08 嘘と真実
フィルがいなくなってから一ヵ月くらい経ったある日。
俺は、姉の家に夕飯を食べに来ていた。
「あー、美味しい。美味しいなあ。姉ちゃんの作るハンバーグは!」
「何よ、前は辛いから不味いとかって言ってたじゃない」
「へへ、それもまた姉ちゃんらしくていいんだよ」
久しぶりに食べる姉の料理。
ハンバーグなのになぜか辛い。
しかし、それがなんとも懐かしくて涙がでそうだった。
「仕事のほうはどうなの? あんたのことだから、他人の分までやらされてるんじゃないかって心配で心配で」
「じゅ、順調だよ。上司も同僚も良い人たちばっかりでさ。昨日も夜遅くまで一緒に飲んだりしてたくらいだし」
上司や同僚と会話することはほとんどない。
飲んだのも歓迎会の時くらいだ。
俺は咄嗟に嘘をついてしまったのだ。
姉に心配をかけたくなかった。
ちょっとでも、カッコイイ弟を演じていたかった。
姉の料理を食べに来たのも、本当はつらくて、寂しくて、いてもたってもいられなかったからなのだ。
でも、そのことを言うのが、なんだか照れくさくて、カッコ悪くて、情けなくて。
だから、たまたま近くに寄ったから、と言い訳して押しかけた。
そんな俺を、嫌な顔一つせず温かく迎えてくれた。
以前と変わらない優しさが、そこにはあった。
「ねえ、フィルちゃんはどこいったかわからないままなの?」
「……う、うん。でも、もういいんだ。俺に彼女なんて似合わないしさ。短い間だけでも夢が見れてよかったよ、ハハ」
「そう、あんなに仲良さそうにしてたのに」
あれからフィルが現れることはなかった。
最初に出会った場所やネックレスを買った場所に、何度も行ってみたが無駄足だった。
なんだったんだろう、夢だったのかな。
世界征服するから協力してとか言ってたっけ。
懐かしいなあ。
「さてと、そろそろ帰るよ。夕飯、美味しかった。ありがとう」
「あら、もうちょっとゆっくりしていけばいいのに」
席を立ち、上着を羽織る。
姉が、少し寂しそうに見えたのは気のせいだろうか。
「へへ、明日も仕事だからな。姉ちゃんもさ、邪魔者の俺がいなくなったんだから、早く結婚すればいいのに、以前紹介してくれた彼氏はどうしたのさ」
「ああ、なんか私の料理に文句ばかり言うから別れたわ」
「えー、玉の輿だったのに勿体ないなー。姉ちゃん、普通の料理ならめっちゃ美味いのに」
「あんたまでそういうこと言うのね。もう作ってやらないぞー?」
そんな他愛もない会話が、なんとも心地よかった。
久々に、人とまともに会話した気がする。
「じゃ、また今度食べにくるよ」
そう言って、姉の家を後にする。
これで、今月も頑張れそうだ。
「ふー、ただいまー」
いつも通り、真っ暗な我が家に帰ってきて独り言を呟く。
当然、返事なんてあるわけ……。
「おかえりー」
どこからともなくフィルの声がしたような気がした。
「空耳……だよな?」
電気をつけるが誰もいない。
疲れてるのかな。
フィルに会いたい、って思ってるから幻聴が聞こえたようだ。
そのままベッドに横になる。
涙が次から次へとあふれ出てきた。
「フィル……、会いたいよう……」
姉に会えば、フィルのことも忘れられるかと思ったけど無理だった。
忘れられるはずがないのだ。
初めての彼女だったんだから。
いや、彼女ではない、か。
あれは、一緒に住むための口実だったわけだし――。
本当に異世界人だったのかなあ?
世界征服も本気だったのかなあ?
今となっては知るすべもない。
それなのに、そんなことがずっと気になって頭から離れなかった。
「あー、眠れねえや」
また独り言のように呟き、久々にパソコンの電源を入れた。
ニートのころは毎日のようにやっていたネットゲームも、最近は全くやっていない。
仕事で忙しいというのもある。
それになにより、この真新しいデスクトップを見るたびに、心が痛むから見ないようにしてきたのだ。
「あれ、なんだこれ?」
俺は見慣れないアイコンに気付いて、クリックする。
突然、画面が真っ暗になった。
「げげ。なんかのウィルスだったのかな。やべえ、どうしよう」
と、思っていたら、動画のようなものが再生され始めた。
画面に映し出されたのは――。
忘れもしない、フィルの姿だった。
「えっと、これで、いいのかな? うーん、パソコン勝手に使うと怒られちゃうかな、へへ。でも、どうしても伝えておきたいことがあるので、許してください」
画面の中のフィルが、軽く頭を下げる。
俺は、その画面を何も言わずに眺めることしかできなかった。
「あのね、私。マサトに謝らないといけないことがあるの。直接言うべきだと思ったんだけど、その勇気が持てませんでした」
視線をちらりと横に向けるフィル。
撮影場所は、以前の俺の部屋?
いつの間に、こんな映像を撮ったのだろうか。
「私、本当は――」
静かに告げられたその言葉は、俺の心に深く突き刺さるのだった。