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万妖の王  作者: 雨翠
3/5

化猫 其之弐

 宿場町の入口に差し掛かる橋の袂に声の主たちは居た。

「せがれだけじゃねえ、何人行方が判らねえと思ってる!」

「警吏どもは揃いも揃って役立たずだな」

「俺たちが探しに行く。その刀を寄越せ!」

 警吏の装束を着た若者を、三人の男が取り囲んで責め立てている。

「そう言わず、もう少しだけ待ってください」

 今にも摑みかからんばかりの男たちを、若者は必死に押し留めていた。

「我々も手を尽くしていますが、田舎町の警吏ごときの手に負える妖ではないのです。近いうちに必ずや都から高名な術師が」

「そんな言い訳がいつまでも通じるか!」

「てめえの命が惜しいだけじゃねえか。さっさと刀を寄越せ」

 口々に喚く男たちの背後へ舞い降りた邪羅久は、地に足をつけるなり巨大な虎猫の姿に変化した。僅かに巻き上がった風を不審に思ってか、男たちが振り向き、一斉に顔面蒼白となる。

「出たあっ!」

「化猫だっ」

 絶叫とともに一目散に逃げていく、その背を庇うように立ち塞がった若者は身震いしつつも果敢に刀を抜いた。

「妖か……!」

 抜き放たれた刀身にはびっしりと呪言が刻まれている。只の刀ではないが、邪羅久にとってはもはや見飽きた物だった。本来は呪術師の扱う呪具でありながら、相次ぐ妖の暴走に対処するため、警吏にも支給されるようになったらしい。〈呪戮刀(じゅりくとう)〉——これさえあれば人ならぬものを斬ることができる。

 だがそれも、並の妖であれば、の話だ。

 気合と共に薙ぎ払われた刃を、邪羅久は猫の姿のまま、微動だにせず受ける。刃が膚に届くかと思われた瞬間に、刀は強い力で弾き飛ばされ宙を舞った。

「なっ――」

 空虚な音を立てて刀が橋板に転がる。同時に若者の利き腕がひとりでに背に回り、固く極められた。若者は激痛に叫びをあげて片膝を突く。

「邪羅久!」

 背後から杖の音とともに声が届いた。振り向けば街道を僧侶が駆けてくる。人間の足にしては早い、と感心すると同時に、

「止めなさい!」

 鋭い命令が飛ぶ。腕が解放された男は荒い息でその場に蹲った。その傍に駆け寄り、治癒の術を掛けながら、僧侶は眉をひそめて邪羅久を振り向く。

「悪ふざけにも程があります。今直ぐにその姿を変えなさい」

 呪紋が疼く。嗤い声と共に人の姿へ戻った邪羅久に非難がましい一瞥をくれ、僧侶は若者に手を差し伸べて、力の抜けた身体を支え起こす。

「驚かせて申し訳ございません。この者は私の道連れです。お声が聞こえましたので、揉め事であれば止めるようにと言ってあったのですが」

「あ、貴方様は」

「帝の命により、薄藍山(はくらんざん)の化猫退治に参りました」

 若者が目を見開いた。

「来てくださったか。お待ちしておりました、私は——」

 姿勢を正して名乗りかけた若者は腰のものがないことを思い出したか、慌てて踵を返した。刀を拾い上げて鞘に収め、傍へ戻ってくると、乱れた衿元を整えて慇懃に礼をする。

「お恥ずかしいところをお見せしました。弥能(みの)国主様より貴方様をご案内するよう仰せつかっております、薄藍町警吏の新田(にった)満正(みつまさ)と申します」

「新田殿、連れの無礼をお許しください」

 僧侶は礼を返し、男たちの走り去った方を見やる。

「先ほどの方々は一体……?」

「行方知れずになった方々の御身内です。捜索に時間がかかりすぎている、自分たちで探しに行く、と……」

 新田が顔を歪め、俯いた。食い縛った歯の間から苦しげな声が漏れる。

「無理もありません。最初の犠牲が出てから一月以上が経っている。私の弟も」

 僧侶が息を呑み、躊躇いがちに訊ねる。

「弟君も、行方知れずなのですか」

「……ええ」

「詳しいご事情を伺っても?」

「無論です。何かの手掛かりになるかもしれません、差し支えなければお話しさせてください」

 新田は顔を上げ、頭を振って暗い表情を拭い、無理やりに笑顔を作る。

「長旅でお疲れでしょう。私の家を逗留先にお使いいただければと思っております。そちらまでご案内がてら、お話しいたします」

 新田の案内で、朝靄に包まれた宿場町を歩く。化猫の噂のためか町は閑散としており、陽が昇ったばかりだというのに、まるで真夜中であるかのような不気味な静けさに包まれていた。

「弟は……朔弥(さくや)はまだ幼く、八つになったばかりです」

 張り詰めた声が語り出す。「女手一つで私たちを育ててくれた母が亡くなってからは、私と四つ下の妹で親代わりをしておりました。朔弥は体が弱く、昔からすぐに熱を出しては寝込んでいたのですが、一月前の朝は珍しく気分がいいと言うので、散歩へ出たのです。妹はまだ眠っておりましたので、二人きりで……」

 その日の記憶を辿るように、新田は薄藍山へと続く道を目でなぞる。

「山の麓まで歩いたときに発作が起き、私は朔弥を木陰で休ませて、家へ薬を取りに帰りました。戻ってくると朔弥は忽然と居なくなっていて、一日中探しても見つけられず……その数日後に阿尾道で、初めて骸が出たのです」

 化猫の噂が立ち始めたのはそのときからだという。金色の獣の毛が落ちていたこと、続けて五人が行方知れずとなったことなど、その後の新田の話は都で聞いていた話と一致していた。

「それは、さぞご心配でしょう」

 僧侶は痛ましげに目を閉じ、決意を込めて一礼する。

「到着が遅くなってしまい、申し訳ございません。弟君も行方知れずの方々も、我々が必ず見つけ出しますので」

 ありがとうございます、と掠れ声が応える。

「朔弥はまだ生きているのです。一刻も早く助けなければ」

 まるで己に言い聞かせているかのようで、根拠のある言葉とは思えなかった。反応に窮した僧侶の隣で、邪羅久が鼻で笑った。金の眼を細め、蔑みの混じる笑顔を新田へ向ける。

「都合の良い思い込みも其処までいくと滑稽だな。たかが八つの小僧が、冬の山中で一月もの間生き延びられると?」

「邪羅久、お前」

 僧侶が強い口調で咎めたが、邪羅久は意に介さない。

「申し訳ございません。この者は妖の性分故か、人を傷つけ困らせるのが好きなようで」

「いえ……おかしなことを申しているのは承知しております。ですが、弟は生きています。私には判るのです」

 断固とした口調に僧侶が何も言えないでいると、小さな家屋の前で新田が足を止め、振り向いた。

「こちらが我が家です」

 示されたのは簡素ながらも小奇麗な家だった。黒い甍の映える白い漆喰で塗られた、木造の二階建てである。

「行き届かぬところもあると思いますが、どうぞご遠慮なくお寛ぎください」

 新田が格子戸を開け、僧侶と邪羅久を招き入れながら、中へ声をかける。

「戻ったぞ」

 声に応えて、土間の奥の襖が勢いよく開く。

「お帰りなさ……」

 若い娘がひょこりと顔を出し、僧侶と邪羅久の姿を見とめるやいなや丸い眼を大きく見開く。僧侶は軽く笠を持ち上げて頭を下げた。

「顔の爛れる病のため、このような(なり)で失礼いたします。化猫退治のため、都から参りました」

 その言葉が終わるか終わらないかのうちに娘は深い息を漏らし、感極まったようにその場に崩れ落ちた。

「やっと来てくださったんですね。朔のこと、どうか……」

「いと。ご挨拶が先だろう」

 新田に叱責され、娘は慌てて姿勢を正し、畳に三つ指をついた。

「失礼いたしました。満正の妹の、いとと申します」

 まだあどけなさの残る声で丁寧に名乗り、顔を上げる。笑顔になると、面立ちが新田とよく似ているのが判った。

「都からはるばる、ようこそおいでくださいました。狭い家ですが、なんなりとお申し付けくださいね」

 僧侶と邪羅久は二階の間へ通された。広さは六畳ほどで、襖や壁は色褪せてはいるものの、手入れが行き届いている。新田が窓の障子を開けると、黒々と連なる宿場町の瓦屋根の向こうに、青空に映える薄藍山が見えた。

「美しいですね」

「騒動以前は、そう思えたのですが」

 新田は苦笑しながら、押入から二枚の座布団を出し、僧侶と邪羅久に勧めた。

「今、お茶をお持ちいたしますので」

「いえ、荷を置かせていただきましたら、すぐに山へ向かわせてください。化猫の痕跡を探したいのです」

「左様ですか。承知いたしました」

 腰を上げかけた新田は畳に座り直し、僧侶と邪羅久を交互にひたと見据えて頭を下げる。

「急かすようなことを言ってしまいましたが、どうかご無理はなさらないでください。うちには何日でも居てくださって構いませんので、ゆっくり策を練ればいい。もうこれ以上、犠牲は出したくありません」

 語尾は痛ましく掠れていた。妹の前では気丈に振る舞っているが、心身共にさぞ疲れ果てていることだろう。

「有難うございます。ですがご心配は要りません」

 これ以上心労を掛けるまいと、僧侶は自信に満ちた表情で笑ってみせた。錫杖を鳴らし、立ち上がる。

「私も、この者も、妖の相手には慣れておりますから」

 邪羅久が不本意そうに鼻を鳴らした。

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