『断罪された王子は、正しく裁かれてはいない』─この断罪は間違っている。でも、俺は無垢じゃない─
この物語は、いわゆる「冤罪断罪もの」です。
でも、完全無欠の被害者が報われる話ではありません。
裁きが間違っていることと、
その人間が無垢であることは、同じではない。
その二つを切り分けて描いてみたくて、この短編を書きました。
正しく裁かれなかった人間は救われるべきなのか。
それとも、裁かれなかった責任を、自分で背負うべきなのか。
答えは一つではありません。
これは「ざまぁ」ではなく、
「裁かれなかった男が、自分をどう扱うか」の話です。
玉座の間は、冬の石壁みたいに冷えていた。
高い天井に吊られたシャンデリアが煌々と照らすのに、空気だけが沈み、貴族たちの絹擦れの音がやけに耳につく。最前列には大神殿の高位聖職者、左右に重臣、背後に近衛。その外側を埋めるのは、判決を“見物”しに来た諸侯と騒がしい噂話だ。
断罪台の前に立つ第三王子レオニスは、鎧も外套も着けていなかった。王族の礼装だけ。剣帯すらない。剣を奪われたというより、最初から必要ないと言われたような格好だった。
正面に座す国王は、老いた目で息子を見ていた。目を逸らすことも、助け舟を出すこともない。左右に立つ第一王子アルベルトと第二王子カイムの表情が、対照的だった。アルベルトは硬く唇を結び、まだ「正しさ」を信じたい顔をしている。カイムは、微かな笑みの影を消しきれない。
「これより、第三王子レオニスに対する断罪審を執り行う」
宣告は、宰相グラーフの声だった。老獪な官僚の声音は、感情を一切混ぜない。だからこそ、今日ここで“感情の処刑”が行われるのだと分かる。
罪状が読み上げられる。
聖女セレスティアへの迫害。神殿への不敬。政敵暗殺の指示。王家金庫の横領。禁呪の使用。敵国との内通――。
一つ一つが、流行りの悪役譚みたいに整いすぎていた。民衆が熱狂する筋書きとしては、完璧だ。悪者がいて、清らかな聖女がいて、正義が勝つ。世界は分かりやすくなる。
「……以上。弁明はあるか、レオニス」
宰相が問う。目の前の王子は、肩をすくめもせず、ただ淡々と息を吸った。
「弁明というより、整理をしたい。罪状は五つに分かれているが、今の読み上げは意図的に混ぜている。混ぜれば、聴衆は“どれか一つは本当だろう”と思う。だが、裁きは混ぜ物でしてはいけない」
ざわり、と波が立つ。第一王子がわずかに目を見開いた。カイムは愉快そうに眉を上げる。
「よろしい。整理とやらを許す。ただし、虚偽があればその場で打ち切る」
「虚偽はない。虚偽があるなら、今日ここに立っていない」
レオニスは正面を向いたまま言った。視線の先には、国王と、そのさらに上、王家の紋章。彼はそこに向かって話しているようでもあり、あるいは自分に言い聞かせているようでもあった。
最初に呼び出されたのは、神殿側の証人だった。聖女セレスティア本人。白い法衣の裾が床を滑り、光が彼女の髪を透かす。見る者に“清らかさ”を信じさせるには十分な存在だ。
「第三王子は、あなたを迫害したと」
宰相が確認する。
セレスティアは、目を伏せたまま頷いた。「……はい。わたしは、神殿の御前で辱めを受けました。王子は、わたしの力を『王家の道具』と言い、拒めば――」
そこで彼女は言葉を切り、周囲の目に押されるように続ける。「拒めば、わたしの出自を暴き、神殿の保護を奪うと」
民衆席から低い怒りの唸りが上がった。貴族たちも頷き合う。もう決まった、と言わんばかりに。
だがレオニスは、表情を変えない。
「確認したい。辱めを受けたのは、いつだ」
「……秋の大祈祷の前夜です」
「場所は?」
「神殿の奥の間」
「その場にいた者は、聖女と私以外に?」
セレスティアは一瞬、迷い、そして言った。「……神官長が」
「神官長。では今ここにいる神官長に、同じ質問を」
レオニスが視線を送ると、神官長は胸を張って頷いた。「確かに、その夜、私は奥の間へ通された。聖女を慰め、王子に抗議した」
「抗議した、というが。抗議の記録は?」
「神殿内での出来事を、王家に文書で出す必要があるか」
「必要がある。君たちは“王家に断罪を求めた”。なら、手続きは王家のものだ」
言い返しが短くなる。宰相が、紙束を一つ差し出した。王家への正式な申立書――そこにある日付は“秋の大祈祷の三日後”。
レオニスは淡々と告げる。「前夜に辱めを受け、三日後に申立てた。遅いとは言わない。だが、三日の空白に、誰が聖女と神官長に接触した?」
場が静まり返る。
「聖女。あなたは、申立ての文書に署名をしたか」
「……はい」
「自筆か」
「……はい」
「署名は確かにあなたのものだ。ただし、文面はあなたが書いていない。言い切れる。字癖が違う。書き手は法務官の癖がある。神殿内の者ではない」
ざわめきが広がる。宰相が目を細めた。第一王子の表情が揺れる。第二王子は、ようやく笑みを消した。
「証拠は」
レオニスは、後方へ目をやった。控えていた側近、ラウルが一歩前に出る。騎士でありながら、書類の束を抱えたその姿は異様だった。彼は無言で、いくつかの文書を宰相に渡す。
「法務局の起案控えです。申立書の草案が、法務局内で作られています。作成者は――」
宰相が目を走らせ、読み上げる。「第二王子府付き法務官、ノルド……」
「裁きの場に、裁く側の手が入っている。それが第一点」
レオニスは声を荒げない。怒りも嘆きも混ぜない。ただ“事務”として言う。その冷たさが、逆に刺さった。
「第二点。辱めを受けたという奥の間。その夜、私は王城にいた。離宮の会議ではない。王城の財務会議だ。出席者は十二名。議事録は残っている。私が二時間以上席を外した記録はない」
「……それでも、密かに抜けた可能性は」
誰かが言った。レオニスは頷く。
「可能性はある。だから私はさらに第三点を出す。神殿の奥の間へ通じる回廊は、夜間は結界が張られる。結界を通れるのは、神官長の印章を持つ者だけだ。私が入ったなら、結界が記録する。神官長、あなたの印章の記録を提示してほしい」
神官長の顔色が変わった。わずかに、汗がにじむ。
「……結界記録は、神殿の秘事だ」
「断罪を求めておきながら、秘事を理由に検証を拒むなら、これは裁判ではない。劇だ」
その言葉が、玉座の間の空気を一段深く沈めた。
宰相が、短く命じる。「結界記録を提出せよ。拒めば、神殿の申立ては形式不備とする」
神官長は唇を噛み、やがて首を垂れた。記録が提出される。そこにあるのは、レオニスの印章の痕跡ではなく――神官長自身の印章が、その夜、奥の間へ出入りした記録だった。
「聖女」
レオニスは、初めてセレスティアを真っ直ぐ見た。「あなたは辱めを受けた。それは否定しない。だが、それを私の名で包んだ者がいる。あなたは、その“誰か”に守られていると信じたのか」
セレスティアの肩が震えた。彼女は目を潤ませ、しかし涙を落とさないまま言った。「……わたしは、怖かった。神殿も、王家も。誰を信じればいいか分からなかった」
「なら、今ここで、あなた自身の言葉で言うといい。あなたを辱めたのは、私か。違うか」
長い沈黙のあと、セレスティアは小さく首を振った。「……違います」
その瞬間、貴族席のあちこちで息が詰まる音がした。
「聖女への迫害は成立しない」
宰相が、淡々と記録に落とす。
続いて政敵暗殺。証拠として提出されたのは、血塗られた短剣と、王子の命令書とされる文書、そして“告発者”である中級貴族の証言だった。
レオニスは、短剣を一瞥しただけで言った。「その短剣の柄には、王家の工房印がある。だが、工房印は偽造できる。確認すべきは刃の鍛造線だ。これは王家の鍛冶師のものではない。北方の鍛造だ」
「なぜ分かる」
「北方戦線に三年いた。死体より多く刃を見た」
言葉は淡々としているのに、場がざわつく。第三王子は“血の現場”を知っている。そのこと自体が、彼を悪役に見せる。
「命令書については、封蝋が違う。王子府の封蝋は獅子だが、これは王城公文書の鷲。混ぜたな。加えて、この紙は王子府の用紙ではない。王子府は亜麻紙、これは羊皮紙。王子府で羊皮紙を使うのは国際条約だけだ」
「細かい言い逃れだ」
誰かが吐き捨てる。レオニスは否定しない。
「細かい。だが、裁きは細かさでしか正しくなれない。大雑把な裁きは、いつも誰かを殺す」
そして彼は告発者に向き直った。「あなたは、私が暗殺を命じたと言った。場所は酒場、夜半、二人きりで。そうだな」
「そうだ! 私に向かって、邪魔者を消せと――」
「私が酒場へ行くときは、必ず護衛が二名付く。王子としての規定だ。護衛がいない夜半の酒場など、存在しない。護衛を外したとするなら、それを命じられるのは国王陛下だけだ」
国王の眉がわずかに動いた。宰相が、喉の奥で息を吸う音がした。
「護衛名簿と、当夜の詰所記録を出せ」
宰相が命じる。記録は残っていた。第三王子はその夜、酒場にいない。王城の詰所に護衛の交代記録がある。さらに、告発者が受け取ったという金貨の出所も、辿れば第二王子府の会計へ繋がった。
「暗殺の罪状も成立しない」
宰相が記す。その筆先が、わずかに重くなった気がした。
横領も、禁呪も、同じ調子で崩れていく。帳簿は改竄され、印章は偽造され、魔術痕跡は“似せた別術式”だった。王子が冷酷だと嫌われていた分だけ、「やりそうだ」と思わせる要素だけが綺麗に並べられていた。
裁きは崩れた。崩れたはずなのに、玉座の間の空気は軽くならない。
なぜなら、崩れていくほどに、第三王子が「正しい」ことが証明されるほどに、彼はますます“悪役”に見えたからだ。
怒鳴らない。泣かない。潔白を誇らない。相手を罵らない。
ただ、手続きを正し、証拠を正し、嘘を正す。
その姿は、正義の英雄ではなく、冷たい裁定者だった。人の感情を置き去りにする者に見えた。
最後に残ったのは、敵国との内通――最も重い罪状だった。
宰相が問い直す。「第三王子レオニス。敵国ヴァルグとの内通について、弁明は」
レオニスは、ほんのわずかに視線を落とした。初めて見せる、疲労の陰だった。
「内通という言葉は便利だ。交渉も、停戦も、条約も、内通と呼べる。だが、罪状は“王国を害する意図で敵に利した”ことだ。私は、その意図で動いたことはない」
「では、敵国と秘密裏に接触した事実は」
「ある」
ざわり、と一斉に波が立つ。第一王子が思わず一歩踏み出しかけ、止まった。第二王子の目が鋭く光る。国王は動かない。
宰相の声が低くなる。「続けよ」
「三年前、北方戦線が破綻しかけた。補給路は絶たれ、兵は凍え、村々は焼かれる寸前だった。あのまま押し込まれれば、首都まで半年。王家は二つの選択肢しかなかった。全面動員して内政を崩壊させるか、切り札を切って戦線を止めるか」
レオニスは、そこで一度息を吸った。
「私は切り札を切った。敵将と接触し、戦線を止める条件を作った。公文書にできない条件を」
「何を差し出した」
宰相の問いは鋭い。貴族たちが息を呑む。セレスティアが小さく手を握りしめた。
レオニスは、言葉を選ぶように唇を閉じ、そして開いた。
「言わない」
「……なんだと」
「言えば、王国はもう一度戦争をする。条件は、今も効いている。今ここで暴けば、敵は“破られた”と宣言する。犠牲は民だ。私は、その犠牲を増やすために潔白を得るつもりはない」
怒号が上がった。「卑怯だ」「なら有罪だ」「何を隠している!」――人は、分からないものを恐れ、恐れたものを裁く。
レオニスは、その怒号を受け止めて言った。
「この断罪は間違っている。でも、俺は無垢じゃない」
一人称が変わったことに気づいた者は少ない。王子としてではなく、人間として言った瞬間だった。
「俺は、汚れ役を引き受けた。そうしないと国が保たなかったからだと言いたいわけじゃない。選んだのは俺だ。誰かの家を潰し、誰かの出世を止め、誰かの誇りを折り、必要なら笑顔のまま処分もした。結果、国は生き延びた。だが、その過程で踏みつけたものは戻らない」
第一王子アルベルトが、声を絞り出した。「だからといって……冤罪を受け入れるのか。お前は、何のために……」
レオニスは兄を見た。「受け入れない。冤罪は潰す。なぜなら、冤罪を許せば、次はお前が殺される。次は聖女が殺される。次は、誰でもいい。正しく裁かれない国は、正しい者から順に消える」
彼はゆっくりと視線を巡らせ、貴族たちを見た。民衆席の方を見た。神殿を見た。
「だが同時に、俺は“許される側”に立つ気もない。俺がやったことの全部が罪になるとは思わない。けれど、俺がやったことの全部が正しいとも思わない。だから、今日の裁きが崩れたからといって、俺が英雄になる筋はない」
宰相が静かに問う。「第三王子レオニス。ならば、そなたは何を望む」
レオニスは、国王を見た。玉座の上の老王は、ようやく口を開いた。
「……お前は、何を差し出した」
父の声には、恐れと、怒りと、そして諦めが混ざっていた。王は知っている。息子が切り札を切ったことを。切り札を切らせたのが自分であることを。
レオニスは、首を振った。「陛下。今それを言えば、王国は揺れる。揺れれば、今度はあなたが選ぶことになる。民を守るために何を捨てるかを。俺は、あなたにその選択をもうさせない」
「……生意気な」
国王はそう言いながら、目を閉じた。怒りより先に、疲れが滲む。
宰相が、判決文のための言葉を組み立てるようにゆっくりと宣告した。
「聖女迫害、政敵暗殺、横領、禁呪使用――いずれも立証されず。よって無罪。敵国との内通については、秘密接触の事実は認めるが、国益を害する意図の立証に至らず。よって、罪に問わず」
玉座の間が、奇妙な静けさに包まれた。無罪――その言葉が落ちたのに、歓声が起きない。ざまぁの快感も、拍手もない。
代わりに、残ったのは「では、この男をどう扱えばいい」という空白だった。
その空白を埋めたのは、伯爵令嬢エリシアだった。
彼女は最前列から進み出た。淡い青のドレスの裾が、石床に静かに触れる。婚約者としての席に座っていた彼女は、ずっと沈黙していた。泣きもしない。怒りもしない。ただ、見ていた。
彼女はレオニスの前に立ち、深く一礼した。
「第三王子殿下」
声は震えていない。「殿下は、正しく裁かれてはいませんでした。今日の断罪は間違っていました。それは、誰の目にも明らかです」
貴族たちが息を呑む。婚約者が擁護する――物語としては美しい。だが、彼女の目は美談を拒む硬さを宿していた。
「けれど……殿下が無垢ではないことも、分かりました」
その言葉に、レオニスの瞳がわずかに揺れた。初めて、剣で斬られたような表情が浮かぶ。
エリシアは続ける。「わたしは殿下を、善人だと思って婚約したわけではありません。王家のために、国のために、冷たい決断ができる方だと思った。だから――怖かったのです。同時に、頼もしいとも思った」
彼女は唇を噛み、しかしまっすぐに言った。
「でも、今日分かった。殿下は、冷たいのではない。冷たく“なった”のだと。誰かにそうさせられ、あるいは自分でそう選び、そして……戻れなくなったのだと」
レオニスは何も言わない。言えば、何かが崩れる気がした。
エリシアは最後に、はっきりと宣言した。「わたしは、殿下を裁けません。裁く資格がありません。でも、許すこともできません。だから、婚約は――ここで破棄させてください」
悲鳴のようなざわめきが起きた。第一王子が叫びかけ、止まる。第二王子は唇を歪めたが、何も言えない。国王は、ただ黙っていた。
レオニスは、ようやく小さく頷いた。「……それが正しい」
エリシアは一礼し、踵を返した。その背中は、強かった。彼女は被害者にも、悲劇のヒロインにもならない。今日ここで、王子を理解したが、同時に王子から距離を取ることを選んだ。
宰相が、形式的に問いを投げる。「第三王子レオニス。無罪である。ゆえに王位継承権も、法的には失わぬ。だが、今後どうする」
レオニスは、迷いなく言った。
「継承権を放棄する。王子の地位も返上する。北方辺境へ行く。王国の外ではない。だが、王城からは遠い場所へ」
「なぜだ」
第一王子が問うた。声は悲しみに近い。
レオニスは兄に向き直った。「俺がここに残れば、今日の断罪は“失敗した陰謀”として終わる。陰謀を仕掛けた者は、次はより巧妙にやる。人は学ぶ。悪も学ぶ。だから、俺は残らない。俺が王城にいる限り、王城は俺を必要とし続ける。必要とされ続ければ、また汚れる。俺はもう、汚れを増やしたくない」
「逃げるのか」
「逃げではない。これは贖いだ。裁かれなかった罪を、自分で背負うための選択だ」
宰相が目を細めた。「……愚かなほど真面目だな」
レオニスは、ほんの少しだけ笑った。笑みは、いつもの皮肉でも余裕でもない。疲れの中に、やっと見えた人間の温度だった。
「俺は、正しく裁かれてはいない。だが、裁かれなくてよかったとも思っていない。だから、俺は俺を裁く場所へ行く」
国王が、玉座から立ち上がった。老王が自ら立つのは、ここ十年で見たことがない者もいただろう。王は、ゆっくりと降り、息子の前に立った。
「……お前は、王家のために多くを捨てた。だが、王家はお前を守れなかった」
レオニスは首を振る。「守れなかったのではない。守らなかった。違いを曖昧にすると、また同じことが起きる」
国王は、苦い顔で笑った。「……その口の利き方だけは、昔から変わらんな」
「変わりません。変わらないものがないと、俺は俺でいられない」
王は、震える手で息子の肩に触れた。たった一瞬、王ではなく父になった手だった。
「行け。……生きて戻れ。王家に戻れとは言わん。だが、生きろ」
その言葉は命令ではなかった。許しでもなかった。ただの祈りだった。
数日後、王城の北門から馬が一頭、雪を踏んで出た。騎士団の見送りも、楽隊もない。護衛は二名だけ。第三王子の名を捨てた男にふさわしい、地味な旅立ちだった。
門の陰に、エリシアがいた。伯爵家の紋章も外し、ただ一人の令嬢として立っている。彼女は近づかない。呼び止めない。ただ、最後の視線だけを渡した。
レオニスは馬上から彼女を見つけ、ほんの少し頷いた。
「殿下」
エリシアが、静かに呼ぶ。呼称は、最後まで変えなかった。
「あなたが背負うものを、わたしは分かってしまった。だから……あなたを“悪役”だと呼ぶ人間を、わたしは許せない。でも同時に、あなたを“英雄”にする人間も、わたしは許せない」
レオニスは、雪の匂いの中で目を細めた。「……ありがとう。君は、きっと良い領主になる」
「わたしは、領地を立て直します。あなたが切り捨てたものの中に、救えたはずのものがあったなら、わたしが拾う。あなたが拾えなかった分まで。……それが、わたしの贖いです」
その言葉に、レオニスは息を吸った。胸の奥が、痛む。自分の冷たさが傷つけたものが、いま言葉になって返ってきた。
「エリシア。君の贖いは、君のものだ。俺の罪を背負うためにやるな。君は君の国を作れ」
「分かっています」
エリシアは、小さく微笑んだ。「あなたに言われたくなかっただけです」
それは、冗談の形をした決別だった。だから、レオニスはそれ以上何も言わない。ただ、馬の腹を軽く蹴った。
白い息が空に溶け、蹄の音が遠ざかる。
その背中を見送りながら、エリシアは心の中で言った。
正しく裁かれてはいない。けれど、無垢ではない。
その矛盾を抱えたまま生きることが、彼の罰であり、彼の選んだ道だ。
そして、矛盾を抱えたまま国を動かすことが、彼女の道になる。
王城に戻る途中、彼女は一度だけ振り返った。もう、馬の影は雪の中に消えている。それでも確かに、道だけは残っていた。誰かが通った道は、簡単には消えない。
後日、宰相グラーフの執務机に一通の手紙が届いた。差出人は“北方辺境・名もなき者”。封蝋はない。飾りもない。ただ、短い文が一行だけ記されていた。
――この断罪が間違っていたことを、次の国法に刻め。
――間違いは、潰しただけでは終わらない。仕組みにしなければ、また起きる。
宰相は、その一行を長く見つめたあと、静かに紙を引き出しにしまった。
英雄を作らない男は、最後まで英雄を拒む。
だが、英雄を拒んだ男が残したものは、案外、国の骨格になる。
玉座の間で崩れた“劇”の残骸の上に、ようやく裁きの形が積み上がり始める。
正しさは、誰かの快感のためではなく、次に殺される誰かを守るためにある。
その当たり前を、最も嫌われた男が証明した。
断罪された王子は、正しく裁かれてはいない。
けれど彼は、裁かれなくてよかったとも思わない。
雪の向こうへ消えた背中が、それを最後まで語っていた。
最後まで読んでくださって、ありがとうございます。
断罪もの、悪役王子、冤罪――と聞くと、どうしても
「スカッと逆転」「完全無罪」「周囲がひれ伏す」
という形を期待されると思います。
でも今回は、そこに少しだけ別の視点を置いてみました。
裁きが間違っていることと、
その人間が正しいかどうかは、別の問題です。
レオニスは冤罪でした。
法的にも、手続き的にも、彼は裁かれるべきではなかった。
けれど同時に、彼は多くのものを切り捨て、踏み越え、
「必要だから」という理由で人の人生を壊してきた側でもあります。
だから彼は、救われて終わらない。
英雄にもならない。
代わりに、自分で自分を裁く道を選びます。
それは読者にとって、少し苦い終わり方かもしれません。
でも私は、「完全に正しい人間」よりも、
「間違いと責任を理解したまま生きる人間」の方が、
ずっと物語として強いと思っています。
エリシアも同じです。
彼女は被害者にも、ヒロインにも、免罪符にもなりません。
理解したからこそ距離を取り、
許さないからこそ前に進む、少し残酷で、でも誠実な選択をしました。
この物語の題名にある
「正しく裁かれてはいない」
という言葉は、救済ではありません。
むしろ、重たい宿題のようなものです。
裁けなかった責任を、
誰が、どう背負うのか。
その問いを残せたなら、この短編は成功だと思っています。




