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逆ハーを狙ったヒロインと、逃げた悪役令嬢の私

作者: 椿 柚柑

短編だけだとハピエンではなくもやっとした終わり方になっているのでご注意ください。


 まさか自分が乙女ゲームの悪役令嬢に転生するなんて思わなかった、という始まりのネット小説をどれくらい読んだかわからない。テンプレとも言うべきその流れの話が好きだった。


 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 と、自分で言うとは考えもしなかったけど。





 早々に自分が悪役令嬢だとわかった私は、さっさとシナリオから退場した。私が転生したゲームは悪役令嬢がそれ程当て馬の役割を担っていない。ファンタジーな世界を冒険するRPGのような内容の乙女ゲームだったので、苦労して旅して冒険してれば恋が生まれ愛が育つのだ。別に時々出てきて悪態をつくだけの悪役令嬢は居なくてもいい。



 悪役令嬢らしく貴族の生まれだった私は早急に領地に引き籠った。ゲームは王都で始まり、国中を旅するとはいえ我が家の領地はルートから外れているから、引き籠っていれば問題ない。

 両親と攻略対象者でありヒロインのパーティーメンバーになる兄は私にゲロ甘なので、領地で引き籠った生活を望む私を一切止めなかった。

 だからゲームが始まる十年前に領地に行って、それ以来一度も領地から出なかった。


 筆まめな兄からヒロインである聖女が見つかり、王命による旅に参加することになり、聖女に恋をしたことが逐一報告されていたのでストーリーの進展度合いは何となくわかったし、風の噂で瘴気の発生源を浄化して旅する聖女御一行の活躍は、瘴気の発生源がない我が家の領地までちゃんと届いていた。


 もうそろそろゲーム期間も終わるなぁと思い始めた頃、兄から聖女と結婚を考えている、彼女にも了承をもらったから旅が終われば一度領地に二人で向かうと書かれた手紙が届いた。兄のルートに入ったんだなぁ、私もそのルート好きだったなぁ、とのんびり思っていた。


 無事に瘴気が収まり、ゲームもエンディングを迎えた頃、そろそろ兄からいつこっちに来るか連絡がくるかなと配達員が来るのを楽しみに待っていたら、届いたのは訃報だった。




 聖女が死んだ。





 私の知っているシナリオには、ヒロインの死は存在していない。例えバッドでも死ぬことはない。国を追い出されても聖女を騙った偽物と糾弾されても、死なずにこれからも強く生きていく!という力強さを感じさせる結末になるのだから。


 そのヒロインが、聖女が、死んだ。それってどういうことなんだろう。



 ゲームに出てくる人たちには関わりたくないと思いつつも、兄の婚約者だった女性の葬儀には参加しようと私は慌てて馬車に乗り込み王都に戻った。




 王都は悲しみに包まれていた。瘴気を払いきった聖女の帰還パレードを行ったばかりだったらしく、多くの人々がほんの少し前に満面の笑みで手を振っていた彼女の死を悼んでいた。

 街中には喪服を纏う人が多く、彼女がとても愛されていたことが到着してすぐに分かった。


 なぜ聖女は死んでしまったのかという話題はタブーになっているらしく、死因やその経緯は全くわからない。

 話を聞きたくても屋敷には両親しかおらず、兄は廟で聖女の遺体に泣き縋っているらしい。


 遺体は防腐処理のための魔法がかけてあり、一年はそのまま安置され沢山の人から献花された後墓に入ると聞かされた。葬儀後から一般献花も始まり、沢山の人が訪れるだろうと誰もが言う。

 この弔い方は王族と同じで、国から彼女への感謝の意を感じさせられた。攻略対象者であるパーティーメンバーには王太子も第二王子も入っているので、一緒に旅した彼らがそうしたいと頼んだのかもしれない。



 その身を酷使し、国中を歩き旅をして瘴気を払った聖女の功績とそれに対する感謝や愛情を感じれば感じるほど、私は胸が苦しくなる一方だった。


 ゲームでさえかなり手間をかけて冒険しないといけなかった。それを生身でやり遂げたのに、急死してしまっただなんて。

 私が王都にいたら何か出来たかと言われたら何も出来なかった。だけど瘴気を払う必要が出るのを分かっていて誰かにそれを伝えることもせずにただ逃げた。

 どうしても罪悪感で頭がいっぱいになっていく。




 両親に葬儀に出るために戻ってきたと言えば、なんだか微妙な顔をされた。十年以上ぶりに屋敷に戻ってきたことを嬉しくても喜べないね、と。

 兄にも会いたいといえば、廟に入れるようにしておくよと言ってくれたものの、行かない方が良いとも言われた。

 理由はわからなかったけど、辛くて泣いている人たちに会うのは苦しいとは思う。だからきっと私のことを心配してくれているんだと、そう思っていた。





 王都に戻った翌々日。私は廟に向かった。兄は聖女が亡くなってから一度も家に帰っていないらしい。辛いのはわかるけど一度帰って休んで欲しいと両親は何度も言ったが突っぱねられていると聞いて、私も兄に一度家に帰ろうと言うつもりだった。


 この国の廟は前世でいうところの葬儀ホールみたいなもので、聖女の為の部屋はいくつかあるホールのうち一番格式高い場所だと聞いてそこに向かうと、中から言い争う声が聞こえた。


 何事かと走り寄ると、そこには兄と王太子、第二王子、騎士団長の息子、上位魔術師の五人が円を描くような位置どりに立ち、互いを牽制し合いながら罵倒し合っていた。


 攻略対象者勢ぞろいの中に飛び込みたくは無かったけれど、兄の疲弊した顔を見たら声を掛けずにはいられなかった。


「お兄様、一体何をされてるの?」

「アリエス……?アリエスなのか?」


 ゲームが始まるまでは年に数回会っていたけど、旅に出てからは手紙のやり取りしかしていなかった。兄は驚いたような顔をした後、ほんの少し嬉しそうに笑った。


「どうしてここに?」

「お兄様が心配でしたの」

「そうか……ありがとう」


 兄の近くに寄ろうとしたら先に駆け寄ってきた兄にギュッと抱きしめられた。何日風呂に入っていないのか分からないニオイがしたけど、頰がこけ目の下はクマが濃く、唇や頰がカサカサしている姿を見たら押し退けられずなされるがまま抱きしめられることにした。

 背中をポンポンと軽く叩くように撫でると腕の力が増した。今にも泣くんじゃないか?というくらいその腕は震えていた。


「……ジーク、それは誰だ」

「ファニス殿下、こちらは妹のアリエスです」

「はっ、なんだ妹か。てっきり一人脱落かと思ったのだがな」


 アリエスは初めましてだけど、()の気分としては初めましてではない相手、王太子ファニス。少し俺様なところもあるけど正義感の強い青年のはずなのに、今の言い方はとても嫌な感じだったし、挨拶しろとも言われないので名乗れない。

 彼らに会ったことがないからまず兄に声を掛けたけど、それが不敬なことくらいわかっている。発言を求められなければ挽回も出来ないじゃないかと沸々と苛立ちが湧いてきた。


 それに今、一人脱落とか言った?



「あれ……確かジークさんの妹さんって養子でしたよね?血の繋がりは無いんじゃないですか?」


 あちゃー、それ言っちゃう?と()は思ったけど、アリエス的にはどうしたら良いか少し悩む。

 アリエスは父の姉の子で、姉はシングルマザーだった。私を産んですぐに亡くなってしまい、父親が誰なのかは誰一人知らない、父が引き取ってくれたけど生後間もない話なので黙っていることにした、というのは私が赤ちゃんの頃から自意識があったから知っているけど、アリエスは知らないはずのことだ。

 だから『兄とはいとこ同士のためまったく血の繋がらない赤の他人ではないのだけど』と訂正する気はない。


 事情を知っている人も口止めされているはずなのに、ぺろっと喋ったのは第二王子ウリエル。

 気さくな明るい性格でムードメーカー。憧れの兄を支えたいのに第二王子派が勝手に暗躍して困っていて、少しおバカなお調子者っぽく振る舞い兄に花を持たせることで兄の立場を脅かすつもりがないことをアピールしてる。


 周りの空気を読むって設定を覆してきたウリエルも、ファニスと同じく兄を追い出したいのか、空気を読むのをやめたのか。急に私に対して隠されてきた真実が湧いてきてしまったため兄は動揺しているのか私をさらに強く抱きしめた。


「てことはジークさんがマリンと好き合ってたってのはウソか」

「何故そうなる」

「だって好きな女が眠る前で妹にベタベタするのおかしいだろ」

「妹を蔑ろにすることを聖女が望むとは思えない」


 兄と言い合いを始めたのは騎士団長の息子のレミアン。チャラ男系脳筋という不思議なキャラ付けの彼はテンション高く敵を物理で屠って行く前線担当で、攻略の要になる重要なキャラ。彼を鍛えないとボスが倒せないのに筋トレしかしないって設定のせいでスピードや賢さがレベル上がると落ちて行く。バフアイテムをゴリゴリ飲ませないといけないから金のかかる男って感じだった。

 女の子に優しいチャラ男キャラだったけど、別に誰から構わず敵を作る人でもなかった。特に仲間は大事にしていた。


 それなのに今の発言には全く優しさを感じられなかった。


「……ムキになって、言い返すの、怪しい」


 ボソッと話したのは上位魔術師のスミル。年下でちょっとおとなしい感じ、恋愛面はヤンデレなキャラだった。

 魔力も多いし魔術の腕もあるけど心が優しすぎて攻撃魔法が使えない。その優しさを聖女に認められたことで少しずつ変わっていくんだけど、後半までボソボソ喋りのままなのは恋愛攻略がうまくいってる時のみ。心を開く相手にはすらすら話すという設定があり、ほかのキャラを攻略しているとメンバーみんなに心を開くのですらすら話し出すけど、ルートに入ってると聖女にだけそうなる。


 今は私がいるせいかもしれないけど……




 ……そういえば、王太子が仲間に対して少し嫌味っぽい発言をするのも、第二王子が空気を読まなくなるのも、騎士団長の息子が歯に衣着せぬ物言いになるのも、ルート攻略時のみ、だ。


 まさか?



「お前ら……勝手な事ばかり言いやがって」


 神官の家系でその力はこの国一と言われているジークは敬語のお兄さんキャラで、その言葉遣いが荒れるのも、ルート攻略時だけ。



(まさかと思うけど、ヒロインって逆ハー狙ってたわけ?)



 睨み合いを続ける五人のただならぬ雰囲気を兄の腕の中で感じながら、私は叫びたくなっていた?


 現実で逆ハーなんてするんじゃねぇよ!と。






 あまりに睨み合い罵り合うので見かねた王子たちの護衛が割って入り、それぞれ別室で頭を冷やせと後から来た宰相から言われて、私は兄の手を引いて屋敷に帰る馬車に乗った。廟に個室を用意していると言われたけど、すぐに抜け出して不毛な言い争いをしそうだったので宰相さんに許可をとり帰宅する事にした。

 兄は嫌がったけど、両親が心配していると言い聞かせて半ば無理矢理引っ張ってきた形だ。


「お兄様、とにかく今日はお食事をして、お風呂に入って、ゆっくりお休みください。悲しい気持ちを無くせとは言いません、ですがお兄様が倒れたら私や両親が今のお兄様のような悲しみを背負うのですよ」

「俺の悲しみだと……そんなの分かるはずがない!」


 バン!と自身の膝を強く叩いて、そのまま背を丸めた兄は涙声でポツポツ話しをした。


 聖女がプロポーズを受けたのは、兄だけでなく五人全員だったこと。

 国王から褒美に何が欲しいと言われて、五人全員との婚姻を願うつもりだと聞かされたこと。

 それが無理ならとりあえず王妃でいっか、ほかの四人は愛人ね!とニコニコ笑顔で言われたこと。

 それでも彼女のためにならその条件を受け入れてもいい、とそう思っていたこと。


 しかし彼女は帰還のお披露目パレードの後に開かれた夜会に参加しなかったこと。

 部屋に向かうとベッドの上で眠るように死んでいたこと。

 外傷はどこにもなく、毒を飲んだだろうけどその経緯がどれだけ調べてもわからなかったこと。


 ただ、彼女の持つ聖女の力は死してもまだ衰えておらず、彼女を最も愛する人間の魔力を注ぎ込めば生き返る可能性がある、と神託が下りたこと。

 その為誰が彼女を最も愛しているのか、で口論になったことを教えてくれた。



 地獄絵図ですわね、とは口が裂けても言えなかった。

 そしてやっぱり、逆ハーなんてするんじゃねぇよと叫びたかった。






 魔力を全て注げば生き返る、はゲーム内で存在したリバイブという魔法のことを言っていると思う。

 使用者のMP全消費する代わりに、HPもMPも全回復した状態で確実に死んだ仲間を生き返らせるという代物。

 ただ、ゲームと違ってこの国には現存していない太古に滅んだ古い魔法で、存在自体あまり知られていない。私が滅んだと知っているのは領地に篭って古い書物を山ほど読んだからだ。


 ゲーム通りならある程度の魔力があれば誰が使ってもちゃんと生き返らせることが出来るので、愛がどうのこうのというのは知らない。

 現実で人一人を生き返らせるとなると、それくらいの条件は必要かもしれない。魔法は精神力や創造力が必要なので一番愛してるぞ!という気合いが必要と言われたら何となく納得は出来る。



 ただ、この世界は魔法に関してゲームとは大きく違う点がある。


 MPがゼロの状態になると、二度と回復しない。


 魔力がほんの僅かでも残っていれば大丈夫。だけど全て使い切ってしまうと、どんな高級なエリクサーを飲んでも回復しない。

 だから聖女を生き返らせた人物は、二度と魔法も魔術も使えない。



 攻略対象者は全員魔力を必要とする立場にいる。その立場を捨てる覚悟が要る。でも捨てられるものかな?と思うくらいみんな高位の存在だ。


 それに、彼女が一番愛していた者ではなく、彼女を一番()()()()()者、というのは基準があやふや過ぎる気がする。

 愛情を他人とどう比べて判断するの?自分の中の優先度ならわかっても、他人と愛し方をみても愛の量なんて測れないのに。




「アリエス、俺は……どうしたら……」

「お兄様、やはりまずは休むことですわ。冷静さを失ったり、体の不調を放置したままでは良い案など浮かびませんわ。よく休み、よく食べ、落ち着いた状態でもう一度考えてみましょう」

「……俺は冷静じゃない、のか?」

「どう見ても冷静ではありませんわよ。それに大切な方が急死して冷静でいられる人はおりませんわ。悲しくて苦しくて当然ですもの」


 そう言ってベタつく頭を撫でると、兄の膝がどんどん濡れていくのがわかった。


 私は屋敷に着くまでずっと兄の形の良い頭を撫で続けた。





 屋敷に戻れば両親はやっぱり微妙な顔をして兄を迎えた。兄が聖女にプロポーズしたことも、受け入れてもらったことも、五股されていたことも、両親は知っていたと兄が寝てから聞いた。

 廟で彼らが言い争いしているだろうことは予想していて、行かないほうがいいのでは、と私に言った。だけど結局行けるように手配してくれたのは、兄を連れ戻せるのは私しかいないんじゃないかと思ったと涙ながらに両親は語った。


「アリエス……辛いことを聞いたんだろう?」


 父は涙を浮かべた目で母と一緒に私を抱きしめた。

 私についていた護衛から、第二王子がぺろっと養女であることをばらしてしまったと報告を受けたんだろう。


「……たとえ本当の子どもじゃなくても、お父様は私のお父様ですし、お母様は私のお母様です。お兄様もそうです。何も変わりません」

「アリエス、あなたがそう言ってくれるだろうと思って、私たちは甘えていたの。ごめんなさい」

「泣かないでお母様。私、この家の娘でいられることはとても嬉しいんです」


 私にとって前世もひっくるめて両親なんて思えるのはこの二人しかいない。

 孤児院育ちだった前世では、こんな風に愛してくれる人はいなかった。先生たちはみんな優しかったけど、だからって無条件の愛を注いでもらえるわけじゃない。それは孤児院のみんながわかっていた。わかっていても、心に穴が開いたみたいに寂しい気持ちがずっとこびりついていた。


「お父様、お母様。愛しています」


 私は少しやつれてしまった両親を抱きしめた。




 兄のことで両親は悩んでいる。その兄は聖女の死と五股、そして復活について悩んでる。この状況をどう打破すべきか、と考えてもこれだという答えは出てこない。


 聖女の死因を調べて判明したって意味がないだろうし、兄から聞いた話が正しく、私の考えも正しいのならきっと誰が殺したかなんて証拠は出てこない。

 現に聖女の死は瘴気を払い続けたことによる衰弱として発表することで決まっているらしい。神託を実行するのは国王が反対していると両親は言っていた。

 すでに発生源を全て断たれた瘴気への対抗策である聖女よりも、これから先国を支えていく彼らの方が大事だという判断だと思う。


 聖女の望んだ褒賞は例え聖女の功績をもってしても与えられるものじゃなかった。そして王宮で行われたパーティーの前に、王宮に与えられていた部屋で死んだ聖女。

 つまりはきっと、そういうこと。だから誰が復活させるかで揉めて疲れたころを見計らって、聖女と離された彼らはきっと二度と聖女の肉体と対面することは無いだろうな、と思っている。



 そしてそれは正しかったらしく、一晩ぐっすり寝てやや回復した兄と一緒に廟に向かうと、聖女の遺体はもうどこにもなかった。


 それに気づいた兄も他の四人も相当慌てて廟を破壊する勢いで探し始めたけれど、たぶんもう処分されているんじゃないかな、なんて言葉は言えなかった。


 案の定この廟の管理者から「急に光ったと思ったら消えた」なんて証言が出た。きっとそういうシナリオになったんだ。泣き叫ぶ彼らの声、責められてもどうしようもない管理者や衛兵たち。どうしようもなくやりきれないものが廟の中を充満させていく。




 ああ、ゲーム通りにしていれば、誰か一人にしておけば、彼らがこんなにボロボロになることは無かったのに。

 ヒロインも聖女としてその功績を讃えられて、誰か一人と愛し愛される関係を築けたはず。




 ーーーどうして、私はヒロインになれなかったんだろう。



 目の前で滂沱の涙を流し膝をついて呆然とする兄に、私がどれだけ手を伸ばしてもその心には何も届かない。

 もしヒロインが兄を選ばなかったとしても、兄の片想いで終わったとしても、こんな風にはならなかったはずなのに。




 でも、もしかしたら私も、あの立場になったら、たくさんの人に愛される道を選んだかもしれない。

 私も寂しかった。寂しくて寂しくて、寂しすぎたから、領地で一人籠っていた。


 初めて会った時から大好きだった。兄と呼んでも、兄だなんて思えなかった大好きな人。

 その人が私以外の女とイチャイチャするのを見るなんて嫌だった。だから()と距離を取って、だから聖女のことを噂通り素晴らしい人だと思い込み、()の幸せを祝える妹の仮面を必死に被ってきたのに。だんだんそれが馴染んでいつしか本当に兄と聖女の恋を祝える気がしていたのに。




 逆ハー要員にさせたあんな女を思って泣いている兄の背中を、私はただ見つめ続けた。






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「ーーーアリー、今日は遠乗りに出かけないか」

「まぁお兄様、お体の調子はよろしいのです?」

「ああ、うん。大丈夫だよ。のんびり乗る分にはね」


 聖女の死から三年が経った。

 私は兄と領地でのんびり生活している。


 兄が領地に戻ってきてから二年が経った。私はあの後兄の傍にいるよりは離れたほうが良いかもしれないと一人で先に戻ってきた。兄は聖女のことで頭が一杯なのに私が傍にいると私に気を使ってしまい、より精神が摩耗しているように見えたから。


 でもそれは建前で、壊れていく兄の傍に居られずに逃げ出したというほうが、正しいかもしれない。私はやっぱり逃げ腰な卑怯な人間だった。



 聖女の遺体は見つからないまま空の棺の前にはたくさんの人々がその死を悼み、献花に訪れた。

 そして一年後に空の棺が聖女の墓に納められた。棺の中身が空だと言うことは国民に発表されている。彼女はその功績によって体ごと神に召し上げられたのだと言われている。


 それは聖女の神秘性を高め、王都広場に作られた聖女像の前には未だにたくさんの花が供えられているらしい。


 空の棺が墓に入るまで兄は他の四人と共に聖女の遺体を王都中を探し回った。そして何も得られないまま一年が経ち、私が廟で会った時以上にボロボロの状態で静養のために領地にやってきた。


 大神官候補だった兄は、候補者を外れた。神官としての仕事に戻れるかどうかもわからない。

 他の四人もみんな似たり寄ったりな状況らしく、結局王が恐れた通りの結果になってしまったというのは皮肉だなとどこか他人事のように思った。



 私と兄は王都から流れてくる情報を出来る限り遮断して、穏やかに過ごしていた。私は兄を元気にさせようとは思わなかったし、自分から何かを手助けすることもなかった。

 兄が求めるのならそれに答え、それ以外は自分のしたいようにする。刺繍やレース編みの作品を孤児院に寄贈したり、馬に乗ってあちこち遊びに行ったり。兄が何か言いたそうな顔をしても、自分からそれをくみ取ろうとはしなかった。何となく違和感のある時間を過ごしながら、兄がこれからどうするのだろうと一歩引いたところから観察していた。



 そんなわけで私から兄を誘うことはしなかったけれど、二年ここにいてのんびりしている間に兄は少しずつ心も体も回復してきたらしく、最初のうちは私が出かける時についてくるだけだったのが自分から遠乗りや街歩きに誘うようになってきた。と言ってもまだ本調子には程多く、手足は細いままで体力も戻っていないみたいだけれど。


「どこに行きますの?」

「アリーが決めて」


 最近兄は幼少期のように私を愛称で呼ぶようになった。それに時折私の髪を撫でたり、一房取って口付けたり、まるで恋人を見るような甘い仕草をすることがある。


 私はそれが居た堪れない。


「……湖に行きませんか?暖かくなってきましたもの、きっと気持ちがいいですよ」

「うん、それはいいね」


 兄に誘われた時は出来るだけ近場の、景色がよく人が少ない場所を提案することにしている。

 兄の体力的な問題もそうだけど、私はあんまり人が多い場所は好きじゃない。もしかしたら兄は賑やかで明るい場所に行きたいかもしれないけど、私はいつも私の気分を優先している。



 兄を中心に考えて行動しはじめたら、きっと私は戻れない。

 兄と二人きりの生活は私の心を確実に蝕んでいる。もちろん使用人はいるし、両親も数か月に一度はやって来るし、完全に二人だけの空間に住んでいるわけじゃない。だけど私はきっと、何かの拍子に箍が外れてしまうだろう。


 甘い態度をとり始めた兄に縋って、愛を乞う化け物になってしまう気がする。


(聖女の代わりになんてなってやるもんですか)


 どれだけ寂しくても、どれだけむなしくても、どれだけ恋しくても。私は身代わりにはなりたくない。





「アリー、今日も可愛いね」

「お兄様、そういうことは妹にいうものではありませんよ?」

「そんなことないよ。世界で一番かわいいのはアリーだから」


 湖のほとり、馬を好きに遊ばせながらのんびりと景色を楽しみ、倒木の上に腰掛けて休んでいると兄は必ず隣にやってきて、私の腰を抱いたり、額にキスを落としたりする。


「……アリー、どうして結婚しないの?」


 そしていつも、この質問をするのだ。



「お兄様、前にもその質問には答えましたわ」

「もう一度教えて、アリーの本心が知りたい」

「……産みの母が、あちこちで子どもを作って産んでいたという話を聞いたからですわよ」


 第二王子がぺろったせいでいろんな噂が耳に入るようになってしまった。

 実はお嬢様の母君は……という感じで、どうでもいいことを教えてくれる貴婦人があちこちに存在したのだ。神官の家系に生まれたくせに娼婦の様だったとか、女王のように振舞う恥知らずだったとか。


 その噂を全て鵜呑みにしたわけじゃないけれど、産みの母の実の弟だった父が言うには私の生物学上の父が誰かはわからないし、生物学上の母が初産でなかったことは事実だという。


 だからもし私が結婚するとしたら、誰の子なのかしっかりと示せる人でないとだめだよ、と。


 万が一母が産んだ人と結婚するだなんて事態になるのだけは許されない。この国は前世の国よりは婚姻のルールがゆるく、親子でなければ結婚は出来る。叔父でも甥でも祖父でもいい。

 だけど兄妹だけはいけない。たとえ片方でも同じ親なのであれば、その婚姻は神の御意志に反したとして罰せられる。

 我が家は神官の家系で、父は大神官。だからこそ養女とはいえ大神官の姉の子が禁忌を犯すことは許されない。



 両親との血縁関係がはっきりしていない貴族の子どもというのは結構いる。もちろんはっきりしている人もちゃんといる。でも、私は誰かと結婚する気はなかった。

 産みの母がいったい何人産んでるか知らないけど、出会う人たち全員を疑ってかかるなんて面倒だ。


 それに、兄以上に愛せる男性はいないとわかってる。下手に離れたせいで余計に執着しているのが自分でもわかっていた。



「我が家は政略結婚も必要ないとお父様は仰ってくださいましたし、それにそもそも結婚しなくてもいいと言ってくださいましたもの。私は家を出たくないですし、しなくていいのならこのままがいいんです」


 私はもう二十歳。この国の女性としては思いっきり行き遅れている。



 ここまでのやり取りをもう十回は繰り返している。

 兄が何を聞きたいのか、何を言わせたいのか。薄々わかっているけど、でも、代わりになるのが嫌で私は気づかないふりをしている。



「……俺が好きだから、じゃなくて?」

「っ!!」

「ねぇ、アリー。子どもの時、俺のお嫁さんになりたいって言ったよね?」

「それは……五歳とかそれくらいの、本当に子どもの頃の話ではないですか!」

「うん、そうだね。でもアリーの友達だった子たちは彼女たちのパパと結婚したいって言ってたのに、アリーだけは俺が良いって言ったでしょ。なんで?」

「……”兄”に憧れるのがおかしいことだとは思いません」


 腰に回された腕にぎゅっと力が込められて、兄の顔がグイッと近づいてくる。


「……お兄様、やめて」

「俺はアリーがす」

「やめて!!」


 兄の胸に両手をあてて思い切り体を離そうと力を入れる。全身で拒絶してるのに、本調子ではないはずの兄はびくともしない。


「アリー、どうしてそんなに嫌がるの?」

「私を聖女マリンの代わりにしようとするからです!」

「……そんな風に思ってたの?」


 腰だけじゃなく背中にも腕を回されて引き寄せられると、兄の首筋に鼻から突っ込んでしまった。

 ん゛!と唸ってしまったけど、そんなのお構いなしにぎゅうぎゅうと抱き寄せられる。

 兄の匂いで胸がいっぱいになり、頭がぼんやりしてきた。いやだ、いやだ。


 私を、私だけを見て欲しいのに、流されてしまうのはいやだ。ヒロインがいなくなった寂しさを埋めるために使われたくない。


「アリーは代わりなんかじゃない」

「嘘をつかないで!あんなに好きだって手紙に書いていたくせに!」

「……アリー、手紙をしっかり読んでないんじゃない?」

「そんなことありませんわ!お兄様からの手紙はいつも楽しみにしてましたもの!」

「じゃあどうして気づかないの?『アリエスに似た子が聖女で嬉しい』とか『子どもの頃のアリエスのように無邪気な聖女に惹かれてしまった』と書いてあったはずなのに」

「……」



 兄の言うとおり、だ。

 私は手紙をさらっとしか読まなかった。特に聖女に関して書いてある部分はゲームの進行度合いがわかればそれでいいと思っていた。読もうとしたけど、読めなかった。

 始めのうちは聖女に関係ないことを書いている部分だけを繰り返し読んでいたけど、でも兄への想いを断ち切りたくて、だんだん読み返さなくなっていった。


「……聖女のことは好きではなかったんですの?」

「……アリー以外の女性で好意を持てる可能性があったのは、彼女だけだった」

「意味が分かりませんわ」

「アリーと結婚したいと父さんに言ったけど、許されなかった。母さんには泣かれてしまった。だから似た女性になら恋が出来ると思ったし、一緒に居ることも出来るかもしれないなと思った」

「そん、な……」



 代わりは聖女だったというの?



「信じられませんわ」

「……アリーが信じてくれなくても一緒なんだけどね」

「何を言っているの?」

「俺とアリーは結婚したことになってるから、俺の言うことを信じるしかないんだよ」

「……お兄様はさっきから一体何の話をしているの?」

「アリー以外と結婚しろと言うのなら、国王が聖女を殺した証拠を公にすると父さんに話したら認めてくれたよ」

「なんてことを!」


 私が叫んで兄を何とか引きはがそうと腕に力を込めると、ほんの少しだけ力が緩められた。

 それでも兄の吐息を間近に感じるくらいしか離れられなかったけれど、そのせいで兄の表情がしっかり見えた。見えてしまった。


 兄は笑っていた。蕩けたような甘い顔で。


「うん、やっぱりアリーは頭がいいよね。国王が聖女を殺したことに気づいていたんでしょ」

「それは……」

「まぁ将来国を背負って立つ人間を丸ごと自分の夫にしたいだなんて大真面目に発言する阿婆擦れを生かしておく必要ないしね。瘴気を払うのだって別にあの女じゃなくても出来るし」

「え?聖女しかできない偉業だと聞いていましたけれど」

「あはは、違うよ。そこには気づいてなかったんだね……あ、そうか。神官にとっては常識だけど、そうじゃない人にとっては知らないことだったね。 あのね、神聖魔力を持っていれば誰だっていいんだよ。別に女性である必要もないし、処女性なんかも関係がない。あの女が選ばれたのは神聖魔力を持っている中で見目が良く死んでも問題のない孤児だったからだよ」

「そんな……そんなことって、酷すぎますわ!」

「そう?でも一年半もの間辛い旅を続けるなんて貴族女性にさせるわけにいかないでしょ。アリーだって候補者に入っていたんだよ?」

「知りませんわそんなこと……私は殆ど魔力を持っていませんものあり得ません」

「あ~そうか、アリーは学園にも通ってないからいろんなことを知らないんだね。魔力と神聖魔力って別物なんだよ。この地に瘴気の発生源となる場所が存在していないのも、この地を守ってきた我が家に神聖魔力がたっぷり備わっているからだよ。住んでるだけで浄化されてる。同心円状にその効果が発揮されるから、領地の真ん中に屋敷があるでしょ。うちに近い他領地も発生源がないよ」


 頭の中にゲームで何度も見た瘴気の発生源の場所が浮かび上がっていく。確かにずっと住んでいるあの屋敷から円を描くような形でポイントが存在しなかった。

 でもゲームでは私は王都に住んでいたはずなのに、どうして……。


 ううんそれよりも。


「……私が王都にいたら、聖女の助けになったということですか?」


 兄が言うのが本当なら、私が逃げなければ、聖女が女性一人で辛い旅をする必要がなかった、ということになる。


「うーん、どうかな。アリーが王都に居続けるって未来は存在しなかったと思うよ。誰かが領地に住み続けないといけないけど、アリーがこっちに来たいっていう前にここに住んでた祖母が亡くなったでしょ。父さんは王都で大神官の仕事があるし、母さんは神聖魔力を持ってても少ないから祖母の代わりにならないし、俺は聖女が見つからなかったら聖人として旅することが決まってたし、結局アリーが住む以外なかったんじゃないかな」


 確かに私が領地で引き籠って生活すると言ったのは祖母のお葬式でここに来たからだ。このまま留まりたいと駄々をこねて、家族が私に甘いから許されたんだと思っていた。王都が嫌だと泣いたからだと。


 ……よく考えてみれば、小さな子が使用人と一緒とはいっても一人で領地に住むなんてことを許されるなんてただ甘いから、じゃ説明がつかない。でも私は結局養女だからだろうと思って、そのことを考えるのをやめていた。


「それに聖女はきっとアリーのことを気に入らないって言ったと思うよ。自分以外の女が優しくされるのを許せない性格だった。まるで女王みたいに振舞うのが好きだったからね」

「まるで、女王……」


 どこかで、その言葉を聞いたことがある気がする……。


「聞き覚えがあるんじゃない?父さんの姉……つまりアリーの本当の母親が『神官の癖にまるで女王だ』と揶揄されていたって話、聞かされたんじゃない?」

「!!」

「ふふ、アリーはあの女の顔見てないでしょ?」

「……ええ、見てないわ」


 棺の中で横たわっているシルエットは見たけれど、顔立ちまでは見ていない。


「目を閉じているところを見てもピンと来ないかもしれないけど、きっと生きている間に会っていたら()()のように似てるって思ったよ」

「そんな……まさか」

「真相はわからないけどね。ただアリーが王都に戻りたいって言っても絶対に父さんたちは許さなかったことだけはわかるよ。領地の守りというだけなら一年くらい離れていても問題ないのに、王都から領地に戻るようにそれとなく言われてたでしょ」

「……」


 思い当ることしかない。


 兄が私に気を使っているから、という理由を建前として本心を隠したまま両親に領地に帰ると言った時、喜ばれた。一緒に居られないのは寂しいけど、王都の沈んだ空気の中にいるよりは領地でのんびりしていなさいと、そう言われた。

 でもその決断をする前にも、それとなく王都にいるのは苦しいんじゃないかとか、兄の辛い姿を見ていても平気なのかと聞かれていた。


「黒いベールを着けているから成長したアリーの顔をしっかり見た人はそんなにいない。だけど長くいれば誰かが気づいたかもしれない。あの女はちやほやされるのが嬉しかったのかしょっちゅうバレバレのお忍びであちこち遊び歩いていたから」

「……でも、廟で王太子殿下たちにお会いしましたわ」

「あそこは薄暗かったし、それにアリーはあの時もベールを着けていたし、すぐに俺が抱きしめて離さなかったから見えてないよ。気づかれていない」

「そんなに似ていましたの……?」

「うん。聖女の任命式で父さんが口上を噛むくらいには」


 ゲームではヒロインである聖女の顔ははっきり出てこない。悪役令嬢ポジションの私はがっつり派手なメイクをして出てきて、今の私と骨格は同じだなと思うけど殆ど別人のように見える。


 でも二人が姉妹だなんて設定全く存在していなかった。


「……五股をするような人と私が似ているとお兄様は思っていましたの?」

「あはは、まさか。似ていると思ったのは無邪気でなんにでも興味津々なところだけだよ。あとは顔と体つき……似てるって言ってもアリーの劣化版でしかないけどね」


 兄の目線が私の目からどんどん下がっていく。鼻、唇、あご、首、そしてさっきまで兄にぎゅうぎゅうに押し付けてしまっていた胸に。


「やめて!比べないで!」

「ごめんねアリー。でもあの女には触れてないから安心して」

「何を安心したらいいんですか!比べる様に見られていることが嫌なのに!」

「アリーを愛してるから、邪な思いも湧いてくるんだよ。おかしいことじゃない」

「よ、よ、よこしま!?」


 背中を抱いている兄の手が背筋をなぞるように動いて、ぞわっと肌が粟立った。


「いや、いやあ」

「可愛いアリー、愛してるよ」

「やっ」


 ゆっくりと上に移動していった手が、私の後頭部をぎゅっと押さえた。兄の顔がピントが合わなくなるくらい近づいてきて、唇に柔らかいものが押し付けられた。

 ちゅ、ちゅと音がして、キスしているのがわかると自然に涙が出てきた。


 兄が私に愛していると言ってくれたのは嬉しい。兄妹の愛じゃなくて、男女の愛だとキスした今はわかる。


 だけどこんな風に無理やり奪われたかったわけじゃない。


「はな……して、ん」


 抵抗を言葉にしたせいで開いた口に兄の舌が入ってきた。ぞわりとした感覚に、涙がさらに溢れてきた。



 口が塞がり、涙のせいで鼻水も出てきて徐々に息苦しくなり、兄の胸を思い切り叩いた。

 窒息するかと思うくらい苦しくなったところで兄の顔が離れて行った。


「……泣くほど嫌だった?」

「はぁ……はぁ……はぁ」

「ねぇ、嫌だった?」

「はぁ……い、いや、です」

「どうして?俺の事好きなのに、どうして?」

「……他の女と比べられて、代わりだとかなんだとか言ってうまく丸め込もうとされているようにしか思いませんわ。私のことが好きなのになぜ無理やりな事ばかり、するんですの……」


 涙がさらに溢れだした。ああ、もう、だめだ。


 前世でも恋愛なんてしたことがなかった。愛がわからないから。

 だから乙女ゲームに逃避して、少女漫画に逃避して、甘い展開のネット小説にも逃避した。

 いざ乙女ゲームの世界に転生したとわかっても、悪役令嬢という愛されないポジションで、それが悲しくも安心でもあった。


 そんな私の理想は兄で、いつも真面目で優しい、さわやかな兄のことが大好きで、憧れていた。私にだけはお茶目な面を見せてくれて、大事に大事にしてくれた兄。

 そんな理想の人と、少女漫画のように思いを伝えあって、ロマンチックな場所でそっとキスするのに憧れていた。


 確かに綺麗な湖のほとりだけど、こんな風に無理やりなのは望んでいなかった。


 目の前にいる兄が、知らない男の人みたいで怖い。


「……無理しなきゃ、アリーは俺の事ずっと兄だと思って接するでしょ」

「お兄様はお兄様ですもの」

「でももう、兄に思えないでしょう?」


 ああ、兄の言う通りだ。

 私はもう、兄を兄だと思えない。


 ただの男、ジークと言う男性としか見ることが出来ない。


 抱かれる腰がぞわぞわと違和感を訴えるし、さっきまで触れていた唇がじんじんと熱を持っている気がする。


「ジークって呼んでよアリー」

「……」

「結婚しているのに呼ばないの?」

「婚姻した覚えはないです」

「父さんに頼んでもう書類は提出してあるよ」


 憧れていたプロポーズさえなく、私は兄と結婚していたらしい。結婚予定ではなく、すでに入籍していたなんて。


「まだアリーは二十歳だから、子どもはゆっくりでもいいからね。結婚したけど恋人みたいに二人で楽しもう」

「……全然、楽しくないわ」

「アリーの希望通りにするよ、どうして欲しいの?」

「……」


 もっと優しくしてほしかった。

 もっと甘く求められたかった。

 もっとお姫様みたいに扱われたかった。


 誰かを代わりに求めた後じゃなくて、最初から私を好きだと言ってほしかった。

 でも、もうそれは全部叶わない。


「……代わりの女にはプロポーズしたくせに」

「アリーはプロポーズされたかったの?」

「代わりの女には告白したくせに」

「アリー、今日の俺の言葉は告白にはならないの?」

「代わりの女が死んだから私に好きだって言ったくせに!」


 思い切り力を込めて兄の胸を叩いた。


「お兄様なんてだいっきらい!」






 --




 次に私が目を覚ました時、両親が領地に来た時に使う夫婦の寝室から出られなくなっていた。最もその部屋だとわかるのは部屋の作りと壁紙だけで、ベッドは新しいものに取り換えられてとても大きいものになっていた。


 両手両足はきちんと動くし、体になんか問題があるわけじゃない。

 だけど何か呪文がかけられていて、私は恐らく兄が指定した場所から出ることが出来なくなっていた。


 兄と一緒に居れば屋敷の中だけは動き回れるけど、でも兄以外の人と顔を合わせることは無くなってしまった。

 両親とでさえ。



「ねぇアリー。俺の事好きだって言って?」

「……おにいさまなんて、だいっきらい」

「アリーは我儘だなぁ。でもそんなところも大好きだよ。可愛いねアリー」


 きっとそのうち、兄に屈すると思う。誰にも会えず、愛を囁かれる。兄がどうなのかはわからないけど、私にはもう兄しかいないのだと現実全てが突き付けてくる。


 どれだけおかしな愛情を注がれても、私にとっては初めて異性から注がれた愛情には変わりがないし、やっぱり兄のことは好きだと思う。


 でも、まだ、ううん、好きだからこそ、許せない。受け入れられない。


 例え私の代わりに聖女を選んだというのが本当だとしても、彼女がもし五股せずに、兄だけを選んでいたら。

 彼女が国王に見捨てられなかったら。



 兄はいったいどうしたんだろう。

 私の身代わりだと言いながら、あの女を抱いたのかな。

 私に思いを伝えることもせずに。


 それとも彼女が兄だけを選ばなかったから、私を好きだと言ったのか。





 ーーーーああ、どれだけシナリオから逃げても、やっぱり悪役令嬢にとってヒロインは邪魔な存在なのね。






お読みくださりありがとうございました。

この話を続きをR18で公開しています。そちらはハピエン(恐らく)ですっきり終わっていると思いますので18歳以上の方はよかったら読んでみてくださいね。



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