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彼女の過去 琴原涼香side

「飲み物買ってきました…」

 緊張した様子を隠そうともしない由宇さんにわたしはクスリ、笑って

「ありがとうございます」

 お茶を受け取った。オレンジジュースではないことに更におかしくなる。

 わたしのことを他人に話すのは店長と、店長の家族と、わたしの今の住処であるこの公園の付近に住んでいるごく一部の奥様だけだ。(この一部の奥様はここら辺では偉い立場にある人らしく、この人たちに事情を話せば公園に住めると店長に教えてもらった)

 由宇さんに話そうと思ったのは、この人なら大丈夫と思ったから。普段からしどろもどろにわたしに話しかけてきて、なんか面白い人だなぁと思っていたが、今日半日一緒にいてみて、すごく誠実な人だと思うようになった。

 平たく言えば、惚れたのだ。

 でも、わたしのことを話してわたしのことを嫌いになったら、ショックは受けるだろうけど、わたしも由宇さんを忘れようと思う。

 この公園につれてきたのは第一歩。由宇さんはわたしがホームレスだと知っても、頑張って受け入れてくれようとしているから第一歩はクリアだろう。

 由宇さんはわたしが話し出すのを今か今かと緊張した面持ちで待っている。

 わたしは目を瞑って息をひとつつくと、口を開いた。


 わたしの家は、そこそこ大きい会社を経営している。祖父の代から続いている、決して由緒正しいとは言えないが父は頑張って会社を守ってきた。

 その父は、私の3つ下の弟である和樹カズキを自分の跡取りにしたがっている。わたしにはさっさと嫁に行って欲しいらしいが。

 しかし肝心の弟は違った。

 高校1年生の時は父の望むその進路に何も不満はなかった。だが、2年生になったとき。和樹は父に急に会社を継がずにパティシエになりたいと言い始めた。

 もちろん父は大反対。

「許さんぞ!男はお前1人なんだ!そんななれるか分からない職業を目指すなんてどうかしている!」

「でも、どうしても目指したいんだ!頼むよ!父さん!」

 和樹は土下座までして父に頼みこんだが、父は聞く耳持たず、自身の会社を継ぐように強要した。

 わたしは勿論、和樹の夢を応援した。

「諦めちゃだめだよ、和樹。いざとなったらわたしも一緒に父さんを説得してあげるからね」

 和樹はわたしの言葉に元気を得たようで、そこから頑張って父を説得していたが父は和樹の言うことに耳も貸そうとしなかった。

 そして9月になり、和樹もそろそろ進路を考えなくてはいけない時期になった。その頃になると和樹は父を説得するのを諦めたようで、こっそり自分の希望校のパンフレットを取り寄せて勉強を始めていた。

 でも、それは何の解決にもなっていない。

 そう感じたわたしは、和樹と共にもう一度父を説得しようと試みた。

 和樹にも話していない、ある作戦を胸に秘めて。


「お願いします、父さん。俺がパティシエの道を志すことを許してください。必ず結果は残す。だから、お願いします」

「わたしからもお願い、父さん」

 わたしたち姉弟は難しい顔をしている父さんに頭を下げた。

 父さんは顔を縦には振らなかった。

「許さない。和樹、お前は私の会社を継ぐんだ」

「俺はどうしてもパティシエになりたいんだ!」

「そんな不安定な職業は許さん!そもそもなれるかどうかも分からないだろう!」

「分からないからって、なれない訳じゃないだろ!」

「なれる保障もない!」

 ここまで来ると、この話は永遠に終わらない。

 そう思ったわたしは、胸に秘めていた作戦を父に告げた。

「では父さん。こうしませんか?」

「なに?」

「わたしが来年の9月までに和樹の希望する学校の入学金と1年分の学費を稼ぎます。もし稼ぐことができたら、和樹のこの学校の入学を認めてください。勿論、そのあとの学費もわたしが出します。その間、わたしは大学を休学します。その後は父さんが望むように生きます。だから、わたしと和樹に、1年ください」

「姉ちゃん!?」

 わたしは驚く和樹を無視して父に深く頭を下げた。

「涼香の言い分は分かった。だが和樹は?もし涼香が条件をクリアできなかったら、和樹はパティシエの道を諦め、私の会社を継ぐための大学に行くのか?どうなんだ、和樹?」

 父の鋭い視線が和樹を捉えた。

「…」

 和樹はちらりとわたしを見た。わたしは小さくうなずく。

「…はい。必ず」

 和樹はまっすぐに父を見つめ、そう言った。

 父は目を瞑り、黙り込んだ。その時間はたったの数秒だったかもしれないが、わたしたちにとってその時間はとてつもなく長かった。

 父が目を開ける。

「分かった。私はその条件を飲もう。しかし、私からも条件がある。その条件を飲めなければ、この話は終わりだ」

「…なんでしょう」

「涼香、来年の9月まで、お前は家を出ていけ。何もない状態でお前のいう金を稼げたら、和樹のパティシエの道を認める」

「そんな!姉ちゃんにホームレスになれって言いたいのか!?」

「…分かりました」

「姉ちゃん!?」

「時間が惜しい。今日中にすべてを整理して、出ていきます」

 わたしは父の条件をのんだ。


「姉ちゃん!なんであんなこと!聞いてねぇよ!」

 荷物をまとめるわたしの横で和樹はわたしに詰め寄った。

「だって、こんなこと和樹に言ったら和樹、パティシエの道諦めるでしょ?」

「…っ」

 図星だ。

「姉ちゃんなんだからこれくらいさせてよ。お礼は…あんたが将来パティシエになったときあんたのケーキタダにしてくれればいいから」

 わたしはそう言ってウインクをひとつ投げた。

和樹はわたしの冗談に笑いもしないで俯いていた。

 和樹が今どんな顔をしているなんて、見なくても分かる。

「和樹がどんなに止めても、わたしは絶対にやめないよ」

 下から和樹の顔を覗き込む。和樹はやっぱり悲しそうな顔をしていた。

 でもわたしがそう言うと、和樹は覚悟を決めたようで、

「俺、俺の希望校の勉強しかしない。だから、お願いします」

 と頭を下げた。

 和樹はわたしの性格をよく知っていると思った。そう言った方がわたしが喜ぶと思ったのだろう。あとは、自分の覚悟をわたしに伝えるため。

 わたしは満面の笑みで和樹の肩を思いっきり叩いた。

「お姉ちゃんに任せなさい!」


 そこからは早かった。

 休学届を出し、バイト先の店長に1日働かせてくれ、と頼み込んだ。

「急にどうしたの?」

 わたしは、正直に話した。店長は軽いけど、こういう大事なことは絶対に人に話さないと知っていたからだ。

 話を聞いた店長はしばらくは父に激昂していたが、一通り怒ると気がすんだのか、1日のシフトを毎日認めてくれた。それに加え、時給を100円も上げてくれた。お礼は今まで以上に働くこと、とウインクつきで言われた。嬉しかったけど、少しキモかった。

 そしてわたしが野宿するつもりだと知ると、

「涼香ちゃんは馬鹿なの?女の子1人で野宿とか、襲われるよ?」

 と、いつものふざけた顔をしまって、真面目な顔で忠告してきた。

 そして、

「1年間うちんちに住む?」

 という素晴らしい提案をしてきてくれた。

 でも、

「いえ、それは申し訳なさすぎるし、店長のお子さん、まだ小さいでしょう?奥さんに負担かけられません」

 本音は店長の提案に飛びつきたかった。でも、これはわたしの問題だ。

 しかし、店長はわたしの本音を見透かしたように

「じゃあ今から奥さんに電話してみるわ。涼香ちゃんのことも話すよ?いいよね?」

「え?ちょっ」

 店長はわたしの許可も取らずにピ、ポ、パと携帯を操作して奥さんに電話した。

 奥さんはワンコールで出た。

『どうしたの?今仕事中でしょ?』

「いやいや。ちょっと相談があってさ。うちでバイトしてる涼香ちゃんいるでしょ?」

『あぁ。あの可愛い子。なに?もしかして孕ませちゃった?』

「え?俺そんな信用ない?」

『わたしの中であなたの信用はないに等しいわよ』

「うそでしょ?」

『うそ。ちがう本当』

「えー。愛してるよー」

『わたしも』

「え!もう一回!」

『嫌。で、用件は?』

「あ、そうそう。涼香ちゃんがさ」

 店長は今わたしが話したことをそのまま奥さんに伝えた。

 話し終わると、奥さんは

『何よそれ!涼香ちゃん1年と言わずずっとウチに住まわせましょうよ!弟君も!学費くらい!わたしが出してあげるわよ!』

 と息巻いて言ってくれた。店長は、んな無茶な。みたいな顔してたけど。

 そして勢いで父を批判していた。

 店長はピッ、と電話を切ると、

「奥さんはこう言ってるけど、どう?」

 2人はこう言ってくれているけど、わたしが1人加わるだけで、奥さんの心労は増えるだろう。駄目だ。わたしの私情で2人に迷惑はかけられない。

「でも、駄目です。わたしの問題だし、わたし、奥さんもこの店も大好きなんです。迷惑はかけられない」

「俺たち、迷惑だなんて思わないけどなぁ」

 店長はそう言いながらも、わたしの決意が固いことをわたしの表情から読み取ったのか、

「分かった。ただ野宿する場所はこっちから決めさせてもらうよ。飲まないと、強制的にウチんちに下宿だからね」

「はい」

 素直に返事をしたわたしの頭を満足気に撫で、店長は優しい目でこう言った。

「野宿するところは俺んちから1番近い所にある公園だ」

 店長の家は店から10分ほど離れた所にある。店長の家から1番近い公園は店長の家の真ん前だ。なんなら店長の家の窓から公園全体が見渡せる。

 店長の優しさがわたしの中に沢山入ってきた。

「店長大好き」

「おれは家族の次に涼香ちゃんが好きだよ」

「それでいいですよ」

 そして店長は、あるアドバイスをしてくれた。

 公園に快適に住むには、強い奥様に味方になってもらうこと。だ。

 その日、店長は店をいつもより早くお店を閉めて、『強い奥様』の所に連れて行ってくれた。

 『強い奥様』は一見優しそうだけど、怒ると恐そうだった。

 わたしは事情を話した。

 『強い奥様』は奥さんと同じような反応を示した。子供がいる身としては、父の行いが許せないんだそうだ。

 『強い奥様』は二つ返事で許可をくれた。もうひとつ、「頑張れ」という言葉も。

 店長は自分の家にもわたしを連れていった。

 そして、自分が学生時代に使っていたテントと寝袋、そして使わなくなった毛布もくれた。なんでもキャンプが趣味だったそうだ。

 奥さんは、公園に住む代わりにわたしが指示した日には必ず夕飯を食べに来ること!と涙声でわたしを抱きしめながらそう言ってくれた。

 それは毎日夕飯を食べに来い!という裏返しの言葉で、今も毎日夕飯にお呼ばれしている。(月に食費は渡しているけど)

 そのわたしたちの足元で、まだ小さい店長の子供が

「涼香ちゃん、毎日お夕飯来るのー?やったー!」

 とチョロチョロしながら喜んでいるのが面白かった。

 そうして、わたしは今の生活を手に入れた。

 母さんは父が怖くて、わたしが出ていくことにも何も言わなかったけど、毎日電話をくれる。

 和樹も毎日メールや電話をくれる。毎日希望校の勉強に勤しんでいるらしい。和樹なら間違いなく合格してくれるだろう。父とは衝突の日々らしいが。

 わたしの数少ない友達は、わたしが大学を休学していることを知ると「待ってるよ」というメールをくれた。何も聞かない所は流石わたしの友達だ。

 お金は毎月お給料をほとんど貯金して、なんとか目処は立ってきた。生活費がほとんどかからないところが、ホームレスの唯一の長所だと思う。

 わたしは今の生活を結構気に入っている。だから、わたしは大丈夫。頑張れる。

 期限まで、あと5か月。


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