愉快でしょうが』
「だからってェ、テメェ地獄に連れていかれないように並行世界に匿って……どうなるか知らねェぞ!下手したら商売だって……」
『仕方ねェだろお。
俺との約束事が先で、罰は決めなかったんだ。獲物は俺の創った世界で繰り返し同じ期間を生きる。
正紺はな、手間隙かけて繰り返し染めて出来んだ。そうさな、何万回かループしてりゃ、いつか彼奴も正紺になって還ってくるだろうさ。還ってくりゃ、こっちのもん。耀子を泣かさないって訳だから、百鬼夜行の呪いもそもそも始まらない。
ほぉれ、みろ。約束は果たせる。
贄は生きる。
人助けってのは良いモンだねぇ』
すう。黒猫はけたけた声をあげる薬袋の耳に鼻先をくっつけて叫ぶ。
「ばああああああああああああかっ!!」
鼓膜が痛い。薬袋は悄々たる表情で此処から始まる旧友の文句を余所に、今日の晩餐に思いを馳せる。うん、矢張 豚カツが良い。ソースとタルタルで、それから梅塩も用意してもらって、胡麻擦ってキャベツの千切りを山盛りにしてもらおう。ドレッシングはどれにしようか。それから白米と味噌汁と漬物を用意してもらおう。味噌汁は大根と油揚げと豆腐で色が変わるくらい煮てもらって、漬物は胡瓜と白菜と人参の浅漬け。いや、……山椒……か?チーズも有りかな。
「聞けテメェ、御人好し気取ってんのか!ばああああああああああああかっ!!地獄に引き渡しちまえよ!テメェに何の得がある!眼藥の代金ももらうからなっ」
まだ喋るナァ。薬袋は晩餐から力を譲ってくれた冬彦に持たせた眼藥を思う。
甕覗の整形眼藥。
見る世界を美しくする眼藥。材料は悲哀の涙(女性限定)。回道の拵える其は現状に涙しながらも、解決できない女の劣情を悲哀の涙で伸ばしたものだ。故に男性にのみ効力を発揮する。瞳の色と引き換えに、見る世界が美しくなるだけで、実際の変化は起こせない。今回のお代はギイ作の晩御飯で交渉だな。
に、しても。お腹すいたナァ。薬袋は誰に何と言われようが決めたことは変えないよと忠告にうすら笑った。頑固一徹が服を着て、ツンとすましていると回道は思う。やりたいようにやらしてくれよ。低く呟いた薬袋の声で、やっとこ回道は言葉の矛を納めた。
長台詞が終わった黒猫はぜーぜーと肩で息をしながら、ちりんと尾の鈴を鳴らす。お腹すいたァ。回道もぽつりと呟いた。
『回道も豚カツ、食べに来ィ』
「行く」
薄も連れていくぞ。人間の姿に空中宙返りでなった回道に、薬袋は機械って食べれンの?と毒づいて小突かれる音が響いた。
《甕覗の整形眼藥》
お了い




