第2話 謁見、そして、事故
部屋の隅に鎮座するデスクトップパソコンと、年季の入った椅子。
その椅子に深く腰掛け、フレアはディスプレイの前で不遜な笑みを浮かべていた。
彼女の視線の先、パソコンの画面には、フレア自身の姿を模したキャラクターが表示されている。
「ふん、この人形では威厳が足りぬな」
フレアはそれに不満を漏らすと、すっと右手を画面にかざした。
「我が真の姿を映し出せ」
残り少ない魔力を振り絞ると、画面のアバターがぐにゃりと歪む。
見るからに幼い少女の姿は、鋭い角と漆黒の翼を持つ、グラマラスで威厳に満ちた大人の女性――すなわち、前世の大魔王フレアの姿へと変貌した。
「ふはは!これぞ真の我!これでよし!」
フレアが満足げに頷くと、机の隅でヒマワリの種をかじっていたヴェルゼスが呆れたようにため息をついた。
「主よ、ただでさえ魔力が枯渇しているというのに……」
「それよりもお待ちください!このままでは我々の貧相な居城が全世界に晒されてしまいますぞ!」
ヴェルゼスは慌ててフレアの足元に駆け寄る。
「本来であれば『ぐりーんばっく』なる緑の布を背景に設置し、部屋を隠すべきなのですが……この無力な体では、購入も設置もままならず……!」
知恵はあっても、金もなければ大きな体を動かす腕もない。
元・参謀長の知性は、ハムスターという物理的な檻の中で、ただただ無力だった。
だが、フレアはそんな忠臣の的確な進言を、鼻で笑い飛ばす。
「ええい、些事だ、ベルゼ!我が威光の前では、背景など些末な問題に過ぎぬ!」
「それとも何か?この我の威光よりも、壁のシミの方が目立つとでも言うのか!」
「ぐっ……!そ、そのようなことは……!」
ヴェルゼスが言葉に詰まるのを尻目に、フレアは勝ち誇ったようにマウスを握ると、ゆっくりと、しかし迷いなく、人差し指で配信開始のボタンをクリックした。
画面いっぱいに映し出された、禍々しくも美しい、威厳に満ちた大魔王のアバター。
そして、フレアは高らかに第一声を放った。
「――聞け、愚かなる人間ども!我が名は終焉の魔王フレア!」
その声は、アバターの威厳ある見た目とは裏腹に、高く、少しあどけなさの残る少女の声だった。
この【見た目と声のギャップ】に、数秒遅れて現れた最初の視聴者が度肝を抜かれる。
『声、たっか!www』
『なんだこのギャップ、ロリババアってやつか?』
「ろり……?誰が童女だ、貴様!」
フレアがムキになって叫んだ瞬間、苛立ち紛れに机を「ドン!」と叩いてしまう。
その振動で、ディスプレイの上にちょこんと乗っていたWebカメラが「カタン」と音を立てて明後日の方向を向いてしまった。
「なっ……おい、どうしたのだベルゼ!人形が消えたぞ!」
『カメラ落ちたw』
『機材トラブルは新人Vの華』
フレアは慌てて手を伸ばし、Webカメラを掴んで元の位置に戻そうとする。
――だが、その時。
カメラを元の位置に戻す一瞬、レンズが部屋のあらぬ方向を捉えてしまった。
画面には安アパートのシミだらけの天井と、フレアの頭上に干された生活感あふれるジャージが映り込む。
『天井にシミあるぞwww』
『ギャップが渋滞しすぎてるwww』
「シミではない、歴史の痕跡だッ!」
フレアが本気で絶叫した。
その激情に呼応し、アバターの瞳がカッと深紅に輝く。
そのガチギレっぷりに、コメント欄はさらに加速した。
『うお、目ぇ光った!すげぇ!』
『Live2Dのクオリティは神なのに、背景が残念すぎるだろw』
『このギャップ、狙ってやってんなら天才だわ』
『ガチでキレてておもろいwww』
『てか魔王様、なんか部屋の中ごちゃごちゃしてね?』
鋭いコメントに、フレアが「はっ」と我に返る。
Webカメラの死角だと思っていた場所に、昨日食べたカップ麺の容器が放置されているのが視界に入った。
「なっ……こ、これは……その……非常食の備蓄だ!」
フレアが苦し紛れの言い訳を叫んだ瞬間、視聴者の一人が決定的なコメントを投下した。
『あ、ハムスターいる』
そのコメントが、フレアの逆上に追い打ちをかける。
「主よ、冷静に!挑発に乗ってはなりません!」
ヴェルゼスは、暴走する主をいさめるため、ヨレヨレのジャージの背中を必死によじ登っていった。
そして、ようやくたどり着いた肩の上から、小さな前足でフレアの頬をぺちぺちと叩き、必死に何かを訴えかけている。
その忠臣の健気な姿が、Webカメラの端にバッチリと映り込んでいたのだ。
つぶらな瞳が、必死に主の身を案じている。
『ハムかわいいwww』
『魔王(CVロリ)、天井にシミ、部屋は汚部屋、ペットはハムスター』
『属性過多すぎるだろこの新人www』
「ペットではない!我が腹心、"狡猾"のヴェルゼスであるぞ!」
フレアの悲痛な叫びも、もはや誰にも届かない。
視聴者数はうなぎのぼりに増え続け、コメント欄は笑いの渦に包まれていた。
◇
配信終了後。
フレアは椅子にぐったりと深く沈み込んでいた。
慣れないことをした精神的な疲れに加え、脆弱な肉体が魂の消耗に耐えきれず、指先一つ動かせない。
「……解せぬ。なぜ我はあんな矮小な輩に翻弄されねばならぬのだ……」
悔しさに声を震わせる主を横目に、ヴェルゼスは小さな体で必死にマウスを操作し、SNSの反応を調べていた。
『【超新星】神モデルと実家天井のギャップ萌え魔王、爆誕』
『初配信で伝説作ったV見つけたwww』
これらの投稿は瞬く間に拡散され、SNSは異常な盛り上がりを見せていた。
大成功だ。
計画通り――いや、計画以上に。
ヴェルゼスは、ヒマワリの種を一つ、無意識に口に運ぶ。
カリ、と殻を割る小気味よい音だけが、やけにクリアに響いた。
(……出来すぎている)
彼はスクロールする手を止め、小さな前足で顎をそっと撫でる。
視線が、すぐそばのデスクトップPCから、背後で椅子に深くもたれる主の横顔へと滑るように動いた。
まるで、この日のために用意されたかのような舞台装置。
次に、ちゃぶ台の上の督促状へ。
あの紙切れ一枚が、プライドの高い主をこの道へと走らせる、完璧な「引き金」だった。
そして、先ほどの配信。
カメラが落ちてからの視聴者数の増え方。
全てのピースが、カチリ、カチリと音を立てて、一つの絵――誰かが描いた設計図――に収まっていくような、不気味な感覚。
ぞわり、と毛が逆立つ。
我々は、本当に自分たちの意思でここにいるのか?
ヴェルゼスは、ぐったりと目を閉じた主の寝顔に視線を移した。
この無防備な主に、この得体の知れない不安を悟られてはならない。
彼は平静を装い、いつもの冷静な参謀の声色で告げた。
「主よ……どうやら我々は、とんでもないものを掴んでしまったのかもしれませんぞ」
その言葉に込められた真意を、今のフレアが知る由もなかった。