第36話
事前に話が通っていたのだろう。領邦内の西から南、特にクラウディオが指定した領主は、クラウディオの判とサインの入った手紙を読むや、実にアッサリとアルスの傘下に入った。
詳しく話を聞けば、サザーランド辺境伯の指示によるものだという。
彼らとしても鞍替えに思うところが無いではないが、その先が新帝軍なら許容範囲とのこと。それは、『新帝』の掲げる大義が、あくまでも『始祖』に起因しているからだ。極論すれば、脈々と伝わる『血統』に重きを置くか、それとも『始祖』と共通する『特性』に重きを置くかの違いでしかない。
同時、『特性』を持つ者がいなかったからこそ、『血統』に重きを置くしかなかったという一面があるのは紛れもない事実である。
そして、今を生きる者たちは『始祖』のことなど伝聞でしか知らない。どこまで正しいかも分からない情報しかないのだ。
尊敬はあるだろう。敬意もあるだろう。憧れだってあるだろう。しかし、必要以上にのめり込むほどではないのが大半だ。さりとて、のめり込んでいないだけで完全否定はしていないし、時としてコアなファンも生まれ出る。柵だってある。
それ故に『始祖』を敬い、その血を今に伝える『皇族』を敬い、不要な波風を立てぬようにして生きている者だって数多くいる。そこに身分は関係ない。
逆に言うと、その身分故に必要以上に縛られる者もいるのだが。当の皇族本人がいい例だろう。
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「畏れ多くも、私とグロリアス殿下は学友でな。私が領邦主の子息ということもあるのだろうが、格別にお引き立ていただいた。その胸の内を零されたこともある。……彼のお方は、常に重圧と向き合っておられた。『個人』と『立場』の板挟みにあい、苦悩しながらも進んでおられた。その姿はまさに尊敬に値する。及ばずながらもお力になることを誓った。……しかし、彼のお方自身が帝国の限界を悟っておられた。分からなくはなかった。我が領邦内だけで見ても『貴族』に相応しくない者は多い。それが帝国全土となると、いったい如何ほどの数になるものか想像もつかん。果たして、延命を図る意味はあるのか? 問われたところで答えは出せんし、今でもそれは変わらない。……されど、殿下は答えを出されたのであろう。殿下による帝権簒奪、一部嫡男勢による強引なまでの家督継承、それらの報が入った瞬間、私はそれを理解した。と同時に、『私はどうするか』について迷った。間違いなく帝国全土が混乱することは目に見えていたからな。悩んだ末、私は答えを先延ばしにした。明確な答えを出さなかった、と言う方が正しいか。……それが今の状況だ」
アルスの真ん前に座ったオーランジュ・サザーランド辺境伯は、朗々と語った。その仕草と語り口からは、アルスに対する敵意は見受けられない。かと言って好意もなさそうだが。
ここは辺境伯が起こした軍の野営陣地だ。
西部から南部の領主たちがアルスの傘下に入ったことは、間を置かず領邦内に広まった。アルスたちが盛んに喧伝したせいでもあるし、件の領主たちの手による部分もあるだろう。車両を使えば通常とは比較にならないほど短時間で各地を回ることができるし、『負担を度外視』、『片道のみ』という条件を是とすれば馬でもやってやれなくはない。
そして、そのような情報が耳に入れば、新帝軍とのコンタクトを図ろうとする勢力が現れて然り。オーランジュもその例に洩れず、会談要請に応えてアルスがオーランジュの許を訪れた次第である。
「なるほど」
アルスは呟き、頷いた。
ここまで進軍してくれば、ホープスにいた頃の自分が如何に世間知らずで経験不足だったかもよく分かっている。平たく言えば、『決起当初に得た情報の信憑性など高が知れている』ということだ。
分かったつもりになって、結局は『つもり』でしかなく、誤った情報を基に判断を下す。曲がりなりにもそれで上手くいっていたのは、全ての情報が誤りだったわけではないからであり、運に恵まれた部分も大きい。
そもそもアルス自身、皇帝や第一皇子については伝聞情報でしか知らない。ただ、主な情報源がレオンハルトとアンナだったこともあり、無条件の内に信じてしまっていた。
今にして思えば、何という愚かさか。あれでレオンハルトもアンナも皇族なのだ。必要とあれば騙しもする。友人だからといって、その対象外でいられるわけがないのだ。
オーランジュは『第一皇子が帝国の限界を悟っていた』と言った。ならば、皇帝はもちろん、同じ皇族であるレオンハルトとアンナが悟っていてもおかしくはない。
元々繋がっていたのかは分からない。しかし、家族なのだ。キョウダイなのだ。何を言われずとも真相を悟り、フォローすべく動いても不思議はない。
公爵の子とはいえ、アルスは平民として育った。必要とされる腹芸など高が知れており、磨かれることもなかった。あくまで『知識』で知ったかぶっているだけの頭でっかちでしかなかった。
それが急速に磨かれたのは、皇帝として起ったからだ。必要に迫れたからだ。
或いは、レオンハルトとアンナがアルスと別行動を取ることになったのも、アルス自身が選択したようで、その実は選択させられたのかもしれない。
一度その考えが浮かんでしまえば、決して否定はできなかった。少なくとも、荒療治と考えればこのうえなく効果的だったからだ。……まあ、それで両者に対する友情や親愛が無くなるわけではないが。
「それで、事ここに至り貴殿はどうする気だ? 我が傘下に下るというなら歓迎するが?」
「私はあくまでも忠義を貫く所存だ。だからこそ、答えていただきたい。……帝国は亡び、新帝国に成り代わる。もはや趨勢は揺らぐまい。貴公は『新帝』として、アークライト陛下やグロリアス殿下――『皇族』をどう扱うつもりなのかを。その返答次第では、たとえ敗北すると分かっていようと一戦も辞さぬ」
オーランジュの気迫は並々ならぬものがあった。アルスの返答次第では、刃を交えることになるだろう。
だからこそ、アルスも真っ向から受けて立った。
「本音を言えばまだ分からん。俺は『新帝』として、大陸の制覇に乗り出すつもりだ。場合によってはその先までも。まあ、そのためにもまず数年は内政に努めなければならんだろうが……。そのためにも、人材を無駄になどしていられん。能があるならば、未だ能が未熟でも確かな才が見込めるならば、過去を問わずに重用するつもりだ。また、貴殿のような者のことを思えば下手に処断もできん。だがそれも、人品が許容範囲ならばの話だ。情状酌量の余地があるならば外道も邪道も認めるが、腐った奴まで認めるつもりはない。……答えにはなったか?」
視線と視線がぶつかり合う。どちらも引かない。
そのままどれほどの時間が経ったか。十秒? 一分? 一時間? 分からない。短いようであり、長いようでもある。
確かなのは、オーランジュが頭を下げたこと。
「今この時より、私、オーランジュ・サザーランドはアルス新帝陛下にお仕えしましょう。……されど、重ねてお頼みします。どうか、『皇族』の方々には無下な振る舞いをなさらぬよう」
「こちらも重ねて返そう。無為に生命を奪うつもりはない。……だが、俺は『皇族』という『肩書』と『立場』を奪うのだ。そこについて『恨むな』とは言えんし、言うつもりもないが、それを是として反旗を翻そうものなら見逃すことはできなくなる。その点は了承しておいてくれ」
肩書と立場。人によっては『たかが』で済ませられるが、人によっては済ませられない。それを思えばアルスの危惧は当然のものであり、言及しておくのも当然であった。
であるからこそ、オーランジュも反論することはできない。むしろ、『旧帝国』から『新帝国』への帝権交代が成った際に処断されないだけでも儲けものなのだ。それを思えば言い分を認めるしかなかった。
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「どうにか丸く収まったようで何より。……ええ、ええ。『忠義の臣』というのなら、まさにオーランジュ卿のような者のことを言うのでしょう。対話で片を付けられた旦那様が非常に羨ましいです。それに引き換え、私が相対した者ときたら、忠臣面して欲の皮が突っ張ってるか、『貴族』とは名ばかりの脳筋か……。ああ、いえいえ。まずは愚痴よりも再会の挨拶を優先すべきでしたわね。お久しぶりです、旦那様。オーランジュ卿も。壮健そうで何よりですわ」
アルスとオーランジュ、二人だけの空間に割って入ったのは一人の少女だった。旧帝国の皇女にして、新帝国の皇帝たるアルスの妃、アンナである。
長らく別行動を取っていた相手の突然の出現に、アルスは驚き、歓喜し、落ち込んだ。贔屓目かもしれないが、アンナの纏う空気が暗くなっているように感じたからだ。……いや、事実暗くなっているのだろう。受け取っていた報告の内容から鑑みるに、暗くならない道理がない。
「おいで、アンナ」
アルスは両手を広げてアンナを迎え入れる。アンナは素直に収まった。
「久しぶり、アンナ。報告は受けていたよ。こっちも苦労したけど、そっちも苦労したようだね」
「……うん。凄く疲れたし、凄く苦しかった。何度ホープスに帰りたくなったか分からないくらい」
抱擁。場の雰囲気には相応しくないかもしれないが、そんなのは知ったことじゃない。確かに、時と場合によっては立場や肩書を優先して個人の感情を抑えなければならないこともある。ならば、その逆も許されて然りである。
アルスは片手でアンナを抱きしめつつ、片手で彼女の頭を撫でた。
アンナは嫌がることもなく、素直にそれを受け入れている。
そうしてどれだけの時間が経ったか。
「……ふむ。仲がよろしいようで安心いたしました。これならば、他の皇族の方々が無下に扱われることもないでしょう」
アンナの登場に驚き、自失していたオーランジュが、ポツリと呟いた。目元を拭うその様は演技のようでありながら、その実、確かに涙を流したことが明らかだった。
その言葉を受け、感極まっていたアルスとアンナも、この場にオーランジュがいたことを思い出した。慌てて距離を取ることはなかったが、ある意味で失態であることに違いはなく、その顔を羞恥で赤く染める。
「いやはや、どうしても手に入る情報には限りがありましたのでな。お二方が婚姻なされたのは知っておりましたが、結ばれて早々に別行動を取る有り様です。どうしても政略結婚の面を考えざるを得ず、よもやアンナ様はアルス陛下に蔑ろにされているのではないかと危惧せざるを得ませんでした。……しかし、今の光景を見れば、それが杞憂に過ぎなかったと納得致しました。夫婦仲が安泰の様で何よりでございます」
言いつつ、ウンウンと頷くオーランジュ。
言われてみれば至極御尤もなその内容。別行動を取る段、アルスたちは確かにその可能性に思い至り、それを軽視した。
その判断が過ちだったとは言わないが、正しかったとも言えない。
少なくとも、それによりアンナたちが余分な苦労を負ったのは否定できない事実だ。
その一方で、混乱収束までの時間が短く済んだのも間違いない事実だ。……まあ、まだ完全に収束したわけではないが、大部分の混乱を収めたのは確かである。
「ああ、ありがとう。……決起当初は気が急いていた面もあるからな。まあ、それまでを平和に過ごしていたのも大きいんだろうが……。ともあれ、別行動を取った方が合理的で効率的だと俺たちは判断したし、それが今に繋がっているわけだ」
「その判断に後悔はございますか?」
「無い――と言ったら噓になるんだろうがな。少なくとも、表立って『間違いだった』とは言わんし、言えんよ。それによって損した部分もあれば、得した部分もあるんだからな。……誰かが言っていたが、『幸せ』ってのは、失って初めて幸せだったことに気付く『不幸』なんだとさ。つまりは、それだけマイナス部分が目に付きやすく、意識しやすいってことなんだろう。そのことを忘れなければ、どうにかこうにか落としどころは用意できる。なら、選択しなかった『もしも』を考えすぎてもキリがない。相対的な正否は、後の世の歴史評論家にでも任せるさ」
紛れもないアルスの本音だった。
楽しいこともあれば嬉しいこともあり、哀しいこともあれば苦しいこともある。それが現実で、因果関係を考え出したらキリがない。
人死には出したくない。技術を発展、普及させたい。随行艦を手に入れたい。楽して生きたい。……どれもアルスの本音であり、並び立たせることができる一方、並び立たない部分もある。
発達した技術が普及すれば、その分だけ生活の利便性は上がるだろう。楽して生きることと同義だ。
だが、そのためには技術を発展・普及させる必要があり、それは生半なことではない。その時点で『楽して生きたい』という点からは外れている。
世の中はそんなもので、それが世の中というものだ。
「ま、与太話はこの辺にしておこう。現時点で優先すべきは、領邦の混乱を収めることだ。力を貸してもらうぞ、オーランジュ卿」
「承知いたしました」
「もちろん、私たち別動隊も協力するから」
アルスの言葉に、オーランジュは頭を下げて肯い、アンナもまた別動隊の協力を表明するのだった。
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