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万妖の王  作者: 雨翠
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化猫 其之伍

 葉擦れの音がやけに大きく聞こえる。

 昼間に木々や岩に貼っておいた呪符には青い炎が灯り、鬱蒼とした山道を篝火の如く照らしている。進めば進むほど炎の揺らめきは強くなり、妖気の在処を示す。

「邪羅久」

 青く光る道を駆けながら呼ぶと、頭上を飛んでいた紅蓮の鷲が高度を下げ、横目で此方を見た。金の眼は闇の中で煌々と輝きを放っている。

「化猫は二の次です。先ずは新田殿を探しましょう」

『今頃は猫の腹の中だろう』

 口では揶揄しながら、違うとは判っているようだ。揺らめきながら少しずつ移動していく妖気から感じ取れる渇望は、腹を空かせて獲物を探す獣のそれである。

「山は広い。手分けして探す方が良いですね」

 分かれ道に出た。僧侶は足を止め、人の姿に戻った邪羅久を振り返る。

「二手に分かれましょう。新田殿が見つかったなら、家まで送って差し上げなさい。先に化猫を見つけたとしても、新田殿の保護を優先するように」

「一人で行く気か」

「私は寂光の弟子ですよ。案じることはありません」

「案じてなどおらんわ。別れてから助けろと喚かれては鬱陶しいというだけだ」

「その心配は無用です」

 木々がざわめく。眉を顰めた邪羅久を、僧侶は真正面から見据えた。

「今宵……いえ、これから先の旅路で、私がどのような目に遭おうとも、たとえお前の眼前で殺されることになろうとも、私を助ける必要はありません」

「何?」

「お前の力は、お前自身と、市井の人々を救う為だけに使うのです。もし今後、私が私欲の為にお前を利用しようとしたその時は」

 僧侶は言葉を切り、あらん限りの誠を込めて、邪羅久の眼をひたと見据え告げる。

「私を殺して構いません」

 呪紋が燃える。

 宵闇の中、呪いの炎は熱した鋼のように重く鋭い光を放つ。不快を露わにするかと思われた邪羅久は意外にも薄く笑っただけだった。大方、先の愉しみができたとでも思っているのだろうが。

「その言葉、忘れるなよ」

 僧侶は微笑み、邪羅久に背を向けて足を踏み出した。背後で邪羅久の気配が消える。同時に突風が足元を吹き抜けていく。振り返れば、妖鬼の姿は既に跡形もない。

 ——時に巨龍と成りて天地を脅かし、時に雲霧と成りて神仏をも欺く。

 古の呪術師が生涯で出逢った妖について記したという書、その中の邪羅久について語られた一節を、ふと思い出す。木々の生い茂る山中で人を探すには、人や鷲の姿でなく、風となるのが最も速いのだろう。

 自在に姿を変えられる妖など他に聞かない。やはり格の違う存在なのだろうと改めて思い知る。果たして向後、自分の力で御せるものなのか――胸に過る不安を振り払うように、僧侶は青い炎を辿ってひた走る。数刻が過ぎ、いよいよ大きく揺れ動く炎に照らし出された視界の端で、黒い影が動いた。

 咄嗟に桜の巨木の陰へと隠れ、息を殺す。下草を踏みしめる微かな音が徐々に近づいてくる。懐から呪符を出し、早鐘を打つ鼓動を静めながら機を窺った。足音がゆっくりと迫ってくる。すぐ傍の藪ががさりと動いた瞬間、僧侶は錫杖を構え、木陰から躍り出た。うわあっと間の抜けた声があがる。

「……新田殿!」

「お坊様」

 この広い山中で、まさか邪羅久よりも先に出会えるとは思っていなかった。地にへたり込んだ新田は僧侶を見上げて深く安堵の息を吐き、次いで勢いよく頭を下げた。

「申し訳ございません! 御迷惑とは判っていたのですが、居ても立っても居られず……」

 肩を震わせて詫びる。その胸中を思えば、責めることなどできなかった。

「顔をお上げください。ご無事で良かった」

 すぐにでも家へ送りたかったが、制止を振り切って危険も顧みず此処まで来た新田が素直に言うことを聞いてくれるとは思えない。説得するにしても、先ずはこの場から離れる方が良いだろう。先ほどから呪符の炎は大きく不安定に揺れ続けている。

「化猫が近くに居ます。私から離れずに着いてきてください」

「はい」

 新田は拳を握りしめ、震える足で立った。新田に気を配りながら歩を進めようとした瞬間、眼前の木に貼られた呪符が突然大きく燃え上がる。

 すぐ近くに居る。

「新田殿——」

「そういえば、お坊様」

 化猫の接近を知らせようと振り返ると同時に、新田が口を開いた。

「私の淹れた茶は、召し上がっていただけましたか」

 やけに張り詰めた口調で、場違いな問いを口にする。僧侶は疑問を抱きつつも、新田なりに場を和ませようとしてくれたのだろうかと思い直す。そういえばまだ礼を言えていなかった。

「ありがとうございます。美味しくいただきましたよ」

 周囲を警戒しつつも笑みを向けたが、新田は笑わなかった。

「そうですか。良かった」

 強張った顔のまま、殆ど独り言のような小声を零す。

「では、そろそろだ」

 ——その言葉を待っていたかのように、僧侶の膝からがくりと力が抜けた。

 咄嗟に錫杖を突き、身体を支えるが、みるみるうちに思考に靄がかかっていく。目が霞み始めた。何度も瞬きをするが、視界は一層滲んでいく。

「な、ぜ」

 瞼を開けていられない。鎧でも纏ったように身体が重い。錫杖に縋りつきながら、堪えられず片膝を突いた。

「……申し訳ございません」

 頭上から新田の囁く声が降ってきた。泣いているかのような声だった。

「にっ——」

 口が回らない。新田を見上げようとするが、首が持ち上がらない。身体が傾いていく感覚を最後に、僧侶は意識を失った。

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