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紅(アカ)

 涼香さんの話が終わってからぼくたちは終始無言だった。

 いや。ぼくは、彼女の話が衝撃的すぎて話すことができなかった。涼香さんにかけていい言葉も分からない。

 ぼくは公園を見渡した。

 東京の公園にしては広いこの場所の目立たない所に、涼香さんの今の家を見つけた。遊んでいる子供たちが珍しそうにテントを見ている。イタズラしない所をみると家の人にテントに触ってはいけません、と厳しく言われているのだろうか。

「ひいたでしょう?」

「え?」

 涼香さんが諦めにも似た表情でぼくをゆるり、と見上げた。

「この年でホームレスなんて」

「何でですか?」

 ぼくは本気で疑問に思った。涼香さんが猫みたいに丸い目をさらに丸くさせる。

「確かにギャンブルとかやってお金がなくなった自業自得なホームレスは、ぼくの中ではちょっと…って思いますけど、涼香さんみたいに大切な誰かのために自分を犠牲にしてホームレスになる人は、ぼくは人間として尊敬しますよ。ふつうできませんよ。いくら弟の為だからと言って大学まで休学してお金を稼ぐなんて」

 ハハッ、と笑ったぼくの顔を見つめながら、涼香さんはその綺麗な瞳に涙の膜を張らせた。それはかろうじて流れていなかったが、彼女が少しでも動いたら、間違いなく彼女の頬をぬらすだろう。

 女性の涙に慣れていないぼくはギョッ、として今のぼくの発言を思い返す。

 クソッ、悪い所が見つからない…!とりあえず謝ろう…!

「あの、すみません!不快な言葉を言ってしまって!」

 慌ててハンカチを取り出して謝罪をするぼくに彼女も慌てて

「あのっ、違うんです!ただ嬉しくって…」

「嬉しい?」

「はい。やっぱり事情を知らない人だとホームレスって汚いって目で見られるんですよ。『偉い奥様』にも『普通の奥様』には黙ってもらっているので、主にその奥様からそういう目で見られるんですけど。あっ。でも仕事が接客業なので毎日銭湯には行ってますよ?」

 ここ大事!という風にいつの間にかぼくから逸らしていた視線を元に戻した涼香さん。

 その必死さがおかしくもあり可愛くもあり。

 つい

「分かってますよ。だって涼香さんからはいつもシャンプーのいい匂いがしますから」

 と言ってしまった。

 やってしまった。

 と思ったときには時すでに遅く。

 引かれた、と思って涼香さんの顔を恐る恐る見ると。

 彼女はこれでもかというくらいに顔を真っ赤にしていた。

「あ、ありがとうございます…。由宇さんも、いい匂いですよ…?うん」

 ほとんど息のようかか細い声だったがぼくにはしっかり聞こえた。

 しかしそれもぼくの顔を赤くする手助けしかせず。

 ぼくはまた自分を追い詰める。

「だ、大体、ぼくも美作さんと同じ意見なんです。涼香さんには今すぐにでもホームレスを止めてもらいたいですよ!夜に誰かに襲われたらと思うと不安でなりませんし!今からでもぼくの家に住んでもらいたいくらいですよ!は、ははははは!」

「由宇さんがなぜわたしを心配するんです…?」

 心底不思議そうにぼくに聞く涼香さんの声が妙にクリアに聞こえた。その勢いで、ぼくは言ってしまった。

「そりゃ、ぼくが涼香さんを好きだからですよ!」

「え…?好き…?」

 涼香さんのその言葉でぼくの頭は急速に冷えた。

 …やっちまった。

 脳内に今家族とデート中であるはずの美作さんが、お腹を抱えて大爆笑している。殴って脳内から追い出した。

「由宇さんが、わたしを好き…?」

 涼香さんが首を捻る。その顔は今言われた言葉を理解しようとしているらしく、顔の赤さはなくなっていた。そしてぶつぶつと呟き始めた。彼女は考えごとをするとき独り言を言うタイプの人間らしい。

「いやいや。待って。由宇さんみたいな誠実な人がわたしみたいな無表情な人間を好きになるはずがない。しかもわたしホームレスなんですけど。もしかして同情で好きとか言ってる?いやいや。由宇さんはそんなタイプの人ではない。…えっ?本気で?でもでも。わたしは今、学費とか入学金で手一杯だし。そんな暇はないから付き合えない。デートする時間もないし。それは由宇さん可哀想だし。ていうか本当に由宇さんはわたしのこと好きなの?寧ろさっきのはわたしが都合のいい夢を見ていたりして…」

「あの、夢じゃないです! ぼくはちゃんと恋愛感情で涼香さんが好きです!」

 どんどんおかしな方向に行く涼香さんの声を遮って改めて言うと、すごく照れた。つい大きな声で言ってしまったし。

 いろいろな羞恥がぼくの身に降りかかって、冷めかけていた熱がぼくの顔に集中していく。

 ぼくの言葉を改めて聞いた涼香さんはボフンッ、と音がしそうなくらい一気に顔を赤くした。

 20歳を超えてるいい大人2人がベンチに座って揃って顔を赤くしている…。なかなかシュールな光景だ。

「す、すみません。わたし、こういうの慣れてなくて…」

 申し訳なさそうに、というか恥ずかしそうに頭を下げる涼香さんにぼくはいよいよいたたまれなくなって、勢いよく立ちあがった。

「あ、あの!返事はいつでもいいです!ていうか、ぼく、帰りますね!あ、夕飯は!どうします!?奢りますよ!?」

「え!?だ、大丈夫です。奥さんがおかずをくれましたから!」

 立ちあがって帰ろうとするぼくにビックリしたのか、いつもの彼女らしかぬ返答が返ってきた。

「それならいいです!いいですか!絶対にもうテントから出ないでくださいね!危ないですから!」

「は、はい!」

「それでは!」

「あ、今日は楽しかったです!ありがとうございました!また、お店に来てください!」

 駈け出したぼくの背中に涼香さんの声が降った。

 そう言った、彼女の顔が夕日も手伝って、さっきより真っ赤だということはぼくにも気付かなかった。


「あら、どうしたの。そんな息切らして…」

 夕飯を調理中なのかお玉を片手に僕の背中をさする母。

「ぼ、ぼくは、やりきったから…!」

「は?」

 間抜けな顔をしている母を置いて、ぼくは靴を脱ぎ捨て自分の部屋に駆け込んだ。




「どうしよう…。由宇さんから告白されちゃった…。え?両想い?でも、わたしのことが解決するまでは付き合えない…。…それをおいても、嬉しすぎる…。わたし、明日からちゃんと由宇さんに接客できるかな…。って、明日からもちゃんと来てくれるかな。来てほしいな…。でも、両想いかぁ。ふふ。」

 奥さんから頂いた肉じゃがをじっくり味わいながら、初めての両想いに浮かれる涼香だった。

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