山奥の閉鎖的な村の有力者の娘の私、破滅の未来(ダム建設)を避けるために土着の神を頼る~幼馴染が10年ぶりに村に戻って来て今更残酷な儀式をやめて移住しようと誘ってきてももう遅い~
生贄に捧げられそうな村民がいなくなってしまった。
私の名前は御霊雛菊、この山奥で電話もインターネットも一切通じないキナキ村にある有力者の娘だ。御霊家は主にこの村の神事を司っている。
この村では少し特殊な風習がある。月に一度リクルト様という土地の神に生贄を捧げなければならない。もし怠ればリクルト様が天罰を下し、村に疫病や飢饉、謎の熱病を流行らせてしまうという。私はまだ18なので実際に天罰を見たことはないが、お父様が言うにはそれはそれは悲惨なものらしい。
その上、リクルト様は選り好みが激しく、幼子や老人や病人といった、言っては悪いが村のお荷物となるものは生贄に認めてくれないのだ。どんどん健康で若い人間が連れていかれてしまうので、キナキ村は衰弱の一途をたどっていた。
そんな状態だというのに凶報は続く。近くにダムの建設が決まったという話が3ヶ月に一度届く新聞に乗っていたのだ。このままではキナキ村は無くなってしまう。誰も生贄を捧げなくなってしまえばリクルト様は凄まじい天罰を下すだろう。そうなればもうおしまいだ。
どうしてこんなことになったのだろう。もしかするとリクルト様が怒っているのだろうか。事実、あまりに村民がいないため、今では60代のお爺様たちまで生贄に捧げなければならない状況になっていた。やはりそれがいけなかったのだろうか。
しかし村に若者などもういない。都会でも少子高齢化が問題にされているのだ。最近では都会でも老人が働いているのだという。そんな状況でどうやって若者を生贄に出来るというのか。
「はぁ…………」
私は御霊神社の境内を掃除していた。もちろん参拝客なんていやしない。もう村には階段を登ることさえ困難な老人しかいないのだ。村に若者は私だけしかいない。私が生贄に選ばれないのはきっと村の有力者の娘だからだろう。しかしこんな状況ではそうも言ってられない。
「……私が最後の生贄か……」
今日の夜、私が生贄として捧げられることになっている。きっとまだ若い私が生贄になれば全てが解決するだろうと私が立候補した。ダム建設によって、来月には全員立ち退かなくてはならなくなっているので、時間的にも人口的にもリクルト様に縋る最後のチャンスだ。
しかし不安もある。当然のことだが生贄に捧げられた人間が帰ってきたことはない。巫女である私も生贄がリクルト様に連れて行かれるところは見ることは出来ないのだ。
子供の頃聞いた噂によるとリクルト様は黒い四角い体をしていて、ほとんど音を立てずに信じられないほどの速度で山を疾走するのだという。そして体の側面に開いた大きな口で生贄を丸呑みにして連れていくそうだ。そしてリクルト様のために永遠に働かされるのだ。
私は一度だけ、リクルト様の犠牲になった子供を見たことがあった。その子は親の言いつけを破って、リクルト様の正体を知ろうと夜中に外に出たという。リクルト様は幼子は連れて行かない。朝になったとき、その子は見るも無残な死体で発見された。凄まじい力でリクルト様に投げ飛ばされたのだろう。地面に倒れていた子供は手や足があらぬ方向に曲がっていた。
それ以来、日が落ちてからは誰も外に出なくなった。
カツ……カツ……
誰かが階段を登っている音が聞こえた。誰かが参拝に来たのだろうか。私は掃除の手を止めて、じっと階段の方を見つめた。
男の人影が現れた。私はその人の顔を見て驚いた。
「トウヤ?」
尾川冬夜、10年前に村を出た私の幼馴染だ。私が知っている限り、生贄でなく村から出た唯一の幼馴染だ。
「ヒナ、久しぶり」
10年ぶりにあったトウヤは真夏だというのにスーツに身を包み、ビジネスバッグを右手に持っていた。
「どうしてこんなとこに?」
「ヒナ、この村から出よう。君を迎えに来たんだ」
トウヤが真剣そのものな表情で私に言った。
「ど、どうして……?」
「いつか君を迎えに来ると言っただろ?」
その言葉に私は昔の約束を思い出した。そうだ、子供の頃にいつか大人になったら結婚しようと約束したのだった。こんな狭い村では子供の約束でもそれなりの現実味がある。
しかしその約束はトウヤの両親の離婚によって消え去ってしまったのだ。別れ際、トウヤはいつか迎えに来ると言っていたが私は全く期待していたなかった。月に一度人が生贄になる村では人との別れは慣れっこだった。
「…………もう遅いよ」
私は持っていたホウキをギュッと抱きしめた。生贄の儀式は今日だ。今更迎えになんて来ても責任を投げ出すことなんて出来ない。
「ヒナ……聞いたよ。今回は君が生贄になるんだってね」
トウヤは目を伏せた。境内にセミの鳴き声が響き渡る。
「ヒナ、この村はもうなくなるんだ。生きた人間を捧げるなんて前時代的な儀式は辞めよう。きっとお父さんもわかってくれる」
トウヤの熱弁に私は目をそらした。彼の視線はただ風習に流されて生きてきた私にはつらすぎた。
「今更どこに行けるというの……」
私はずっと巫女として生きてきた。世間では就職難が続いているのに、なにも出来ない私を受け入れてくれる場所なんてない。
「結婚しよう」
トウヤの言葉に私は口元を抑えた。
「嘘……」
「本気だよ。ヒナがなにも出来ないなら僕が養ってあげる。それからゆっくりいろんなことを覚えて行けばいい」
私は心が揺らいだ。トウヤの目は本気だ。トウヤは私と同じ18だというのに、スーツがよく似合っている。働き始めた若者にありがちなスーツに着せられているような雰囲気はない。きっと片親で苦労していて、すでに生活基盤を築いているのだろう。若さゆえの無計画な提案ではない。
結婚を約束した幼馴染がギリギリのところで迎えに来るなんて……でも――
「ダメ、私だけ逃げるなんて出来ない」
そんなことをしたら今まで犠牲になった人に申し訳が立たない。私が村に残るために生贄に送られた人達がたくさんいるのだ。みんなやりたいことや夢がいっぱいあったはずだ。私はそれを台無しにした。
「帰って……」
「ヒナ……リクルト様なんていないんだ。生贄なんて――」
「帰って!」
私は人生で初めて大きな声を出した。その声に驚いたのか、トウヤは黙った。私は彼を無視してその場から逃げだした。
※※※※※
その夜、私は一人で神社にいた。心の準備は出来ていた。何が起きても逃げ出すつもりはなかった。リクルト様のもとに向かう。ただそれだけなのだ。
「雛菊、行くよ」
お父様が迎えに来た。私はお父様に連れられ、黒いワゴン車に乗り込んだ。
※※※※※
「はい、御霊雛菊さんですね! 本日は当リクルートサマーが御霊さんの就職を支援します! もちろん未経験でも大丈夫ですよ! なにせ今は60歳を超えた方でも仕事がある時代ですからね! 若い御霊さんならなんにだってなれますよ! 御霊さんにピッタリの仕事を見つけて差し上げますからね!」
彼女はそう言ってリクルト様の元に連れてこられた私に、たくさんの求人情報を紹介し始めた。
ちなみに子供を殺した怪物は黒いワゴン車です