第16話 看破の魔眼、そして、映画鑑賞
ボロアパートの一室。
フレアは、コンビニで買ってきた雑誌の映画特集ページを、怪訝な顔で睨みつけていた。
「ベルゼ、これを見よ。この紙切れには『幻影魔術』が封じ込められていると書いてあるが…我の魔眼をもってしても、何一つ魔力の流れは感じられぬ。これは一体どういうカラクリだ?」
その純粋な問いに、ヴェルゼスは(好機!)と内心で膝を打った。
「主よ、それは『えいが』と申しまして、この世界の民が最も愛する娯楽の一つにございます」
「…ふむ。これは良い機会やもしれませぬ」
ヴェルゼスは、脚本家としての情熱を燃やし、主君に進言した。
「せっかくでございますれば、その幻影魔術を実際に鑑賞し、王として気高きご感想を配信にてお聞かせいただく、というのはいかがでしょう!」
「民は、主が彼らの文化をどう解釈されるのか、興味津々のはず!」
「ほう、面白い。ならば我が直々に検分し、その正体を暴いてくれるわ」
フレアは、大人気スパイ・アクション映画を鑑賞することに、いつものように上から目線で快諾。
かくして、魔王による初の映画同時視聴配信が、幕を開けた。
◇
「――聞け、我が民よ! 今宵は貴様らが『傑作』と崇める幻影劇を、この我が直々に検分してやろう! 果たして、我が魂を揺さぶることができるかな?」
高らかな宣言と共に、再生ボタンが押される。
物語は、腕利きのスパイである主人公が、世界征服を企む悪の組織に立ち向かうという、王道のストーリーだった。
序盤、主人公が派手なカーチェイスを繰り広げ、敵の追跡を振り切るシーン。
コメント欄が「かっこいい!」「このシリーズのアクションは最高!」と興奮する中、フレアは心底つまらなそうに、深く息をついた。
「……ほう。この世界の者どもは、この程度の速度と破壊で『派手』と喜ぶのか」
彼女は、まるで子供の遊びを眺める大人のように、画面を冷ややかに見つめる。
「我が軍の斥候が興じていた『戯れ』ですら、これよりは見応えがあったぞ」
「街の一つや二つ、うっかり更地にしながら追いかけ回すのが、奴らの常であったからな。実に、平和な世界よ」
『追いかけっこ(天災)www』
『斥候のレベルがおかしい』
『魔王軍の日常、ハードすぎる』
『映画会社に謝ってwww』
物語は進み、主人公が敵組織に潜入するため、パーティ会場で美しい女性エージェントと偽の恋人を演じる場面。
二人がダンスをしながら、暗号で情報を交換する。
その光景を見ていたフレアは、何かを看破したように、鋭く目を細めた。
「なるほど。あの女、男を盾にして、会場にいる真の標的の位置を探っておるな。見事な陽動だ」
そのあまりにも冷徹で、スパイ映画の本質を(魔王的に)見抜いたかのような解釈に、コメント欄は戦慄と笑いに包まれた。
『陽動www主人公かわいそうwww』
『完全に利用されてると思われてるじゃん』
『魔王様にかかればどんなロマンチックなシーンも、血も涙もない謀略になる』
また、物語には、主人公をサポートする頼れる仲間たちも登場する。
屈強な肉体を持つ元兵士が敵の一個小隊をなぎ倒し、色香で情報を引き出す女スパイが敵の幹部を欺く。
彼らの目覚ましい活躍にコメント欄が沸く中、フレアは腕を組んだまま、小さく鼻を鳴らした。
「ふん、それなりの働きよな。我が軍の兵士であれば、この程度はできて当然だが」
(…そういえば、我が軍にもいたな。ただひたすらに己の肉体を鍛え上げ、我が命令一つで城壁すら砕いた、ああいう朴念仁が)
ほんの一瞬、かつての忠臣の姿を幻視した彼女だったが、すぐに思考を戻すと、画面に向かって不遜に言い放った。
「もっとも、我が指揮下にあれば、この程度の活躍では褒めてやらんがな」
『出たwww魔王軍基準www』
『ハードルたっか!』
『褒めてるようで全く褒めてないの草』
◇
映画はクライマックスを迎え、主人公が悪の組織のボスを打ち破り、世界に平和が戻る。
感動的なエンディングを前に、フレアは、ぐっと背筋を伸ばし、両腕を天井に突き上げながら、この映画の総評を口にした。
「……ふん」
彼女は、心底わけがわからないという顔で、首を傾げた。
「…解せぬ。なぜ、この者たちは必死に戦っておったのだ?」
「は?」
ヴェルゼスの思考が、一瞬完全に停止した。
主君が何を言っているのか、全く理解が追いつかなかった。
コメント欄も『え?』『そこから?』と困惑の空気に包まれた。
フレアは、大真面目な顔で続ける。
「あの敵役の男…名は確か『どくたー・へるいやー』とか言ったか。奴が欲していたのは『世界の支配』であろう?」
「ならば、なぜ最初から我にひれ伏し、世界の支配権を献上しなかったのだ?」
『!?』
『?????』
『斜め上すぎるwwwwww』
視聴者の思考が完全に停止した。
フレアの思考回路では、「世界を支配したい者」がいるならば、その者は当然、現時点での「世界の支配者(=自分)」に挑戦し、その座を奪うか、あるいは忠誠を誓うのが筋である、という大前提が存在していたのだ。
「我という、真の王がここにいるというのに、わざわざ回りくどい小規模な反乱など起こしおって」
「我に挑戦状の一枚でも送りつけてくれば、直接会って、その器を試してやったものを。実に非効率で、つまらん男よ」
フレアは、悪のボスを「見所がある」と評価するのではなく、「自分に挨拶に来なかった礼儀知らずの小物」として、バッサリと切り捨てたのだ。
さらに、彼女の暴論は止まらない。
「主人公の『すぱい』とやらもそうだ。なぜ、あのような小悪党(悪のボス)を倒すだけで満足しておる?」
「真の忠臣ならば、主君(所属国家)のために、世界の全てを手中に収めようとするのが当然であろう」
「それをせぬのなら、仕える相手を間違えているか、その主君が覇道に値しないかのどちらかだ」
「奴が最後に破壊すべきだったのは、敵の基地ではなく、己が所属する国家の欺瞞そのものであったはずだ!」
『えええええええええ』
『スパイにクーデターを勧める魔王様www』
『思想が危険すぎるwww』
『この映画、そんな話じゃねえから!』
フレアは、スパイ映画を「二人の王位継承候補者(悪のボスと主人公)による、小規模で非効率な覇権争いの記録映像」として解釈し、その両者のスケールの小ささに、心底呆れていたのである。
◇
配信後。
ヴェルゼスは、もはや主君の思考回路を理解することを諦め、ただただSNSの反応を調べていた。
案の定、ファンは「#魔王様の映画解釈」というタグで、フレアの狂気的な感想を元に大喜利状態で盛り上がっていた。
「主よ…! 民は、主のその、常人には決して辿り着けぬ思考の深淵に、ひれ伏しておりますぞ…!」
「ふん、当然だ。あの程度の幻影劇では、我が魂を揺らぶるには千年早いということよ」
プリンを片手に、フレアは満足げにふんぞり返る。
そして、食べ終えたプリンの空き容器をゴミ箱に放り投げながら、ポツリと、誰に言うでもなく呟いた。
「…結局のところ、あの者たちに決定的に欠けていたのは、たった二つ」
「全てを粉砕するほどの『圧倒的な力』と、全てを欺き、掌の上で転がすほどの『狡猾な知恵』」
「それさえあれば、あのような児戯にも等しい争いは起きなんだものを」
その言葉を、忠臣ヴェルゼスは聞き逃さなかった。
彼は主君のその呟きに対して深く深く頷いていた。