そっけない彼女
自分で言ってから、ぼくは自分がかなり大胆なことを言っていることに気がついた。
それでも何も言えなくて、ぼくは無意識のうちに逸らしていた視線をおそるおそる彼女に戻した。
彼女は、言われた言葉を理解するようにちょこっと首をかしげて、
「ごめんなさい」
と言った。
「お誘いは大変うれしいのですが、わたし、毎日ここで働いているので時間が作れないんです」
女性が誘われた場合、断る時の決まり文句に、「お誘いは大変うれしいのですが」の後にもっともらしい嘘をつくのだが、ほとんど毎日この店に来て、その時に必ず働いている彼女の言葉が嘘だとは思えない。
この時に、もっと押しが強い性格だったらぼくはもっと円滑に女性関係を進められていたのだろう。
「あ…。そ、そうですよね。ごめんなさい、変なこと言って」
恥ずかしそうに頭をかくぼくを見て、彼女も申し訳なさそうにいつも綺麗にカーブを描いている眉をハの字にして
「すみません…」
と頭を下げた。
「い、いえ!変なこと言ったぼくが悪いんですから!あ、じゃあぼくはこれで!お代はここに置いていきます!」
彼女の謝罪に居心地の悪さがマックスになったので、財布からぴったりお代分をだし、机に置きざまにバッグをひっつかんだぼくの背中に、
「確か明後日、うち、定休日だよ?」
という、思わず叫びだしたくなるような天使の言葉が降りかかってきた。
その瞬間、
「「本当ですか!?」」
という歓喜の声と、純粋な驚きの声が、店内に響き渡った。
無論、歓喜の声は僕のものだ。もうひとつの声は、彼女のものだった。
彼女はハッとすると、驚いてこちらに注目するお客さんにペコペコと頭を下げた。
そして今までのやり取りを聞いていた様子でニヤニヤしている美作さんに詰め寄り、小さな、しかし鋭い声で美作さんを問い詰めた。
「どういうことですか、店長?この店はお正月とお盆と、家族のイベントしか休まないはずでしょう?お子さんの誕生日はまだ先のはずです」
「うん。だから、明後日は結婚記念日なんだ。妻と二人でデートするんだよ」
「あ、結婚記念日ですか。おめでとうございます」
「ありがとー。由宇君。あ、見る?家族の写真みる?これがみんな美形でさー」
「え?」
「耳を貸さないでください。店長の家族自慢は長いんです。仕事をおろそかにするほど。奥さんに、日曜の昼ぐらいは休んでくれてもいいじゃない、馬鹿死ねと言われてることにも気づけないほど平和な頭をしているんです」
胸ポケットから写真を出そうとする美作さんの手を、ガシッ、と抑え彼女は冷ややかな顔で言った。
「え?おれそんなこと言われてるの!?」
「さぁ、真偽はご自分で確かめてください」
「…その冷たいとこ、おれの奥さんにそっくり」
「褒め言葉ですね」
だんだん話が逸れていく二人の言い合いに、ぼくは「あ、あの」と声をかけた。
「なんでしょう?」
「結局は、明後日、この店は休みになるんですよね?…なら、一緒にどこか出かけませんか?」
「え?」
彼女の「まだその話続いてたの?」と言いたそうな目と口調に焦ったぼくは、
「ほ、ほら、ぼくが望んだお礼って、で、デートなので!」
と、言ってしまった。
美作さんのニヤニヤと手のガッツポーズが果てしなくうざい。
現実逃避ぎみに美作さんを少し睨んでいると、彼女はぼくの近くに来て、
「わかりました。明後日、どこか行きましょう」
と普段の抑揚のない声で言った。思わず、え?これってOKってことだよな?と疑ってしまいたくなるほどの調子だった。
「時間は13時に駅前でお願いします。場所はお金がかからないところで」
放心状態のぼくに気づいているのかいないのか。
彼女は一方的にぼくに告げると、「では、もうそろそろ仕事に戻ります。明後日楽しみにしています」と一礼して、颯爽と仕事に戻った。
それから数秒後。いや、何分後だったかもしれない。
ぼくが我に返って「ぼくも楽しみにしています」と言ったときには、当然ながら彼女は目の前にいなかった。
美作さんが「頑張った」と言いながらぼくの肩に置いた手は、暖かった。