ストップ温暖化法~おならは1日2回まで。3回以上は犯罪者?~
「待って! お願いよ! みんな、行かないで!」
クゥワント公爵家令嬢の悲痛な叫びが屋敷に響く。特殊任務を兼任していたメイドがこぞって辞職願いを出したのだ。
5人のメイドが、示し合わせたように背中を向ける。令嬢は一番近くにいたメイドの肩を掴んだ。
「ね? お願いよ! あなたたちがいないと私……!」
縋るような目をメイドに向けるが、メイドは肩の手をそっと振りほどき、目を伏せ、首を横に振った。
「申し訳ございません……」
「そんな……!」
一人、また一人と大切なメイドたちが扉の外に消えていく。
絶望して、その場に崩れ落ちるクゥワント公爵家令嬢。名は、リリシア・アリー・クゥワント。
音もなく落ちる涙を、次から次へと豪華に敷き詰められた絨毯が吸収していく。
その悲愴に震えるリリシアの肩に、メイド長のマリアの手がかけられた。救いの手と捉えたリリシアは縋るような瞳でマリアを見る。
「なりません」
「そんな……」
リリシアが生まれる前からクゥワント公爵家の侍女をしていたマリアだ。目の前で泣き崩れるリリシアを見て感情が揺さぶられないはずがない。が、しかし。
「リリシア様。ことは法律にかかわります。あの者たちが職を辞するのは当然のことですよ」
--事の起こりは、2週間前に立法された『ストップ温暖化法』。この国の温暖化は深刻だ。
研究の末、温暖化の原因が、人間からでる気体によるものだと判明した。
そして立法された『ストップ温暖化法』。当たり前だが人間、呼吸をやめれば死に至る。国とて、さすがに呼吸を止める法律は作れない。
そこで考えられたのが、おならを制限するというものだった。
この法律のため、特殊任務―――屁負比丘尼メイド(主が放屁すると誇り高く「私がしました」と言うメイド)がこぞって辞職することとなったのだ。
大きな翡翠の瞳に涙を目一杯ためたリリシアが、マリアに縋るような視線を向ける。
「……私に3回目のおならを我慢できると思う……?」
「……」
縋るようなリリシアの視線から逃げるようにマリアの目は伏せられた。それが答えだった。
その法律の施行細則に「おならは1日2回まで」と定められた。1日に軽く二桁は放屁してしまうリリシアに、その細則を守れるはずがなかった。
その法律は半年後から施行されるという。施行試験区域にクゥワント公爵家の領地が指定されなかったことだけが救いだ。
去りゆく特殊任務メイドに手をのばしながらリリシアは思う。
あぁ。前世もおならに人生をもっていかれたな、と。
……まぁ、そればかりでもなかったけれど。
リリシアは前世の記憶を持つ。前世は大往生した日本人だ。その記憶の中でもおならに苦しめられていた。
日本人だった前世。
なぜかリリシアの体は体育座りをすると、お腹に溜ったおならが肛門に集合する体質だった。しかも我慢すると体内に戻るときに音がなる体質で、その音が放屁音と同じなのだ。
我慢したにもかかわらず、疑われる。地獄だった。
そして今世もリリシアはおならに困っていた。生まれ変わっても腸内環境というものは受け継がれるものなのか。今世もぷっぷぷっぷとおならが肛門から出ていく。
そんなリリシアが前世の記憶に頼ったのは、後にも先にも|屁負比丘尼の導入だけだった。リリシアも精一杯我慢するが、それでもおならが出るときはある。恥ずかしくて仕方がない。そこで思いついたのが屁負比丘尼だった。リリシアのお小遣いから、基本給に危険手当を上乗せしてある。
だが、それももう、昔のことになる。メイドたちに去られてしまったのだから。
リリシアにだって理解はできる。自分の分に加えて、リリシアのおならまで請け負うのだ。犯罪者待ったなし。メイドたちはストップ温暖化法施行初日に牢屋に行くことになるだろう。
リリシアの頭に浮かぶは、犯罪者の掲示板。
『リリシア・アリー・クゥワント クゥワント領在住 ストップ温暖化法 不法行為 おなら1日23回したとして懲役2年に処す』
公爵家の一人娘として生まれ、民からの税により生活している我が身。家のため、公爵領のため、政略結婚をすることが己の役割だと考えてきたリリシア。
「このままじゃ、犯罪者になってしまう!!」
それも歴史上まれに見る羞恥罪だ。その1等賞に自分が片足突っ込んでいることが恐怖で仕方ない。
絶望のあまりリリシアはとうとうと泣き叫ぶ。
(どうしてこんなことに! 私の腸内環境は前世も今世も最悪! そもそも、人間が一日にするおならの数は10~20回のはずよ。前世で調べたもの。それなのに、2回までだなんて!)
おならの我慢は臓器を圧迫して便秘、ひいては腸閉塞につながることすらあるというのに。
前世、おならに苦しめられたリリシアは、おならに取り憑かれたようにおならについてネット検索したのだ。
リリシアのおなら知識はわりとすごい。自他共に認めるおなら博士だ。
そして、今世は前世よりも途上段階の世界なので、その知識があるとは思えなかった。
だって、分かってたら1日2回なんてありえないから。
そんなことを頭では冷静に考えながらも、自分の行く末を考えると体は涙を次から次へとこぼす。むせび泣いていると少し低めの男の声がした。
「……どうしたんだ? リリシア」
むせび泣くリリシアを前に声の主―アランは心配そうにリリシアに声をかける。床に膝をついて絨毯に涙を吸わせ続けるリリシアに何事かと、眉を寄せている。
「お義兄さま……」
「……どうしたんだ? リリシア? なにか悲しいことでもあったのかな?」
「えぇ、えぇ! お義兄さま!!!」
泣きすぎて目を腫らしたリリシアは、それでも涙を流し続ける。義妹を大切に思うアランが、頬をつたう涙をそっと拭う。
リリシアとアランは血の繋がらない兄妹だ。現クゥワント公爵はなかなか子宝に恵まれなかった。遠縁のアランを養子にとった3年後にリリシアが産まれたのだ。そのため、アランはリリシアを生まれたときから知っている。かわいいかわいい妹だ。
「特殊任務を与えていたメイドたちがこぞってやめてしまいましたの!! わたくし、これからどうすれば……?」
アランはリリシアがメイドに屁負比丘尼をさせていたことを知っている。明らかにリリシアの方から聞こえた放屁音。だのに、「私です」と挙手するメイド。
最初はアランも困惑したが、リリシアが放屁を恥ずかしがるあまりに雇ったメイドなのだろうと結論づけた。
リリシアの気持ちも分かる。しかし、屁負比丘尼ごとリリシアの放屁は居合わせた全ての者にバレている。
おならが出ないように食事に気をつけているのも、運動に勤しんでいるのもアランは見てきた。だからアランはいつも騙されているふりをしていた。
アランにも屁負比丘尼のことは伏せていたリリシアであったが、気が動転しているため「特殊任務を与えていたメイドが」とか言ってしまっている。
(さて、どう反応したものか。私は気付いていないことになっているからな)
アランが次の言葉を考えている間に、リリシアが口を開いた。
「お義兄さまは一日に何度、おならをいたしますの?」
「……は?」
意味の分からない質問にアランは呆然とする。いや、意味は分かるが、誰でも応えたくはない質問だろう。親しき仲にも礼儀ありだ。
「いや……」
「お義兄さま!! お義兄さまは、このたび立法したストップ温暖化法をいかが思いまして? 私には世の全ての人間のおならが1日2回で済むなんて到底思えませんの!」
力一杯両手を握って、アランに前のめりになるリリシア。
ぷっ。
何か音が聞こえたが心優しい義兄は、何も聞こえなかったように返事をした。
「私もあの法は厳しいと思っているよ」
「そうですわよね!?」
「あ、あぁ」
「わたくし、人が一日にするおならの回数は10~20回だと何かで読んだことがあります」
「10回?」
アランは首を傾げる。自分は1日10回もおならをしていただろうか?
(いや。人によって違うのかもしれない……)
「そうだわ!」
ぷひっ!
(なんだ、今の音は……?!)
「施行されてしまったら逃げ場がなくなるもの。その前に領民にアンケートをとりましょう!」
「……アンケートとはなんだ?」
さっきの“ぷひっ!”の音の正体が分からないまま、次の謎が出てきてアランは思考が追いつかない。
「意見聴取ですわ。人の一日のおならの平均回数をだして、それを宰相に提出するのですわ!」
「いえ、中央値の方が適切かしら……? あるいは最頻値……?」とかなんとか、ぶつぶつ呟くリリシアの横でアランは思う。
(なぜ、リリシアが中央値や最頻値の言葉を知っているんだ? それにアンケート。そんな言葉、この世界にはない……)
アランもまた転生者であった。リリシアが屁負比丘尼のまねごとをメイドにさせていることに気付いたときはもしかして、と思ったが、屁負比丘尼の役割自体はちょっと考えれて膨大な財力があれば実現が可能だ。
だが今、リリシアは、はっきりと“アンケート”といい、平均値どころか、中央値、最頻値と言っている。表計算でもしているかのような言葉だ。完全に“エクセル”が頭に浮かんでいる。
視線をリリシアに向けたままアランは考えた。
(いや、絶対こいつも転生者だろ。それも俺と近い時代の生まれ変わりだ)
目の前をリリシアが行ったり来たりする。その行動の癖にアランは見覚えがあった。
(……いや、そんなはずはない。さすがに、知り合いではないだろう)
「お義兄さま! そうと決まればわたくし行ってきますわ!」
(……この思い立ったが吉日な、動き……。まさか、な)
アランが、こいつは俺の知り合いじゃないか、いやいや、そんな都合良く同じ時代に生まれ変わらないだろうと、自分の考えを行きつ戻りつしていると、気付いたときにはリリシアはいなかった。
そこに残るはかぐわしい香りだけ。
(臭っ!……このにおいも。いやいや、そんなはずは)
***
アラン・クゥワント。前世の名は、山田太郎という。今の華やかな名前には齢22にしてもまだ慣れない。太郎は日本生まれ日本育ち。平凡な家庭で育った平凡な子供だった。平凡を絵に描いたような生活の中で知り合ったのが、非凡な花子だった。
花子との出会いは衝撃だった。何でもない学校の帰り道、前を横切った少女から放屁の音がしたのだ。公共の場でまさか、そんなはず。と首をかしげる間に、またもう一音聞こえてくる。腕を組んで首の下に指をあてたまま、目の前を右往左往する少女。放屁とともに。
何かフランス料理のコースの一つにありそうなタイトルができたと太郎は思った。いや、「目の前を右往左往する少女~放屁を添えて~」だとデザートのようではないか。
そんなどうでもいいことを考えている間にも、目の前を右往左往しながら放屁する少女。目が離せなかった。まるで音が鳴るベビーシューズのようだった。
凝視に気付いた少女は、太郎を見つけると、ツンとそっぽ向いてその場を離れた。
「えぇぇぇぇぇえーーーーー?」
衝撃でしかない。目の前で散々屁をこかれたうえに、悪態をつかれたのだから。そして、残る放屁臭。
「臭っ!」
それから数年後、太郎は高校生になっていた。そして、またあの道を通ることになる。ある日の帰り道、腕を組んで首の下に指をあてたまま目の前を右往左往する女性。放屁とともに。
太郎の頭には、「目の前を右往左往する少女~放屁を添えて~」が過った。そして、香るはあの匂い。
「臭っ!」
思わず口をついて出てしまった。
目の前を右往左往していた女性が太郎に気付く。目が合うと顔を真っ赤にして逃げて行ってしまった。
運命だと感じた太郎は彼女を追いかけ、その手を掴んだ。そこでもまた鳴る一音。
あの日、ツンとそっぽを向いて行ってしまった少女は、羞恥心を覚え、今は目の前で赤面している。
彼女の成長をずっと傍で見守っていきたいと思った太郎だった。
リリシアのおならに対する執着と知識が、二人を同一人物に思わせたのだった。花子もまたおなら博士だったのだ。
***
リリシアの行動力は高位の貴族令嬢とは思えないほどのものだった。たった二日で領民全員のおならの回数を聞き出してきたのだ。
その血走って、ちょっとイってしまっている目を見るだけで、メイドや執事に頼らず自分で聞き出してきたのが分かる。
「お義兄さま! やはり、だいたいの領民が1日10~20回だと供述しました!」
(供述とか言ってるし……。刑事にでもなったつもりか)
「そうか」
アランは、いろんな感情を飲み込んで、ふんわりと微笑む程度にとどめた。
「多くて30回の者もいましたわ! わたくしの40回を……コホンコホン。とにかく! これは由々しき事態です。このまま行けば、我がクゥワント公爵領は、ストップ温暖化法施行と同時に領民を失うことになります! 緑豊かな保養所を売りにしている我が領が、おならのために犯罪者の掃きだめ扱いです!」
(やはり40回か……)
「くそっ。おならのせいで……!」
(くそっ。とか言っちゃってるし。もう既視感しかない)
「お義兄さま! 聞いていますの? 我が領が犯罪都市になってしまいますのよ?」
「あ、あぁ。宰相にそのアンケート……だったか。を見せて直談判するんだったか?」
「えぇ。お義兄さま、伝手がありましたわよね?」
***
(俺は今いったい何を見せられているんだ?)
アランの目の前では、石板にチョークで殴り書きしながら必死な形相で説明するリリシアと、その気迫に押され気味の宰相ヨーランドがいた。
石板には“我が領のおなら平均=10~20回!!"と書かれている。10~20回は三重下線付きだ。
「いいですこと? ヨーランドさま!! 我が領の領民全てに聴取したところ、やはり、1日のおならの回数が2回というのは無理があると判明しました!」
押され気味のヨーランドは、目元を引きつらせながら答えた。
「そうは言ってもこれは議会で正式に決まったことだ。今更覆すことはできん」
そんな決まり文句で引くリリシアではない。してもいない眼鏡を直すしぐさのあと、ヨーランドを見据える。
「では伺います、ヨーランドさま。本日。朝目覚めてからこれまでに何回おならをしましたか?」
「……そんなことなぜ……」
「ヨーランドさま!! ここを曖昧にしてはなりません! なぜだか分かりますか?」
「いや……」
「もし。もしも、ですわよ? ヨーランドさまが本日すでに2回おならをしていたとしましょう」
「していたとしよう……」
ヨーランドの生唾を飲み込む音がアランの耳にもしっかりと届いた。
絶対、ヨーランドは2回以上おならをしている。それは、アラン同様、リリシアにとっても確信だったのは、リリシアのニヤリと歪んだ口元が物語っていた。
「本日中に、あと1回おならをしたらどうなりますか?」
「……犯罪者になるな」
「それを踏まえて、あえて、もう一度お伝えいたします。この法律は無理があります!」
ソファから少し腰を浮かせて前のめりになって聞いていたヨーランドは、はっとしたように深く座りなおした。
「しかしだな。これは議会で正式に決まったことで……」
「そもそも! おならが温暖化の原因になると誰が! なんの根拠があって! 提案したというのです!? そもそも2回というのはどこからでてきた数字なんですの?」
「クーシャ博士(温暖化研究の第一人者)が、温暖化はなんらかのガスが原因だというところまで突き止めたのだ」
「……はぁぁ? ゴホンゴホン、、失礼しました。それでは、なんらかのガスという理由で、おならが原因だと? それは怠慢ではないですか? 事実が明らかになっていないものを先に規制して、民を苦しめるのはいかがなものでしょうか? だいたい、そのクーシャ博士は、おならの我慢は、腸内にたまったガスが腸壁を圧迫して、ひいては下血の原因にもなりうるということをご存知なんでしょうか?」
出るわ出るわのおなら知識。そんなところにもアランは既視感を覚えずにはいられなかった。
花子もまたリリシアのように、ことおならの話題に関しては饒舌だった。
そういえば、前世で花子と"おならと空気"について話したことがあったなとアランは思い出す。
「なぁ、花子?」
「なぁに? 太郎?」
「花子は人よりたくさん、おならをするだろう?」
「えぇ、そうね」
「人間の呼気には二酸化炭素が含まれているだろ? おならにも二酸化炭素が含まれているのではないか? だから、もしかしたら、花子の周りは通常より空気が薄いのではないかと考えたんだ。それに、時々、俺も花子といると空気が薄いと感じるときがあるんだ」
「あら、太郎。それは違うわ。おならの主成分は窒素よ。二酸化炭素や水素、メタンも含まれているけど、人間が出す量なんてせいぜい20~200ml。室内の空気の構成割合を変化させるほどの量ではないわ」
「ではなぜ、花子の近くにいると空気が薄い感じがするのだろうか?」
「それは太郎。恐らくだけど、それは臭くて鼻で息するのを無意識にやめているからだわ」
「なるほど。そういうことか。さすがは自他共に認めるおなら博士だ」
「まぁね」
得意げに言った花子の表情が曇った。不安そうな顔で太郎を見上げる。
「……私といると息苦しいの?」
「たまに驚くことはあるけど、不思議と嫌じゃないんだ。花子ほど一緒にいて楽しい人はいないし、今じゃその臭いも含めて落ち着くんだ」
「太郎ったら!」
ぶひっ
「よいしょ⤴️」
「太郎ったら、なにその合いの手!」
「そう言いたくなったんだ」
「やだ、太郎ったら」
ふふふ、あははは……
花子とのそんな会話を思い出したアランは、リリシアに投げかけてみる。
「リリシア。おならと健康について話すことも大事だけど、おならが温暖化に影響していないと考える根拠も伝えておかないと」
アランは、ヨーランドに攻め立てる様に"おならと健康"について話すリリシアを一旦とめた。
横目にホッとしたように、額の汗をハンカチで拭っているヨーランドが見えたが、安心するのはまだ早い。第一ラウンドが終わって第二ラウンドに入っただけのことだ。
「そうね! それを伝えておかないといけないわ。ヨーランドさま」
リリシアが視線をアランからヨーランドに戻すと、ヨーランドの肩がびくっと上がった。
「おならの構成割合ですが、そのときのその人の体調にもよりますが、20~90%が窒素で、10~30%が二酸化炭素、0~10%が酸素、0~50%が水素、0~10%がメタンなんですわ。他に臭いの元として……」
アランは、勢いよく饒舌に話すリリシアを凝視する。内容も然り、花子としか思えない。
バンっ! と勢いよくリリシアが机を両手で叩きつけた。
「ですから! 温暖化に影響する可能性なんてゼロに等しいです。人間から出るおならの二酸化炭素とメタンを温暖化の原因だとするなら、草木を増やせばいいのです。メタンは大気中で分解されて二酸化炭素になります。草木は二酸化炭素を酸素に変えてくれます。人のおなら由来のガスが年10~20gに対して、木1本が吸う二酸化炭素は年10,000~20,000gです。木1本で余裕で数百~1,000人分以上のおならを余裕で相殺できます。我がクゥワント領は、緑豊かな保養所を売りにしております。その点はいくらでもご協力できましょう」
勢いに押され気味のヨーランドがコホンと息をついた。
「リリシア嬢の言い分は分かった。だがクーシャ博士はそのようなこと言ってはいなかった。リリシア嬢ほどの詳細なガスの名称も分かっていないようだった。して、君はどこからその情報を得たのだ?」
リリシアがグッと息をつまらせた。「前世の記憶です」とは言えないのだろう。だからと言って、本物の博士も知りえない事実を、齢16の少女が知っているのはおかしい。だが、全てが作り話だとは思えないほど、情報が正確すぎた。
しばし沈黙の時間が流れ、覚悟を決めたように下唇を噛んだリリシアが顔をあげた。そしてまっすぐにヨーランドを見据える。
「ヨーランドさま。これは夢の中で得た知識です。ですから、信じる信じないはヨーランドさまにお任せするほかありません。ですが、最後に……」
まだ何かあるのか、とヨーランドが身構えたのが分かった。
「我が領が納めている税についてです。当然ながら民あってのものです。おならを3回したことで犯罪者に落とし牢屋に入れる。我が領のアンケー……聞き取り調査では1日10回から20回。施行したその日に全ての領民がお縄にかかることでしょう。間違いなく翌年からの税は納めることができないのは明らかです。そして、これは我が領に限ったことではないことは、ヨーランドさまにもよくお分かりでしょう?」
リリシアは暗にヨーランドに「お前も今日すでに2回以上ぶっ放してんだから分かるよな? あぁん?」と言っている。
今度はその副音声を正しく理解したヨーランドが息を詰まらせた。
「私だってこんな法律嫌だ。屁ぐらい好きにさせてくれ」と、心の声が漏れている。
思考をまとめるように考え込んだヨーランドは、勢いよく立ち上がり、従僕に向かって叫ぶように言った。
「直ちに議会メンバーを集めろ! ストップ温暖化法を再検討する!」
ストップ温暖化法、施行試験区域への実施は明日に迫っていた。
***
「お義兄さまのお力添えもあって、なんとか、1日2回までのおならの制限を阻止することができましたわ」
「いや、全てリリシアが一人でやったことだ。俺がしたことなんてヨーランドに連絡を取ったくらいだ」
「やだわ、お義兄さま。その調整がなかったら、わたくしはヨーランドさまに直談判することさえ叶わなかったのですよ」
「あぁ。そうだな」
ストップ温暖化法の細則を食い止めることができたのを知ったのは、施行試験区域への実施予定の1週間後だった。当初は、実施を延期するとされていたが、1週間後には、細則に不備があったとして中止となったのだった。
リリシアの願いが叶った翌日。アランとリリシアは庭園で、咲き誇る薔薇を愛でながらティータイムを楽しんでいた。
昼下がりの生温かい風が、何かの臭いとともにアランの髪を揺らし、鼻を刺激した。しかし、アランにとってはそんなこと最早どうでも良かった。
前世も合わせると、リリシアの屁を嗅ぐのは100万回は優に超えているのだから。
それよりも、と、アランは思う。
この目の前にいるリリシアは絶対に花子でしかないと。
右往左往しながら、放屁、考え事をする女など花子くらいだし、おなら博士だし。なによりも、1日40回とは花子と同じ放屁数だし、臭いが花子でしかなかった。
前世、太郎は花子に聞いたことがある。
「花子は1日40回は屁おならが出ると言っていたけど、授業中は大丈夫なのかい?」
「私もそれはいつも心配なのだけれど、授業に集中しているから大丈夫みたいだわ」
「花子のおならは集中力と因果関係があるのか?」
「そう思うでしょう? 私もそれについては疑問に思って、1ヶ月間、各行動別におならの回数をカウントしてみたの」
「1ヶ月もの間? それはとんだビッグデータだ」
太郎が外国人のように両手を開き首を傾げてみせると、得意げな顔で花子が答えた。
「そうでしょう? データは多いほどいいわ。それでその因果関係を明らかにするためには、やはり最頻値が適切だと思って、最頻値を使ったわ」
「最頻値……。エクセルにおこしたの?」
「えぇ。数字で物事を立証するとき、エクセルはとても便利だわ」
「それで、どんな結果に?」
「私が集中力を使う必要があるときって、授業中や考え事をしているときだわ。あとは宿題をしているときなんかも。それで分かったのだけれど、私はリラックスした状態で集中力を必要としているとおならが出てしまうみたいなの。授業中みたいにある種の緊張状態も伴う場合はおならは出ないみたい」
「私の場合はね」と、花子が照れたように舌をだした。すこぶるかわいい。それしかない。
花子は自分の前でリラックスしているから、しょっちゅう屁が出るのだ。太郎にとって花子の屁もまた愛でる対象でしかなかった。
と、言うことは。
ヨーランドの前での熱弁では出なかった屁が、アランの前では無意識に出ていたということで。
「だけど、リリシア。もしかしたら、細則を罰金刑にして、お金を払えばすぐに保釈という意見も出たんだって」
「えぇ、そうですわよね。その可能性も考えておりました。ですが、その罰金額は如何様に決めるのでしょうね? 3回以上が1マンドリンとして4回はおいくらにするつもりでしょうか? 3回と4回にどの程度の差をつけるつもりでしょう? ……それに、税収入を危ぶんで細則を取り消すのであれば、罰金刑は現実的ではないわ。領地によっては農作物で納めているところもあるというのに……」
「あぁ。罰金を払うまで閉じ込めておけば収穫は得られない。それに気付いたら、おなら2回までというのも非現実的であることに気付いたらしい」
「まぁ、呆れた。わたくしがあのように丁寧に我が領の人口と性別、年齢と掛け合わせた、おなら回数を提出したというのに」
「そうだよな。いつだって民の声が行政に届くには時間がかかる。だけど、細則は流れた。リリシアのおかげだ」
褒め称えるアランをよそにリリシアは悲しそうに目を伏せる。
「どうしたんだい? そんなに悲しそうな顔をして」
「だって。結局は税金目当てに渋々細則を撤回したわけでしょう?」
「あぁ、思い通りの結果だろう?」
「……そうですけど」
そうは言いながらも不満そうに頬を膨らませるリリシアの顔をアランはのぞき込んだ。ばちっと合った視線をそらしたリリシアが気まずそうに言う。
「あんなにおならの話をしたのよ? おならで勝ちたかったわ」
悔しそうに親指を噛んでいるリリシアは「こんなんじゃ、おなら博士の名が廃るわ」とかなんとか言っている。
アランにはそれが懐かしい光景だった。
花子は考えごとがあると右往左往、悔しいと親指を噛んで、嬉しいと花が開くように笑って、恥ずかしいと頬を染めて伏し目がちに笑う。
アランは花子のことをよく覚えている。太郎だったころから、次も花子と添い遂げたいと思っていたのだから。
「仕方ないさ。国益を考えると、まず先に争点にできるのは税金だ」
「そうですけど……。納得が……」
ぷぅ
「よいしょ⤴️」
ここ数週間、前世の記憶を辿っていたアランは、思わず太郎だったときと同じように、リリシアの屁に合いの手を入れてしまった。
目をまん丸にしたリリシアがアランの瞳にうつる。
「まさか、お義兄さまは……」
リリシアの翡翠の瞳が懐かしむように揺れた。
「太郎……なの……?」
リリシアのその一言がアランの瞳の奥を熱くさせる。
「あぁ。リリシアは花子だろう?」
静かに頷くリリシア。
二人は引力に導かれるように手を取り合い、互いの顔を近づけ……
ぷっ
――閉じかけた2人の目が、同時に見開かれ、視線が合う。
リリシアは恥ずかしげな、アランは楽しげな、笑みを浮かべる。
そして--
2人の距離は重なる。
「今世もずっと一緒?」
「当たり前だろ」
ぷぅ
「……もうやだ。この体」
「何言ってるの? 最高だよ」




