婚約破棄を宣言したと思いました?……残念! それは分身ですわ!
「ほう……なかなかやるな……だが、甘いぞ!」
隠れている本体の私に向かって、容赦なく黒投げナイフが一直線に飛んできます。慌てて手持ちのクナイで弾き返しました。
「ちょ、ちょっとお父様! 婚約者に全力でクナイを投げる王子が、どこにいるというのですか!」
「何を言っておるイザベラ! そんな甘い考えでは殺伐とした貴族社会でやっていけんぞ! 社交界とはまさに修羅の棲み処。少しでも気を抜けば瞬く間に無惨な屍となってしまうだろう。隠密魔法の修練も足りておらん! そんなことではすぐに見破られてしまう!!!」
私達クォーガー家は、辺境伯として代々国防を任されてきた武闘派一族です。この世界でも非常に珍しい魔術を扱うことができる遺伝体質故に、利用されることがないよう女性である私も、幼い頃から厳しい特訓を受けてきました。今年から王都の学園に入学することが決まり、更に苛烈な訓練が行われるようになったのですが……
「そもそも、どうして私が王子から婚約破棄されなければならないのですか?」
「常に最悪の事態を想定しなければならないと、いつも言っておるだろう! 勝手に王子に一目惚れされて、婚約を申し込まれた挙句、やはり都合が悪くなったからと公衆の面前で婚約破棄されることほど、最低最悪の展開はないだろうが!!」
「……そうかもしれませんが……現実にそんな馬鹿げたことが起こる訳ないじゃないですか……」
そんなふうに考えていた時期が私にもありました。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「ああ、イザベラ! 君は何て美しいんだ! ここで出会ったのはきっと運命だ! どうか僕と婚約してくれ!」
「……」
入学初日。第三王子であるアラン様からプロポーズされました。絶対に有り得ないと思っていた最悪の展開に向かって、早速第一歩を踏み出してしまいました。
見た目は誰もが認める美少年ですが、初対面の相手に婚約を申し込もうとするなんて、絶対まともな人間ではない証拠です。
「あの……アラン様。第三王子殿下でいらっしゃるのですから、そのように軽々しく婚約宣言などなさってはいけないのではありませんか? 大体、既に婚約者がおられるのでは?」
「ああ、僕の心配をしてくれる優しさと気遣いまで持ち合わせているとは!! 何て素晴らしいんだ!! 心配しなくても、出生前から定められた婚約を含めて、既に10件ほど破談になっていてね……だから今は完全にフリーなんだ!」
王子との縁談がダメになるなんてことがあるのですか? しかも10回も。この方からは明らかに危ない臭いがプンプンします。ここは角を立てて刺激しないよう気を付けつつ、丁重にお断りするしかありません。
「も、申し訳ありませんが……」
ザッパアアアアン!!!
突然中庭の池から大きな水飛沫が上がり、全身ずぶ濡れで、たくさんの藻が張り付いたドレス姿の令嬢が姿を現しました。右手には長い筒を持っています。まさかあれを使い水中に隠れながら呼吸していたのかしら。
「べふぉっ……ぺっぺっ……ぷふっ……あああ……ふうぅ……あなた達、話が長過ぎるのよ!! いつまで待たせる気!!」
「「……すみません……」」
全く訳が分からないものの、犬のようにブルブルと体を震わせて水滴を飛ばしつつ、凄い剣幕でいきなり怒鳴ってくる彼女に、ひとまず謝る私とアラン様。ですが、何だか彼の目が輝いている気がします。ひょっとして、ずぶ濡れのドレス姿に興奮しているのでしょうか……最低の下衆野郎ですね。
「分かればいいのよ! 自己紹介がまだだったわね! 私の名前はルイズ! さあ、イザベラ! ここで会ったが100年目! その男を賭けて、私と勝負するのよ!!!」
「……はい?」
情報量が多すぎて、私の頭はフリーズしてしまいました。
「何してるの? さあ、早く構えなさい!」
「ええっと、ルイズさん。まず、私達初対面ですよね? それにこちらの私と下衆……アラン様には何の関係もありませんし、あなたと勝負する必要性も……」
「はあ……本当に鈍いわね、あなた。今のクォーガー家の程度が知れるわ。私はウィーガー男爵家の長女なの。100年前に辺境伯の座を、あなた達クォーガー家に奪われた、ウィーガー家のね!!」
「おおお……」
こちらをビシッと指差すルイズさん。そう言われれば、そんな話を父から聞いたような気もします。あと更にテンションが上がった様子の下衆野郎。おそらく胸を張ったせいで体のラインが強調された彼女に見蕩れているのでしょう。
取りあえず、先にこの変態王子を二人で倒すべきではないでしょうか。
「なるほど。ですが、ここであなたが私を倒したところで、一体何を得られるのですか?」
「あくまで小手調べのようなものよ。次は、あなたの兄、そして父親である辺境伯を打ち破り、ウィーガー家こそが、その地位に相応しいと証明してみせるわ!!」
「……そうですか。私だけならまだしも、兄や父にまで手を出すと予告されたら、黙って引き下がる訳にはいきませんね……」
「ふおおおお!!! 因縁の忍者対決キターーーーー!!!」
意味不明の雄叫びをあげて、ガッツポーズを取る下衆野郎。
「……あの、とりあえず『王子を賭けて』というのだけは、ナシにしてもらえませんか?」
「別にいいわよ。あなたに本気を出させるために何となく言っただけで、私も全く興味ないし」
「ちょっと待ってくれ!!! ちゃんと説明させて欲しい!!! 話せば長くなるのだが……」
「「いえ、取り込み中なので結構です」」
「そう言わずに!!! ……信じてもらえないかもしれないが、僕は別の世界からの転生者なんだ。以前暮らしていた世界では、君達が使う魔法を『忍術』と呼び、その使い手を『忍者』と呼んでいた。僕は、小さい頃からその忍者にずっと憧れていたんだ!!!」
「転生信仰は王国にもありますし、別に信じられない話ではありませんが……その世界で忍者になれば良かったのでは?」
「いや、『忍者』は空想上の存在だったんだ。いや、正確には実在していたんだけど、後世に伝わる中でさらに魅力的な存在へと昇華されていったと表現すべきだろうか……」
「……ええ……空想上の存在に憧れていたんですか……いい大人が……」
「別にいいじゃないか!!! 忍者は男のロマンなんだ!!! とにかく僕は転生したら必ず忍者になると誓っていた。だが、いざ生まれ変わると、明らかに中世ヨーロッパ感溢れる剣と魔法の異世界ときた! 僕がどれだけ悔しい思いをしたか、君達に分かるかい!?」
「「いえ」」
「……二人とも心底興味がなさそうだね……それでも僕は諦めなかった。どこかに忍術と似たような魔法が存在するかもしれない。そう考えた僕は、この世界の情報を集め出した。婚約者にも尋ねてみたけど聞いたことが無いと言っていた」
どこか遠くを見るような目をして説明を続ける王子。
「最初は彼女も快く調査に協力してくれていたんだが、段々と距離を置かれるようになって、最終的には婚約解消の申し出をされた。まあ、気にしていないけどね」
おそらく同じような経緯で他の縁組も破断になったのでしょう。言葉とは裏腹に彼の目尻には光るものが輝いていました。全くこれっぽっちも同情しませんでしたが。
「そして、ようやくクォーガー家に代々伝わる魔法のことを突き止めたんだ。本当に大変だったよ。王家に仕える影まで使って何とか情報を掴んだけど、後で散々陛下から叱られる羽目になったし……」
「要するに、その忍者と忍術への興味と憧れだけで、私に婚約を申し込んだのですね。本当に最低です。今すぐ消えて下さい」
「当事者じゃない私もドン引きするレベルね……というより、何でウィーガー家のことは知らないのよ!!」
何だかルイズさんは見当違いの方向に怒っているようですが、この男が思っていたより下衆野郎だったことが判明しました。
「……た、確かに騙したのは悪かった……申し訳ない。でも、イザベラのことが大好きなのは本当なんだ! 調査の過程で君のことを知れば知るほど夢中になっていった!」
たとえ好意を持たれているのが本当でも、それはそれで怖いし気持ち悪いのですが。こちらは完全に初対面ですし。
「実はクォーガー家には密かに何度もお邪魔しているんだ。ほら、このアップの写真なんて、すごく良く撮れているだろう? こちらの躍動感溢れる訓練風景の一枚も素敵だ……」
「ひいっ……完全にただのストーカーじゃないですか!!!」
王子が恍惚として愛おしそうに見せてきた分厚いアルバムには、びっしりと全く撮られた覚えのない写真が貼られていました。とんだ変態偏執下衆野郎です。
「し、失礼な! ただ少しばかり愛が重いだけだ!」
「へぷしっ!! ちょっと……そろそろ戦いたいのだけど。こっちは全身ずぶ濡れで風邪ひきそうなのよ」
「ああ、ごめんなさい…………あれ? そういえばルイズさん、何でずぶ濡れなのですか? 筒を持っているのも謎だったのですが」
「何言ってるの? 池に潜っていたんだから当たり前じゃない! 筒が無いと呼吸も出来ないでしょ!」
「……いえ、私達が使う水潜魔法は空気を纏って水中に隠れるものですから、そんな風にずぶ濡れにはならないはずです。呼吸も普通に出来るから筒なんて必要ないはずですし。服が濡れたらまともに戦うことだってできないでしょう?」
「そ、そんな……嘘でしょ?」
がっくりと膝を突くルイズさん。「前世の忍者は筒を使ってたよ」と隣で王子がよく分からない励ましをしています。
詳しく話を聞いてみると、100年前、辺境伯の座を巡る争いに敗れて以来、ウィーガー家のご先祖様は、すっかり忍術に対する情熱を失ってしまったらしく、その技術は殆ど子孫に伝わっていなかったそうです。
そんな現状に不満を抱いたルイズさんが、残された数少ない文献を元に編み出したものこそ、先程のエセ水潜魔術らしく……
「それでは一体どうやって戦おうと思っていたのですか?」
「だから、どちらが長く水に潜っていられるかの勝負よ!」
「……私、何時間でも耐えられますよ?」
「嘘でしょ……そんな……最近、全身ぶよぶよにふやけながら、やっと1時間耐えられるようになったのに……どうしてよ……これではずっとウィーガー家は負け犬のままじゃない!!!」
ぽろぽろと涙を零しながら項垂れるルイズさん。
「……あの、それならクォーガー家で魔術を学びませんか?」
「「えっ?」」
王子が便乗して食いついているのが気になりますが、無視します。
「最近は辺境伯の仕事も、実質兄がこなすようになってきて、父も暇を持て余していますし。何より折角魔術が使える体質を受け継いでいるのですから、廃れさせてしまうのは勿体ないですよ」
というのは建前で、ルイズさんが私の代わりに父の訓練を受けてくれれば、もう辛い思いをせずにすむというのが本音です。
「……本当にいいの? あなたや、その家族まで倒そうとしていたというのに……たとえ魔術を習得していたとしても、きっと器の大きさで負けていたのね、私……どうか、よろしくお願いします!」
「僕もよろしくお願いします!」
「ルイズさんはともかく、アラン様は…………いえ、分かりました。そこまで仰るのなら、アラン様も一緒に訓練を受けていただいて構いません。ただし、途中で逃げだすようなことがあれば、二度と私に関わらないと約束してください」
「ああ! 勿論だ!!!」
温室育ちの王子様に、あの血の滲むような猛特訓を耐え切る根性なんてあるはずがない。そう高を括っていたのです。
もう少しよく考えるべきでした。
彼は、信じられないことに、私達隠密活動のプロに対して一切気取られることなくストーカー行為をやってのけた実績があったのですから。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「ほう! なかなか筋が良いぞアラン君!! ルイズ嬢も大分上達してきたな! イザベラも二人を見習わんか!」
「「ありがとうございます! 師匠!」」「……はい」
今日も全く弱音を吐くことなく、元気に修行に励む二人。そして相変わらずそれに付き合わされる私。まさかこうなるなんて思いもしませんでした。
「いやあ、しかし流石王族の血だな。我々の源流となるだけのことはある。これなら娘をやっても安心……おっと……」
「お義父様、その話は、まだ……」
クォーガー家もウィーガー家も、元を辿れば王族から派生していたらしく、王子が魔術をみるみるうちに習得していったのも、そういう理由があったみたいです。
そんなことより今聞き捨てならない台詞を仰っていませんでした?
「お父様! アラン様! 『娘をやる』? 『お義父様』? 一体どういうことですか!! まさか勝手に婚約話を進めていたりしませんよね!?」
「「ん? 何の話だ? 気のせいじゃないか?」」
「誤魔化さないでください!!!」
私が怒鳴ると、煙を上げて父とアラン様の姿が消えました。どうやら分身だったようですが、今日だけは逃がすわけにはいきません。
手当たり次第にクナイを投擲しつつ、本体を必死に探します。
「絶対に逃がしませんよおおお!!! 勝手な婚約なんて、絶対に破棄しますからねえええ!!!」