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第9話 魂の凱歌、そして、世界の瞬き

「歌ってみた、だと?」


フレアは、ディスプレイに殺到するファンからのリクエストを眺め、心底不思議そうに首を傾げた。


我が芸術(という名の落書き)や、料理(という名の生命創造)は理解できた。

だが、歌。

それはあまりにも、個人的で、魂の根幹に関わる行為だ。


『魔王様の歌声が聴きたい!』

『ぜひ、魔王軍の軍歌をお願いします!』


「ふん、面白い。我が魂の歌を聴きたいか、愚かなる民草よ」


フレアの口元に、不遜(ふそん)な笑みが浮かぶ。

よかろう。貴様らが望むなら、見せてやる。

いや、聴かせてやろう。

我が魂の(まこと)の輝き、その鼓動を。


「ベルゼ、今宵は儀式の準備だ。我が覇道を刻みし、あの歌を世界に響かせるぞ」


「はっ!……え、あの歌、でございますか!?」


机の隅でヒマワリの種を頬袋に詰めていたヴェルゼスが、素っ頓狂な声を上げた。

その小さな瞳が、焦りと困惑で見開かれる。


「お待ちくだされ、(あるじ)よ! 『赫焉(かくえん)の凱歌』は、我ら魔族の魂を直接高ぶらせる禁断の旋律! その脆弱(ぜいじゃく)な人の器では、歌い終わる頃には干からびたミミズのようになってしまいますぞ!」


「ミミズだと? 面白い! ならば我が魂の輝きが、この器の限界をどう超えるか、とくと見るがいいわ!」


フレアは、忠臣の的確すぎる進言をいつものようにズレた解釈で一蹴すると、迷いなく配信開始のボタンをクリックした。


今宵、世界はその歌を聴いてしまう。

(まこと)の王が奏でる、魂の歌を。



「――聞け、我が民よ! 今宵は特別だ。貴様らの矮小(わいしょう)なる魂に、我が覇道の記憶、そのものを刻み込んでやろう!」


高らかな宣言と共に、フレアは息を吸い込んだ。

ボロアパートの六畳間に、(いにしえ)の言葉が響き渡る。


――最初は、いつもの甲高い、少しあどけなさの残る少女の声だった。


荘厳なはずの歌が、どこか童謡のように聞こえる。

そのアンバランスさに、コメント欄はいつものように沸き立った。


『かわいいwww』

『魔王様の童謡かな?』

『どこの国の言葉? 歌詞は絶対「鏖殺おうさつ」とか「蹂躙じゅうりん」とか言ってるんだろうに、声がロリで草』


ヴェルゼスは、(あるじ)の身を案じながらも、ひとまずは安堵のため息をついた。

(ふぅ…この程度なら、まだ大丈夫か…)


だが、彼の安堵は、次の瞬間、戦慄(せんりつ)へと変わる。


――サビに差し掛かった、その時だった。


フレアの歌声が、変貌した。

甲高い少女の声に、まるで深淵(しんえん)の底から響くような、荘厳で、力強く、そして絶対的な威光(いこう)に満ちた『王の声』が、完璧に重なり始めたのだ。


それは、一人の人間が発しているとは思えぬ、神々しくも禍々(まがまが)しい、二重音声デュエット

魂そのものが、歌っている。


あれだけ騒がしかったコメント欄が、水を打ったように静まり返った。

誰もが、ディスプレイの向こうから放たれる、人知を超えた魂の響きに、ただただ圧倒されていた。



歌が終わり、しばしの沈黙。


完全燃焼したフレアは、ぜぇぜぇと肩で息をしながらも、かろうじで王の矜持(きょうじ)を保ち、最後の言葉を振り絞った。


「ふん…我が魂の鼓動…少しは、理解…できたか…」


その決め台詞が、まるで合図だったかのように。

フレアのPCから、『ポーン♪』という、気の抜けたシステム音が一つ鳴り響いた。


そして、デスクトップ画面の隅にあった「ごみ箱」のアイコンが、ぴょこん、と一度だけ、まるで生きているかのように跳ねた。


フレアは、息も絶え絶えながら、その現象を見てニヤリと笑う。


「ふ、ふふ…見たかベルゼ…我が歌の力に…この世界の…カラクリそのものが、驚いてしゃっくりをしおったわ…!」


そのあまりにも魔王様すぎるポジティブ解釈に、コメント欄は『さすが魔王様!』『世界のしゃっくりwww』と、畏怖(いふ)と笑いが入り混じった反応で再び盛り上がりを見せる。


だが、その喧騒の中、ひときわ異彩を放つコメントが、一つだけ投下された。

いつもの長文考察でお馴染みの、信徒からだった。


『†漆黒(しっこく)の考察者†:…おかしい。今の現象、ただの偶然じゃない。何かのトリガー? 何を試した?』


その指摘は、ほとんどの視聴者の目には留まらなかった。

しかし、ヴェルゼスの小さな瞳は、その一文を確かに捉えていた。



配信が終了し、SNSでは『#世界のしゃっくり』がトレンド入りを果たしていた。


一方、ボロアパートの一室。

フレアは魔力を使い果たし、椅子の上で「う…動けぬ…ベルゼ、水…」と、完全に燃え尽きて干からびかけていた。


その傍らで、ヴェルゼスはいつものようにSNSの反応を調べていた。

彼の目に、トレンドワード『#世界のしゃっくり』が飛び込んできたのだ。


「ふん、(あるじ)の決め台詞が早速トレンド入りか」


忠臣はいつものように鼻を鳴らし、何気なくそのタグを開いた。


――その瞬間。


ヴェルゼスの小さな体が、凍りついた。

彼の表情からいつもの冷静さが消え去り、鬼気迫るものへと変わっていく。

ぐったりしている(あるじ)に気づかれないよう、彼は息を殺した。


そこに並んでいたのは、ファンのおふざけツイートだけではなかった。


『今、世界中の株価チャートが一瞬だけ全部同じ形になったってマジ? #世界のしゃっくり』

『うちの会社のサーバー、日本時間の23:15に0.5秒だけ全停止したらしい。原因不明だって。#世界のしゃっくり』

『世界各地の交通信号が、一斉に1秒間だけ黄色点滅したってニュースになってる…』

『アマゾンの奥地で衛星電話が一瞬だけ繋がらなくなったらしい。何これ怖い』


それは、国境も、時差も、物理的な距離さえも無視した、地球規模で同時多発的に起きた、デジタルインフラの不可解な『しゃっくり』の報告で溢れかえっていたのだ。


全ての異常が起きた時刻は、フレアが歌い終わった、まさにあの瞬間と一致していた。


ぞわり、とヴェルゼスの全身の毛が逆立つ。

これは、偶然ではない。

(あるじ)の歌が、この世界の「何か」の神経に触れ、本当に痙攣させたのだ。


世界中で起きている異変の報告を目の当たりにし、ヴェルゼスの脳裏に、配信中のあの言葉が蘇った。


『†漆黒(しっこく)の考察者†:…おかしい。今の現象、ただの偶然じゃない。何かのトリガー? 何を試した?』


その言葉は、今やただの考察ではなく、恐ろしいほどの真実味(しんじつみ)を帯びてヴェルゼスに突き刺さった。


(この世界の裏側に潜む、得体の知れない「何か」の正体…そして、あの『†漆黒(しっこく)の考察者†』とかいう人間…。調べねばならぬ…!)


彼は、ヒマワリの種を一つ、決意を固めるように口に運び、カリッと小気味よい音を立てて殻を割った。


フレアが知らないところで、忠実なる参謀の、静かなる戦いが始まろうとしていた。

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