第12話 万象の識眼、そして、聖女の微笑み
魔王フレアの無謀な宣戦布告は、瞬く間にSNSを駆け巡った。
『魔王が聖女に喧嘩売ってるww』
『絶対混ぜるな危険』
普通ならば無視されるか、穏便に諭されて終わる話。
だが、事態は予想外の方向へ転がった。
聖告のアリア側が、マネージャーを通じてその挑戦を正式に受諾したのだ。
そして、二人の対決企画として選ばれたのは――『一般常識クイズ対決』だった。
◇
「ふん、常識だと? この世の森羅万象を司る我が前に、知らぬことなどないわ!」
配信開始前、フレアは根拠のない自信に満ち溢れていた。
その傍らで、忠臣ヴェルゼスは(主よ、その常識、十中八九ズレておりますぞ…!)と、すでに胃痛で倒れそうだった。
かくして、自信過剰の魔王と、揺るぎなき信念の聖女による、異色のクイズ対決の幕が上がる。
無機質な合成音声が、第一問を読み上げる。
【第1問:1日は、何時間でしょう?】
『主よ! これは二十四時間! そのままでございます!』
机の隅から、ヴェルゼスが必死に前足を振り回し、訴えかけている。
だが、フレアはそれを鼻で笑った。
「黙れベルゼ。そのような単純な答えのはずがなかろう。これは我の思考の深さを試す、ひっかけ問題よ!」
そして、彼女は自信満々に解答ボタンを押し、高らかに宣言した。
「答えは『無限』だ!」
『ブッブー!』
気の抜けた不正解のブザー音と、コメント欄が『草』で溢れかえる。
『無限www魔王様の体感時間www』
『スケールがでかすぎる』
不正解のフレアを見て、アリアは慈愛に満ちた微笑みを浮かべた。
「魔王様…。お時間が無限に感じるほど、毎日が充実していらっしゃるのですね。素晴らしいことです」
「…ですが、この世界での正解は、24時間なのです。どうか、覚えてあげてください」
そのあまりにも聖女的なコメントに、フレアは「ぐぬぬ…」と、どこかやり込められたような悔しそうな顔を見せる。
【第二問:ことわざ『石の上にも三年』。辛いことでも我慢し続ければ、いずれどうなる、という意味でしょう?】
『主よ! これは「成功する」という意味にございます! 報われる、と!』
「ふん、浅いなベルゼ。石の上に三年も座り続ければ、どうなるかなど、分かりきっておるわ」
「答えは、『痔になる』だ!」
『ブッブー!』
『痔wwwリアルすぎるwww』
『健康を心配してくれる魔王様やさしい』
コメント欄の爆笑の中、アリアは困ったように、しかし優しく微笑む。
「…魔王様は、ご自身の体をとても大切にされているのですね」
「ですが、この言葉は、辛い思いをしている誰かの心を支える、希望の光なのです。わたくしは、そう信じておりますわ。答えは『必ず報われる』、です」
『ピンポーン!』
正解のチャイムが鳴り響き、アリアのポイントが、さらに加算される。
フレアは、アリアのその完璧な聖人君子ぶりに「けっ、偽善者めが…」と小声で毒づいた。
司会「では、次の問題です。理科からの出題となります」
【第3問:水が氷になる温度は、摂氏何度でしょう?】
『主よ! これは零度ですぞ! 我らがいた世界の呪氷魔法の儀式とは、全く関係ございませぬ!』
ヴェルゼスの懇願するような声も、今のフレアには届かない。
彼女は「今度こそ、我が真理を見抜く時…!」と、瞳を爛々と輝かせていた。
「ふん、愚問だな。水が氷になるのに温度など関係ない。この我が魔力を込めれば、常温でも一瞬で凍てつくわ!」
「答えは――『我がその気になった時』だ!」
『ブッブー!』
3度目の気の抜けたブザー音。
しかし、コメント欄はもはや感心しきりだった。
『出たwww魔王様基準www』
『物理法則を捻じ曲げるスタイル、嫌いじゃない』
『それができたらノーベル賞どころの騒ぎじゃないんだよなぁ』
フレアの常軌を逸した回答にも、アリアの表情は一切変わらない。
ただ、完璧な微笑みを浮かべたまま、小さく一度だけ頷いた。
その仕草は、感心したようにも、呆れたようにも、あるいは単に話を聞いていたという合図にも見えた。
「まぁ…ご自身の御心一つで、この世界の物理法則すら変えてしまわれるのですね。まるで、世界そのものを書き換えるような御力…」
「その絶大なエネルギー、もし人々を癒す方向に向ければ、どんな奇跡が起きるのか…わたくし、少し興味が湧いてしまいましたわ」
フレアは、その言葉の真意を測りかね、眉をひそめてアリアを睨みつけた。
肯定されているのか、あるいは遠回しに馬鹿にされているのか。判断がつかず、居心地の悪さを覚える。
「…ふん。我が力を理解したのなら、余計な口出しはよせ」
フレアは不機嫌そうに言い返したが、アリアはただ微笑むだけだった。
そして、運命の最終問題。
【お互いの『好きなもの』は何でしょう? 相手の好きなものを当ててください】
これは、お互いの配信を見ていれば分かる、ファン向けのサービス問題だ。
アリアは自信ありげにペンを走らせる。
「魔王フレア様の好きなものは、『プリン』ですわね?」
「先日、SNSで『戦利品のプリン』と呟かれているのをお見かけしました。過酷な戦いの後に召し上がるプリンは、きっと格別なのでしょうね」
『ピンポーン!』
さすがの正答率。そして、今度はフレアの番だ。
ヴェルゼスが(主よ、頼みますぞ! アリアの好きなものは、プロフィールにも書いてあった『ハーブティー』にございます!)と必死に念を送る。
だが、フレアはアリアの顔をじーっと見つめ、ニヤリと不遜な笑みを浮かべた。
「ふん、貴様の好きなものなぞ、お見通しよ。それは…『我の負け顔』であろう?」
『……え?』
アリアの鉄壁の微笑みが、一瞬だけ、純粋な驚きの表情に変わった。
コメント欄は『え?』『斜め上の回答きたwww』『ドS聖女爆誕か?』と騒然となる。
司会が『ブッ…ブブー…?』と、困惑したような不正解音を鳴らす。
しかし、フレアは満足げに言い放った。
「図星か? 聖女の皮を被って、この我を叩きのめすのが、楽しくて仕方ないという顔をしておるぞ、貴様」
その挑発に対し、アリアは一瞬キョトンとした後、ふわりと、花が綻ぶように微笑んだ。
「あら、うふふ…。わたくし、魔王様が負けてしまうお顔ではなく、『魔王様が笑顔になるお顔』が見たいです。きっと、とても素敵なのだと思いますから」
聖女120%の切り返し。
予想外のカウンターに、フレアは一瞬言葉を失った。
だが、次の瞬間、彼女の瞳に宿ったのは不意を突かれた者の動揺ではなく、獲物を見つけた肉食獣のような、獰猛な光だった。
「――面白い」
フレアは、アバターの口元に、深く、挑戦的な笑みを浮かべた。
「どこまでもその聖女の皮を被り通すか。よかろう。ならば、次こそは必ずや、貴様のその化けの皮、我が手で剥ぎ取ってくれるわ!」
再び叩きつけられた、明確な敵意と挑戦状。
それに対し、アリアはただ、困ったように、しかし決して崩れない慈愛の微笑みを返すだけだった。
まるで、嵐の中で静かに佇む大樹のように。
コメント欄は「バチバチで草」「宣戦布告2回目!」「この二人、水と油すぎるw」と、今日一番の盛り上がりを見せた。
◇
結果は、ポイント上ではアリアの圧勝。
配信後、トレンドを席巻したのは「#魔王様の体感時間」「#石の上にも痔」、そして「#聖女様つよい」だった。
配信が終わり、静寂が戻った部屋で、フレアはアバターの口元に残る獰猛な笑みを消さずに、低く呟いた。
「――聖告のアリア…。面白い。実に、面白い女だ」
それは、クイズに負けた悔しさではなく、好敵手を見つけた悦びの色を帯びていた。
その傍らで、ヴェルゼスは冷や汗を流しながら、主君の新たな敵について思考を巡らせていた。
(あの女…やはりただの聖女ではない。主の混沌を、自らの秩序で塗りつぶそうとする、光の侵略者…。これは、単なる配信者同士の争いでは済まなくなるやもしれぬ…!)
忠臣は、これから始まるであろう魂の戦争を予感し、ゴクリと息をのむのだった。