わかんない、わかれない、わからない
百合と初めてキスをした後、家に帰っても胸の高鳴りが収まらなくて中々眠りにつけないでいた。やっと目を瞑って眠れたのは翌朝の四時だった。
寝てる間またあの妙にリアルな夢を見た。
目覚めたとき、病室は月明かりだけが射し込んでいて俺はただ月に照らされるように眺めているだけだった。ずっと眺めているとあの時見た看護師らしき人が来た。見覚えも聞き覚えもないはずなのに見たことのある顔、聞いたことのある声だった。
「こんばんは、今日は満月ですね」
気さくに話しかけてきた看護師に夢の中の俺は反応することなく月を眺め続けた。次第に俺は目を瞑り眠ってしまった。
瞑った目の隙間から薄明かりが照らされ始める。
やがて俺はその光の眩しさに耐えきれなくなって目を開けるといつもの見慣れた天井がそこにあった。自分の部屋の天井が妙に懐かしく感じた。
体を起こして若干の浮遊感を感じながらふと枕元に置いてあるスマホの画面を見る。
「は?」
目を疑った。
最初、スマホの故障か何かだと思い再起動をしてみたもののその日付は変わることはなかった。
八月十二日
この日付がスマホには記されていた。
俺が寝たのは確かに八月七日だ。
何が起きたのかわからなくて、五日間も寝ていたことが信じられなくてスマホの画面と目を合わせていると一通のラインが届いた。百合からだ。
[一昨日約束した通り、明日は夕方五時に私の家来てね!そこからお祭りに行くよ!]
一昨日?ラインの上の方を見ると確かに明日の祭りの予定について連絡を取り合っていた。
その前の日も百合と連絡を取り合っていた。
俺が八月七日に寝て今日、十二日に起きるまでの間連絡を取り合っていた。
「なんだよこれ」
記憶に無いやり取りがされていて背筋から全身に渡って暑い部屋の中で寒気がした。
次第に唇が震えだし、武者震いをしはじめた。
最近おかしなことが起こりすぎている。
妙に懐かしい今までの夏休みの百合との日々や妙にリアルな夢を見ること。夏休み前の最近の記憶が思い出せないこと。
俺の身に何が起きてるのかがわからなくなって怖くなった。知ろうとすることさえも体が拒否反応を示すかのように武者震いを繰り返す。
もうどっちが夢でどっちが現実なのかさえも疑ってしまう自分がいた。この今ここにいる俺は現実にいるのか夢にいるのかが曖昧で、自分という存在がよくわからなくなった。
「うっっ!?」
考え戸惑っていると目眩とともに吐き気に襲われた。トイレに駆け込もうとするも上手く走れなくてコケてしまった。
動けなくてうずくまっていると視界がかすんできて自分が泣いていることに気がついた。
吐涙に気づくと吐き気のかわりに自分の嗚咽が廊下に響いた。
ゲリラ豪雨のように目からは涙が止まることを知らずに流れて、自分が泣いているのかさえわからなくなった。わからない。わからない。わからない。わからない。わからない。わからない。わからない。
「なんなんだよこれはっ!わかんないよ!」
涙と共に自分が置かれている現状に理解できなくて腹の底が煮えたぎるのを感じ、俺は叫んだ。
「たすけてよ…」
自分の口からでたとは思えないような掠れた声。
家には誰にもいない。誰にも届くはずのない、それは分かりきっているのに俺は何度も何度もたすけてを繰り返した。
「たすけてよ、百合」
気づけば彼女の名前を呼んでいた。
「会いたいよ、もう一度だけでいいから出てきてくれよ、百合」
無意識に放った言葉はあまりにもおかしな言葉だった。けどこの言葉を俺は昔何度も叫んだ記憶がある。なんで叫んでたんだろう。
「聖朱君!」
俺の名前を呼ぶ聞き慣れた声が聞こえた。
五日前に聞いたはずのその声は何十年かぶりに聞く声のように思った。
微かに水族館で水槽越しに見えた時のようなフィルムノイズが床に見えた。そこからわずかに小さな瓶らしき物が映し出されていた。
あぁ、そうか俺は…
「聖朱君!聖朱君!聖朱君!」
百合の香りがする。優しいいつもの香りだ。
俺は百合の体に身を任せ目を瞑った。




