10万円のカタルシス
一度書いてみたかった、ほぼセリフのみで構成された短編! ちと読みにくいと思いますが、どうか読んでやって下さい。
薄暗い部屋の卓上で眩く光るライトに、部屋全体を映し出す大きな鏡。コーヒーの様な渋い香りが漂うこの部屋に、一般人が招かれた。
その者が着席すると同時に、目の前に背広姿の男が座る。大きな眼鏡をかけ、口ひげを蓄えた初老の男。手に抱えた書類を机の上でトントン、と叩き、喉をワザとらしく鳴らした。
「あなたのご協力に、誠に感謝します。では、早速ですが取り調べを始めます」
背広の男はポケットから小型録音機を取り出し、赤いボタンを押した。
「何を見たか、詳しくお聞かせください」
一人目の取り調べ。
『前川聖子(45)主婦』
「いやぁね、私はその時、カウンターから遠い牛乳とか……野菜とか並んでるコーナーでトマトを見てたのよ。ほら、お昼にサラダを作ろうと思ってね! そうしたら急に、なんか……ほら、ゴンだかバンだか音が響いてね。その後、私の右側の……遠く右側、ほら、おにぎりとか置かれているコーナー? あそこでおじいさんが倒れてたのよね。頭からおにぎりをかぶって、尻に弁当を敷いちゃってね! そりゃぁ見に行ったわよ!! だって凄い音だったんだもの!!」
二人目の取り調べ。
『石井柳平(33)会社員』
「列の最後尾に並んでいましたから、あまりハッキリとは見ていませんね……ただ、そう店員がそのおじいさんを殴ったのは見ました。2メートルくらい飛びましたね、はい。前の人たちが邪魔で、どんな言い合いをしていたかは見えませんでしたが、おじいさんが飛んで、おにぎりの棚に突っ込んだのは確かです。はい、頬が餅の様に膨らんでて……こぶとり爺さんみたいになってましたね。失礼な話ですが。はは、」
三人目の取り調べ。
『大井実(18)フリーター』
「俺は、例の加害者? だっけか? が、レジ打ってた場所の隣のレジ? で会計してたんだけど……なんかあの殴られた爺さん? が、店員にいちゃもんだかを付け始めて……そんで、まぁネチネチと文句を垂れ始めたんスよ。そうしたら、店員の兄ちゃんが、あのコンビニの店長? に、ユニフォームを渡して一礼したんすよ。神妙な顔で。んで、カウンターから出てきた兄ちゃんが、爺さんを思い切り殴りつけたんすよ。一瞬の出来事でどっか見逃した、かもだけど? で、その兄ちゃんは……あれ? どうなったんだっけか?」
四人目の取り調べ。
『大杉太郎(55)コンビニ店長』
「いやぁ、まさかあんな大人しい子があんな事をするとは……いやね、お昼前ってのは店がかなり混む時間帯でね、皆イライラするんですよ。繁盛してるからいいだろ? って言うだろうけど……土方とか近所の爺さん婆さんたちが合わせた様に一斉に店に押し寄せて、これまた一斉に並ぶんだから堪らないよ。だからウチの店員たちは、あの時間帯は殺伐としてるんですわ。実をいうと私もね。ははは……でも、殴る事はないんじゃないかな? しかもあの人は常連なのに」
五人目の取り調べ。
『太田美樹(22)コンビニ店員』
「殴りたくなるのは当然だと思うよ? だってあの爺ぃ、口うるさくて有名だもん。何度かあたしも絡まれた事あるよ? それに、あいつ歯槽膿漏だかタバコの吸い過ぎだかで口臭が酷くて堪らないのなんの……まるでオシメみたいな臭いするんだよ? そんな口で嫌味言われてみなよ? 殴りたくもなるって」
六人目の取り調べ。
『佐藤君枝(55)加害者の母親』
「いい子ですよ。まぁ皮肉屋で、いつまでたっても就職を決めないダラしない子でもありますよ。でも、そんなおじいさんに暴力を振るう子だとは思ってませんでした……ここ数か月、貯金を始めて張り切ってバイトをやっていたのに……なんでこんな事を?」
七人目の取り調べ。
『武井正二(24)加害者の友人』
「ははは! あの野郎、ガチでやったか! あ、スイマセン、不謹慎ですね。えぇ、アイツから聞いてましたよ。冗談半分だったんで本気だとは思いませんでしたが……ほら、大抵の人って『ぶっ殺してやる!』って言いますけど、実際は本人に恨み言1つ言わないってのが殆どじゃないですか? だから、本気だとは思えなかったなぁ……そういえば、数か月前にあいつ、言ってたな……『知ってるか? 店長から聞いたんだが、10万あれば客を殴れる』とか……おいおい冗談だろ? って返しましたが……まさかね、ははは」
四人目の取り調べ(二回目)。
『大杉太郎(55)コンビニ店長』
「え? 私そんな事言って……いや、言ったかな? 言ったっけな、ははは……はい、言いました。彼と仕事した時の世間話で、はい。『客への暴力事件の賠償金は10万円。つまり、10万あれば客を殴れる』って言いました……え? もしかして私の責任問題になるんですか?! どうなんですか刑事さん!!」
八人目の取り調べ。
『百井利恵(66)被害者の妻』
「……私は、彼にとっていい薬だと思ってますよ。年金を全部賭けごとにつぎ込んで、生活は全部、私の負担なんですもの。しかも楽しみは嫌がらせ。そう、彼は自慢げに言うんですよ『接客する立場にいるあいつらは、俺が何をやっても文句の一つ言えないんだ』って、とぉっても楽しそうに……さすがに腹が立ちますが、彼に何されるかわからないし……今、あの人はどうなっているんでしたっけ? 頬骨骨折と首の捻挫? あらそれだけ……死ねばよかったのに。あら、ごめんあそばせ」
九人目の取り調べ。
『佐藤啓太朗(24)加害者』
「えぇ、俺が殴りました。認めますよ。今日の日の為……と、言うか『堪忍袋の緒が切れる日』に備えて腕立てをやってましたし、貯金もしました。賠償金を払うためにね。あの爺さんは、一度殴りたかった……誰でもあるでしょ。『こいつだけは殺したい、せめて殴りたい』って願望が。それを叶えたかったんです。あの爺さんはマナーも悪く、誰彼かまわず暴言を吐き散らしていた。クビになるのを覚悟で殴りましたよ、思い切りね。後頭部を打ってましたが、大丈夫で? あぁ、その程度ですか……で、俺はどのくらいここに拘束されるんでしょう?」
この小さな事件が起きた三時間後、お昼のニュースで小さく報道された。「某コンビニストアの従業員『佐藤啓太朗(24)』が、客で来ていた老人『百井重三(67)』に暴行を加え、重傷を負わせました」
このニュースをせんべい片手に見ていた主婦は一言、こうつぶやいた。
「まぁ怖い」
っと、何が何だかわからないこのお話……あなたの心には何が残りましたか? 「まぁ怖い」こんな感想でいいのですか?
因みにこのお話の中に出てくる『人を殴った時に許される金額、十万円』は事実であり、こういう暴力事件は過去に何度も起きています。
この事件の様な被害者、または加害者はあなたの近くにいるのかも……もしくはあなた自身が……。