第14話 気高き威容、そして、寸劇
その日、ボロアパートの城門(郵便受け)に、再び赤紙が届けられた。
忠臣ヴェルゼスは、その紙――2度目の督促状――を小さな体で引きずりながら、主君の元へと向かう。
彼の脳裏に蘇るのは、敵軍に包囲された、かつての絶望的な籠城戦。
今の状況は、まさしくそれと同義だった。
「主よ! 我が城が、再び陥落の危機にございます!」
しかし、玉座に座す魔王フレアは、まるで興味がなさそうに言い放った。
「ふん、またか。些事よな」
彼女にとって「カネ」とは、「配信すれば湧いてくる、よく分からないエネルギー源」程度の認識。
その価値や、有限であるという感覚が、致命的に欠けていたのだ。
「些事ではございません!」
ヴェルゼスは、チラシの裏に書かれた家計簿(支出の部)をフレアに突きつける。
「先日、『金の器に入ったプリンは王にふさわしい』と、一個一万円のプリンを!」
「『このげーみんぐちぇあは、新たな玉座となる』と、十万円の椅子を!」
「我が軍の財宝は、主の『王としての当然の投資』によって、すでに底をついております!」
だが、フレアは悪びれる様子もなく、むしろ満足げに頷いた。
「うむ。どれも我が威光を高める、良い買い物であったな」
このままでは、主の金銭感覚は培えず督促状のループを繰り返すことになる。
いや、待て。
ヴェルゼスは瞬時に思考を切り替える。
プライドの高い我が主君に「財政学を学びましょう」などと言えば、「なぜ我がその様なことを!?」と激怒させるだけだ。
ならば――。
ヴェルゼスは、一世一代のプレゼンを開始した。
「主よ! 先日のクイズ対決を、思い出されませ!」
「あの聖女アリアは、『正解』を重ねることでしか民を喜ばせられなかった。しかし、主は『間違い』をもって、アリア以上の熱狂を生み出した!」
「これは何を意味するか…!」
「ほう…?」と、フレアが興味を示す。
ヴェルゼスは畳み掛ける。
「つまり、この世界の民は、完璧で完成された王よりも、『未完成で、成長していく王』の姿にこそ、より強い魅力を感じるのでございます!」
「民は、主と共に物語を歩みたいのです!」
「我が主の、ある意味で『人間らしい』その成長の過程こそが、最強の武器なのです!」
そして、彼は最終提案を叩きつけた。
「そこで、次なる儀式はこれです! 『魔王軍・財政再建計画』!」
「あえて我らの窮状を民に晒し、王自らが『節約』という試練に立ち向かう」
「その葛藤の物語こそが、聖女には決して真似できぬ、最高の劇となるのですぞ!」
フレアは、ヴェルゼスの言葉に完全に納得した。
「なるほどな…! 我が偽りの『苦悩』が、民の『喜び』となるか!」
「その役は、王にしかできぬ、なんと高度な民の導き方か! 面白い!」
彼女は、節約を『やらされる』のではなく、『民を喜ばせるための新たな演劇』だと完全に誤解し、意気揚々と挑戦を決意した。
かくして、「魔王フレアの節約生活」という前代未聞の配信がスタートした。
舞台は、近所のスーパーマーケット。
今日の配信は、PCではなくスマホを使った「外配信」だ。
専用のアプリが、スマホのインカメラでフレアの表情や口の動きをリアルタイムで読み取り、アバターに反映させる仕組みである。
ヴェルゼスは、フレアのポケットからミニ三脚を引きずり出すと、ショッピングカートの取っ手を指さした。
「我が力では、これを固定することが…!」
「ん? 貸してみよ」
フレアは三脚を受け取ると、ヴェルゼスに言われるがまま、不器用ながらもカートにぐりぐりと固定していく。
その上に、ヴェルゼスが小さな体で必死にスマホをセットした。
「主よ、あまり激しく動かれますと、アプリが顔を認識できなくなりますぞ!」
「それに、外は雑音も多い…!」
「どうか、この『すまーとふぉん』のマイクに聞こえるよう、はっきりとお話しください!」
「分かっておるわ! それよりベルゼ、しっかりと我が勇姿を映しておくのだぞ」
『御意に!…』
かくして、魔王とハムスターの壮大なショーが幕を開けた。
最初の目的地は、野菜コーナー。
安いもやしと、色鮮やかなパプリカの前で、フレアは腕を組み、深刻な顔で葛藤を始める。
「ぐぬぬ…! こちらの脆弱なる豆の芽は、我が民草の姿に似て、安価でたくましい。だが、こちらの色鮮やかなる野菜は、我が威光を示すにふさわしいではないか…!」
彼女はスマホのカメラをしっかりと見据え、わざとらしく苦悩の表情をアバターに浮かべる。
「民よ、見ているか! これが王の『葛藤』だ! 我は今、汝らのために、どちらを犠牲にすべきか悩んでおるのだぞ!」
『もやしで悩む王様www』
『壮大な悩みだなぁ(白目)』
『どっちも買えよwww』
次に訪れた100円ショップでは、その均一な価格設定に、魔王は資本主義の神秘を感じていた。
「なんと! これほどの魔導具も、あの輝く皿も、全て同じ対価で手に入るとは!」
「この世界の理は、実に興味深いな!」
しかし、彼女は何かを思い出し、ハッと息をのむ。
「…いや、待て。ここで安易に満足しては、我が『物語』にならぬ…!」
演劇の主役としての謎の使命感に燃えた彼女は、商品を手に取っては名残惜しそうに棚に戻す、という一人芝居を始めた。
その姿は、完全に『苦悩する自分』に酔いしれる王そのものだった。
彼女の奇妙な「エンターテイナー魂」は視聴者に大ウケし、『魔王様、庶民的でかわいい』『苦悩深すぎるw』と、配信は大成功。
結果的に、多くのスパチャが集まり、家賃問題は無事に解決した。
配信後、ボロアパートに帰宅したフレアは、大きく息をついた。
「ふん…『苦悩』を『喜び』に変えるとは、存外に骨が折れるものよな…」
エンターテイナーとしての、心地よい疲労感。
そして、彼女はヴェルゼスに向き直り、こう宣言した。
「ベルゼ! 今回のような『劇』の筋書きを考え、それに必要な小道具を差配するのは、存外面倒であった!」
「今後、このような民を喜ばせるための『舞台設定』は、全て貴様に一任する!」
「我は『王』として、演じることに集中する。貴様は『参謀』として、我が輝くための最高の舞台を用意せよ! よいな!」
フレアは、面倒な裏方仕事を、全て丸投げしたのだ。
ヴェルゼスは(計画通り!)と内心でガッツポーズしつつ、恭しく頭を下げた。
「ははっ! このヴェルゼス、身命を賭して、主の舞台をお支えいたしますぞ!」
こうして、ヴェルゼスは「財務大臣(兼・脚本家)」の座に就き、魔王軍の財政は、ひとまずの安定を見るのだった。
しかし、それは同時に、彼の胃痛の種と、物理的な仕事量が、また一つ増えたことを意味していた。