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「どうやら、まともに探しても現れてはくれないようだな」
と少々草臥れた口調で仁科はいった。
「どうする、金森? この辺りで『町』のルールに介入してみようか?」
町の陽はすでにとっぷりと暮れていた。もっとも、それだって擬似的環境には違いなかったが、秋の夜風は確かに肌に冷え冷えと染み込んできた。そこで二人はビジネス・ホテルを探してチェックインすることに決めた。だが、その前に飲み屋で一杯やろうということになった。それ以外に選択肢がないような気がしたからだ。
「何になさいます?」
店の暖簾をくぐると、鉢巻をした恰幅のよい主人が二人に声をかけてきた。
「ええと、それじゃあ、ビールと焼き鳥のセットをお願いします。あ、それから漬物も……」
考える暇もなく、金森が注文の品をオーダーした。
「へい、お待ち!」
二分ほどして頼んだ品がテーブルに並べられると、はじめ二人はそれらを訝しんだ。実際に食べたり、飲んだりできるのだろうかと疑ったのだ。だが、その思いは杞憂に終わった。実際に口にしてみると、ビールはビールの味がしたし、焼き鳥や漬物は、焼き鳥や漬物の味がした。
「いったいどうやって、町の訪問者に同期させているんだろうな?」
胡瓜の漬物をポリポリといわせながら、仁科が感心して呟いた。
「まあ、庶民的過ぎるともいえるが、そういった意味でも川田教授は天才だな」
ビールを飲んで、しばらく二人は寛いだ。
「で、さっきの話の続きですが」
と金森が仁科に訊ねた。わずかに酔いがまわっている。
「具体的には、どうやって介入するつもりなんです? なにか特別な方法でも聞いてきているんですか?」
二人は経済科学省所属の技官だったが、今回のミッションの直属の上司は別のところにいた。複雑怪奇な政府のシステムは、その命令系統さえ混乱させていたようだ。
「いや、きみが知っている以上のことは、おれにだってわからんよ。……だが、仮設はある」
しかし仁科には、その具体的な実行方法の見当がつかなかったのだ。
「最初の計算機シミュレーションで、川田教授が自身を人格データとして組み込んだことは調べがついている」
と仁科はいった。
「そのソフトを上手く抽出することは、ついにできなかったがね。この時代に流行っていた忍者ドラマ――題名は『忍びのもの』だったかな?――のように、すぐにその存在を見えなくしたんだ」
空になったコップに金森が注いでくれたビールを呷ると、仁科は続けた。
「とにかく、最初のシミュレーションに自ら参加したのだから、次のシミュレーションにも教授は参加していると、おれは考えた。だが、問題の本質はそこにはない!」
仁科は首を捻った。
「ここに来てすぐ、きみは、なぜ昭和四〇年代なんだろう、と疑問を発した。おれは、時代の『活気』なんじゃないだろうかと答えた。とすると、こんなふうには考えられないかな? 川田教授はその活気そのものに載せて、自らの存在を時間発展させようとしたんじゃなかろうか、と」
「お、いらっしゃい!」
店の主人が大声を張り上げ、新しくやってきた客に挨拶した。
「久々ですね、先生!」
「いや、そこの窓から知り合いがいるのが見えたのでね」
その声に、仁科と金森はぎょっとして引戸を振り返った。
暖簾をくぐって現れたのは、川田智博教授本人だった。
「ご一緒させていただいて宜しいかな?」
と川田はいった。痩せぎすなのは変わらなかったが、現れた川田は、失踪当時よりかなり歳を取っているように見受けられた。仁科と金森は唖然としながらも、軽く首肯いて了承の意を伝えた。
「では、遠慮なく」
細身の身体をするりと二人の隣の椅子に滑らすと、川田は席についた。
「もっとも、このぼくはホログラム映像なんで、ホログラム映像のお酒しかいただけませんが……」
いわれて気づいたが、確かに金森の服の一部が川田の服の内部に入りこんでいた。
「まあ、それはそれで良しとしましょう」
店の主人に出された酒を、川田はわずかの量、旨そうに飲んだ。
「ふう、生き返りますね」
笑みを浮かべる。
「ええと、はじめまして、わたしは仁科雅夫といいます。向こうにいるのが」
「金森達哉です。ええと、よろしく」
と金森は川田に手を差し出そうとしたが、ああ、とすんでのところで思い留まった。
「ひとつ質問させてください」
慌しい挨拶を済ませた後、しばらく町について技術情報を交換してから、意を決して仁科は訊ねた。
「わたしの推測が正しいとすると、いまここにいらっしゃる川田教授は、第二段階の計画で教授が本来走らせようとなさった教授ではありませんね?」
川田が答えた。
「はい、如何にも…… ここにいるぼくのヴァージョンは、いわばこの町の付録なんです」
「同期のさせ方が天才的ですね」
と仁科。
「いや、町の機能の中に、それははじめから含まれていたんですよ」
川田は答えた。
「本来は無秩序でしたが、ぼくがわずかにそれに秩序を与えました」
仁科に向かい、
「しかし、はて? 仁科さんはどうやって、それをご推測なさいましたか?」
「教授の研究について昭和四十年代を調べていたとき、ある玩具に出会ったんです」
と仁科は答えた。
「もちろん現在――実時間での現在――にも同様の玩具はあるんですが、そのプリミティヴな形が、わたしにはビルのように見えたんです。そして、もしその比喩が可能だとしたら、この『町』の方がもっと複雑だろうと考えたわけです」
「なるほど、面白い!」
と川田が感心したように呟いた。
「そういう推論もあるわけだ」
「あの、ちょっと待って下さいませんか?」
話の見えない金森が二人の会話に割って入った。
「済みません、理解できないんですけど……」
「『電子ブロック』だよ!」
と仁科が金森に説明した。
「いま、おれがいったのはね。……幾種類かの簡単な回路が組み込まれた親指大のブロックを組み合わせて、ラジオだとかトランシーバとかを組み上げる玩具だ」
「で、それが……」
と金森。
「時代の『活気』を取り入れるというおれの推測――教授の目的――からすれば、その脳シミュレーション・ソフトはリアルタイムで動く必要はないんだよ。実時間より、ずっとずっと遅く実行されて構わない。とすれば、町の人間の行動や、交通の動向、転ぶ赤ん坊や、商売に励むビジネスマン、あるいは何処かで起こる火事や事故、祭り、なんかをオン/オフ(1/0)スイッチの最小単位にしてプロセッサを組上げることも不可能ではなくなる。そして、町自体の時間発展が……」
「すなわち、そのヴァージョンのぼくの時間発展となるわけです」
川田が仁科の言葉の後を続けた。
ついで少し表情を曇らすと、今度はわずかにしんみりした調子で話を続けた。
「いずれ訊かれることになるでしょうから、最初に答えておきますが、オリジナルのぼくは、たぶんもう死んでいます。公にはされませんでしたが、川田智博は失踪前すでに脳腫瘍に侵されていたのです。だからどの道、彼には生きているうちに自分の研究成果を見ることはできませんでした。ぼくが面白いと感じたのは、失踪に続く川田の行動です。彼が何処に現れたと思われますか? 彼は別れた妻の所に向かったんですよ。携帯電話を踏みつけてからね。失踪前の最後の電子メールで、その川田はぼくにこう告げました。『受け入れてくれるかどうかわからないが、もう一度話がしてみたい』と。……ぼくは、それが上手くいったのだ、と信じることにしていますよ。もっともこのぼくには、彼の気持ちがいまひとつよくわからないのですが……」
わずかの間、会話が途切れた。
「ところで、もうひとりのあなた、すなわち『町』であるところのあなたは、現在何に取り組まれているのですか?」
先の川田の話には何とも答えようがなかったので、仁科は質問の矛先を変えることにした。それも訊ねたかった疑問だったからだ。
「彼の思考速度は極めて鈍いので、はっきりしたアクセスはできないのですが……」
と前置きしてから、川田は仁科に答えた。
「どうやら、時空の生物学的構造に興味を持ちはじめているみたいですね。たしかに究極のプロセッサは時空単位のオン/オフ素子で組み立てられるでしょうから……」
ということはいずれ、川田智博という存在は、時空にのってわれわれの元へ帰還することになるのだろうか? 仁科は思った。それは大いなる帰還になるだろう! 目には見えないが、失踪後の川田――のシミュレーション――は『町』となって現実世界に戻ってきた。その川田でさえ人知の推測を超えているのだ。ましてやそれが時空となると……
仁科は気が遠くなるのを感じた。
それに常に慎重な川田のことだ。そこに行きつくまでにはいくつもの段階を経るのだろう。昭和四十年代の町が、次には何に化けるのだろうか?
その考えは壮大過ぎて、仁科には想像することすらできなかった。
だが仁科には疑問もあった。川田智博をそこまで突き動かした最初の動機は、いったい何だったのだろうか、と。
少なくとも、いまここにいるホログラムの川田は、かつてのトレードマークでもあった綺麗な杖をついてはいなかった。
[梗概]
理論生物学者の川田智博が忽然と行方をくらました。川田に家族はなく、十数年間連れ添った妻とも数年前に離婚していた。新庄充明には三度の幽霊体験があったが、最後の体験の前にその幽霊の名が川田智博であることを知った。川田は分子生物学の理論分野で図抜けた業績を上げ、若くしてノーベル賞候補にも挙がったと資料には記載されていた。最後に取り組んだ研究は生物機能を持った実物の都市の建設だったが、その段階的な結果を見る前に失踪していた。もともと川田はコンピュータ・ハードを十全に活用した計算機シミュレーションによる生物機能の解明からアカデミックな分野に進出した。生物の遺伝子や脳機能などの純粋解析には膨大な時間がかかるため人間一人を丸ごとシミュレートするのは事実上不可能だと考えられていたが、時間を気にしなければ(研究者が己が仕掛けた実験結果を生きている内に確認する必要がなければ)話は別だった。川田は失踪前最後の研究テーマ用シミュレーションの対象として昭和四〇年代の東京の一市街地を選んでいた。その理由は時代の活気ではなかろうかと噂されていた。生物都市計画の経済的な意味合いは明らかで、数多くのゲーム会社やコンピュータ・メーカーが川田教授のソフトや彼の研究チームの精密なハードウェアの特許使用権欲しさに投資を行い、また業績自体も再評価されて、数年遅れただけで川田の計画は頓挫せずに実行された。遠いアフリカの砂漠に――川田がすでに評価を終らせていた計算機内部の世界ではなく――現実の町が建設された。だがしばらくすると、その町に川田の幽霊が出没するとい噂が広がり、日本の経済科学省は二人の技官をそのシステム内に送り込んだ。最初の計算機シミュレーション内に川田が自身を人格データとして組み込んだことまでは調べがついていたが、その意は不明だった。それを直接川田(の幽霊)から聞き出すことが目的だった。新庄は川田が最初に走らせた町の計算機シミュレーションに付随する人格だった。町の住民の人格シミュレーションには人権問題が生じる可能性があったため、川田は折衷案を採択し、現実世界の何人かについては研究の趣旨を納得してもらい実在の人物に近い形で計算機内部に取り込んだが、町の大半の住人はその世界だけのオリジナルだった。新庄はその中のひとりだった。「教授はあの時代の活気そのものに載せて自らの存在を時間発展させようとしたんじゃなかろうか?」技官が呟く。「その脳シミュレーション・ソフトはリアルタイムで動く必要はないんだよ。実時間よりずっとずっと遅く実行されて構わない。とすれば、町の人間の行動や、交通の動向、転ぶ赤ん坊や、商売に励むビジネスマン、あるいは何処かで起こる火事や事故、祭り、なんかをオン/オフ(1/0)スイッチの最小単位にしてプロセッサを組上げることも不可能ではなくなる。そして町自体の時間発展が……」「すなわち、そのヴァージョンのぼくの時間発展となるわけです」技官の質問に川田の幽霊=ホログラムが答えた。だが究極のプロセッサは時空単位のオン/オフ素子で組み立てられたものだ。ということはいずれ、川田智博という存在は時空にのってわれわれの元へ帰還することになるのだろうか? 数世紀を経て? 果たして数百年間後、太陽系周辺領域で忘れられた風景と化していた〔辺境〕領域内に惑星が出現した。(了)




