王座の行商 ~女王の玉座~
「歴史を彫り込むのだ。
国を背負う人が座る椅子に。
光も、影も。人々が歩んだ道筋を」
おじいさんはお気に入りの――黒くくすんだ木組みに革張りの椅子に腰かけながらつぶやき、手にしていたゴブレットを煽った。
おじいさんは、その昔玉座を作っていたのだという。
僕が物心ついたころには既に70歳をこえていて、すっかり腰も曲がり杖なしでは立ち上がることすらできなかった。
でも。
おじいさんが玉座を拵えていたというその手のひらと指先は。
赤子のような柔らかさと、熊の毛革のような力強さを未だ持ち合わせていた。
僕はおじいさんの手のひらが大好きだった。
ん!と頬を出してせがめばおじいさんはその自慢の手のひらで頬をムニムニと揉む。
優しく力強く僕の頬をいじる手はなんとも心地のいい、素晴らしい魔法だった。
「おじいさんは王様の椅子をたくさん作ってたんでしょ?
どんな立派な椅子を作ったの?
ボクもみてみたい」
僕の無邪気な言葉に、おじいさんは真っ白なひげに覆われた口の端を持ち上げて見せた。
たぶん笑ったのだと思う。
「そうだな……。
玉座というのは基本的には王様の椅子なんだがね。
しかしそうばかりでもないのだ。
例えば今私が座っているこの椅子も、昔は玉座だったことがあるのだよ」
おじいさんはそう言って、おじいさん自身が座っている椅子を指し示した。
僕はびっくりしたのを覚えている。
おじいさんが座っている椅子は、当時の僕には何の変哲もない椅子に見えた。
質素で簡素で飾り気のない、しかし頑丈なつくりの椅子だった。
驚いた僕の表情に目を細めながら、おじいさんは僕にこの古ぼけた椅子のお話を語り始めた――。
とある国があった。
その国は女王様の国だった。
王族の女の人しか王様になれないという決まりの国だった。
いつからそのような決まりだったのかは分からないが、しかしひどい昔からそのような決まりの国だった。
女王様は自分の代理人と配偶者を兼ねて、王配を置いた。
王配は女王様の具合が悪い時や戦場において、女王の代理人としてふるまう役目があった。
女王様のための玉座は昔から存在していた。
立派な玉座だった。
金細工で縁取られ、真っ黒な艶めいた木の骨組みに蒼い飛竜の革を張り。
それはそれは、見事な玉座だった。
でも王配には椅子は用意されていなかった。
王配はいついかなる時も女王のそばで直立不動で立っていなければならなかった。
女王が不在の際にも、その立派な玉座に座ることは許されなかった。
女王が座らない玉座の脇で背筋をピンと伸ばして立ちながら、女王の代わりに仕事をしていた。
なになに?
そうだな、王配がおじいちゃんになったらずっと直立不動なんてできない。
それに戦場では女王の代わりに馬に乗って戦っていたんだ。
歴代の王配の中には戦場で倒れたものや、激戦の中で足を失ったものもいる。
そうなったとき、王配はすぐさま入れ替わった。
女王の代理人として役目を果たせない男は、王配としては不適格だったとしてその地位を追われた。
その国では、王配とは女王の代理人として使い捨てられる役職だった。
でも王配は女王様に直接意見を言うことや権力の代理執行を許された唯一の地位だったから、王配になりたい男はたくさんいた。
でも、ある時誰も王配になりたがらない時期が存在した。
それは女王様の国が戦争で負けてしまいそうなときだった。
当時の女王様は18歳だった。
母である先代を病で亡くし、急遽即位した女王だった。
不安定な若い女王の即位の動揺を狙って、隣の国は戦争を仕掛けた。
戦争は女王様の国にとって極めて不利な戦況で、何人もの王配が立てられては戦場で討たれてしまった。
そりゃあ誰だって死にたくない。
王配になるってことは、戦場で真っ先に狙われるということだった。
また、戦場での敗北の責任の一切をその身に背負うということでもあった。
何人も王配が変わり、責任を問われ、戦場で討たれ。
ついには王配になるものがいなくなってしまった。
ただ一人の少年を除いては。
新たに王配になった少年は、異国の皇子様だったといわれている。
当時の歴史書には少年の出身地は記されていない。
海の向こうの皇族か貴族か、少なくとも平民ではない身分の出身であったことは間違いがないとされている。
歴史書にはそう書いてある。
ともかく少年は王配となった。
年齢は17歳。
女王の国の誰もが絶望し、大人たちはどのように負けて収拾をつけるべきかを考え続けていた。
年若き女王と王配だけが、この国難を跳ね返そうとあがいていた。
そして奇跡は起こる。
年若き王配の指揮で隣の国への反撃が始まった。
今までの負けが嘘だったかのような連戦連勝だった。
王配が押し返した戦況を武器に、女王は隣の国との講和を図った。
ついに女王の国は、隣の国の脅威を押し返して平和を取り戻したのだった。
私がその国に呼ばれたのは、ちょうど隣の国との戦争が終わって1年が経った頃だった。
ちょうどお前の父親の年がちょうどお前くらいではあったはずだ。
だからその時の私は35くらいだったのだな……。
ともかく、私は女王の国に呼ばれた。
敗北が見えている戦況で、王宮の管理は随分とおざなりになってしまっていた。
立派な玉座の管理も後回しにされていて、蒼色の飛竜の革に傷みが出ていた。
私は玉座の修繕を正式に依頼されて仕事にかかった。
大変な仕事だった。
最上級の飛竜の革、ましてや希少な真っ蒼な個体のもの。
戦乱を押し返したばかりの女王の国に用意できるような代物ではない。
張り替え以外のあらゆる手段で修繕を行うことになった。
飛竜の革は魔法をはじく。
魔法をはじく力は、玉座に座るものに向けられるおおよその魔法をかき消してしまうほど。
だから魔法による修繕という手段はとれなかった。
色と魔法をはじく力を損ねないように慎重に根気強く作業をする必要があった。
修繕にはおよそ4か月かかるだろうと見られた。
ここで問題が生じた。
4か月も修繕するとなれば仮の玉座が必要になる。
女王の国の玉座とは女王を魔法から守るための大切な防御手段であった。
玉座に座って権力をふるう女王に、思考や精神に干渉する魔力が飛ばされようものなら大変なことだ。
だから修繕する間、魔力をはじくことのできる仮の玉座が必要とされた。
私はまず仮の玉座を作った。
元の玉座に使われている同じ材質の木材に同じ表面処理を。
椅子に張った革の色は水竜の革を青く染めて質感を合わせる。
不足した魔法防護性能は魔力のこもった輝石をあしらうことで補った。
この時使った輝石は王配から提供されたもので、元の玉座に使われていた飛竜の革と遜色ない魔力に満ちていた。
用意した仮の玉座を女王に預け、私は4か月間玉座の修繕にかかりきりになった。
難しい仕事だったが、私はどうにかやり遂げた。
そして修繕が終わった玉座を納めるために報告しようと、王女と王配のもとへと向かったとき。
私は4か月前とは何もかもが変わっていることに気づいた。
私が謁見したとき、私が作った仮の玉座には王配が腰かけていた。
女王は妊娠が発覚しており、しばらく政務に携われない状況となっていた。
女王が政務に携われないときは王配が代行することは問題がない。
しかし玉座に座ることができるのは女王にのみ許されている行為のはずだった。
このあからさまな異常事態に、群臣も側仕えも使用人も何の異論を唱えていなかった。
私は異国から来た王配に女王の国が乗っ取られたことを確信した。
王配が用意した高い魔力を秘めた輝石こそ、この国を乗っ取るための秘策だったのだ。
女王の国の恐らく誰もが、乗っ取られたことに気づかぬほどの強力な精神干渉魔法が輝石に込められていたことは容易に想像がついた。
この国で私だけが異変に気付くことができたのは、寝る間を惜しんで修繕していた飛竜の革があらゆる魔法の干渉から遠ざけ私を守っていたからだった。
私は内心を悟られないよう私の作った玉座に座る王配にひれ伏し、飛竜の革の修繕が失敗したと報告をした。
王配は嫌な顔一つせずにこやかに、私の苦労をねぎらった。
修繕が失敗したことは一切咎められなかった。
そのうえで王配は私に声をかけた。
「貴方のこの椅子は素晴らしいものだ。
この仮の玉座を、是非とも私たちの国にふさわしい正式な玉座に仕立て直して欲しい」
私は少し迷ったが、王配の依頼を受けることにした。
王配の言うままに装飾をあしらい、刻印を刻んだ。
皮肉にもその玉座は私の終生の最高傑作だったと今でも確信している。
王配は私の仕事に満足し、望みのままの報酬を渡すと言った。
私は王配に修繕に失敗した以前の玉座を引き取りたい旨を伝え、これは了承された。
その時私は何と言っていただろう。
失敗してしまったものを自分の手元に残して戒めにしたいと、そう願ったような気がする。
私は前の玉座をもらい受けると、風のようにその国を去った。
しばらくしてその国は女王の国から、男の皇帝の国となった。
王配は皇帝と名を改めて私の玉座に座り、女王は女の子しか産めなかったために第3皇妃と呼ばれるようになった。
皇帝の国では、女性が権力を持つことは一切なくなった。
「――その時にもらい受けた玉座を普段使いに手直ししたものが、今私が座っている椅子だ」
おじいさんが語り終えた後、しばらく物音が消えた。
おじいさんはゴブレットに入ったお酒を煽りながら、相変わらず笑みを浮かべていた。
少し、さみしげにも後悔しているようにも見えた。
ふと気が付き、僕は口を開いた。
「蒼い飛竜の革はどうなったの?
その椅子の革は水竜の革に見えるんだけど」
僕の問いに、おじいさんは少し考えると椅子から立ち上がり部屋に引っ込んでしまった。
まずい問いだったろうかという考えが頭をよぎるが、しばらくしておじいさんは手に何かを抱えて戻ってきた。
紙袋に包まれたそれは、蒼く深い空の色をした革のジャケットだった。
おじいさんはジャケットを広げると僕に着てみるように促した。
10歳にもならない僕には重たくブカブカで、袖を余らせて裾を引きずる僕の姿におじいさんは目を細めた。
「それはくれてやろう。
私が現役で旅をしていた時に使い込んでいたものだ。
おおよその魔法はかき消してしまえるし、軽い金属で補強をいれてある。
このジャケットが似合うようになるといいな」
おじいさんはそういうと、困惑している僕のほほを手のひらで挟み込んでムニムニと揉み始めた。
……。
眩しい……。
朝日が目に染みる。
いつの間にか眠ってしまっていたらしい。
ひどく懐かしい夢を見ていた。
きしむ身体を動かしながら身を起こす。
突っ伏していた作業台はノミやらハンマーやらコンパスが無造作に散乱している。
あとで片付けなければ。
陰鬱な気持ちになりながら伸びをする。
徹夜なんてするもんじゃない。
首を鳴らして肩を回しながら立ち上がる。
生憎のいい天気。
使用人を呼ぶベルを鳴らしたところで思い出す。
そうだ、今日は自分以外誰もいない日だった。
仕方ない、今日は外で朝ごはんを調達しなければ。
椅子の背にかけていた蒼い革のジャケットを羽織る。
それにしても、懐かしい夢だった。
まだ祖父が生きていたころの、懐かしい昔話。
こんな夢を見るのも、きっと昨日届いた手紙のせいだ。
作業台の脇に寄せていたその手紙に目を遣る。
差出人はエラディア皇国の第3皇妃。
かつてエラディア女王国の女王と呼ばれた人。
正直言えばこの依頼は受けたくない。
受けたくはないが、受けなければ生活費は稼げない。
大口の仕事は久しぶりだ。
祖父が残した最高傑作をこの目で見ておきたい気持ちもある。
湧きあがる複雑な気持ちを振り払いながら身支度をする。
朝ごはんを食べたら返事の手紙を書かなければ。
そして、1週間後。
僕はエラディア皇国へと足を踏み入れていた。
宮廷内を案内されながら奥へ奥へと進む。
ただ物珍しさからぼんやりと眺めるわけではない。
宮廷内の調度品や雰囲気、様式をしっかりと頭に叩き込む。
疑問があればその場で問いただし、答えが返ってこないものがあれば後で調べることができるようメモに起こす。
そうして宮廷内を見回りながら、僕はついに謁見の間に続く扉の前に立った、
一張羅のジャケットの襟を正す。
見苦しくないようにというのもそうだが、玉座からは精神干渉の魔法が放たれているという話はすでに祖父から伝え聞いている。
頼りになるのはこのジャケットだ。
案内をしてくれた騎士に目で合図をすると、重い音を立てて謁見の間の扉が開かれた。
うながされるままに中に歩を進める。
正面に見える玉座には誰も座っていなかった。
玉座の傍らには初老の貴婦人が立っていた。
彼女は僕の姿を認めると、美しさの名残が残る目元をすっと細めた。
何やら値踏みをされているような気がして、僕は逃げるようにその場で跪いた。
「ご依頼に応じて参上いたしました。
ミカヅキ・フォックスグローヴです。
此度は玉座の新調ということでお伺いしております。
詳細をお聞かせ頂きたく思います、第3皇妃様」
僕の言葉に対する返事は、きっかり1分後に第3皇妃の口から放たれた。
後宮でお話をしましょう、と。
案内をしてくれた騎士が慌てて第3皇妃をいさめる。
「第3皇妃!
いけません、椅子職人とはいえ得体のしれない男を後宮に引き込むなど!」
「……考え違いをしているのはあなたです。
そこに跪いている職人は女性です。
あなたの目は節穴ですか?」
あっけにとられたように声にならない吐息を漏らす騎士。
……初対面で見抜かれるとは、さすがはかつて人の上に立っていた女王といったところか。
レザーパンツに長袖のシャツ、羽織っているのは蒼い革のジャケット。
いずれも男物として仕立てられている衣服だ。
髪もベリーショートに刈り込んであるし、胸元が大きく主張しているということもない。
僕が生きているのは職人の世界だ。
職人とは腕前がものをいう世界ではあるが、それとは別に女性であることは敬遠されがちな世界でもある。
僕は意識して男に見えるように容姿や服装を整えていた。
「さあ、お立ちになって。
詳しい話は後宮の私の部屋で致しましょう」
「その前に、少しよろしいでしょうか」
「あら?何かしら」
立ち上がりながら僕は自分の意思を伝えようとする。
目の前の第3皇妃は訝しみながらも僕の声に耳を傾けようとする。
聡明な女性だ。
僕はまっすぐに座るもののいない玉座を指さして口を開いた。
「その玉座を、じっくりと見せていただきたいです。
自身の最高傑作であると制作した祖父が語っていました。
祖父の最高傑作を観察できる機会など二度と訪れないと思われますので」
「……ふふ。
変わった人ね、たしかにあの人の孫娘だわ。
一足先に後宮で待っていることにします。
気がすむまであの玉座を観察してかまいません。
終わったらそこの騎士に後宮の入り口まで案内してもらってください」
許可は下りた。
案内の騎士に何か指示を飛ばしている第3皇妃の脇を抜け、玉座に駆け寄る。
祖父の最高傑作。
心の底から湧きあがる興奮が抑えきれない。
「日が落ちる前には後宮に来てくださいね?」
からかうような第3皇妃の言葉を背に受けて、僕は玉座の観察を始めた。
深みのある艶光を見せる黒い木組み。
使われている木は香木だろうか。
傍に立つだけで鼻の奥に微かな落ち着く香りが届く。
つややかな木肌は精緻な銀細工で縁取られている。
銀細工の意匠は宮廷内の様式にそろえられており、特別な意図があるとは思えない。
座面と背板には青い革が張られている。
ポケットからシルクの手袋を取り出して装着し、座面と背板の革を撫でる。
頑丈で、弾力がある。
水竜の革を染めあげて使用したという祖父の話を思いだす。
飛竜と比較して入手のたやすい水竜の革であるが、使用されている品質は上の下といったところ。
王侯貴族向けの椅子の材質としてはギリギリの品質。
一歩離れて椅子を眺める。
やはり一際目立つのが左右の肘置きの先にあしらわれた拳ほどの大きさの輝石。
おそらくは水晶だろう。
おそらくという表現しかできないのは、輝石の中で光がうごめいて正確な色を判別することが困難だから。
内包された魔力が周囲の光や魔力を反映して乱反射を起こしている。
総評すれば随分とこじんまりした無難な玉座であるという評価に落ち着く。
玉座の中には座った王が子供にしか見えないような巨大なものや、あらゆる場所が金銀輝石で飾り付けられた眩いものまである。
そのような近年の流行りの絢爛豪華な玉座と比較して、むしろ質素であるという表現をしてもいいと思う。
かつて玉座だったという祖父が座っていた椅子に合わせて作られているというところもあるのだろう。
もともとこの国の玉座はそういう大きさだったのだ。
使われている材料についても近隣で確保できるものが使われており、王侯貴族の椅子としては無難な選択と言える。
ひときわ目を引く魔力を込められた2つの水晶も、水晶自体が産出する場所の多い輝石だ。
1つ間違えばみすぼらしくさえ見えてしまうだろうこの玉座。
これを宮廷の様式に合わせた上で、謁見の間の中でひときわ目立つ存在感を放つように仕立て上げている。
材料に執着せず、飾りに頼らず、技術におごらず、空間に溶け込ませ、存在感を際立たせる。
祖父の椅子づくりのモットーである『調和』の集大成。
なるほど、これは確かに祖父が自身の最高傑作と呼ぶのも納得だ。
「申し訳ありません、そろそろ終わりますか?」
騎士から声をかけられ、我に返った、
日没というほどではないが、窓から差し込む日の光が長い影を作るようになっていた。
僕は騎士を促して後宮の入り口まで案内をお願いした。
後宮に入ってからは女官が案内役を務める。
さすがに後宮を見て回るというわけにもいかない。
僕はすんなりと第3皇妃の居室に通された。
僕を案内した女官はそのまま部屋を立ち去った。
第3皇妃の部屋は随分とシンプルだった。
衣装棚に化粧台、姿見は人の背丈ほどもある大きなもの。
部屋の中央には簡素な机と椅子。
場違いな存在感を放つのは天蓋のついた豪奢な寝台。
3人は眠れるくらいの大きさの寝台は、なるほどここが後宮であるという証明なのだろう。
第3皇妃はお茶を入れて待ってくれていたようだった。
僕を手招きして椅子に腰かけさせると、ポットからお茶を注ぎ僕の目の前で一口飲んで見せた。
飲み干したカップを掲げて第3皇妃はにこりと笑う。
「大丈夫、毒なんて入っていませんよ」
僕の内心を見透かしたような言葉と笑顔に、僕の口の端は引きつった。
すすめられるがままに注がれたお茶をひとくち含む。
第3王妃からすればお茶目ないたずらなのかもしれないが、心臓に悪い。
味なんてわかりやしない。
僕がカップを置いた様子を見て、第3王妃は口を開き始めた。
「私たちの夫、皇帝陛下が崩御して1年が経ちました。
墳墓の建設も終わります。
2か月後に墳墓に陛下の遺体を副葬品と一緒に墳墓に埋葬する段取りになりました。
相談の結果、あなたがじっくりと観察した玉座も副葬品として埋葬することになったのです。
なのであなたには新たに玉座を作ってもらいたいと思っています」
依頼内容は手紙の内容通りだった。
僕は懐の手帳を取り出す。
細かな点を詰めていかなければならない。
期限や注文、今の玉座から引き継ぐもの。
おそらく魔力が込められた2つの輝石は新たな玉座にも転用されるだろう。
不備がないように細かく擦り合わせなければならない。
「現在使用されている玉座から2つの輝石は転用するとして、他に引き継いで使用するものはありますか?」
「いいえ。
今の玉座はそのまま墳墓に副葬します。
転用は許しません」
「えっ?」
予想外の言葉に、おもわず素っ頓狂な声を漏らしてしまう。
困惑する僕の様子を見て第3皇妃はクスリと笑う。
「あの玉座の、あの輝石の役割は終わりました。
この国の玉座は新たに作り直す必要があるのです。
加えて、使用する材料には注文を付けます。
この国でとれる香木。
これは現在の玉座でも使用されていますから、問題ないでしょう。
あとは、あなたの今着ている上着の材質と同じ蒼い飛竜の革もふんだんに使用してください。
飛竜の革を使う理由は、おわかりでしょう?
飛竜の革は王宮の宝物庫に山と積まれていますから、必要な分だけ提供します。
私が生まれる前から宝物庫に眠っている代物です。
この機会に使っていくべきだと思っています」
話が、違う。
祖父から聞いた話では、現在の玉座は張り替える飛竜の革がないからしつらえられたのではなかったのか。
宝物庫にずっと昔から山と積まれていたのなら、いったいこれはどういうことになるのか。
僕の困惑を見て、第3皇妃はなおも優しく微笑みかけてくる。
「その様子だと、あなたのおじいさまはからお話は聞いていたようですね。
いいわ、すべて話してあげましょう。
私とあの人しか知らない、今の玉座の真実を。
エラディア女王国最後の女王と王配しか知らない、忌まわしい歴史を」
第3皇妃は懐かしむように目を閉じ、歌うように言葉を紡ぎ始めた。
「あなたのおじいさまに作ってもらった玉座は、エラディア女王国の女王と王配の忌まわしき仕組みに終止符を打つための玉座でした。
私と陛下は、女王国というシステムを終わらせるためにあなたのおじいさまに依頼を出したのです。
あえて無理難題を押し付けて、あなたのおじいさまには大変失礼なことをしてしまいました」
第3皇妃は薄く目を開くと、申し訳なさそうに僕に頭を下げて見せた。
慌てて第3皇妃を止め、先の言葉を促す。
第3皇妃は頭をあげると、話の続きを始めた。
「……女王国では、王配というのは数年あるいは1年に1度は交代するものでした。
私の母の代では1年ごとに王配を交代させ、5人ほどの王配候補が順番に就任していました。
王配というのは政務の上では女王の代行者であると同時に、女王の配偶者としての地位でもあります。
王配を交代せて指名するということは、新たな王配と同衾してその身体を受け入れるということでもありました。
信じられないでしょう?」
僕ののどが、ひどく渇きを訴える。
第3皇妃は、それでも笑顔だった。
「もちろん、そんなことを続けていれば女王だって王配だっておかしくなってしまいます。
有能な王配であることと、女王が心を許す王配であることが両立することなんて稀です。
また、王配に指名される男は有力貴族家の当主や後継者であることが常でした。
当然貴族家の当主となれば妻帯していますし、後継者であれば婚約者もいます。
彼女たちから男を奪う。
女王国の王配とはひどく歪んだシステムでした。
その歪んだシステムを支えていたのが、現在玉座に据えられている2つの輝石です。
あの輝石の本来の使用目的は、女王と王配の関係性を円滑に保つために外部から精神干渉を行うためのものです。
つまり女王は愛してもいない王配と寝るためにあの輝石で自分と王配を洗脳していたと、そう言いかえてもらって構いません。
あの輝石を使えば精神干渉だけでなく、記憶への干渉も可能でした。
王配を洗脳しているという事実を、王配の記憶の中から消してしまうという芸当だって可能でした。
女王国時代の玉座に蒼い飛竜の革が使用されていたのも、あの輝石が関係しています。
女王は日常的に輝石の精神干渉魔法の影響下にありましたが、洗脳状態で政務を行って正しい政治的判断を下せることなどできません。
女王は玉座に腰かけて政務を行います。
玉座に魔法をはじく力が極めて強い蒼い飛竜の革をふんだんに使用することで、政務の際には強制的に輝石の洗脳状態から解除されるようになっていました。
そして政務の時間が終われば、女王は輝石を用いて自身を再度洗脳状態にしていたのです」
僕は話を聞いていて頭がくらくらしてくる。
第3皇妃が何を言っているのか、その内容は半分も理解できない。
同時に僕の背中に冷たいものが走る。
僕は今、とんでもないことを聞かされているのではないだろうか。
僕の懸念を感じ取ったのか、第3皇妃は大丈夫だと語った。
玉座に据えられて物理的に距離があった状態でも、第3皇妃は輝石を制御できるのだという。
いまこの部屋の中での話は隠れている護衛が耳をそばだてて聞いているが、彼女たちの記憶の現在進行形で操作されている。
第3皇妃と蒼い飛竜の革を身にまとった僕以外、この話を記憶に残せるものはいないのだという。
第3皇妃は話を続ける。
「話がそれましたね。
先代女王であった母が急死し、当時16歳であった私が急遽女王として即位することとなりました。
当時の私は王配と関係を持つことを受けいれることができませんでした。
若すぎたんですね、愛や恋はもっと高尚なものだと思っていました。
それに、当時の王配候補は50歳半ばになろうかという人ばかり。
輝石の使い方も知ってはいましたけれど、自分を洗脳してまで親子を通り越して祖父と孫ほどの年の差の男性を受け入れることができなかったのです。
私が役目だと受け入れて王配を置くまでの1年間で、王配がいない女王国は大きく動揺しました。
その混乱に乗じて隣国の野蛮人どもは襲い掛かってきたのです。
そのような非常事態になれば、もう私のセンチメンタルなわがままなど言っている余裕はありませんでした。
私は56歳の大貴族の当主を王配と定め、その王配と同衾し、王配はすぐに戦場に赴いて戦死しました。
……変われば変わるものです。
17歳の女王は1年間で26人の王配を指名し、そのことごとくが戦場で散りました」
語りづづけていた第3皇妃の顔に変化はない。
すでに彼女にとっては過去のことでしかないのだ。
かつてあったことを口から吐き出しているに過ぎない。
でもなぜ。
なぜ彼女は僕に話を聞かせるのか。
僕の抱いた疑問を置き去りにし、第3皇妃は話を続ける。
「女王国の人材は枯渇していました。
当然です、この国の有力貴族家の当主とそれに準ずるものを30名弱失ったとなれば。
王配の候補といえば20代の酸いも甘いもわからない者たちばかり。
それも目の前で父や当主が使い捨てられている現実を見ていました。
誰もが王配になろうとしませんでした。
まさに女王国は滅びようとしていました。
その時です、あの人が現れたのは。
奇跡としか言いようがなかった。
ふらりと王宮の中庭に現れてこういうんです。
『ここはどこか?』なんて。
……本当におとぎ話みたいね。
彼は異世界から来たコウコウセイだと言っていました。
聡明で、優しくて、そしてあらゆる魔法が効きませんでした。
私は彼に賭けることにしました。
彼を王配に指名し、全権をゆだねました。
輝石の1つは王配にでなく、王配の周囲の人間に向けて効果を出すように使うことにしました。
周囲の人間が彼の意見に耳を傾けるように、彼に好意を向けて忠誠を誓うように。
そしてあなたも知っているように、私は賭けに勝ちました。
勝利した私と彼に残されたのは、システムとして破綻した女王国と荒廃した国土でした。
限界を迎えていた女王国を、彼が率いる新たな国にするために私は策を練りました。
2つの輝石を玉座に埋め込み、玉座に座る彼を君主とするべく無差別に周囲への精神干渉を行わせる。
女王という存在は過去に隠し、後宮で皇妃として静かに生きる。
私と彼の策を実行するにあたり、あなたのおじいさまは素晴らしい玉座を作っていただきました。
改めて感謝をします」
話を聞き終えた僕の胸の内は、とにかく不快なむかつきで満たされていた。
目の前の第3皇妃の表情はそれでも変わらない。
口調が荒くなるのを自覚しながら、僕はそもそもの疑問を第3皇女にぶつけることにした。
「……なぜ、僕に話したんですか。
墓場まで持っていけばいいものを、どうして僕に」
「あなたに2つお願いをするつもりでしたから。
事情をお話ししないのはアンフェアかと思いました」
第3皇妃の表情が変わった。
眦を釣り上げた笑顔の向こうに、強すぎる圧力を感じる。
負けるものかと睨み返す。
第3皇妃はひとつ息を置いてから、僕に告げた。
「1つは手紙でお願いした通り、新たな玉座の作成依頼です。
ただし、蒼い飛竜の革と香木を使用した質素な玉座にしてください。
重ねて言いますが、現在の玉座から材料の転用は絶対に認めません。
特に、2つの輝石については絶対に。
2つ目は、玉座に細かな装飾を行わない状態で引き渡してください。
あなたのおじいさま、先代の『王座の行商』と呼ばれた方はこんなことを言っておりました。
『玉座には歴史を彫り込むのだ』と。
許しません。
この国の、特に女王国時代の歴史を後世に残すことは絶対に許しません。
装飾を一切行わない状態でこちらに引き渡すように。
細かな装飾はこちらで行います。
少しでも玉座に『歴史』をにおわせるような装飾や構造を見つけたときは、命はないと思いなさい」
ぎりっと奥歯を噛みしめる。
僕に話を聞かせたのは、僕が歴史を正しく知ってしまえるようにしたからだ。
僕に歴史を知らしめたのは、玉座にどんな細工を施そうとも見抜ける自信があるからだ。
第3皇妃はこういっている。
『黙って手のひらの上で踊れ』と。
黙りこくる僕の目の前で、第3皇妃はシュガーポットを床に落としてみせた。
すぐさま扉から女性の騎士が2人、部屋に踏み込んでくる。
女王は2人の女騎士に何でもないから、シュガーポットを持ってくるように伝えて下がらせる。
これは脅しだ、
断ればすぐに始末されるし、輝石の力で女騎士の記憶を書き換えて僕が暗殺者だったことにでもするのかもしれない。
屈するほかにない。
僕は、第3皇妃に了承の意を伝えた。
僕の様子を見て、第3皇妃の纏う空気が幾分か穏やかになる。
「あなたの職人としてのプライドが傷つくであろうことは申し訳なく思います。
あなたが曲げる矜持の代価として、十分な金額の報酬を約束します。
あなたのお父様の拵えた借金を返済してなお、十分に手元に残る分だけ渡します。
ついでに、椅子に使う分に加えていくらか余計に蒼い飛竜の革を持っていきなさい。
そのジャケットも随分大事に着ているようですが、そろそろ新調や修理を考えてもいいと思いますよ?
遠慮なさらず持って行ってください」
「心遣い、痛み入ります」
僕は席から立ち上がった。
すぐにでも原材料を受け取って、工房にこもって仕事にとりかかってしまおう。
立ち上がり背を向けた僕に、第3皇女は言葉を投げる。
「蒼い飛竜の革はふんだんに使ってくださいね。
陛下は魔法が一切効かない人でしたけれど、陛下の子供にはその特性が現れていませんので。
ぜひともよろしくお願いします」
僕は第3皇妃の言葉に生返事をして、足を止めることなく部屋を出て行った。
少し後の話になる。
僕は依頼された玉座を完成させた。
第3皇妃のオーダー通りの玉座。
僕が納品のために再度エラディア皇国に訪れたときも、第3皇妃は僕を迎えてくれた。
僕のつくった玉座の出来を見分し、満足そうに頷いた第3皇妃は約束をたがえることなく報酬を渡してくれた。
膨大な金額の金貨と、広げれば人が10人は寝転がれそうなほどの蒼い飛竜の革。
僕は報酬を受け取るとすぐにエラディア皇国を出た。
エラディア皇国から帰る道中、途中の宿で第3皇妃が死んだというニュースが流れた。
第3皇妃は遺書を残しており、先に死んだ皇帝陛下を追って殉死したのだろうと言われていた。
かくして最後の女王と王配と玉座、そして忌まわしき女王国の歴史はひとつの墳墓の中に葬られることとなった。
工房に戻った僕は倉庫から一つの椅子を取り出した。
今は亡き祖父がよく座っていた、かつて女王国の玉座であった椅子。
祖父が張った水竜の革を、今回の報酬で獲た蒼い飛竜の革に張り替える。
この椅子を、元の姿に修復してみようと思った。
祖父の口ずさんでいた言葉を思い出し、僕も口に出してみる。
「歴史を彫り込むのだ。
国を背負う人が座る椅子に。
光も、影も。人々が歩んだ道筋を」
この言葉を実行することの、なんと難しいことか。
僕は嘆息して、天を仰ぐ。
まだまだ、僕には修業が必要なようだった、
信じられるか…?これ餃子の王将を言い間違えただけから膨らんだんだぜ…?