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万妖の王  作者: 雨翠
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化猫 其之参

 雪解けを迎えたばかりの柔らかな土を、木漏れ日が染めている。新緑の間に山鳥の鳴く声がこだまする。昼の薄藍山は妖の気配など露ほども感じさせない穏やかさであった。

「最初の骸が見つかったのは此処です」

 山の奥へと続く街道の途中で、前を歩いていた新田が立ち止まり、地を手で示した。一月も前のことであるはずだが、固く踏みしめられた土にはまだうっすらと黒い染みが残っているようにも見える。

「奉公先から久方ぶりに里帰りしようという、若い娘御でした。それ以外の六人は……朔弥も含め、まだ見つけられておらず」

「成程」

 僧侶は獣道に化猫の痕跡を探しながら、木々や岩に呪符を貼りつけていく。呪符同士を呪力の細い糸で結びつけ、網を張り巡らし、妖が通れば気配を察知できる罠である。下級の妖であれば捕えることも可能だが、七人を喰ったと思われる相手では期待はできない。

「陽が沈めば、姿を現すでしょうか」

 呪符を貼るのを手伝いながら、新田がぽつりと問うた。僧侶が頷く。

「大半の妖は、行動するには夜を選ぶでしょう。できる限りの備えをしておき、夜が更けてからもう一度来てみようかと……ですが」

 言いながら、先ほどの新田の話を思い返して考え込む。

「朔弥殿が居なくなったのは朝だったのでしたね」

「昨今、異様な特性を持った妖が増えていると聞いております」

「ええ。佐鳥村のような事態を招かぬ為にも、早いうちに退治しなければなりません」

「私も、ご一緒するわけにはいきませんか」

 木々が風にざわめいた。僧侶は手を止め、新田を振り返る。青年はまるで睨みつけるかのような強い眼差しで真っ直ぐに僧侶を見ていた。

「決して足手纏いにはなりません。どうか」

「お気持ちは、よく分かりますが……」

「早く朔を助けてやりたいのです。あの子は今も私の助けを待って——」

 低く短い嘲笑が新田の言葉を遮った。邪羅久だ。真紅の髪を靡かせて新田へ歩み寄り、赤子を諭すような、いっそ優しくも見える表情で見下ろす。

「貴様が来たところで骨を拾う程度の役にしか立たんぞ。尤も、貴様も猫の餌となりたいと言うのなら別だが」

「黙りなさい!」

 僧侶が強い口調で制した。呪紋が赤く輝く。邪羅久は喉の奥でくぐもった嗤い声を立てたきり口を噤んだが、新田は愕然と邪羅久を見上げたまま凍りついたように動かない。

「申し訳ございません。後ほどきつく言い聞かせておきますので」

 僧侶は頭を下げ、新田へ歩み寄ってその手を取った。皸だらけの冷えきった指に手を重ね、強く握り締める。

「私は未熟で、共に来ていただいても貴方を守り切る自信がないのです、どうかお解りください。……ですが必ず化猫を捕え、弟君のことも明らかにしてみせます。信じて待っていてくださいませんか」

 僧侶の真剣な眼差しを受けて、新田は眉根に皺を寄せ、瞼を閉じた。やがて深く息を吐き、ようやく首を縦に振る。

「出過ぎたことを申しました」

 いいえ、と僧侶はかぶりを振って深々と頭を下げる。

「こうして手を貸していただけて、充分有難く思っております」


 数刻後、他の務めがあるからと言って新田が場を離れた。その背を見送ってから僧侶は勢いよく振り返り、少し離れて退屈そうに木にもたれかかる邪羅久の傍へ歩み寄る。

「お前には悪いと思っています。無理に従わされるのは不快なことでしょうし、私に対してであれば苛立ちも受け止めましょう。ですが他の方は別です。なぜ態々あのような言い方をするのですか」

 苦言を呈さずにはいられなかった。強い口調になったが邪羅久は気にも留めない。

「事実だろう」

 今しがた呪符を貼ったばかりの倒木に、涼しい顔で腰掛ける。途端に呪符が塵になって消えた。溜息が出る。

「たとえ正しいことであっても、伝えない方が良い時もあります。もしくは傷つけぬよう言葉を選んで」

「貴様は何に於いてもそうなのか?」

「そう、とは」

「姑息だ」

 厳しい指摘であったが口調は軽やかで、笑みを含んでさえいた。人の心の機微というものが、この妖鬼には心底莫迦らしく感じられるのだろう。

「情けの心算(つもり)か知らぬが貴様のしていることは畢竟、事の先送りよ。言うべきことを言わず曖昧に濁し、何一つ落居せぬまま何れは他の者がけりをつける羽目になる。貴様は手を煩わせずしてのうのうと善人面をしているだけだ」

「……そうかも、知れません」

 思った以上に正鵠を得た言葉に、僧侶は顔を歪める。

「ただ私は、できる限り誰にも傷ついてほしくはないのです」

「一つ予言というものをしてやる」

 邪羅久が脈絡もなく言い放った。怪訝な顔をした僧侶に向け、これまでになく愉快げな笑みを浮かべる。

「その甘えた考えで貴様はいずれ人を殺すだろう」

「……随分と嬉しそうに言いますね」

「思い上がった人間の絶望する様は良い退屈凌ぎになる。しかしまあ余りにも呆気なく折れるようではつまらんからな。精々足掻け」

 侮辱されているのか励まされているのか判らない。それならば良いように捉えようと考え、僧侶は己を奮い立たせるように頷く。

「そうします」

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