八月七日
「君が前に行きたいって言ってた水族館なんてどうかな」
学校から出た俺と百合は互いの家の距離からちょうど中間辺りにあるファミレスに来ていた。
先ほどのじゃんけんは三回のアイコが続いた結果、百合が勝った。
家庭科の先生に改めて花たちの事をお願いしに行ったあと、まずは一つ予定を決めよう。とのことで涼めて長居しても気まずくないこのファミレスでドリンクバーだけを頼んで席についていた。
「どう?水族館」
「俺、そんなこと言ってたっけ?」
「えー覚えてないの?つい最近だよ?」
「ごめん、覚えてないや」
「君は確かに水族館に行きたいと言いました」
「ほら、よく思い出して〜」
「ん〜」
何かパワーを送っているつもりなのか両手のひらを俺に向けて指をうねうねさせる百合に言われ、ぎゅっと目を瞑り最近のことを思い出そうとする。けど今日の放課後の前の記憶がぼやけていて無理やり思い出そうとしても頭が痛いだけだった。
出会った頃のことは今でも鮮明に思い出せるのになぜか思い出せなかった。
「ごめん、思い出せない」
「そっか〜、もしかして疲れてる?」
心配しながら顔色をうかがう百合に少しだけ申し訳ないと思ったのと同じく心にむず痒さを感じた。
「ううん、全然元気」
「ならよし!」
笑顔ではにかむ百合が幼く見えた。
「で、どうする?水族館行く?」
水族館に行きたいと言ったことを覚えていなくても提案された時から水族館には行きたいと思った。
もともと水族館が好きってこともあるけど中三の卒業式終わりに家族と行ったきりでしばらく行っていなかった。
「よし、行こう、水族館」
「君ならそう言ってくれると思ってました!」
百合は嬉しそうに目尻にシワを作って笑った。
その笑う顔が学校に咲いている花のように見えた。
「じゃあ日程決めよ!いつが良い?」
「うーん、八月七日とか?」
「八月七日...ふーん、なるほどねぇ。わかった」
「八月七日ね!」
百合は何か言いたいことでもあるかのように俺を見ながらその日程に賛成してくれた。
「どうしたの?」
「いや?べつにー、なんでもないよ」
気になって聞いてみても何か隠すような顔をして答えてくれなかった。
だからひとまずは考えないでおくことにした。
「なんか頼もうよ」
百合はそう言ってタブレット型のメニュー表を見始めた。確かにこのファミレスに入ってから頼んだのはドリンクバーだけだったから何か頼もう。
俺はポテトを百合はピザを頼んで少し待つとおそらく大学生であろうアルバイトの人が二つ同時に運んできたから互いにシェアして食べた。
各々で会計するのは面倒だから百合からピザの分のお金を預かって俺が会計を済ませた。店を出たもののこの町は田舎だからほかに行くとこもなければすることもなかった。
ゲーセンに行くにはバスで15分くらいかかるし映画館に行くにしても電車に乗らなければいけない。
そういうわけで俺と百合はここで今日は解散することにした。
「じゃ、水族館の日よろしくね!忘れないでよ?」
「うん、覚えとくよ」
それを聞いた百合はニコッと笑みを見せ自転車に乗り俺の帰り道とは逆のほうに漕いでいった。ゆっくりと遠ざかっていく背中にはなぜか哀愁が漂った。
不意に百合が振り返って手を振りながら
「忘れないでよね!」
と念を押して言ってきた。
「忘れないよ!絶対に!」
離れた百合に聞こえるよう叫ぶと周りから視線を感じた。けどその視線が不快だと思えなくなる程に百合は満面の笑みで大きく手を振ってくれていた。
たまに見ることができるどんな時の笑顔よりも可愛くて美しい、まるで一輪の花のような笑顔で手を振ってくれていた。
だから俺も精一杯手を振り返した。
もう周りの視線なんて気にしちゃいなかった。
百合が見えなくなった後、俺も自転車に乗ってまっすぐ家に帰った。
今日は終業式だったのもあっていつもより早く家に帰ってこれた。
時計を見てもまだ三時前だ。特にすることもないし猛暑のせいでせっかくファミレスで涼んだのに汗だくになっていたから風呂に入ることにした。
汗だくになった体にシャワーのお湯が心地よかった。
風呂から出るとさらにさっぱりした感じがしてもっと心地よくなった。ものの、やっぱりすることがなくて暇になってしまう。
仕方なく夜の日課であるゲームのデイリーを終わらせることにする。
ゲームのタスクが終わるころ風呂上がりだったからなのか眠気が俺に悟られないようにしながら襲ってきた。ちょうどタスクも終わってすることが完全になくなってしまったので俺はその眠気に身を任せることにした。
意識が遠のいていく中ふと今日のファミレスで水族館に行く日にちを考えた時の百合を思い出す。
何か思うところがありそうな表情をしながら百合は俺の言った日に賛成した。
八月七日...七日...。
「あ、」
突然霧が晴れたように頭の靄が取れた。
たしかその日って、
「ふぁああ」
眠気の限界が来て瞼が自然と閉じてしまう。
もう体を動かす気力も考える気力さえも眠気によって吸い取られて無くなってしまった。
完全に意識がなくなる直前、ほのかに懐かしい香りがした。
その香りが何なのかさえも今の俺には考える余力がなかった。




