おはよう
祭囃子が遠くから聞こえる病院で今日きっと何かが起こると信じて私は彼、聖朱さんの元へ向かった。
「こんばんは、今日はお祭りですね、遠くから祭囃子が聞こえてきますよ」
期待してもやっぱり現実は厳しいようで彼は日が沈む窓の外をぼうっと眺めているだけだった。
もう諦めよう。
そう思って私は部屋を出ようとした。
「今日はお祭りなんですね。懐かしいな」
起きた、何かが起きた、彼が起きた。
「聖朱さん!おはようございます、あの、わかりますか?」
「ええ、わかりますよ。それにあなたはずっと話しかけてくれていたのでしょう?」
「はい、そうですよ!もうずっと目覚めないのかと思っても諦めきれなくて、何かできることはないかと思ってずっと話しかけていたんですよ」
私の言葉を聞くと彼は頬を上げて穏やかに笑ってみせた。まるで自分を見つけられて安心するかのように彼は笑みをつくった。
「先生呼んできますね」
私は急いで先生を呼びに行き、彼の元へ急ぐよう促した。彼の元へと戻り、先生は彼の体の状態のこと彼自身の現状のことを彼に説明した。説明している間、彼は戸惑うことも慌てふためくこともなく静かに、すべてを知っているかのように落ち着いて説明を聞いていた。
彼は高校時代、彼女の死をきっかけに彼の母親が飲んでいるという睡眠薬一瓶を一度に大量に飲み込んで昏睡状態になったこと。ベッドで倒れているところを彼の母親が見つけて病院に搬送されるも、回復の見込みはほとんどなかったこと。
それでもまだ脳も体も生きて入るから経過観察するしかなかったこと。
そして、約二十五年間も眠り続けていたことを先生は淡々と話した。
それでも彼の態度は変わることはなかった。
彼が目覚めてからちょうど一週間がたった。
まだ退院できる体じゃなかったからもうしばらくは入院することになる。
ある日彼は少し寂しそうな顔をして昔の話を私に話しだした。
「昔、学校で花のお世話をしていたとき、不思議な花があったんです」
「どんな花だったんですか?」
「それがね、咲く時期になっても咲かないんだよ。何日たっても咲かなくって、いつしか百合とこの花が咲くのを一緒に見るのが約束になった」
「でも、その花は咲かなかった。見たかったなぁ、あの花が咲く姿を」
彼は惜しむように目を細めていた。
「ただいまー」
「あ、お帰りお母さん」
仕事を終えて、帰ってくるといつもはこの時間帯にいない娘が今日は珍しく家にいた。
「ねぇお母さんこれ見てほしいんだけど」
そう言って娘は自分のスマホの写真を私に見せてきた。
「この花ね学校の古い花壇に植えられてる花なんだけど噂だと、何十年も蕾のままだったんだって。」
「それがさー、私がたまたま夕方に花壇の前歩いたとき咲いてたんだよ!で撮ってみたらきれいに撮れたの!」
「て、ちょっとお母さん!?」
娘が見せてきた写真はまるで太陽の光と月の光を何十年も吸収し続けたように明るいオレンジ色をしたマリーゴールドが咲いていた。
私は考えるまもなく娘の手を引いて、車に乗って急いで病院にいる彼の元へ向かった。
「聖朱さん!」
彼のいる病室のドアを勢いよく開け彼の方を見ると彼は月を眺めていた。
「おや?看護師さんじゃないですか。どうしたんですか、そんなに慌てて」
「見てください、この花見覚えありませんか?」
そう言って私は娘が見せてきた一輪の花の写真を見せた。その写真を見るなり聖朱さんは目を見開いて、さっきまでの穏やかな表情とは真逆に静かに涙を流し始めた。
「看護師さんお願いです。この子の元へ連れて行ってはくれませんか?」
看護師としてなら病人を無断で外に連れ出すなんて絶対にしちゃいけないことだ。でもそんなこと言っている場合じゃない。
「もちろんです。行きましょう!」
私は可能な限り聖朱さんに負担がかからないようにし、車に乗り学校を目指した。
かつて聖朱さんが通い、今私の娘が通っている学校に向かって車を飛ばした。
学校に着き、娘曰く裏口の鍵は常に開いているとの事だったので私達は裏口から敷地内に侵入した。
校庭の方へ向かうと、満月の明かりに照らされた一輪の花が遠くからよく目立って見えた。
「百合!!」
その花を見るなり聖朱さんは名前を呼んで駆け出した。
「あぁ、百合、ずっと、ずっと待っててくれてたんだね。ずっと見ていてくれてたんだね。ごめん、ありがとう、ごめん、ありがとう」
聖朱さんは積もっていた雪が小さな衝撃で雪崩を起こすように花を見るなり積もった感情を一気に流し始めた。
マリーゴールド、
花言葉の一部で”変わらぬ愛”というのがある。
満月の月明かりによって照らされる一輪の花と一人の男はまるで何十年ぶりに会う二人のようだった。
花弁から一滴の水滴が涙のごとく滴り落ちた。
けどこの水滴は悲しみの涙なんかじゃない。
だってその隣で頬に涙を流す彼がこれ以上にないくらい満面の笑みで笑っているのだから。
「おはよう、百合」
彼がそう言ったとき風が夜を舞いまるで少女の髪をなびかせるようにマリーゴールドをなびかせていた。それと同じくして、花のほのかに甘い香りが香ってきた。
おはよう!聖朱君!!!
あぁ、おはよう百合!!
おはよう!!!
マリーゴールド(書き直しver.)
完




