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「それにしても、なぜ川田教授はこの時代を選んだんでしょうかねぇ?」
町の探索をほぼ終え、許された領域内に含まれた小さな児童公園のベンチに腰掛けると、金森は仁科に訊いた。
「昭和四十年代ですよ、ここは。川田教授の生まれた時代でさえない。ま、親の時代といえないことはないですが……」
しばらく辺りを見つめてから仁科は、ふうむ、と呟やき、
「おれにも真実はわからないさ。事実は、いまここにあるわけだが……」
首をまわして肩の凝りを解しながら、
「だが、『活気』じゃないかな、川田教授が望んだのは…… そんな気がする」
遠くを見つめる眼差しで金森に答えた。
「近代日本に活気があった時代はいくつかある。二〇世紀のはじめ、日露戦争の頃が、その最たるものだったかもしれない。だが、それじゃ遠すぎると感じたんだろう、教授は…… とすると、次に考えられるのが第二次世界大戦後の時代だったんじゃないかな? 昭和二〇年代は復興の時代だった。そして経済力が回復しはじめる三十年代を経て、四十年代に入ると、高度経済成長と呼ばれる時代に突入した。……それに、あの時代は期間的には短かったしな。薔薇色の未来への夢は公害やその他の種種のツケ――とりあえず無視して時代を邁進した日本人に対する壊滅的な支払い――で無残にも壊されたが、それはまだ先の話だ。終わってみなければわからなかった夢の論理。そこに行きつくまでの可能性を、川田教授は再現したかったのかもしれない」
仁科の見解に金森は同意を示した。けれども――
「しかし、それだといずれ時代は終わってしまいますよね」
辺りを見まわし、
「この町の時間はリアルタイムです。ここは、川田教授がはじめに試した計算機内部の世界じゃありません。いくらか時間は経ってしまったけれど、教授の研究の第二段階がここでしょう」
仁科は答えた。
「たしかに数年前、現実の時間で川田教授の研究が再評価されるという後押しもあって、はじめて可能になった世界がここだ。はじまって二年も経過していない、昭和四十一年の秋さ。時代の崩壊までにも、まだ数年ある」
「もともとの計算機シミュレーションの方は、時代を超えて先に進みましたよね。もっとも、あの当時のハードでは一九八〇年までが精一杯だったようですが…… それでも、教授が実際に生まれた年は越えた。わずか一年ですが……」
「そして町のシミュレーションは、開始から数年で現実の町の歴史と齟齬を来たすようになった。ま、たいしたずれではなかったようだがね。その理由は解明されなかった。あるいは」
と仁科はそこで声を落とし、
「川田教授だけが知っていたのかもしれない」
呟くと、何処となく曇った顔で空を見上げた。
人造物とは思えない優雅さで鳩が公園を横切って飛んでいった。歩きはじめた赤ん坊は石に躓き、転んで大声で泣いた。駆け寄る母親は宥めにかかり、たまたま公園に散歩に来ていた老婆がそれに加勢した。また、そういった一連の出来事とは無関係にジャングルジムに登ったり、自転車で遊んだり、キャッチボールをしている子供たちの姿もあった。
「彼らも、町も、見かけ通りのものではない」
仁科がいった。
「それらしく見せてはいるが、町は――この実験が数千年の規模でも耐えられるように――最高級の防腐処理が施されている」
キャッチボールをしている子供たちを見遣り、
「人間や、それに付属する自転車や乳母車の大半はホログラム映像だが、中にはロボットや旧い実物を再現されたものもある。たとえば」
とミットを外れ、ちょうどよい按配に自分の足元に転がってきたボールを拾い、
「ホラッ、坊や!」
ボールを追って近づいてきた少年に、仁科はそれを投げ返した。
「こんなふうにね」
ボールを受け取った少年は、被っていた読売巨人軍の帽子を脱ぐと、
「ありがとう」
と叫んで仁科に頭を下げた。仁科はそれに手を振って答えた。
「相互作用は可能なんだ」
去りゆく少年を見つめながら、
「触らなければ見分けはつかない」
仁科は金森にいった。
「でも場合によっては、ホログラムとだって触れ合うことはできますよ。こちらに界面ソフトがあればいいだけのことですから……」
金森が答えた。
「今回は、昭和四十年代ゾーンに遊びにきたわけではないし、そんな脳処理装置は携帯していないわけですが……」
ようやく泣き止んだ赤ん坊を見つめて、首を左右に振ってから、金森は言葉を継いだ。
「でも、本当に上層部の人たちは信じているんでしょうかねぇ? 川田教授がこの中に紛れ込んでいるって……」
「さあて、どうだろうな?」
と仁科が答えた。
「こちとら宮仕えだからな。いわれた仕事をこなすだけさ」
生物都市――というより町の計算機シミュレーション――実験は完了し、川田は次の段階の実験――実際の町の建設――を計画した。だが、その途中で失踪してしまった。
もっとも計画は、その後も後継者によって継続されてはいたが……
「川田教授の後継者たちが行っているのは、実際、教授が遺した青写真に沿って忠実に計画を遂行することだけですからね。なぜなら、この計画の真の意味は誰にもわからなかったから……」
「だが、スポンサーにはことかかなかった」
仁科が金森の言葉を受けて、いった。
「生物都市計画の経済的な意味合いは明らかだったからな。かつてないヴァーチャル・リアリティ環境の構築とその実践。数多くのゲーム会社やコンピュータ・メーカーが、川田教授のソフトや彼の研究チームの精密なハードウェアの特許使用権欲しさに投資を行った。もちろん、種種の理由――その最大のものは教授自身の失踪だったが――で計画は数年遅れたが、投機の才能もあったんだろう、結局時間はかかったが頓挫することなく計画は進んだ。それに最近の川田研究の再評価が、建設予定地の提供者さえ呼び込んだ」
だが、アフリカの砂漠に現実の『町』が建設されしばらくすると、奇妙な噂が飛び交いはじめた。川田教授の幽霊が『町』に出没するというのだ。
「わたしたちがここにいる理由が、まさにそれですからね……。幽霊! 川田教授の幽霊の探索……」
いくぶん唇を引締めると、金森はそう話を結んだ。