必要悪
夜勤前の休憩室は、いつも少しだけ寒い。
新人の佐藤は、コンビニの肉まんを半分残していた。
食べきれない理由は、味でも体調でもなく、ただの緊張だ。
「それ、あとで腹減るやつだよ」
ベテランの高橋が、紙コップのコーヒーをすすりながら言った。
ブラック。砂糖もミルクも入れない。
「夜勤って、慣れますか」
「慣れない。慣れたら辞め時」
それだけ言って、記録用のタブレットを操作する。
画面を睨む目つきだけは、やけに優しい。
巡回の途中、高橋はいつも同じ部屋で立ち止まる。
独り言みたいに、利用者に話しかける。
「今日、寒いっすね。
俺はね、寒いと腰が死ぬんですよ」
返事はない。
それでも、高橋は一拍置いてから次の部屋へ行く。
佐藤はそれを見て、
無駄なことをする人だなと思った。
高橋は佐藤の先輩だが、もう一緒に働き出して2年……
仲良くなれそうにない。
いや、なりたくない。
何考えてんのかわからないからだ。
むしろ嫌いなほうだ。
3ヶ月前、オレのミスで患者の容態が変わり大勢の前で突き飛ばされ叱責された。
なんで?新人だぞ?責任重大な役割の分担を普通に任せるなよな。
まあ、今探してる転職活動がうまくいけばこんなとこ。すぐおさらばだ。
高橋がいなけりゃまだ続けても良かったけどな……
午前一時を過ぎた頃、
ナースコールが鳴った。
一つ。
二つ。
三つ。
「……同時?」
佐藤の声が裏返る。
高橋は時計を見た。
午前二時十二分。
「あー、来たか」
ため息はついたが、足は止めない。
「どこから……」
「考えるな」
怒鳴らない。
でも、逃げ道も与えない。
「右端。呼吸浅い。
左は転倒リスク。
真ん中は――まだ生きてる」
佐藤の喉が鳴る。
「間違えたら……」
「間違える」
即答だった。
「俺も、何回もな」
ドアノブに手をかけたまま、高橋は一度だけ振り返る。
「ここはな、正解を出す場所じゃない」
ナースコールが、また鳴る。
「離れない場所だ」
ドアが開いた瞬間、
かすれた呼吸音が、夜勤の空気を変えた。




