君に幸あれ
「彼はもしかしたら、自分が誰なのかを探しているのかもしれませんね」
「自分を探してる。ですか」
彼が起きてあれから1週間ほどがたった。
彼は起きては寝て起きては寝てを繰り返していた。
けど、ちゃんと自分の意識があって起きたのは普段周りからは物静かだって言われてる私が大慌てで先生を呼んだときだけだった。
それ以外は起きてはいるけど自我がないかのようにずっと窓の外を眺めていた。まるで、夢の途中で覚めてしまってその夢の続きを見たいと願っているかのようだった。
満月が夜空に浮かんでいた夜勤の日に私は彼の病室になんとなく訪れてみたことがある。
初めて彼が目覚めた二日後、先生が満月にもしかしたらヒントがあるかもしれないと、小説の物語の設定にでもありそうなことを言ってきた。
一応根拠はあるらしい。
昔先生が担当した記憶喪失の患者が満月を見たとき、満月の日、初めて恋人と大喧嘩したことを思い出したのをきっかけに記憶を取り戻していったことがあったという。
本当かどうかは知らない。
けど、もしそれが本当なら彼にも満月によってそういったジンクス的な何かによって自分を思い出せるきっかけが作れるかもしれない。
そんな小さく淡い期待を寄せながら彼がいる部屋の戸を開けると、彼は起き上がっていた。
起き上がったままピクリともせずただジッと窓の外に浮かぶ満月を眺めていた。
「こんばんは、今日は満月ですね」
私が話しかけても彼は何も言わずに月を見ていた。
しばらく一緒に月を見ていると彼は瞼を閉じ、横になった。瞼を閉じたとき一滴だけ涙をこぼしているのが月明かりに照らされてうっすらと見えた。
その涙の意味が私にはわからなかった。
わかるはずがない。だって彼自身きっとわかっていないのだろうから。彼が再び眠りについたのを確認してから私は部屋をあとにした。
彼が本当の意味で目覚める日は来るのだろうか。
もし目覚めたとしてもそれは彼にとっていいことなのだろうか。
わからない。ここに勤め始めた時からずっと診ている患者なのに私は彼のことをまだよく知らない。唯一知っているのは彼が、私の娘が今通っている高校の元生徒ってこととこうなってしまった原因くらいだ。彼は高校生の頃事故にあった。その事故が彼にとってどれほどのショックだったのか。本人が真に目覚めるまで私には知る由もない。
わからないことが私には多すぎる。
そういえば、もうすぐこの町の夏の大目玉である夏まつりが開催される。病院からでも祭囃子が聞こえるほど大きな祭りだ。祭りの最後には毎年、この町一番の花火が揚がる。
私はこの祭りが彼にとって満月が昇った日みたいに何かいいきっかけになるんじゃないかと考えている。
今日は八月七日、祭りは来週の金曜日。
この祭りが彼にとって幸であることを願う。




