第15話 至高の装束、そして、第三の目
「――主よ、民は王の新たな姿を渇望しております!」
配信を終えたボロアパートの一室。
忠臣ヴェルゼスは、チラシの裏にびっしりと書き込まれた魔王軍の財政状況を睨みつけながら、脚本家としての情熱を燃やしていた。
「しかし、我らの財宝(配信収益)では、新たな鎧(服)を揃えるのは些か厳しい…。そこで!」
ヴェルゼスが小さな前足で高々と掲げたのは、新たな企画書(という名のメモ書き)だった。
玉座にふんぞり返る魔王フレアは、退屈そうに問いかける。
「ほう…?次の演目は何だ、ベルゼ?」
「次なる儀式は『王衣試着』!」
「この『ふぁっしょんげーむ』なるもので、仮想空間に主の人形を作り、無限の衣装の中から、新たな姿を探求するのです!」
「我が主の審美眼を、改めて世界に示す時ですぞ!」
「…面白い。我が魂にふさわしい鎧、この手で見つけ出してやろうではないか!」
フレアは、これを新たな「民を喜ばせるための、高度な試練」と快諾。
かくして、魔王フレアによるファッションコーディネートゲーム配信の幕が、静かに上がった。
◇
「――聞け、我が民よ! 今宵は我が魂にふさわしき、新たな鎧を探す儀式を執り行う! とくと見るがいい!」
高らかな宣言と共にゲームを起動すると、フレアはさっそく最初の関門「キャラクターメイキング」から、その常識外れのセンスを遺憾なく発揮した。
「よかろう。我が威厳をこの世界に再現してくれるわ!」
彼女は、肌の色を「血のように赤く」、髪の色を「深淵の闇より暗い漆黒」に設定。
瞳は金色に輝かせ、顔には禍々しい文様を刻み込む。
さらに、顔の装飾から『ほくろ』を選び出した。
しかし、それを配置したのは、可憐さを演出する口元ではない。
額のど真ん中だ。
しかも、スライダーを限界まで動かし、威圧的な『第三の目』へと変貌させた。
本人は「これぞ魔王の威光!」とご満悦だが、画面に映し出されたのは、人間の美的感覚から大きくかけ離れた、神々しくも恐ろしいアバターだった。
『キャラメイクの時点で魔王すぎるwww』
『そのほくろはそういう使い方じゃないのよwww』
『威厳はすごいけど、絶対友達になれないタイプだ…』
その異様なアバターのまま、フレアは意気揚々とゲーム本編へと進んでしまった。
最初のテーマは『初デートに着ていく服』
「でぇと…? …ああ、決闘のことか!」
フレアは、その致命的な勘違いに微塵も気づかぬまま、真剣な顔でアイテムを選び始めた。
「決闘ならば、相手を威圧し、戦意を喪失させることが肝要!」
彼女が選んだのは、全身を覆う、威圧的な漆黒のフルプレートアーマー。
そして、アイテムリストの中から、『鳥避けの目玉』という名の、巨大な眼球の飾りを見つけ出した。
「ほう…『邪視避けの魔眼』か。悪くない」
フレアはそう呟くと、その巨大な目玉を両肩に、まるで肩当てのように括り付け、手には巨大な斧を持たせた。
「うむ。この威圧感の前には、いかなる者もひれ伏すであろう!」
あまりにも攻撃的なデートコーデに、コメント欄は爆笑の渦に包まれた。
『決闘デートwww』
『その格好で待ち合わせ場所に来たら泣いちゃう』
『もはやラスボス』
次のテーマは『お祭りに着ていく服』
「ほう、祭りか。懐かしいな。一年で最も魔力が満ちた日、彷徨える魂を『収穫』する祭りが、盛大に行われていたものだが…」
フレアは、日本の夏祭りのような賑やかなイメージ映像を、完全に『魂を収穫する儀式』だと勘違いした。
彼女は真剣な顔で、アイテムリストをスクロールしていく。
「魂を狩るならば、それ相応の装備が必要だ。だが、この世界には、我が愛用していた『魂喰らいの鎌』も、『絶望を誘う黒衣』も見当たらぬな…」
フレアは不満げに唸った後、何かを閃いたように、アバターに奇妙なアイテムを装備させ始めた。
まず、手に持たせたのは、巨大な『虫取り網』。
そして、腰には大きな『虫かご』をぶら下げた。
「ふん、代用品だが仕方あるまい。この網で浮遊する魂を絡め取り、この籠に閉じ込めてやろう」
そのあまりにもシュールな出で立ちに、コメント欄はすでに笑いの渦に包まれていた。
『魂(虫)www』
『夏休みの少年かな?』
『その格好で魂狩られたくないwww』
だが、フレアの狂気はまだ終わらない。
彼女はアクセサリーの項目から『風鈴』を大量に選択し、アバターの全身に、まるで魔除けの札を貼り付けるかのように、じゃらじゃらと飾り付け始めた。
そして、歩くたびに「チリンチリン」と、おびただしい数の風鈴が涼やか(?)に鳴り響いた。
「うむ。この清らかなる音色は、迷える魂を呼び寄せるための『魂寄せの鈴』として、申し分ない効果を発揮するであろう。この音色に誘われ、愚かな魂どもが自ら我が網に飛び込んでくるというわけよ!」
その姿は、もはや魂を狩る死神ですらなく、歩く怪奇現象そのものであった。
完成したコーディネートを満足げに眺め、フレアは高らかに宣言する。
「見よ、民草よ! これぞ、効率的かつ雅やかなる、魂狩りの装束よ!」
『雅やか…?』
『完全にホラーです、ありがとうございました』
『その格好で夜道に立ってたら通報されるレベル』
◇
ひとしきりフレアの狂気のファッションショーが続いた後、ゲームのモードが切り替わった。
『お悩み解決! あなたのコーデ、プロデュースします!』
画面に、様々な悩みを抱えるNPCたちが現れる。
最初の依頼人は、気弱そうな少女のアバターだった。
『自分に自信がなくて、いつも俯いてしまうんです…』
「ふん、その俯いた顔、虫けらのようで気に食わん。だが、その魂の芯には、か細いが折れぬ光が見える。」
フレアが選んだのは、漆黒のゴシックドレスと、トゲトゲのチョーカーだった。
「白などという甘えた色で、貴様の弱さを隠せると思うな。そのか細い魂は、黒でこそ際立つ」
「この首輪は、貴様に近づく不埒な輩への警告だ。せいぜい牙を研いでおけ」
コーディネートが完成すると、ゲーム内の演出で、気弱だった少女のアバターが、なぜか自信に満ちた不敵な笑みを浮かべるように変わった。
コメント欄が「ゴスロリはいいぞ」「その理屈はなかったw」といった賞賛とツッコミで溢れかえっていると、次の依頼人が画面に表示された。
それは、かつては豪華な暮らしをしていたであろうことが窺えるが、今はみすぼらしい服を着て、絶望に打ちひしがれている元貴族風の男だった。
『富も、地位も、全てを失ってしまいました。もはや私には、何の価値もないのです…』
その痛切な魂の叫びに、フレアは心底つまらなそうに、深く溜息をついた。
「くだらん。富や地位など、所詮は借り物の輝き。そのようなものでしか己の価値を測れぬとは、貴様の魂がいかに矮小であったかの証明よ」
その言葉は、まるで過去の自分に言い聞かせるかのように、静かだが重い響きを持っていた。
彼女は、男が唯一しがみついている、擦り切れた『家紋の入ったペンダント』を、容赦なく奪い取る。
「過去の栄光にすがるな、亡霊め。貴様は一度死んだのだ。ならば、新たな生を始めよ」
フレアが彼に着せたのは、豪華な貴族の服ではない。
泥に汚れても構わない、丈夫で質素な『開拓者の服』。
そして、その手には一振りの錆びついた『鍬』を握らせた。
「価値とは、与えられるものではない。己の魂で、その手で、無から創り出すものだ」
「見よ、貴様の前には、まだ何も耕されていない広大な大地が広がっておる」
「その鍬で土を耕し、種を蒔き、己だけの王国をゼロから築いてみせよ」
「その時こそ、貴様は真の『王』となる。失ったものより、これから得るものを見よ。それこそが、覇道を歩む者の視点だ」
コーディネートが完了すると、絶望に満ちていた男のアバターの目に、再び未来を見据える強い光が宿ったかのような演出が流れる。
そのあまりにも王様すぎる、しかし魂の真理を突くかのような言葉に、コメント欄は感動と畏敬の念に包まれた。
『うおお…魔王様、深い…』
『ただのファッションゲームじゃなくなってきた』
『もしかして魔王様も、何かを失ったことがあるのかな…』
ヴェルゼスが勝利を確信し、小さく息を吐いた、その瞬間。
突然、ゲーム画面が激しいノイズと共に砂嵐に変わり、ブツリと音を立てて暗転した。
次の瞬間、今まで表示されていたNPC選択画面が強制的にシャットアウトされ、代わりに、一体の、見覚えのある姿が画面中央にポップアップした。
それは、おどろおどろしい紫色の光を放ち、短い足を生やしたスライム状の生命体。
料理配信で、フレアがこの世に生み出してしまった、あの禁断のダークマター。
机の隅で、ヴェルゼスは「ひっ」と小さな悲鳴を上げた。
両手で口を塞ぎ、頬袋の中身が逆流しそうになるのを必死で堪える。
それほどまでに、その忌まわしき紫色の粘液がもたらした悪夢の記憶は、彼の魂に深く刻み込まれていたのだ。
「なっ…!?」
フレアが驚きに目を見開く。
その視線の先で、かつて『ベルゼ弐号』と名付けた存在が、ヨチヨチとフレアのアバターの足元に駆け寄ると、親を慕うように健気にすり寄ってきた。
頭の上には『……』という吹き出しが、寂しげに浮かんでいる。
コメント欄は、この完全に予想外の再会に、今日一番の騒然となった。
『ええええええええええ!?』
『ベルゼ弐号!? なんでここにいんの!?』
『ゲームの垣根越えてきたぞwww まさかのクロスオーバー!』
『創造主を追って時空を超えたのか…!』
ヴェルゼスが(主よ、これはただ事ではありませぬ! ゲームの理が歪んでおりますぞ…!)と戦慄する中、フレアは一切意に介さず、ただ目の前の出来事に、眉をひそめていた。
彼女は、足元ですり寄ってくる、かつて自分が創造した生命体を見下ろし、静かに、しかし有無を言わせぬ威圧感で言い放った。
「――貴様、なぜ我が前にいる」
その声は、次元を超えた再会を喜ぶものでも、驚くものでもない。
まるで、許可なく謁見の間に現れた不届き者を咎める王のそれだった。
「我は貴様に『この地で、強く生きるがよい』と命じたはずだ」
「それは、『次に我の前に姿を現す時は、相応の武功を立ててからにせよ』という意味に他ならん」
「だというのに、貴様、これまで一体何をした? 何か手柄を立てたのか? 答えよ!」
『え?』
『そういう問題!?www』
『武功www ベルゼ弐号に何を求めてるんだwww』
『論点が王様すぎるwww』
フレアのツッコミは、この世界の摂理に開いた大穴の存在ではなく、「臣下としての務めを果たしているか」という、どこまでも彼女らしい王の視点からのものだった。
ベルゼ弐号は、主の叱責にしょんぼりしたのか、その紫色の体をぷるぷると震わせるだけだった。
フレアは、その情けない姿を見て、大きく、わざとらしい溜息をついた。
「…ふん。まあよい。その様子では、何も成しておらぬようだな。だが、主君を慕い、こうして馳せ参じたその忠義だけは認めてやらんでもない」
彼女は、ベルゼ弐号のアバターをそっとクリックすると、コーディネート画面を開いた。
そして、その紫色の粘液質の体に、鉄製の、錆びついた首輪と、『魔王軍・雑兵』と書かれた木札を、無造作に着けてやった。
「よいか。その首輪は、我が臣下であるという証。そしてその木札は、貴様がまだ半人前であるという戒めだ」
「この『雑兵』という階級から、己の武功でのし上がってこい。次に会う時、貴様がまだ『雑兵』のままならば…その時は、覚悟するがいい。よいな!」
それは、迷子の子供への目印などではない。
期待に応えられなかった臣下への、次なる試練と、僅かな期待を込めた、王からの『沙汰』だった。
◇
配信後。
薄暗い部屋で、フードを深く被った人物が、複数のモニターを睨みつけていた。
画面の一つには、フレアの配信で起きた現象のログが、もう一つには、そのログを解析するプログラムが高速で走っている。
やがて、解析プログラムが『Match Found.』という表示と共に、一つの企業ロゴを画面に映し出した。
そのロゴを静かに見つめた後、キーボードを数回叩き、画面を閉じる。
複数のモニターの一つに表示されているフレアのチャンネルページに向かって、ボソリと呟いた。
「……やはりか」
そして、迷いなくフレアの配信アーカイブにカーソルを合わせ、静かに高評価ボタンをクリックするのだった。